十日ほど前かな、
「フォークボールを語るだけで45分」と云うテレビ番組があった。
「フォークボール」と云うのは、
野球の投手が、人差し指と中指の間にボールをはさみ、
上から振り下ろすように投げるのだが、
始め真っ直ぐだった軌道が、
途中から急に、沈み込むように落ちると云う球種。
直球と同じフォームで投げるため見分けがむずかしく、
特に威力のある速球を投げる投手が、フォークを覚えると効果的とされる。
二本の指でボールをはさんだ形が、
食事の時に使うフォークのようだと云うのでこの名がついた。
この日対談していたのは、
マサカリ投法で有名な村田兆治氏、
大リーグでも活躍した日本を代表するストッパー、佐々木主浩氏、
そして、高校時代からフォークを切り札としていた元横浜監督の牛島和彦氏の三氏。
それぞれ現役時代はフォークを決め球に活躍した大投手たちだけに談論風発、
御三方とも勝負に懸けた執念は物凄く、
投球術の奥深さを再認識させられる話がタップリと出て楽しかった。
私が個人的に興味深かったのは村田投手の話。
村田さんが現役時代、
今は無い大阪球場で、南海ホークス相手に投げていた時のこと、
フォークを投げようとすると「ピッ」と音がする、
それがいつも正確に、フォークの時だけ鳴るので気になって仕方がない。
いくら威力のあるボールでも、
落ちることが分かっていてはいずれ攻略されてしまう。
ベンチで確かめると、
どうやら三塁コーチのブレーザーの口笛だとまでは分かった。
しかしなぜ見破られたのかまでは分からない。
エースが打たれては一大事だから、
選手、コーチ、スコアラーら、以後チームが一団となって研究した結果、
三塁コーチの位置から見ていると、
村田さんが例のマサカリ投法で、大きく振りかぶった時、
両ヒザの間に、開いた指の握りが一瞬のぞくことが分かった。
俊敏にもブレーザーヘッドコーチは、
村田攻略を研究するうち、それを発見し、
口笛を吹いて「次ぎはフォーク」と、味方の打者に合図していたのである。
原因さえ分かればコッチのモノ、村田さんは秘密練習を開始した。
次の南海戦、
満を辞して登板した村田投手が大きく振りかぶると、
例の口笛が「ピッ」と鳴る、
打者がフォークと判断し、
「よしっ、貰った」と、引き付けて打とうとすると、
村田さんの剛球はすでにキャッチャーミットに吸い込まれ、快音を発したあと。
この前は村田さんが首をひねっていたが、
今日は、打者のほうがキツネにつままれたような顔をしている。
村田さんは心の中で快哉をさけびながら、
「どうだ」とばかりに三塁コーチの方を見ると、ブレーザーがそっぽを向いた。
実はこの日の村田さん、
フォークの握りでモーションを始動、
口笛が鳴ると、投げるまでのわずかな間に握りを直球に変えていたのである。
以後、ブレーザーの口笛は消えた。
ブレーザーと云う人は、
「シンキングベースボール」を初めて日本に持ち込んだ人、
プレイング監督だった野村克也氏と組んで、
弱小戦力の南海を優勝にまで導いた功労者でもある。
野村克也氏の「考える野球」や「データ野球」などは、
お二人の合作の成果だと云ってもいいのではないか、などと私は思っている。
それにしても、
村田さんの話を聞くうち、
観客もまばらだったあのころの大阪球場が、ミョーになつかしくなったのでありますヨ。
「フォークボールを語るだけで45分」と云うテレビ番組があった。
「フォークボール」と云うのは、
野球の投手が、人差し指と中指の間にボールをはさみ、
上から振り下ろすように投げるのだが、
始め真っ直ぐだった軌道が、
途中から急に、沈み込むように落ちると云う球種。
直球と同じフォームで投げるため見分けがむずかしく、
特に威力のある速球を投げる投手が、フォークを覚えると効果的とされる。
二本の指でボールをはさんだ形が、
食事の時に使うフォークのようだと云うのでこの名がついた。
この日対談していたのは、
マサカリ投法で有名な村田兆治氏、
大リーグでも活躍した日本を代表するストッパー、佐々木主浩氏、
そして、高校時代からフォークを切り札としていた元横浜監督の牛島和彦氏の三氏。
それぞれ現役時代はフォークを決め球に活躍した大投手たちだけに談論風発、
御三方とも勝負に懸けた執念は物凄く、
投球術の奥深さを再認識させられる話がタップリと出て楽しかった。
私が個人的に興味深かったのは村田投手の話。
村田さんが現役時代、
今は無い大阪球場で、南海ホークス相手に投げていた時のこと、
フォークを投げようとすると「ピッ」と音がする、
それがいつも正確に、フォークの時だけ鳴るので気になって仕方がない。
いくら威力のあるボールでも、
落ちることが分かっていてはいずれ攻略されてしまう。
ベンチで確かめると、
どうやら三塁コーチのブレーザーの口笛だとまでは分かった。
しかしなぜ見破られたのかまでは分からない。
エースが打たれては一大事だから、
選手、コーチ、スコアラーら、以後チームが一団となって研究した結果、
三塁コーチの位置から見ていると、
村田さんが例のマサカリ投法で、大きく振りかぶった時、
両ヒザの間に、開いた指の握りが一瞬のぞくことが分かった。
俊敏にもブレーザーヘッドコーチは、
村田攻略を研究するうち、それを発見し、
口笛を吹いて「次ぎはフォーク」と、味方の打者に合図していたのである。
原因さえ分かればコッチのモノ、村田さんは秘密練習を開始した。
次の南海戦、
満を辞して登板した村田投手が大きく振りかぶると、
例の口笛が「ピッ」と鳴る、
打者がフォークと判断し、
「よしっ、貰った」と、引き付けて打とうとすると、
村田さんの剛球はすでにキャッチャーミットに吸い込まれ、快音を発したあと。
この前は村田さんが首をひねっていたが、
今日は、打者のほうがキツネにつままれたような顔をしている。
村田さんは心の中で快哉をさけびながら、
「どうだ」とばかりに三塁コーチの方を見ると、ブレーザーがそっぽを向いた。
実はこの日の村田さん、
フォークの握りでモーションを始動、
口笛が鳴ると、投げるまでのわずかな間に握りを直球に変えていたのである。
以後、ブレーザーの口笛は消えた。
ブレーザーと云う人は、
「シンキングベースボール」を初めて日本に持ち込んだ人、
プレイング監督だった野村克也氏と組んで、
弱小戦力の南海を優勝にまで導いた功労者でもある。
野村克也氏の「考える野球」や「データ野球」などは、
お二人の合作の成果だと云ってもいいのではないか、などと私は思っている。
それにしても、
村田さんの話を聞くうち、
観客もまばらだったあのころの大阪球場が、ミョーになつかしくなったのでありますヨ。