日本の高校に相当する朝鮮高級学校で学んだ、2010年度の3年生たちは、高校無償化適用に知らせを聞くことなく2011年3月に卒業した。
…「私たちに権利をください 学ぶ権利を… 私たちの前に突然現れた差別 必死になって戦うなんて 想像も出来なかったあの日」…
このような訴えが、「人権の世紀」ともいわれる21世紀の日本社会で、外国人ではあるが日本で生まれ、これからも日本社会で生きていく在日朝鮮人3世、4世の子供たちから発せられていることの意味を一度、深く考えてみる必要があるのではないだろうか。
…在日朝鮮人のなかには、執拗に繰り返された同化政策によって民族性を喪失し、日本人化を強要された人々が少なくない。そのような在日朝鮮人に泰氏、過去の清算のための原状回復として現在、最も強く求められるのは、子供たちが通う朝鮮学校をめぐる必要な教育条件整備のための積極的な措置と支援を行うことである。
…在日朝鮮人と日本市民は、他民族多文化共生社会の実現という長期的な展望のもとに、これらの可能性を現実のものとしていくことであろう。
今日の本、「教育を受ける権利と朝鮮学校―高校無償化問題から見えてきたこと―」(朴三石著)から抜粋しました。
まずは差別について知ること。それが差別なのかどうか、自分の目で見極めること。大事だと思います。一読を。
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