折衝に当たる外務省の斉木次官の風貌は、数か国の大使、公使を勤めた実直な名外交官、父親の斉木千九郎氏にそっくり。父上は一高在学中の昭和十六年二月、優れた寮歌「時計台(あららぎ)に狭霧はこめて」を作詞された方.毎年作られた一高寮歌の最優秀作は、当時のラジオ第二放送で必ず放送された。ところが、この斉木氏の寮歌だけは放送されなかった。歌唱担当のボート部が、曲調が物悲しくて反戦的、平和志向的だとして放送を拒否したからだ。温厚な斉木氏なので、あえて抗議はしなかったが、今に至るも無念の思いは残っていると、晩年に語っておられた。
あららぎに狭霧はこめて(狭霧とは太平洋戦争前夜の嘆かわしい風潮。真珠湾攻撃は10か月後の12月)
黄金なす落ち葉そよげば
ひたぶるの思いすずろに
ああ三年
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