きのう、栃木のスキー場の奥で、
山岳部の高校生たちが、登山講習中に雪崩に遭い、
八人が死亡、ほかにも多数が負傷、と云うニュース。
今日の新聞を読むと、
雪崩注意報も出ていたようだし、
雪も一昨夜の内に30センチ以上も積もっていたそうだから、
ラッセルと云う雪を掻きわけて進む訓練には、無理があったかもしれない。
しかし、参加した生徒50人ほどに対し、
先生が10人以上もいたそうだから、返って違いに頼り合い、
中止の決断がしにくかったのかもしれない。
親たちとしては学校や先生を信頼し、
安心して送り出していたとすれば、無念の思いは強くなろう。
私に、本格的な登山の経験はないが、
山村の育ちだから、自然が危険なことはよく知っている。
だから、少しでも「あぶないな」と思えば、
山にも川にも、近寄らぬことが一番の対策だと思っている。
どだい、山家育ちは、
余程に天気のいい日でなければ、山に登らない。
何日も前から予定を決めて・・などと云う、
天気の分らぬうちから日取りを決めてしまうような山行きは、子供の選択肢にはない。
もちろん、雪の降る季節に山に入ったりしないし、
山仕事に慣れた大人たちでも、冬山には入らない。
入るのは、この季節に慣れ、
しかも山の隅々まで知っている猟師ぐらいのことだ。
だから、好んで危険な雪山に挑む人の気持ちが、
私には分からないし、分かりたいとも思わない。
従って、世間の人が英雄視する植村直己さんなど、
私の眼には、
頼まれもせぬ危険を冒し、
かってに死んだ人にしか映ってないから、
遭難を聞いても同情する気にはなれない。
むしろ、
そんなに命懸けの冒険がしたいなら「家族など持つなよ」と思ってしまう。
だからもし、私の息子が、
「山岳部に入る」などと言いだし、
反対しても言うことを聞かぬ、となれば、
その時点で「いつ遭難しても仕方ない」と覚悟を決めるよりないのだろう。
山岳部の高校生たちが、登山講習中に雪崩に遭い、
八人が死亡、ほかにも多数が負傷、と云うニュース。
今日の新聞を読むと、
雪崩注意報も出ていたようだし、
雪も一昨夜の内に30センチ以上も積もっていたそうだから、
ラッセルと云う雪を掻きわけて進む訓練には、無理があったかもしれない。
しかし、参加した生徒50人ほどに対し、
先生が10人以上もいたそうだから、返って違いに頼り合い、
中止の決断がしにくかったのかもしれない。
親たちとしては学校や先生を信頼し、
安心して送り出していたとすれば、無念の思いは強くなろう。
私に、本格的な登山の経験はないが、
山村の育ちだから、自然が危険なことはよく知っている。
だから、少しでも「あぶないな」と思えば、
山にも川にも、近寄らぬことが一番の対策だと思っている。
どだい、山家育ちは、
余程に天気のいい日でなければ、山に登らない。
何日も前から予定を決めて・・などと云う、
天気の分らぬうちから日取りを決めてしまうような山行きは、子供の選択肢にはない。
もちろん、雪の降る季節に山に入ったりしないし、
山仕事に慣れた大人たちでも、冬山には入らない。
入るのは、この季節に慣れ、
しかも山の隅々まで知っている猟師ぐらいのことだ。
だから、好んで危険な雪山に挑む人の気持ちが、
私には分からないし、分かりたいとも思わない。
従って、世間の人が英雄視する植村直己さんなど、
私の眼には、
頼まれもせぬ危険を冒し、
かってに死んだ人にしか映ってないから、
遭難を聞いても同情する気にはなれない。
むしろ、
そんなに命懸けの冒険がしたいなら「家族など持つなよ」と思ってしまう。
だからもし、私の息子が、
「山岳部に入る」などと言いだし、
反対しても言うことを聞かぬ、となれば、
その時点で「いつ遭難しても仕方ない」と覚悟を決めるよりないのだろう。