今日9日は、ベルリンの壁を民衆が破った日から20年目に当たる。
旧ソビエトのゴルバチョフが取った政策が、一気に西側からの情報氾濫と『自由』に引かれて、民衆のエネルギーが東ヨーロッパを席巻した。
無血革命といっていいかもしれないが・・・。
そしてその翌年10月には東西ドイツの統一が実現した。
そういう事もあって11月8日の産経新聞と毎日新聞が特集記事を掲載していた。
ところがこれがまるで正反対の記事なのだ。
すなわち産経新聞はソ連の機密文書に基づいた情報であるとして、当時の英仏首脳、つまりサッチャー首相とミッテラン大統領がともにドイツの再統一を阻止するようゴルバチョフに働きかけていたと報じた。
その一方で同じ11月8日の毎日新聞の特集記事は、毎日新聞が独自に入手した仏外務省の未公開文書に基づくものであるとして、少なくともフランスは、ベルリンの壁崩壊前から独統一は「不可避」と断定して、統一に前向きに対応した、と報じた。
史実の評価は、あらゆる歴史的文献を総合的に判断して定まるものである。この二つの報道の違いもいずれ歴史家により評価は定まる。
英も仏も、そしてソ連さえも、統一を願うドイツ民衆の願いを阻止出来なかったということだ。
11月8日の新聞には、ベルリンの壁崩壊の特集記事の陰に隠れてほとんど注目されないもう一つの「壁崩壊」の記事があった。
それはロイター通信が流した、パレスチナ「分離壁」に抗議する若者の記事である。
イスラエルは国際司法裁判所の「国際法違反」勧告を無視して「テロリストの侵入阻止」と称して「分離壁」の建設をつくりつづけている。
それはベルリンの壁よりもはるかに高く、長い、残酷だ。
その壁を、「どんな高い壁も必ず倒れる」と訴えて壁によじ登って傾かせようとしたパレスチナの若者たちを、イスラエル治安部隊が催涙弾などを発射して阻止したと言うニュースである。
おりしも11月8日沖縄では、米軍普天間飛行場の県内移設に反対する沖縄民衆とそれを支持する全国の市民2万人余の集会が開かれた。沖縄普天間基地の嘉手納統合、県内移設反対の声を県民があげたのだ。
パレスチナ問題と、普天間基地に象徴される在日米軍撤退問題。
この二つは、遠いところで深く結びついている。米国の言う「テロとの戦い」という1点で。
圧倒的な軍事抑圧に抗する市民の願い。不可能と思われる「分離壁」の崩壊と、不可能と思われてきた沖縄からの米軍基地の追放。
高まる市民の声を国家権力が抑圧することは、たとえ一時的にそれが出来ても、永遠に押さえ続ける事はできない。歴史はそれを証明している。
鳩山首相も、そしてオバマ大統領も、今その歴史の挑戦に直面しているのではないかという声もある。その期待に応えるだけの働きを彼らは、してくれているだろうか。
今度のオバマ大統領の訪日と、そしてその時に行われるオバマ・鳩山会談は、そのような壮大な歴史的流れの中で行われるという認識を鳩山首相は持たなければならない。
たとえ短時間でも、鳩山首相が真っ先にオバマ大統領と話す事は、歴史の流れに沿った正しい政策だ。
鳩山首相は今までのどの歴代首相も成しえなかった対等な首脳会談を、その政治生命をかけて、いや文字通り命がけで、行うべき時である。
軍事行動は、人間が起こし戦争につながる。そして人間が戦うのはいやだと思えば、戦争は止められる。地球人同士もういがみ合うのはやめにしないか。
戦争の道具なんてもう要らない。
旧ソビエトのゴルバチョフが取った政策が、一気に西側からの情報氾濫と『自由』に引かれて、民衆のエネルギーが東ヨーロッパを席巻した。
無血革命といっていいかもしれないが・・・。
そしてその翌年10月には東西ドイツの統一が実現した。
そういう事もあって11月8日の産経新聞と毎日新聞が特集記事を掲載していた。
ところがこれがまるで正反対の記事なのだ。
すなわち産経新聞はソ連の機密文書に基づいた情報であるとして、当時の英仏首脳、つまりサッチャー首相とミッテラン大統領がともにドイツの再統一を阻止するようゴルバチョフに働きかけていたと報じた。
その一方で同じ11月8日の毎日新聞の特集記事は、毎日新聞が独自に入手した仏外務省の未公開文書に基づくものであるとして、少なくともフランスは、ベルリンの壁崩壊前から独統一は「不可避」と断定して、統一に前向きに対応した、と報じた。
史実の評価は、あらゆる歴史的文献を総合的に判断して定まるものである。この二つの報道の違いもいずれ歴史家により評価は定まる。
英も仏も、そしてソ連さえも、統一を願うドイツ民衆の願いを阻止出来なかったということだ。
11月8日の新聞には、ベルリンの壁崩壊の特集記事の陰に隠れてほとんど注目されないもう一つの「壁崩壊」の記事があった。
それはロイター通信が流した、パレスチナ「分離壁」に抗議する若者の記事である。
イスラエルは国際司法裁判所の「国際法違反」勧告を無視して「テロリストの侵入阻止」と称して「分離壁」の建設をつくりつづけている。
それはベルリンの壁よりもはるかに高く、長い、残酷だ。
その壁を、「どんな高い壁も必ず倒れる」と訴えて壁によじ登って傾かせようとしたパレスチナの若者たちを、イスラエル治安部隊が催涙弾などを発射して阻止したと言うニュースである。
おりしも11月8日沖縄では、米軍普天間飛行場の県内移設に反対する沖縄民衆とそれを支持する全国の市民2万人余の集会が開かれた。沖縄普天間基地の嘉手納統合、県内移設反対の声を県民があげたのだ。
パレスチナ問題と、普天間基地に象徴される在日米軍撤退問題。
この二つは、遠いところで深く結びついている。米国の言う「テロとの戦い」という1点で。
圧倒的な軍事抑圧に抗する市民の願い。不可能と思われる「分離壁」の崩壊と、不可能と思われてきた沖縄からの米軍基地の追放。
高まる市民の声を国家権力が抑圧することは、たとえ一時的にそれが出来ても、永遠に押さえ続ける事はできない。歴史はそれを証明している。
鳩山首相も、そしてオバマ大統領も、今その歴史の挑戦に直面しているのではないかという声もある。その期待に応えるだけの働きを彼らは、してくれているだろうか。
今度のオバマ大統領の訪日と、そしてその時に行われるオバマ・鳩山会談は、そのような壮大な歴史的流れの中で行われるという認識を鳩山首相は持たなければならない。
たとえ短時間でも、鳩山首相が真っ先にオバマ大統領と話す事は、歴史の流れに沿った正しい政策だ。
鳩山首相は今までのどの歴代首相も成しえなかった対等な首脳会談を、その政治生命をかけて、いや文字通り命がけで、行うべき時である。
軍事行動は、人間が起こし戦争につながる。そして人間が戦うのはいやだと思えば、戦争は止められる。地球人同士もういがみ合うのはやめにしないか。
戦争の道具なんてもう要らない。

失敗から学んだ「長崎ちゃんぽんリンガーハット」の大きな賭け!――それゆけ、カナモリさん!(GLOBIS.JP) - goo ニュース
一度だけかな、食べに行ったのは、こんなものかであったけれど、再度の値上げでもう行く気をなくしました。おいしいラーメン屋さんで食べたほうが、いいしね。おいしければいくかもしれないけど、この値段であの味じゃ行かない。

「長崎へ和記念公園 原爆資料館」
8月1日、長崎の原爆資料館を訪れました。
館では、芳名をしました。
原爆資料館での芳名の様子。
祈りを捧げる様子をアップ致します。(ここに写真がアグネスさんが、記帳しているところと、祈りを捧げているところの2枚アップされている)
皆さんも機会があれば是非訪れてみて下さい。
アグネスさんのメーッセージもご覧になれます。
とある。
『芳名をしました』という言い方は、日本語として変だ。「芳名帳に記帳しました」が正しいと思う。スタッフは、直ちに書き直すべきだと思う。
題名から書き直せ!長崎へ記念公園ってなんだ!
写真についてはOCNブログ人に掲載したので見てほしい。スタッフは私のメールも見ているはずなのにいまだに直していない。
抗議もこめて、私のすべてのブログに写真と記事をアップした。
8月1日、長崎の原爆資料館を訪れました。
館では、芳名をしました。
原爆資料館での芳名の様子。
祈りを捧げる様子をアップ致します。(ここに写真がアグネスさんが、記帳しているところと、祈りを捧げているところの2枚アップされている)
皆さんも機会があれば是非訪れてみて下さい。
アグネスさんのメーッセージもご覧になれます。
とある。
『芳名をしました』という言い方は、日本語として変だ。「芳名帳に記帳しました」が正しいと思う。スタッフは、直ちに書き直すべきだと思う。
題名から書き直せ!長崎へ記念公園ってなんだ!
写真についてはOCNブログ人に掲載したので見てほしい。スタッフは私のメールも見ているはずなのにいまだに直していない。
抗議もこめて、私のすべてのブログに写真と記事をアップした。
大阪教育委員会の暴挙を許せない!天皇在位20周年を記念して日の丸の掲揚を強制し、その実施状況を報告せよとは何事か!
10月28日、大阪市教委で全市校長会があり、
その場で、市教委から「天皇在位20周年」に際して
11月12日に学校での「日の丸」掲揚の指示が出ています。
しかも、結果がどうだったか、報告を求め、校長に縛りをかけました。
大阪市教委は、掲揚の根拠を10.6閣議決定においているようですが、
この閣議決定は、学校に「日の丸」を強制する根拠になりません。
11月12日に「学校で「日の丸」を掲揚することは、
現天皇の「在位20年」を祝う姿勢を学校として内外に示すことになります。
それは、天皇を特別の存在として「敬い」「賛美」することを子どもたちに教えることにほかなりません。
わたしたちは、これに強く反対します。
私たちは、昨日、大阪市教委に申し入れを行い、回答を要求しました。
◆様々なところから抗議の声を届けてください。
大阪市教育委員会 総務部
FAX 06-6202-7052 TEL 06-6208-9076
メール 総務担当 (到達以外)のメール送信フォームから
http://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/soshiki_list.html
10月28日、大阪市教委で全市校長会があり、
その場で、市教委から「天皇在位20周年」に際して
11月12日に学校での「日の丸」掲揚の指示が出ています。
しかも、結果がどうだったか、報告を求め、校長に縛りをかけました。
大阪市教委は、掲揚の根拠を10.6閣議決定においているようですが、
この閣議決定は、学校に「日の丸」を強制する根拠になりません。
11月12日に「学校で「日の丸」を掲揚することは、
現天皇の「在位20年」を祝う姿勢を学校として内外に示すことになります。
それは、天皇を特別の存在として「敬い」「賛美」することを子どもたちに教えることにほかなりません。
わたしたちは、これに強く反対します。
私たちは、昨日、大阪市教委に申し入れを行い、回答を要求しました。
◆様々なところから抗議の声を届けてください。
大阪市教育委員会 総務部
FAX 06-6202-7052 TEL 06-6208-9076
メール 総務担当 (到達以外)のメール送信フォームから
http://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/soshiki_list.html
11月14日(土)13:30~
場 所/『 愛らんど 』(今治市総合福祉センター)4F
今治市南宝来町1-9-8 ℡0898‐22‐0426
資料代/500円
講 師/高嶋 伸欣(のぶよし) さん (琉球大学名誉教授)
高嶋伸欣さんのプロフィール
琉球大学名誉教授。約30年間東京教育大学(現・筑波大学)
付属高校の社会科地理担当教員。高校現代社会科教科書検定
で不当な修正を求められ執筆を断念させられたとして1993年に
提訴(横浜教科書裁判)。
『たかじんのそこまで言って委員会』など、テレビにも良識派のゲスト・コメンテーターとして何度も出演されています。
----------------------
教科書問題でも鋭い追及をしています。
場 所/『 愛らんど 』(今治市総合福祉センター)4F
今治市南宝来町1-9-8 ℡0898‐22‐0426
資料代/500円
講 師/高嶋 伸欣(のぶよし) さん (琉球大学名誉教授)
高嶋伸欣さんのプロフィール
琉球大学名誉教授。約30年間東京教育大学(現・筑波大学)
付属高校の社会科地理担当教員。高校現代社会科教科書検定
で不当な修正を求められ執筆を断念させられたとして1993年に
提訴(横浜教科書裁判)。
『たかじんのそこまで言って委員会』など、テレビにも良識派のゲスト・コメンテーターとして何度も出演されています。
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教科書問題でも鋭い追及をしています。
原巨人が、やっと日本一になりました。大リーグヤンキース優勝、MVPに松井が選ばれたニュースに続いたうれしいニュースだった。
最近野球のテレビは、ほとんど見てないけどね。やっぱりジャイアンツファンだったからなあ。長島、王で育ってきたからね。
最近野球のテレビは、ほとんど見てないけどね。やっぱりジャイアンツファンだったからなあ。長島、王で育ってきたからね。
われわれの生活圏の中での冷却というのは、一定の有限な量の熱を取り去ることである。ところが原子核による発熱は有限ではなくて、核反応の続く限り、何年、何万年と発熱し続けるのである。火が消えないと考えればわかりやすいだろうか。それも恐ろしく長寿命で、早く冷ましたりゆっくり冷ましたりと調節することもできない。
核反応には2種類ある。原子炉の運転を止めれば「核分裂」の方はほぼ収まるが、「核崩壊」は原子核の種類ごとに自然の理によって定められた時間をかけて、それぞれのスピードでしか消えていかない。寿命の早いものは早々に消えてしまうが、原子炉の中には恐ろしく長寿命の原子核が大量に生まれているからだ。この熱を「崩壊熱」と呼ぶ。
核をいじる・・・原子力の利用、とはこういうことを承知の上でなければできないはずだが、そんなことは聞いたことも無い人々までが、推進だ、事前了解だ、と判断してきた。知っている側は知っている側で、都合の悪いことは隠し、偽装と欺瞞によってここまで引っ張ってきた。
都合の悪い情報は公開されない。原子力の平和利用ということで進められてきたが、『核開発』以外の何ものでもない。
すなわち原子力政策大綱が確定した直後にフランスでのMox燃料のデータ改ざんがあったり、再処理計画の見直しがされたこと。もちろん、長期計画策定論議の中で海外の事例はレビューされたのだが、実績ばかりが強調され、この報告書の存在はおろかフランスの失策は紹介された形跡もない。まして、プルサーマル論議の繰り広げられている原発立地地域で紹介された例など皆無であろう。
こうしたきわめて重要な、しかし推進側にとって不利な事実を隠してプルサーマルは進めようとされてきた。プルサーマルに限らない。そうした不誠実とご都合主義は一連の不正事件を通して、国や電力に対する大きな不信に成長している。原子力発電推進に熱心であった立地自治体関係者らが、いったん了解したプルサーマル地元了解を白紙撤回し、また了解し試運転が開始された。なぜゴーサインを出してしまったのか、地元自治体は。
これまで政府の旨い言葉に釣られてきたものの、時が経つにつれ深刻な現実が姿を現しクローズアップされてきた。後続の県もやがてそうしたことに気がつくだろう。
「2010年ころから第2再処理工場の建設を検討する」と何遍繰り返しても、もうその手には乗らない。原子力政策大綱には、「使用済MOX燃料の処理の方策は2010年ころから検討を開始する」(p.38)とある。それまでは検討もしないと言っているではないか。さらに付録の資料p.134には、「2050年度頃までに相当規模の再処理施設が必要」とあり、いきなり2050年頃に跳んでしまうのである。
今、玄海原発がプルサーマルの試運転を始めた。絶対に危険なのだ即中止すべきだ。でないと再び死の町ができてしまう。そうなってからでは遅い。
核反応には2種類ある。原子炉の運転を止めれば「核分裂」の方はほぼ収まるが、「核崩壊」は原子核の種類ごとに自然の理によって定められた時間をかけて、それぞれのスピードでしか消えていかない。寿命の早いものは早々に消えてしまうが、原子炉の中には恐ろしく長寿命の原子核が大量に生まれているからだ。この熱を「崩壊熱」と呼ぶ。
核をいじる・・・原子力の利用、とはこういうことを承知の上でなければできないはずだが、そんなことは聞いたことも無い人々までが、推進だ、事前了解だ、と判断してきた。知っている側は知っている側で、都合の悪いことは隠し、偽装と欺瞞によってここまで引っ張ってきた。
都合の悪い情報は公開されない。原子力の平和利用ということで進められてきたが、『核開発』以外の何ものでもない。
すなわち原子力政策大綱が確定した直後にフランスでのMox燃料のデータ改ざんがあったり、再処理計画の見直しがされたこと。もちろん、長期計画策定論議の中で海外の事例はレビューされたのだが、実績ばかりが強調され、この報告書の存在はおろかフランスの失策は紹介された形跡もない。まして、プルサーマル論議の繰り広げられている原発立地地域で紹介された例など皆無であろう。
こうしたきわめて重要な、しかし推進側にとって不利な事実を隠してプルサーマルは進めようとされてきた。プルサーマルに限らない。そうした不誠実とご都合主義は一連の不正事件を通して、国や電力に対する大きな不信に成長している。原子力発電推進に熱心であった立地自治体関係者らが、いったん了解したプルサーマル地元了解を白紙撤回し、また了解し試運転が開始された。なぜゴーサインを出してしまったのか、地元自治体は。
これまで政府の旨い言葉に釣られてきたものの、時が経つにつれ深刻な現実が姿を現しクローズアップされてきた。後続の県もやがてそうしたことに気がつくだろう。
「2010年ころから第2再処理工場の建設を検討する」と何遍繰り返しても、もうその手には乗らない。原子力政策大綱には、「使用済MOX燃料の処理の方策は2010年ころから検討を開始する」(p.38)とある。それまでは検討もしないと言っているではないか。さらに付録の資料p.134には、「2050年度頃までに相当規模の再処理施設が必要」とあり、いきなり2050年頃に跳んでしまうのである。
今、玄海原発がプルサーマルの試運転を始めた。絶対に危険なのだ即中止すべきだ。でないと再び死の町ができてしまう。そうなってからでは遅い。
筑紫哲也さんがなくなられて、ちょうど1年が経った。
がんに向きあって節目節目では、ニュース23に顔を出していたが、病魔は彼が生きることを許さなかった。
1年たった今、報道の現場では、ジャーナリズムが失われつつあるような気がします。
TBSが一周忌のシンポジウムとライブを企画しています。ホームページに行って参加を申し込んでください。
http://www.tbs.co.jp/tc23/
がんに向きあって節目節目では、ニュース23に顔を出していたが、病魔は彼が生きることを許さなかった。
1年たった今、報道の現場では、ジャーナリズムが失われつつあるような気がします。
TBSが一周忌のシンポジウムとライブを企画しています。ホームページに行って参加を申し込んでください。
http://www.tbs.co.jp/tc23/
湯川秀樹さんの最後の願いが、取り上げられていた。
π中間子理論陽子と中性子の間を結ぶものを数式と理論で予想し、戦後
実際に中間子が発見され、ノーベル物理学賞を受賞した。
米国に留学していたときにアインシュタインが尋ねてきて、私の研究が原爆につながり、多くの日本人を殺したことをわびていたという。核廃絶について、徹夜で二人で議論を交わしたという。 1905年,アインシュタインは「特殊相対性理論」など,三つの理論を提出しました。
そして,アインシュタインはイギリスの哲学者バートランド・ラッセルとともに,1955年にラッセル・アインシュタイン宣言を発表しました。
この宣言から2年後,科学者の社会的責任を踏まえた運動として「科学と国際問題に関する会議」(パグウォッシュ会議)が発足します。
湯川秀樹博士は、これに共鳴し、絶対悪として核廃絶論者になっていた。
京大に戻ってアインシュタインからラッセル・アインシュタイン宣言に署名するようにとの要請文が届いたという。
パグウォッシュ会議に参加要請があり、平凡社の下中弥三郎(やは旧字)さんの援助を得て朝永振一郎さんや小川さんと参加しています。
パグウォッシュ会議は、バートランド・ラッセルとアルベルト・アインシュタインによるラッセル=アインシュタイン宣言での呼びかけを受け、11人の著名な科学者によって創設されたものです。
1957年7月7日、カナダ・ノバスコシア州パグウォッシュにある鉄道王サイラス・スティーブン・イートンの別荘に、湯川秀樹、朝永振一郎、小川岩雄、マックス・ボルン、フレデリック・ジョリオ=キュリーら10カ国22人の科学者たちが集まって第1回の会議が開かれた。会議においてはすべての核兵器は絶対悪であるとされた。
しかし第2回会議以降、核兵器に対する評価は変化し、核兵器廃絶を訴えるラッセルらと、核兵器との共生を求めるレオ・シラードらとの対立が鮮明化し始めた(シラードは核抑止論側に立った)。核抑止論が会議に定着し始め、1964年第12回会議において、最小限抑止の原則は全面軍縮に至る最も有用な道であるとされた。
1958年9月20日、ウィーンで開かれた第3回パグウオッシュ会議で、ウィーン宣言が採択された。
1961年のソ連の水爆実験再開に抗議する湯川・朝永・坂田声明は、署名者の一人だったジョセフ・ロートブラットによって握りつぶされた。これらを契機に1962年、科学者京都会議が組織された。1990年第40回会議(ロンドン)は日本船舶振興会、創価学会の寄付を受けた。後に明らかになったことであるが、ソビエトは欧米の反戦運動に工作員送り込んでおり、パグウォッシュ会議においてもソ連に関する批判は抑制あるいは握りつぶされるとともにアメリカおよび西側の批判が拡張されるという事態になっていた。(Richard Felix Staar, Foreign policies of the Soviet Union, Hoover Press, 1991, ISBN 0817991026, pp.79-88)アメリカにおけるソビエト誘導の反戦活動の拠点となっていたのは米国平和委員会(US Peace Council)であり、アメリカ議会の諜報委員会においてこの組織と関係の深かった組織としてパブウォッシュ会議の名前が挙げられている。(U.S. Congress. House. Select Committee on Intelligence, Soviet Covert Action: The Forgery Offensive, 6 and 19 Feb. 1980, 96th Cong., 2d sess., 1963. Washington, DC: GPO, 1980)
パグウォッシュ会議は、1995年にはノーベル平和賞を受賞している。1995年広島における会議は原発関係者の大口寄付を受けた。
(これなども原発にも反対している私には、納得がいかないものだった。)
前立腺がんの手術を受け入院中であった湯川博士は、1975年のパグウォッシュ京都会議の議長として車椅子で参加している。まったく会議は対立したまま進まず、ここで被爆時の広島長崎のフィルムを2日間見せたという。31名中28人が核廃絶に署名したということだった。
杉並区で起こった原水禁運動も、共産党系の核兵器擁護、核の抑止論(ソビエトが持つのはいいというような)によって分裂してしまった。
統一懇も70年代に入ってできたが、いまだに分裂したままだ。
核兵器廃絶、ノーベル賞委員会がオバマの発言の後押し、応援をしたかったからノーベル平和賞を授与したといっていた。オバマの言葉をそのまま鵜呑みにはできないが、核廃絶の一歩に踏み出してほしい。
核兵器は絶対悪その信念で科学者たちが集まったのだが、核の抑止論を唱えた科学者たちによって、今の世界が出来上がってしまった。
核兵器は絶対悪だ、なくさなければ核の恐怖からの真の解放はない。
π中間子理論陽子と中性子の間を結ぶものを数式と理論で予想し、戦後
実際に中間子が発見され、ノーベル物理学賞を受賞した。
米国に留学していたときにアインシュタインが尋ねてきて、私の研究が原爆につながり、多くの日本人を殺したことをわびていたという。核廃絶について、徹夜で二人で議論を交わしたという。 1905年,アインシュタインは「特殊相対性理論」など,三つの理論を提出しました。
そして,アインシュタインはイギリスの哲学者バートランド・ラッセルとともに,1955年にラッセル・アインシュタイン宣言を発表しました。
この宣言から2年後,科学者の社会的責任を踏まえた運動として「科学と国際問題に関する会議」(パグウォッシュ会議)が発足します。
湯川秀樹博士は、これに共鳴し、絶対悪として核廃絶論者になっていた。
京大に戻ってアインシュタインからラッセル・アインシュタイン宣言に署名するようにとの要請文が届いたという。
パグウォッシュ会議に参加要請があり、平凡社の下中弥三郎(やは旧字)さんの援助を得て朝永振一郎さんや小川さんと参加しています。
パグウォッシュ会議は、バートランド・ラッセルとアルベルト・アインシュタインによるラッセル=アインシュタイン宣言での呼びかけを受け、11人の著名な科学者によって創設されたものです。
1957年7月7日、カナダ・ノバスコシア州パグウォッシュにある鉄道王サイラス・スティーブン・イートンの別荘に、湯川秀樹、朝永振一郎、小川岩雄、マックス・ボルン、フレデリック・ジョリオ=キュリーら10カ国22人の科学者たちが集まって第1回の会議が開かれた。会議においてはすべての核兵器は絶対悪であるとされた。
しかし第2回会議以降、核兵器に対する評価は変化し、核兵器廃絶を訴えるラッセルらと、核兵器との共生を求めるレオ・シラードらとの対立が鮮明化し始めた(シラードは核抑止論側に立った)。核抑止論が会議に定着し始め、1964年第12回会議において、最小限抑止の原則は全面軍縮に至る最も有用な道であるとされた。
1958年9月20日、ウィーンで開かれた第3回パグウオッシュ会議で、ウィーン宣言が採択された。
1961年のソ連の水爆実験再開に抗議する湯川・朝永・坂田声明は、署名者の一人だったジョセフ・ロートブラットによって握りつぶされた。これらを契機に1962年、科学者京都会議が組織された。1990年第40回会議(ロンドン)は日本船舶振興会、創価学会の寄付を受けた。後に明らかになったことであるが、ソビエトは欧米の反戦運動に工作員送り込んでおり、パグウォッシュ会議においてもソ連に関する批判は抑制あるいは握りつぶされるとともにアメリカおよび西側の批判が拡張されるという事態になっていた。(Richard Felix Staar, Foreign policies of the Soviet Union, Hoover Press, 1991, ISBN 0817991026, pp.79-88)アメリカにおけるソビエト誘導の反戦活動の拠点となっていたのは米国平和委員会(US Peace Council)であり、アメリカ議会の諜報委員会においてこの組織と関係の深かった組織としてパブウォッシュ会議の名前が挙げられている。(U.S. Congress. House. Select Committee on Intelligence, Soviet Covert Action: The Forgery Offensive, 6 and 19 Feb. 1980, 96th Cong., 2d sess., 1963. Washington, DC: GPO, 1980)
パグウォッシュ会議は、1995年にはノーベル平和賞を受賞している。1995年広島における会議は原発関係者の大口寄付を受けた。
(これなども原発にも反対している私には、納得がいかないものだった。)
前立腺がんの手術を受け入院中であった湯川博士は、1975年のパグウォッシュ京都会議の議長として車椅子で参加している。まったく会議は対立したまま進まず、ここで被爆時の広島長崎のフィルムを2日間見せたという。31名中28人が核廃絶に署名したということだった。
杉並区で起こった原水禁運動も、共産党系の核兵器擁護、核の抑止論(ソビエトが持つのはいいというような)によって分裂してしまった。
統一懇も70年代に入ってできたが、いまだに分裂したままだ。
核兵器廃絶、ノーベル賞委員会がオバマの発言の後押し、応援をしたかったからノーベル平和賞を授与したといっていた。オバマの言葉をそのまま鵜呑みにはできないが、核廃絶の一歩に踏み出してほしい。
核兵器は絶対悪その信念で科学者たちが集まったのだが、核の抑止論を唱えた科学者たちによって、今の世界が出来上がってしまった。
核兵器は絶対悪だ、なくさなければ核の恐怖からの真の解放はない。