昔は、
私の育ったような山村にもよく乞食坊主が回ってきた。
門口に立ち、
チンチーンと鈴(りん)を鳴らしお経らしきものを唱える。
米を小皿に掬い、
頭陀袋に入れると片手拝みに一礼して去ってゆく。
自由律の俳人、
種田山頭火もそのようにして旅をしたらしい。
※【頭陀袋】ずだぶくろ
僧が修行の旅をするとき首にかける袋。
そんな日々を記した日記、
「行乞記」昭和五年11月11日の条から抜粋してみる。
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山峡は早く暮れて遅く明ける、
九時から十一時まで行乞、
かなり大きな旅館があるが、
こゝは夏さかりの冬がれで、
どこにもあまりお客さんはないらしい。
枯草山に夕日がいつぱい
しぐるるや人のなさけに涙ぐむ
山家の客となり落葉ちりこむ
夜半の雨がトタン屋根をたたいていつた
今夜は飲まなかつた、
財政難もあるけれど、
飲まないでも寝られたほど気分がよかつたのである、
それでもよく寝た。
繰り返していふが、
こゝは湯もよく宿もよかつた、
よい昼でありよい夜であつた
(それでも夢を見ることは忘れなかつた!)
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山頭火は、
大地主の家の長男として生まれたのに無一物で生涯を閉じた。
享年58。
彼が今のように有名になったのは、死後数十年も経てからである。