朝鮮について知りたい

朝鮮について知りたいこと、書いていきます。

チュチェ思想入門 第二回 チュチェ思想、その始まり

2016年02月01日 | チュチェ思想入門

第二回目である。今回のテーマは、「チュチェ思想の始まり」である。


チュチェ思想は、1930年6月30日、卡倫(カリュン)会議における、金日成主席の報告でその思想的根幹が提起され、その創始が宣告された。今回はそのうち、「チュチェの発見」という大事件について触れてみたい。

当時、日本の植民地下にあった朝鮮では、抗日武装闘争を展開しようとするもの、中国・ロシアなどの大国との連携で解放を実現しようとするもの、日本やアメリカにとりいって自治を獲得しようとするもの、など様々な主義主張があり、植民地からの解放をめざす朝鮮人民にとってそのような状況は、マイナスにこそ作用すれプラスとなるものではなかった。本来、抑圧や搾取からの解放のため、必要となる武器は、「団結」だからである。無尽蔵な可能性を秘め、そのうちに解放の方図と力をも兼ね備えている人民から離れ、知識人たちは卓上の口論を繰り返し、果ては闘争のヘゲモニー(主導権)をめぐって互いに罵倒や嘲笑を繰り返し、それは度々「同志討ち」にまで発展する。


その水面下で朝鮮人の生活はというと、アメリカ発の世界恐慌に見舞われた世界経済のどん底から這い上がろうとする日本の餌食となっていく。当時日本は経済において金本位制を採用しておらず、世界経済が恐慌を味わうその時ほどに金本位制に移行した。これが、「嵐の中で戸をあける行為」と評されるまで、そんなに時間はかからなかった。しかし、その後、欧米の経済がどん底をさまよっているとき、日本はというと、「経済発展」の道を辿っていくのである。1910~1920年代初期には「米騒動」なる暴動が幾重にも起こり、関東大震災において朝鮮人大虐殺が行われていく状況のなかで、恐慌に出会い、「嵐」に見舞われた日本は、その傷跡を見せることなく、発展の道を辿って行ったので.ある。このことが、当時の植民地・朝鮮にたいして収奪にいかほどの影を落としたのか、これは容易に想像できるだろう。そのような中、極度の貧困に立たされている朝鮮人民の立場を鑑みると、上記のヘゲモニー闘争などは、邪魔もの以外のなにものでもなかったのではなかろうか。

なかでも深刻だったのは、社会主義革命を目指すというグル―パーの存在であった。貧困の極みの中、人々が皆平等に暮らせる社会主義革命を目指す思想にあこがれや期待を持つのは自然的な流れであろう。しかし、当時の指導者を自称するものたちは、朝鮮人民の状況と準備程度を考慮することなく、むやみやたらに「闘争」に人々を駆り出し、無益な犠牲を重ねていながらも、「社会主義の勝利」を声高に叫んでいたのである。またたく間に人々は離れ、朝鮮の独立運動は座礁していく。この状況の中、人民のため、解放に向かうため、どのような手を立てればいいのだろうか。これは、当時、金日成主席のみならず抗日運動を指揮したすべての人々の前に立ちはだかった壁であったのだ。
金日成主席の出した答えは、いたってシンプルであった。 「人民の中にはいり、彼らの力を動員してこそ革命の勝利があるのです」。人民の中にはいり、人民の力を動員する。これが革命闘争の本懐であり、原則である。解放闘争という革命は、卓上の理論で行われるものではない。人民が何を望み、何を訴えているのか。それを吸収し、大きな力として結集させるところに、道ははじめてできるのである。これが、「チュチェの発見(=人民の発見)」である。

そういえば、昔、魯迅という作家がこのようなことを言った。「抵抗の道は見えない道」だと。抵抗者にとって明日などはわからない。今日の抵抗によって支配者にぶっ潰されるかも知れない人々にとって、「安易な道」などはないのである。一寸先が闇であろうと、それでも前に進むとき、人間は一つの道をはじめて作るのである。これこそが解放への道だ。

日本帝国主義という大きなハードルを乗り越えて、解放という道をすすむ。そのための方法はただ一つ、「人民の中」に入ることである。ここに、チュチェ思想の本質がある。

まさに1930年初夏、青年将校はこのような真理を見つけ出したのであり、これこそが「朝鮮人民の偉大さ」なのである。

チュチェ思想入門 第一回 モノの見方、考え方

2015年01月22日 | チュチェ思想入門

朝鮮の指導理念でもあるチュチェ思想について書き、詳説することは骨が折れることではあるだろうが、ともあれ解説を始めたいと思う。
第一回目の今回は、ガイダンス的なものである。ひとえに「思想」とは何たりえるか、という問題である。人それぞれ「意地」や「理念」、「モットー」などは様々な形として持っているだろう。わたしがこの企画において語りたいのは、「この考え方が正しい」ということでは毛頭ない。祖国、朝鮮が「なぜこう考えるのか?」ということを述べたいということである。自身の思想や考えを改めるという作業はかなりの苦痛を伴うものである。しかしながら、祖国の考え方、チュチェ思想から学ぶことは、かなり多いとわたしは自負している。

2000年以上の哲学史の成果とバトンを受け継ぎ、人間の自主性実現のための道を新たに示すチュチェ思想、この考え方についてできるだけこれから詳説していくつもりである。

さて、今回は第一回目ということもあり、チュチェ思想に限らず、「思想」一般について語ってみたいと思う。

まず一つ、「思想」とはものの見方、考え方である。「真理」というものは一つしか存在しないのだろうか?人それぞれに家庭があり、仕事があり、理想もあり、現実もある。一般的に人々が共有している精神といえば、「いろいろと頑張っている」ということに落ち着くのではないだろうか。面白いことに人は「思想」をいろいろと持ちえないものである。たとえば、ハサミを持ち、時にはカッターを用いるようにはいかないということである。人は人生におけるいくつもの経験の中で、真理を求め活動する。真理というものは=正義とも訳せるものでいわゆる「若いとき」に、ここに燃えることはよくよくある話である。かのイタリアの独裁者ムッソリーニでさえ、若い青年時代にはマルクス主義に燃えたというのだから、人の思想がこんなに行ったり来たりするものか、と目を丸くしたものである。しかしながら、時代別・年代別に人々は様々な思想を選択できるとしても、同じ時期、同じタイミングで別の思想を持つ訳にはいかないのである。もちろんたまに良いことを言う人が、ときにはびっくりするくらいの発言をするときはある。良い発言をA、悪い発言をBとする場合、Aでもあり、Bでもある、ということにはならない。グレーゾーンなんてものは「思想」の世界では通用しない。その場合、Aか、Bか、要するに、その二つの行動をした人間は、あるタイミングでは嘘をついている(あるいは無理している)のである。「思想」を突き詰めると「しんどい」のはこのためである。

さて、二つ目の話に移ろう。「思想」とはその人なりの「志操」である。朝鮮語ではよく、「チョルゲ」とも言われるが。自身の思想を、自分の良心・信条として持ち、それを「志操」化した人間ほど、魅力のある人間はいない。逆に思想を「志操」化できていない人間にはあまり、魅力がないのである。ある場所ではこう言い、またある場所ではああ言う。こんな人に人々が付いていくはずもない。

これまでの話でわたしが言いたいことはなんだったであろうか。一つ、思想というものは人間が自分の良心奥深くに持っている「志操」なのである。しかし、われわれは「生きる」ため、という理由を筆頭とし、様々な場面で自分に嘘をつく。にこっと笑って見せたりもする。わたしは自分の小さいプライドを押し殺しながらそうする人は称賛するだろう。しかし、自分の背負っているもの(たとえば民族や階級)を、根拠なしにつつかれながら笑える人を見たときによく思う。この人は思想(=志操)ではやってないんだろうな、と。

さて、チュチェ思想は、どのような志操を我々に提出してくれるのか。最初で有るがゆえにあえて、わたしは結論から述べたい。チュチェ思想ほど、人民の力を信じ、人民のために服する思想にわたしは出会ったことがない。どうってことはない。この思想を掲げ、建設をやる。わたしが朝鮮を「祖国」と呼ぶ理由は、これだけで十分である。












金日成・金正日主義の基本内容ー強盛国家へと向かう朝鮮とその思想ー

2014年05月22日 | チュチェ思想入門
1、金日成・金正日主義とは 

 金日成・金正日主義の基本内容について述べます。
 話の要点は、金日成主義と金日成・金正日主義は何がことなるのかということです。結論からいうならば、なぜ金日成・金正日主義なのか、金日成・金正日主義がこんにちの朝鮮の革命の実情とどのようにむすびついているのかということになります。

1) チュチェ思想とは

 金日成・金正日主義とは何かをとらえるまえに、チュチェ思想とは何なのかをみなければなりません。
 チュチェ思想には二つの側面があります。一つは広義としてのチュチェ思想であり、二つは狭義としてのチュチェ思想です。

  狭義としてのチュチェ思想とは、チュチェ哲学のことをいいます。チュチェ哲学とは、チュチェの世界観、社会歴史観、革命観、人生観であり哲学体系をなしています。これはまた学問としてのチュチェ思想でもあります。
  広義としてのチュチェ思想とは、金日成主義をさします。広義としてのチュチェ思想は、チュチェの思想、理論、方法の全一的な体系をいいます。チュチェの思想、理論、方法の全一的体系というときの思想は、チュチェ哲学にあたります。したがって金日成主義とチュチェ思想は同義語だともいえるのです。

  チュチェ思想を解説するうえでまず、1930年6月30日、カリュン会議で開かれた共青やよび反帝青年同盟の幹部会で金日成主席がおこなった報告『朝鮮革命の進路』をみる必要があります。
  当時、朝鮮の植民地民族解放闘争においてもっとも影響力をもっていた思潮はマルクス主義でした。マルクス主義にもとづいて、ロシアで社会主義革命がおこり社会主義建設がすすんでいきました。ロシア革命の影響で、マルクス主義やそれにもとづく社会主義革命の潮流が、アジアやラテンアメリカなどの世界各地域に波及していきます。朝鮮人民にたいしてもマルクス主義が大きな影響を与えたことは事実でした。
 
  1920年代後半~1930年代前半、朝鮮の植民地民族解放闘争に身を投じた人は、マルクス主義者だけではなく、民族主義者、義兵闘争にかかわった人などさまざまでした。
  しかし、彼らの闘争は制限性をまぬかれませんでした。彼らの闘争における制限性のなかでもっとも深刻であったのはマルクス主義者でした。朝鮮のマルクス主義者がおかしたあやまちは、マルクス主義に内在する制限性というよりは、当時の朝鮮革命においてマルクス主義がどのような位置にあったのかという問題と関連する制限性でした。
  マルクス主義にもとづいてロシアにおいては社会主義革命がすすめられていました。ロシア革命やその後のソビエト社会主義共和国連邦における社会主義建設を見ながら、その成果を自国の革命に適用しようとした朝鮮共産主義者は、ロシアにおける革命を模倣する傾向が強くありました。彼らは、ロシアでの経験を朝鮮革命にそのまま適用しなければならず、また適用できると考えたのでした。
  当時、ロシア革命が勝利したとき、ロシアの民衆のなかで労働者は80%をしめていました。それにたいして当時の朝鮮においては民衆の90%以上が農民でした。90%以上を占める農民を一つに団結させて、どのように革命をおしすすめていくのかということが課題としてありました。
  農民は土地とともに生きています。朝鮮の農民の多くは小作農であり、小作農が耕している土地は地主から借りた土地です。社会主義革命をおしすすめるためには、農民は土地を手放し、社会的所有にしなければなりません。ところが当時の朝鮮の農民はみずからが耕している土地を手放してまで社会主義革命をおこなうという利害関係にたいする認識はなかったといえます。
  マルクスが指摘したように、土地にしばられる農民は、労働力しかもたない労働者階級より階級意識が低いという面がありました。農民が人口の多くを占める朝鮮の現状を無視して、革命が成功し社会主義建設をおしすすめているソ連のように、朝鮮もただちに社会主義革命をしなければならないという教条主義的な考え方は正しいとはいえませんでした。
  ロシアでの革命の成功をもって、朝鮮の自称社会主義者が同様の社会主義革命を朝鮮でもおこなっていこうとしたことで、朝鮮の民衆は社会主義者たちに反発するようになりました。
  本来ならば、民族解放闘争は同じ民族ならば社会主義者であろうが民族主義者であろうが主義主張に関係なく、すべての人たちが力をあわせて団結してたたかっていかなければなりません。みんなが力をあわせて日本帝国主義の植民地となっている朝鮮のおかれている状況を打破して、民族を解放する必要がありました。
  日本帝国主義という大きな敵がたちはだかり、朝鮮を植民地支配している状況がのなかで、すべての人たちが民族解放のために力をあわせてたたかわなければならないにもかかわらず、朝鮮人民のあいだで分裂がおきてしまったのです。
  当時の朝鮮の共産主義者は、朝鮮人民のためにたたかうのではなく、各自が党派をつくってコミンテルンの承認を得るために奔走しました。朝鮮の歴史的条件と具体的現実からかけはなれ、事大主義と教条主義の影響が強かった朝鮮共産党は消滅してしまいました。
  当時、朝鮮革命はどのような進路を見いださなければならないのか、民族主義者であれ、社会主義者であれ、みんなが考えていました。しかし誰もこの解答を見いだすことはできませんでした。
  社会主義を信念として朝鮮の解放をめざす朝鮮の青年共産主義者たちの中心には金日成主席がいました。金日成主席はチュチェ思想の原理を明らかにし、朝鮮革命の主体的路線を示しました。

  そのときはチュチェ思想という言葉はありませんでしたが、大きな発見が二つありました。一つは、人民大衆を発見したということであり、もう一つは自主的立場、創造的立場をうちだしたことです。
『朝鮮革命の進路』のなかで金日成主席はつぎのように述べています。
  
  「革命闘争の主人は人民大衆であり、人民大衆が立ち上がらなければ革命闘争の勝利は望めません。したがって、運動の指導者は当然、人民大衆のなかにはいり、大衆をめざめさせ、大衆自身が主人となって革命闘争を展開するようにしなければなりません」

  金日成主席は、革命の主人は人民大衆であり、彼らのなかにはいり意識化組織化することでのみ革命闘争に勝利することができる、人民大衆に依拠しなければならないと明らかにしたのでした。
  また朝鮮を独立させるためにどのような方法をとるべきかということについては、中国やロシア、あるいは日本などの他の国にお願いして朝鮮の問題を解決することはできない、朝鮮の問題は朝鮮人民が責任をもって解決しなければならない、朝鮮の人民にはその力が十分あるとしています。朝鮮人民をもっとも尊い存在、もっとも力強い存在としてみなしているのです。これが人民中心、人間中心の思想としてのチュチェ思想の出発点となっています。

  もう一つの発見である自主的立場、創造的立場について、金日成主席はつぎのように述べています。

  「朝鮮革命の主人は朝鮮人民であり、朝鮮革命はあくまでも朝鮮人民自身の力で、自国の実情に即して遂行しなければならないという確固とした立場と態度をもつことがもっとも重要であると認めます」

  朝鮮革命におけるすべての問題をみずからの責任によって、そして朝鮮の実情に即して解決していかなければならないということになります。これは方法論の問題です。
  チュチェ思想はまず人民大衆、人間が中心であり、人間がもっとも尊く力強い存在であると明らかにしています。それにもとづいて朝鮮を解放するためにはどういう方法論をとるべきかを明らかにしているのです。言いかえるならば、一つは朝鮮の問題をだれが責任をとるのかということで、これは朝鮮人民が責任をとるということです。もう一つは、どのように責任をとるのかということで、マルクス主義をそのまま模倣すればよいのではなく、朝鮮の実情に即してたえず創造していかなければならないということです。
  チュチェ思想は、人間をもっとも大切にする思想であり、人間の力によってすべてを解決していく思想です。

2) 金日成主義の定式化

  つぎに人民大衆中心、人間中心の思想であるチュチェ思想、そして自主的立場、創造的立場を提起しているチュチェ思想が、どのようにして金日成主義として体系化されていったのかという過程について述べたいと思います。
  金日成主席の思想が金日成主義として定式化されたのは1974年のことです。
  1974年2月14日、金正日総書記(当時は書記)が金日成主席の唯一の後継者として推戴されました。  金日成主席の後継者となった金正日総書記は、5日後の1974年2月19日、全国の朝鮮労働党宣伝活動家講習会の結語として、「全社会を金日成主義化するための党の思想活動の当面するいくつかの課題について」と題する演説をおこないました。

 金正日総書記は、結語のなかで金日成主席の革命思想を金日成主義として定式化し、つぎのように述べました。
 
「金日成主義はチュチェ時代の要求を反映して生まれた新しく独創的で偉大な革命思想です。金日成主義は一言で、チュチェの思想、理論、方法の全一的な体系です。すなわちチュチェ思想とそれによって明らかになった革命と建設に関する理論と方法の全一的な体系です」

  金正日総書記は、結語のなかでチュチェ思想を金日成主義とあらため、金日成主義を定式化しました。
  金正日総書記はまた、チュチェ思想とマルクス主義思想はことなるということを明らかにしました。
  そのときまで朝鮮の指導理念はマルクス主義であり、マルクス・レーニン主義を高くかかげて反帝闘争に勝利しようというのが朝鮮革命のスローガンでした。
  1974年までは、チュチェ思想は朝鮮におけるマルクス主義の創造的適用という位置づけで、朝鮮の実情に即してマルクス主義を適用するというのが朝鮮がおこなってきたことでした。
  党宣伝活動家講習会において金正日総書記が結語のなかで提起したのは、金日成主席の革命思想とマルクス主義はことなる思想であるということです。すなわちマルクス主義はこれまで世界の革命闘争を導いてきた偉大な思想であることは認めるが、帝国主義が新しく編成され、朝鮮の実情もかわってきた新たな状況に即して朝鮮革命をさらに前進させていくためには、マルクス主義ではなく金日成主義をうちたてなければならないということでした。
  そして金正日総書記は、マルクス主義の革命的伝統を受け継ぎながらも、朝鮮革命は新しい思想で力強くおしすすめていかなければならないと強調しました。

  金日成主席は、「社会主義偉業の継承完成のために」(1992年3月13日、1993年1月20日、3月3日)のなかで、つぎのように述べています。

 「わたしがわが人民の土壌に種をまき育んできたチュチェ思想を、金正日同志が生い茂った林にし、豊かな実りとして結実させたということができます」

 金日成主席は、チュチェ思想の内容について革命の発展段階に応じて明確にしてきました。
1955年12月28日、朝鮮労働党の宣伝扇動活動家におこなった演説「思想活動において教条主義と形式主義を一掃し主体性を確立するために」という有名な思想事業にかんする著作は、チュチェ思想をさらにうちたてるうえで重要な文献となっています。
 1970年代にはいると金日成主席は、外国の記者たちの質問にたいする回答という形で、チュチェ思想の内容についてさまざまな角度から発言しています。
 しかし金日成主席は、さまざまな発言はされても、みずからの思想を一つの体系として定式化し自分の名前を冠して主義とすることに意味がないと考えていました。金日成主席は、わたしは人民の息子であり、人民の息子としてマルクス・レーニン主義という偉大な思想をもって朝鮮革命をおしすすめていけるならばそれでよいと思っていたのでした。
 金正日総書記は、1966年から69年まで3年間、先行する労働者階級の革命思想を総括する思想理論活動にとりくみます。哲学、政治学、歴史学などあらゆる分野にわたり、100名余の専門家集団とともに、『共産党宣言』や『資本論』、『国家と革命』など、マルクスやレーニンの著作を読みこみ、論点を提起し、朝鮮の実情にあわせてどのように解釈できるのか、制限性はないのか研究を深めていきました。その研究の結論として、1969年にマルクス主義とチュチェ思想、金日成主義は根本的にことなる思想である、マルクス主義の偉大な革命的伝統は受け継ぐが、マルクス主義の理論はそのまま朝鮮に適用することはできないと言明していったのです。

  そのような研究成果のうえに、1974年2月19日に金日成主義が定式化されていったのです。
  これにより、朝鮮人民は人民中心、人間中心の思想としての金日成主義を朝鮮の唯一の指導方針としてかかげ、朝鮮革命を力強く推進するようになったのです。

  2012年4月6日、金正恩第一書記は朝鮮労働党中央委員会の責任活動家におこなった談話「金正日同志をわが党の永遠なる総書記として高くいただきチュチェの革命偉業をりっぱになしとげよう」において、金日成・金正日主義を新たに提起しました。
 じつは、1990年代にチュチェ思想研究者から金日成主義を金日成・金正日主義と規定することが提起されていました。朝鮮の学者たちもその提起をうけて、その意向を金正日総書記に伝えました。しかしながら金正日総書記はその提起にたいして強く反対しました。そのことについて、金正恩第一書記は「かぎりなく謙虚な総書記は、金正日主義はいくら掘り下げても金日成主義以外のものではないとして、わが党の指導思想を自身の尊名と結びつけるのをきびしくいましめました」と述べています。

  金正日総書記は、わたしは金日成主席の一人の戦士である、金日成主席と同列に並べて語ることはできないと、金日成・金正日主義を提起した人たちをきびしく批判しました。
  金正日総書記は、金日成主席の思想である金日成主義によって朝鮮革命をおしすすめている、朝鮮革命のリーダーとしての金正日はいるけれども、金日成主席と肩を並べるものではないと言っているのです。

  当時は金日成・金正日主義として確立することはありませんでした。
  これは金正日総書記の銅像を建立することについても同じことがいえます。
  朝鮮人民は、ことあるごとに金正日総書記の銅像をピョンヤンや地方都市に建てることを心から希望し、総書記に提起していました。金正日総書記はそのような提起をする人たちをきびしく批判し、けっして許可をだしませんでした。
  2012年12月17日、金正日総書記が現地指導の過程で突然逝去されました。このとき朝鮮人民は弔意をあらわそうとしても、どこに行けばよいのかわかりませんでした。それで金日成主席の銅像を訪ねていき金正日総書記にたいして挨拶をしていたのでした。
  人民の心情をおもんぱかり、金正恩第一書記は人民が金正日総書記を自分の胸のなかにいつでも誇らしく思いおこすことができるよう銅像を建てようと決意されます。それも単独ではなく、金日成主席といっしょに建てるようにしました。
  金日成主席によって創始され金正日総書記によって深化発展させられた革命思想は、金日成主義ではなく金日成・金正日主義とあらためることが必要だし、金正恩第一書記によって金日成・金正日主義は定式化されていったのでした。

3)金日成・金正日主義の定式化

  前述したように、金正日総書記が金日成主席のチュチェ思想を自主時代の指導理念として確立しました。この業績は誰も否定することはできないことです。金日成主席は回顧録のなかで、つぎのように述べています。
 
 「わたしはそれを体系化して本にまとめようとは思わなかった。ただ朝鮮人民がその思想を正しいものとしてうけとめ、革命実践に具現すればそれでよいと思ったのである。
その後、金正日書記がその思想を全面的に体系化し、『チュチェ思想について』という論文を発表した」
(『金日成回顧録―世紀とともに』第2巻)

  金日成主席はみずからチュチェ思想を金日成主義として体系化したわけではありません。

  それではチュチェ思想、金日成主義の体系化はなぜ必要なのでしょうか。
  思想は口伝で伝わるものではありません。このようなすばらしい思想があると口伝しても革命実践にむすびつきにくいものです。しっかりとした理論を土台にして体系的にその理論を学んだ活動家たちが、人民のなかにはいり彼らを革命思想で意識化し組織化していっしょにたたかっていくプロセスが必要なのです。
  朝鮮革命を金日成主義という偉大な指導者の思想にもとづいて指導していくためには、チュチェ思想をマルクス主義とはことなる金日成主義として確立しなければなりませんでした。金日成主義を現時代の革命思想として確立するうえでもっとも貢献したのが金正日総書記なのです。
  金日成主義確立における思想理論的業績が金正日総書記にあると金正恩第一書記は結論づけています。
  金正日総書記が金日成主義を深化発展させた内容の一つは先軍思想を確立したことであり、もう一つは社会主義強盛国家建設構想を確立したことです。
  
  金正日総書記の思想理論的業績の第一は、金日成主席の銃重視思想を先軍革命思想、先軍革命理論として確立したことにあります。銃重視思想とは文字どおり銃を重視する思想です。
金日成主席は父であるキムヒョンジク先生から二つの遺産をゆずりうけます。一つは三大覚悟という遺産です。すなわち殴死、凍死、飢死にする覚悟で革命にのぞまないならば、朝鮮の独立を達成することはできないということです。もう一つの遺産として、キムヒョンジク先生は金日成主席に二挺の拳銃を渡します。二挺の拳銃をゆずりうけた金日成主席は、「くるった狼は棒で」というスローガンをかかげ、日本帝国主義が朝鮮人民を無慈悲に抑圧し殺すならば、われわれは銃をもってたたかわなくてはならない、銃があってこそ朝鮮の解放ができる、言葉だけでは達成できないとして抗日遊撃隊を創建し、抗日武装闘争をおこなっていきました。
 
 金日成主席の銃重視の思想を先軍政治として1995年に確立していくのが、金正日総書記です。
1 994年7月8日に金日成主席が逝去された後、三つの理由によって朝鮮は苦難の行軍を強いられることになります。

  一つは帝国主義の孤立圧殺策動です。主席が逝去されたとき、アメリカや日本など帝国主義諸国がさかんに喧伝していたのは「三、三、三説」です。すなわち「三日で朝鮮は崩壊する」、あるいは「3か月で崩壊する」、「長くても三年で崩壊する」というものでした。
 朝鮮が崩壊するということを前提に、アメリカは朝米基本合意文があるにもかかわらず軽水炉の建設をとりやめ、さらに朝鮮にたいしてすべての外国との貿易をドルで決済するように強いたのです。朝鮮の国内には多くのドルはありません。ユーロや中国の元などの外貨はありましたが、ドルで一本化することが強制されることにより、朝鮮はすべての支払いができなくなったのです。これがアメリカのおこなった経済制裁です。アメリカが世界のドルを支配しているため、ドルを貯蓄している銀行の取引をストップしたり、すべての支払をドルで決済するよう他の国々に命じたりすることによって、朝鮮は他国との貿易ができなくなりました。これにより朝鮮は多大な経済的な損失をこうむることになったわけです。
 
 苦難の行軍を強いられることになった二つめの要因は、社会主義諸国の挫折です。
 社会主義諸国の挫折は一時的なものではありますが、実際に社会主義市場がなくなりソ連や中国などの社会主義国が市場経済に移行することにより、貿易が困難になりました。
ソ連や中国などの国々とはそれまでバーター取引をしていました。ドルなどの外貨で貿易の決済をするのではなく、たとえば朝鮮に無尽蔵にあるマグネシアクリンカー(マグネサイト)と中国に膨大にあるコークスを物々交換したり、ソ連とは重油などを現物で決済したりしていたのです。
 社会主義諸国の崩壊によりバーター取引ができなくなり、朝鮮は他国との貿易をドルで決済することが強いられることになりました。それにより朝鮮に重油がはいらなくなり、ほとんどの工場は操業がとまるようになりました。
 たとえばハムフンにある2.8ビナロン連合企業所は17年間、操業できませんでした。重油がないため工場が操業できず、操業を再開したのは2011年です。
  工場に労働者がおり工場の設備があっても重油がなければ機械を動かすことができません。労働者が生産しなければ労働者の生活は苦しくなり、国内の経済は機能しなくなっていくという悪循環を生みだしていくことになります。

  これに追い打ちをかけたのが自然災害です。これが苦難の行軍の三つめの要因となります。1994年に大洪水があり朝鮮の農村の30%の田畑が流出してしまいました。これにより朝鮮は慢性的な食糧難におちいることになり、食糧問題改善の道はけわしいものになりました。
  1990年代に朝鮮は、帝国主義諸国と対峙しなければならず、社会主義諸国とはバーター取引ができず、また食糧難におちいり、しかも金日成主席が逝去されるという困難な状況のなかで、金正日総書記はどのような決断をされたのでしょうか。

  金正日総書記は先軍政治しかないという苦渋の選択を決断します。
  1995年、安辺青年発電所の建設現場において、人民軍軍人たちは「トンネルを貫通するまで祖国の青い空を見ない」というスローガンをかかげてたたかっていたのです。トンネルを貫通させるまで自分たちは青い空を一度も見ない、いまの困難な状況のなかでこのトンネル工事の成功が父母たちの生活、人民たちの生活に直結する、一日でも一分でも早く、このトンネルを貫通させなければならないという心意気で人民軍軍人たちは安辺青年発電所の建設にとりくみみごとに完成します。これによりピョンヤンの電気事情が改善されました。
  安辺青年発電所の人民軍軍人たちがかかげた革命的なスローガンには、革命的軍人精神がやどっています。「党が決心すればわれわれは実行する」という革命的軍人精神でたたかっている軍人たちに依拠しなければ朝鮮はたおれてしまう、軍人たちに依拠するならば、あらゆる困難をのりこえて国を守り経済建設をおしすすめることができると金正日総書記は確信し、軍人たちの精神世界を見習い、社会主義強盛国家建設をおしすすめていくようにしました。これが先軍政治なのです。
  
  金正日総書記は、1994年11月1日、「社会主義は科学である」という歴史的な著作をあらわしました。金正日総書記は、同じ時期「主席が逝去されてから世界の政界はわたしがどのような政策を実施するのかと注目しています。とくに、敵どもはわたしの思想が赤いのか白いのか、黄色なのかを知ろうと神経をつかっています(『チュチェの社会主義偉業を擁護固守し最後まで完遂しよう』、1994年11月19日)」と述べます。

  赤いというのは共産主義、黄色いというのは資本主義で、白いというのは白旗を意味します。金正日総書記が赤いのか黄色いのか白いのかを世界が注目しているなか、総書記は、「わたしは論文『社会主義は科学である』を発表して、主席がきりひらかれた社会主義偉業を擁護固守しあくまで完成していくことを明らかにしました。これは、わたしの思想が赤いことを宣布したのと同じことです」と述べています。  金正日総書記は、金日成主席が偉大な人民とともに歩んできたこの朝鮮をなくすことはできない、社会主義革命をここで終わらすわけにはいかない、朝鮮が先頭に立って、苦難をのりこえながら社会主義革命を推進していこうと述べたのでした。
  当時、金正日総書記は、人民たちが食糧がたりず苦労している姿を目のあたりにし、心のなかで涙を流しながら、それでも社会主義革命を守ると決心していきました。学校教育や医療も無料であり、すべてのものを人民を優先する国家を守るために先軍政治をうちださざるをえなかったのです。
  こうして金日成主席の銃重視思想を先軍政治理論として開花させたのです。これが金正日総書記の大きな思想理論的業績の一つです。

  もう一つの金正日総書記の思想理論的業績は、社会主義強盛国家建設理論です。
  社会主義強盛国家建設理論は、社会主義強盛国家建設として1998年にうちだされました。1998年は「強盛富強アリラン」という歌が広まっていきましたが、当時の状況は停電がしばしばあり食糧も豊かではありませんでした。そのようななか、1998年8月31日、朝鮮は人工衛星「光明星第1」号の打ち上げに成功します。人工衛星打ち上げの成功を皮切りに、朝鮮人民は自分たちの力で強盛国家をつくると決意し、準備をすすめていきます。
  帝国主義とのたたかい、社会主義陣営の崩壊、朝鮮経済の破綻というかつてないきびしい状況をのりこえ、社会主義強盛国家を建設するという段階にいたるまで12、13年もの歳月がかかりました。社会主義強盛国家の大門をひらくと言われるようになったのは2007年11月のことです。
  朝鮮では苦難の行軍と呼ばれる期間、経済的に困難な状況のなかでも国家資金の多くをCNC(コンピュータ数値制御)開発にあてました。朝鮮はきびしい状況のなかでも先端科学技術によって経済をたてなおし、すべての生産を自国の原料と燃料に依拠し、自力でおこなう方策をとっていったのです。
  金日成主席は、人民が白米と肉汁を食べ、絹の衣服を着、かわらの家に住めるようにするというのが念願でした。人民へのあたたかい思いがあらわれており、その思いを具現したのが社会主義強盛国家建設だと思います。人民がおなかいっぱい食べ、よい服を着て、よい家に住むという理想を実現し、帝国主義の圧殺策動から自国を守り、社会主義勢力が弱体化しているなかで社会主義を防衛し発展させていくための方策を具体的に示したのが金正日総書記でした。
  このような金正日総書記の思想理論的業績をふまえて、金正恩第一書記は、金日成主義ではなく金日成・金正日主義とすべきであると結論づけたのでした。

  金日成主義と金日成・金正日主義は、チュチェ思想にもとづいており、本質的には同じです。
  チュチェの100年史を総括して新しい100年史をはじめる際に、新しい100年史を導いていく時代精神、時代理念として朝鮮人民をかわらず勝利の道に導いていくのが金日成・金正日主義であるということができます。

2、朝鮮の強盛国家建設の現況とその思想

 つぎに社会主義強盛国家建設の現況とその思想についてみていきます。

1)百年史の総括と歴史の分水嶺

 金正恩第一書記は、2012年4月15日、金日成主席生誕100周年慶祝閲兵式でおこなった演説「先軍の旗をさらに高くかかげ、最後の勝利をめざして力強くたたかおう」のなかで、つぎのように述べています。

 「昔も今も国の地勢学的位置はかわりませんが、列強の角逐戦の場として無惨にふみにじられていた昨日の弱小国が、今日は堂々たる政治軍事強国となり、朝鮮人民は誰もあえておかすことのできない自主的人民として尊厳をとどろかせています」

 朝鮮の地勢学的位置にはかわりがありません。朝鮮は、大国である中国やロシアにかこまれています。
中国との関係を2000年という長いスパンで歴史的にふりかえってみると、朝鮮はたえず中国から侵攻をうけ、大国の角逐の場として無残にふみにじられてきました。日露戦争(1904~05年)は日本とロシアのどちらが朝鮮を占領するのかという戦争でした。朝鮮は長いあいだ大国によって翻弄される歴史がつづいてきました。
  20世紀になってはじめて朝鮮人民は金日成主席という偉大な指導者を迎え、チュチェ思想を手にすることができ、みずからが国と社会の主人であり、国と社会をつくっていく力も自分自身にあるという自覚をもつことができるようになりました。朝鮮人民の運命は金日成主席という指導者を見いだすことにより180度転換することになりました。
チュチェ思想を守りつづけることが、朝鮮の100年史の総括です。チュチェ思想を守り、チュチェ思想のもとに団結し、チュチェ思想をもってたたかってきたところに、朝鮮人民の立ち位置があるというのが100年史の総括です。
  金正日総書記が2011年12月17日に逝去されたとき、朝鮮人民は力をなくし、帝国主義者たちは朝鮮にたいする孤立圧殺策動を強めていました。朝鮮はこれからどの道をすすむのか、「改革開放」にむかうのか、それともチュチェ思想を守り、金日成・金正日主義の旗をかかげてまっすぐにチュチェの道をすすんでいくのかということが問われました。
  金正恩第一書記がうちだした結論は、金日成・金正日主義の旗を高くかかげてチュチェの道ひとすじにすすんでいくということでした。
  金正恩第一書記は、2012年3月26日、金正日総書記の逝去に深い哀悼の意をあらわしたすべての人民軍将兵と人民に感謝文をおくりました。
  
 金正恩第一書記はつぎのように述べています。
 
 「こんにち、われわれには、金正日同志が強盛国家建設のために生涯労苦をついやし心血をそそいでまいた貴重な種を丹精して育て、すばらしい現実として開花させるべき重要な課題が提起されています」

  金正恩第一書記は、このような思想にもとづき2012年4月15日、歴史的演説をおこないました。
 また2012年8月27日、青年節に際し、青年節祝賀大会の参加者と全国の青年たちにおくった祝賀文のなかに「われわれはいま、白頭山大国の建設のための第一歩をふみだした」という言葉があります。金正恩第一書記は、金日成・金正日主義をうちだしたことにより、われわれは社会主義強盛国家、白頭山大国建設のための第一歩をふみだしたと述べているのです。

 朝鮮では、青年は祖国建設のための主力であり、未来の主人公であると定義しています。青年にたいする期待が強く、青年を未来の主人公としてみています。金正恩第一書記自身が青年です。金正恩第一書記はまだ若く、公の場にでてきて1年たらずのあいだで国家のリーダーになったので、業績も金日成主席や金正日総書記にくらべるといまはまだ多くありませんが、若いリーダーとしてすべての人民が期待しているということができます。
  こんにちの時代認識として、徹頭徹尾、「遺訓」の精神を貫徹するということがあり、金正恩第一書記は、金日成主席と金正日総書記、人民がきずきあげてきた偉大な成果をそのままうけ継ぐ政治方式をとっています。
  朝鮮人民、朝鮮の青年は、これから金正恩第一書記の名前で輝く強盛国家をきずいていくんだという強い意志をもっています。指導者と人民との一体感、一心団結の思想がいまの朝鮮にはみなぎっており、それが輝かしい朝鮮の未来を展望するものになっています。

2) 21世紀を自主時代に導く金正恩ビジョン


  最後に朝鮮の未来を展望する意義と意味について述べます。
  自分自身の主人になるとはどういう意味でしょうか。自分が社会の主人であるからといって、自分が生きている国に抑圧されている人民がいるとしたならば、その国は強盛国家とはいえないでしょう。
  東北アジア、世界において戦争をなくし平和を実現していくために、あるいは植民地主義の解決のために朝鮮半島がになっている意味は大きく、それゆえ朝鮮の未来を展望する意義と意味は大きいといえます。
  一心団結、不敗の軍力、新世紀産業革命、これは金正恩第一書記が2012年4月15日に述べた構想です。金正日総書記は1994年にこれとまったく同じことを言っています。金正日総書記は、1994年11月19日、朝鮮労働党中央委員会責任幹部との談話「チュチェの社会主義偉業を擁護固守し最後まで完遂しよう」で、いま朝鮮では人民が一心団結しているが、これからはもっと強く一心団結していかなければならないという立場を明確にしました。また、これまで人民軍は人民のためにたたかってきた、これからアメリカと対峙しながら自国を守るためには、よりいっそう人民軍を強化していかなければならないと述べています。
  金正日総書記は、1994年に新世紀産業革命にかんして賢明な指導をします。当時、アメリカを中心とする帝国主義勢力は、朝鮮にたいしての軍事的技術的優勢を誇っていました。それにたいして朝鮮は、人民軍を強化することに力をそそぎ莫大な国家予算をついやしてきました。戦争になると肉弾戦になるので死を覚悟しなければならず、莫大なお金も投下しなければなりません。この問題を解決するためには、最新の科学技術をとりいれる必要がありました。軍事的技術的優先を帝国主義者たちが表明できないようにするため、CNC技術に莫大なお金がつぎこまれていきました。
  金正恩第一書記は2012年4月15日、これまでは帝国主義者たちが軍事的技術的優勢を誇っていたが、帝国主義者たちが威勢を誇る時代は永遠にすぎさったと述べました。
  CNC技術を開発して工場をCNC化し、人工衛星を打ち上げるという道のりはどのような意義をもっていたのでしょうか。朝鮮人民は、1994年からはじまった苦難の行軍のため苦しい生活を余儀なくされているなかで、CNC開発のため、軍事力の強化のため、経済再建のため、全力を投じていきました。血と汗と涙の結晶が人工衛星「光明星3」号2号機の打ち上げだったのです。
  ところが人工衛星打ち上げに成功したとき、「国際社会」は朝鮮にたいして「違法」だと決めつけたので朝鮮は反発しました。国連安全保障理事会の常任理事国はすべて核保有国です。日本や韓国はアメリカの核の傘にはいっています。朝鮮だけ核の傘がないのです。その朝鮮にたいして人工衛星を打ち上げたと非難するのです。世界ではこれまで約9000回、人工衛星が打ち上げられていますが、それらの国々にたいしては何の制裁もなく、唯一朝鮮だけを違法だと非難しているのです。
  アメリカに挑戦し、アメリカ帝国主義体制にとりこまれないで自主を表明する国々が自国の技術を発展させると違法となり、アメリカを主軸とするグローバリゼーションの枠内にはいっている国は違法ではないというのです。朝鮮はこのようなアメリカ中心の秩序をこわし、世界を自主化しようとしています。
帝国主義や大国主義の横暴な秩序を解体していくために、自国の力をたくわえていかなければなりません。金正恩第一書記は朝鮮労働党中央委員会2013年3月総会で、この間の活動を総括し経済建設と核武力建設の並進路線を提起しました。
  朝鮮はこれから攻撃精神で社会主義建設をおこなっていくということです。こんご、アメリカは戦争なのか平和なのかの二者択一するしかありません。朝鮮人民の覚悟はできています。すでにボールはアメリカに投げられました。オバマが戦争を選択するのか、平和を選択するのかを決めなさいという意気込みです。
  
金正恩第一書記は朝鮮人民のリーダーとして絶対的な信頼と敬愛の念をあつめ、朝鮮革命はまえにすすんでいます。
  金正恩第一書記は、いまの朝鮮の時代精神として金正日愛国主義をかかげています。愛国主義とはナショナリズムではなく、その根本的な内容は未来志向です。未来のためにいまを生きる、明日のためにいまを生きるということです。後代のために何ができるのかということを超強度強行軍という現実をもって人民に教えてくれた金正日総書記の遺訓を継いでたたかっていこうとしています。
  














チュチェ社会主義の思想的基礎

2011年10月14日 | チュチェ思想入門
1.「チュチェ社会主義の思想的基礎」を学ぶ意義について

今回、「チュチェ社会主義」の思想的基礎という、テーマを持って報告をさせていただくことになりました。よろしくお願いします。
本日、私がこのテーマを選んだ理由ですが、先日の定例研究会で、鎌倉孝夫先生が発表なさった「チュチェの社会主義」、人間中心の社会主義をより深く理解するためには、その社会主義が根ざしている思想的基礎が何なのかということを、しっかりと見極める必要があったからです。一言で、チュチェの社会主義の独創性は、それが根ざしている哲学的基礎の独創性だからです。

金正日総書記は次のように述べています。
「社会主義は労働者階級の革命思想にもとづく社会であり、 社会主義の発展はその基礎となる思想理論の科学性、 革命性、 現実性によって保証されます。 あらゆる敵との熾烈な闘争の中で、 社会主義を擁護し発展させるためには、 時代と革命発展の要請に即応して労働者階級の革命思想と理論をさらに発展させ、 完成しなければなりません。」(『社会主義の思想的基礎にかんする諸問題について』)


 労働者階級の最初の哲学である、マルクス主義哲学は、従来のヘーゲルやフォイエルバッハなど、ドイツ哲学者たちの思想的成果を直接的、批判的に継承し発展させた哲学でした。マルクスは従来の唯物論と弁証法から、非科学的そして反動的なものを捨て去り、合理的な核心を継承し、発展させることによって世界に対する唯物弁証法的見解を提出するに留まらず、それを社会歴史に適用して唯物史観をうちだしました。これによって、当時まで幾多の論争を経ながらも正しい解決を見得なかった物質と意識の関係問題が科学的に解明され、歴史の舞台に新たに登場した労働者階級は自身を古い反動的な世界観から解放することができるようになったのです。

 このようにマルクス主義の成立によって、はじめて労働者階級を筆頭とする被抑圧勤労大衆の解放のための学説がうちだされ、人々は自らの要求に即して、差別と抑圧のない社会、社会主義を目指して闘争を繰りひろげレーニンの指導によって、ついには社会主義革命の勝利に至ったのです。

 しかし、それまで革命的先導としての役割を担ってきたマルクス主義も歴史の発展、社会主義建設の過程の前には、その歴史的制限性を露呈せざるをえなくなりました。一言で、人民大衆が世界の主人として登場した新しい歴史的条件は、マルクスのうちだした科学的社会主義の真髄を擁護しつつも、その理論をより一層、深化発展させなければならないという新しい課題を、提起したのです。

 チュチェ哲学はこのような自主時代の要求を反映して、マルクス主義の原理を包摂し、それを前提としながらも、世界における人間の地位と役割の問題を哲学の根本問題として新たに提起しました。その根本問題に新しい原理と方法論で、答えをうちだすことによって、その構成体系と内容を一新した独創的な哲学こそがチュチェ哲学なのです。

 チュチェ社会主義が、これまでマルクス主義に立脚して建設された社会主義と一線を画するのは、その基礎にあるチュチェ哲学が独自の理論で展開され、体系化された独創的な哲学だからです。
思想の生活力は、人間が実際に生き活動する社会によってのみ、判断することができます。現実世界における、「チュチェ社会主義社会」が人間中心、人民大衆中心の社会であってこそ、この人間中心のチュチェ思想というものが生命力を帯び、素晴らしい世界観として確立、立証されるのです。

 他方、人々が生きる社会の価値や普遍性を鑑みるときには、その社会と建設方図がどのような思想に立脚しているのかを考えてみなければなりません。
 
 今日はそのような問題意識から、チュチェ社会主義という朝鮮における現実の社会がどのような思想を基礎にして建設されているのかという問題に焦点をあてて述べたいと思います。
人々が生き、活動する現実の世界における社会主義を、人民の要求と利害関係に沿って、より発展させるためには、何よりも先ず社会主義の基礎となる哲学思想を発展させなければなりません。社会主義を発展させてきた人民大衆の闘争をより高い段階に導くためには、マルクスによって打ち出された科学的世界観の功績を認めつつ、人間観をはじめ哲学的世界観や社会歴史観といった哲学をより高い段階に発展させなければならないのです。

 このようなことから、「チュチェ社会主義の思想的基礎」が何なのかということを探ることは、とても大事な問題として提起されるわけです。

2.チュチェ哲学の創始と、独創性

1)チュチェ思想の創始


 チュチェ思想は、時代と革命実践発展の要求に即して、金日成主席によって創始されました。
マルクス主義は、朝鮮や中国などの植民地、反植民地における労働者階級、ひいては世界の被抑圧人民大衆が植民地解放運動を繰り広げる上で、革命思想としての役割を果たしていました。

 ロシア社会主義の発展に伴い、社会主義の生命力が世界に広く公認され、資本主義社会内部における闘争も激化していく中、特にこれまで搾取と抑圧の対象でしかなかったアジアやアメリカ、ラテンアメリカの人民が一つの政治勢力として、民族・階級解放を目指す闘争に進出してきました。

 これは、人民大衆が歴史の主体として社会運動を担いながらも、自主性を蹂躙されてきた時代から、彼らが歴史と自己の真の主人として階級、そして民族解放のための闘争を目的意識的に、世界的範囲で展開していく新しい自主の時代、チュチェ時代へと時代が移り変わったことを端的に表していると言えるでしょう。

 このような歴史的条件において、解放闘争の主体としての人民大衆は、自身の運命開拓の道を新しい時代に即して示してくれる新しい思想の誕生を渇望しました。とりわけ、朝鮮においては歴史発展の特殊性、革命実践の複雑性などからこの問題を解決することが、革命の前途を展望する重要な問題として提起されました。このような要求を反映し創始されたのがチュチェ思想です。

 当時、民族解放運動に携わっていた「マルクス主義者」や民族主義者たちは、人民大衆の解放運動の指揮権をめぐるヘゲモニー争いや空理空論に明け暮れていたばかりでなく、朝鮮の解放闘争を自国の人民の力ではなく、外部勢力に依拠して成し遂げようとしました。「共産主義」運動の指揮者たちは様々に分裂していた党派がコミンテルンの承諾を得るために躍起になり、革命実践のための理論も、他国の革命成果をその特徴も実情も異なる朝鮮の実践にそのまま適用するのが一般的でした。(※)


※「朝鮮共産党についてのコミンテルン決定」(1927年12月以前)、『コミンテルン資料集』4、大月書店、264頁
 この決定の第1項では、「朝鮮戦闘的プロレタリアートの第1重要にして緊急なる任務は完全なる党の実現にしていまだ現存せる総有フラクション及びグループの即時解体にある。過去フラクションの派争の残在が党の発展を阻害したものである。過去派争は単に党のみならず国民革命の存在まで魔酔せしめた…」と、当時の朝鮮革命を指導したグループを一括して批判している。


 当時の朝鮮革命を「指導」したとされる「マルクス主義者」が、いかに人民の団結を妨げ、また教条主義と事大主義に駆られていたかということは、1927年12月 、1928年にそれぞれ、コミンテルンによって、朝鮮革命の現状についての辛辣な批判(※)を受けていること からも、十分窺うことができます。

※「朝鮮問題についての決議」(1928年12月10日、執行委員会政治書記局)、同上、487ページ
 コミンテルンは当時、朝鮮の革命運動が厳しい危機に瀕している理由を、工業の発展や労働者階級の発展における微弱性、労働者階級の組織率の程度、日本帝国主義の迫害とみなしながらも、「諸君の国の共産主義運動をすでに数年にわたって引き裂いている悲しむべき内部的な不和と抗争の所産でもある。」としている。
 また、朝鮮革命を先導していた、共産党(激しい生みの苦しみのうちに生まれでようとしている)に対しては、「個々ばらばらの革命家と労働者大衆とのあいだに最も緊密な結びつきがつくりだされないかぎり、共産主義運動がプロレタリアートの集中点に足場を固めないかぎり、党が農民大衆のあいだでその影響力を組織的に打ち固めないかぎり、党が民族革命運動にたいして組織的な影響力をもたないかぎり、内部的不和に引き裂かれた共産主義運動は、革命的闘争の先導者、組織者、指導者とはないえない。」と、明白に言及している。



 金日成主席は、当時の民族主義運動と共産主義運動における教訓を批判的に分析し、1930年6月、卡倫会議での演説、「朝鮮革命の進路」において、チュチェ思想の2つの起点をとなる結論を導きました。
 その一つは、革命の主人は人民大衆であり、彼らの中に入り、意識下、組織化することでのみ、革命闘争に勝利することができるということ。もう一つは、朝鮮革命における全ての問題を、自らの責任によって、朝鮮の実情に合わせて解決していかなければならないという、自主的、創造的立場でした。
 
 この過程に、朝鮮革命における最も重要な教訓としての事大主義と教条主義を反対するチュチェの原理が明らかにされたのです。

 1930年6月、卡倫にて創始されたチュチェ思想は、その後、朝鮮における2つの革命戦争と、反帝反封建民主主義革命、社会主義革命、そして社会主義建設の実践的過程に金日成主席、金正日総書記によって、総合体系化され、その原理と内容が深化されていきました。

 このような意味で、金日成主席は「…わたしが朝鮮人民という土壌に種をまき育ててきたチュチェ思想を、金正日同志が生い茂る森にかえ、豊かな実を収穫できるようにしたといえます。」(『社会主義偉業の継承、完成のために』、「金日成著作集」第44巻、104頁)と、述べました。

 金日成主席によって創始され、金正日総書記によって総合体系化されたチュチェ思想は、人民大衆の自主性を実現する革命思想であり、そのための思想、理論、方法の全一的体系です。
 その基礎となるものが人間中心の世界観、チュチェ哲学であり、チュチェ哲学は社会的存在である人間の本性的要求を解明し、それに基づき哲学的世界観、社会歴史観、革命観と人生観で構成されています。

2)チュチェ哲学の独創性

① チュチェ思想の独創性を研究する際の原則

 チュチェ思想をマルクス・レーニン主義との関係の中で研究するにあたっての最も重要な原則とされるのは、独創性を基本としながらそれに継承性を結びつけて考察することです。
 チュチェ思想はマルクス・レーニン主義の単なる継承、発展ではなく、人間中心の新しい独創的な世界観です。この見解はもちろん、マルクス・レーニン主義の歴史的功績を全面的に認めることを前提としています。
 マルクス主義が直面した歴史的課題に即して提出した世界観、社会・歴史観、そして革命理論はどれも全て、当時の時代的要求の中で必然的にうちだされるべくして成立した理論であり、労働者階級の解放のための理論を解明する彼らの労苦なしに、社会主義を語ることはできません。しかし、だからといってマルクス主義の理論が現代の歴史的条件と要求にそのまま適用されるというわけではありません。
重要なのは、マルクス、レーニンをはじめとする先駆者たちが残した革命的意志を継承し、その理論も同時に受け継ぐとともに、その時代的制約性と理論的未熟性を明らかにし、労働者階級、ひいては人民大衆の革命実践をより高い段階に発展させるための、新しい理論をうちだすことです。
 チュチェ哲学はまさに、このような原則にのっとって、マルクス主義の革命的意志を継承しつつ人間中心の新しい原理と方法論を解明することによって、社会主義革命理論をはじめとする政治的、革命的理論を人民大衆の要求に即して新たに提起することができたのです。

② チュチェ思想の独創性

 チュチェ哲学の独創性はまず、人間があらゆるものの主人であり、全てを決定するという哲学的原理を示すことにより、世界における人間の地位と役割の問題にもっとも正確な回答を与えたところにあります。
 マルクス主義哲学は、物質と意識、存在と思惟の関係にかんする問題を哲学の根本問題として提起し、物質、存在の本源性を論証したうえで、世界の物質的統一と、物質世界の連関、たえまない運動の理論を明らかにしました。
 マルクス主義のこの見解はチュチェ哲学の根本原理と矛盾する点がありません。なぜならば、世界の物質性とその運動の一般的合法則性が明らかにされなければ、世界に対する観念論的、形而上学的観点も打破されえないからです。世界の物質性とその絶え間ない運動過程を認める見解を前提としてのみ、チュチェ哲学の哲学的原理も、人間が世界の主人であり、その発展において決定的役割をするという世界観的原理もうちだすことができるのです。このような意味でチュチェ哲学はマルクス主義世界観を前提としています。
 しかし、唯物弁証法的世界観から、おのずと人間中心の原理が導出されるわけではありません。人間があらゆるものの主人であり、全てを決定するという原理は、世界の本質と特徴を唯物弁証法的に明かすことを前提としながらも、人間が存在する現在の世界を対象とした、新しい哲学の根本問題が提起されることなしには示すことができないのです。
 このように、世界の本質とその一般的運動法則が科学的に解明されたのを前提に、人間と世界との関係、言いかえるならば、世界における人間の地位と役割の問題を新しく提起し、それを解決したところにチュチェ哲学の独創性があります。

 チュチェ哲学の独創性は次に、歴史の主体を発見し、社会的運動に固有な合法則性を明らかにしたところにあります。
 チュチェ哲学は歴史の主体を人民大衆とみなし、自然の運動と根本的に区別される社会的運動の特性は、主体の目的意識的で主動的な活動によって発展するところにあると示しました。
 マルクス主義は、反動的搾取制度を正当化することに奉仕していた、観念論的で形而上学的な社会歴史観を克服し、社会歴史の分野にまで、弁証法的唯物論の原理を首尾一貫させることを目標に社会も自然と同様に客観的に存在し、物質世界発展の一般的合法則性にしたがって変化、発展するということを明らかにしました。マルクス主義唯物史観は、社会を社会的存在と社会的意識に区分し、その相互関係において社会的存在に規定的意義を付与したのち、社会構造も生産力と生産関係、土台と上部構造に分け物質的生産と経済諸関係に決定的意義を付与しました。物質世界の一般的運動法則を社会と歴史にそのまま適用して出てくる結論は、社会歴史的運動を自然史的過程と見なすことのみです。
 もちろん、社会も一定の客観的法則にもとづいて変化発展します。しかし、マルクス主義唯物史観は、社会において法則が人間の自主的かつ創造的で意識的な活動を通じてのみ作用するということを看過しています。
 チュチェ哲学は、社会歴史を観念論的、形而上学的に見るのではなく、弁証法的唯物論の方法論を持って見た唯物史観の歴史的功績を認めたうえで、社会歴史は自然の運動にはない主体の活動によって発展していくというチュチェ史観を見出しました。
 このように、人民大衆を主体とする社会歴史の運動に固有な合法則性を科学的に解明したところに、チュチェ哲学の功績があります。
また、人間があらゆるものの主人であり、全てを決定するという哲学的原理を社会歴史に具現して、社会歴史は人民大衆の自主的で、創造的で、意識的な運動であるという原理をうちだしところに、チュチェ哲学の独創性があるのです。

 前述したように、チュチェ哲学は、その根本問題と根本原理を人間中心へと一新し、それを社会歴史観に具現しました。
 このように、チュチェ哲学が独創的な哲学となれた所以は、ひとことで人間の本質的特性を明らかにしたからです。チュチェ哲学は哲学史上初めて、人間は自主性、創造性、意識性を持った社会的存在であることを明らかにし、それにもとづいて人間の運命開拓の最も正しい道を示しています。人間の自主性が尊重され守られる条件を科学的に明かしたマルクス主義哲学とはその発展段階にて一線を画する、チュチェ思想は、人間の本質的特性を明らかにすることによって、総合体系化されました。このことから、チュチェ哲学はしばしば、人間の運命開拓の道を直接的に明かした哲学であると強調されるのです。
 その意味で、金正日総書記は「チュチェ哲学と従来の哲学との根本的違いは、結局、人間にたいする相異なる理解に根ざしています。」(『チュチェ哲学は独創的な革命哲学である』)と述べました。
 朝鮮革命の全過程はチュチェ思想を発展、体系化し、社会に具現する過程であり、このようなチュチェ思想を具現したところに、朝鮮式社会主義がこれまで発展してこられた秘訣があります。
チュチェ思想の独創性と優越性は朝鮮式社会主義の優越性に明確にあらわれ、また逆に、朝鮮式社会主義の優越性は、 人間中心の思想であるチュチェ思想によって規定される優越性なのです。

3.チュチェ社会主義の思想的基礎

 チュチェ社会主義が思想的基礎とするのは、チュチェ哲学そのものです。チュチェ史観をはじめ、革命観、人生観などももちろん、チュチェ社会主義を建設するうえで重要な思想的基礎をなしています。それらの見解をもって、チュチェ社会主義の建設路線と政策が打ち出されていくのです。先軍政治や仁徳政治、社会主義の主体を強化する問題、など、社会主義建設においての政治方式や原則など全ては、チュチェ社会主義国家である朝鮮が反帝闘争の中でチュチェを確立していく過程、革命と建設にチュチェ思想を具現する過程に新しく体系化されたものです。
 ここでは、それら全ての部分には触れず、チュチェ哲学が独創的な哲学となりえた最も重要なキーワードである、人間の本質的特性を社会主義建設路線と併せて考察してみようと思います。

1) 自主的な社会的存在としての人間本来の要求を具現する社会

 チュチェの社会主義は先ず、自主的な社会的存在としての人間本来の要求をりっぱに具現している社会主義です。
 自主的な社会的存在としての人間は、その本性的な要求から自然と社会、自分自身など、あらゆる従属から脱して自主的に生き、発展することを求めます。社会的運動の目的を明らかにした、チュチェ史観の社会的運動は人民大衆の自主性を実現する運動という理解は、このような人間の自主的本性の解明にもとづいています。人民大衆が自身の自主性を実現するために、あらゆる従属を解決していく活動が深まるほど、社会における発展がなされるのです。
 社会発展を生産力発展による生産様式の交替の歴史とみなし、社会的運動を主に、物質的経済条件を基本にして考察したマルクス主義を社会主義建設に、そのまま教条主義的にあてはめると、社会主義生産様式が確立されれば、革命が基本的に遂行されたものと見なされ、社会主義建設も社会主義経済を発展させる事業を推進すればよいという偏ったものになります。
 社会主義制度樹立後、思想及び文化の面において、革命を続けなければ、社会主義の優越性を十分に発揮し、人民大衆の自主偉業を最後まで遂行することができないということは、社会主義建設の歴史的教訓です。
 チュチェ思想は、人民の自主性を基本と見なし、それが完全に実現されるまで、革命を続けることを要求します。人民大衆は古い生産関係を一掃し、社会政治的隷属から解放されるだけでなく、自然の束縛と古い思想や文化の束縛からも解放されなければなりません。社会主義が樹立されたからといって人々が持つ思想や文化は、おのずと変わるものではないからです。社会制度が社会主義にかわっても旧社会が残した思想、技術、文化の分野で、旧社会が残した後進性が存続するのはごく自然のことです。社会主義制度樹立後にはそれらが人民大衆の自主性を実現するうえで基本的障害、桎梏として作用します。よって、社会主義においては、人々を社会政治的隷属から解放するための活動のみならず、思想、技術、文化の3大革命路線をひかなければならないのです。
 このように、チュチェ社会主義は、自主的な社会的存在としての人間の本来的要求を具現する社会です。

2)創造的な社会的存在としての人間本来の要求を具現する社会

 チュチェの社会主義は次に、創造的な社会的存在としての人間本来の要求をりっぱに具現している社会主義です。
 人間は自主性だけではなく、創造性をも本性とする社会的存在であるため、創造的に生き発展することを求めます。自然と社会を改造する創造的活動をくりひろげる中、自身の創造的能力をたえず培っていくのが人間です。
 社会的人間の活動において、物質的生産と社会経済関係に規定的な意義を付与し、社会発展を客観的法則、主に物質的経済的条件の発展法則による自然史的過程と理解したマルクス主義は、自然と社会をたえず改造していく人民大衆の創造的能力と役割を高める問題に相応の関心を払うことができませんでした。もちろん、人間は自然、社会を改造するとき、客観的法則に依拠します。しかし、人間は客観的法則に順応するのではなく、それを目的意識的に、主動的に認識して利用することができます。歴史は、人民大衆の自主的要求と創造的能力が発展すればするほど、社会的運動における、客観的性格の領域が縮小し、主体の主動的な作用と役割によって変化発展する、社会的運動に固有な合法則性が全面的に貫かれていくということを語っています。
 チュチェ哲学は人間の創造的能力と役割を高めることを、革命と建設における重要課題の一つとして設定し、この問題を解決するためにとりくむことを要求します。
 現在、朝鮮において、すべての勤労者が革命の主人としての自覚と高い創造的能力をもって、社会主義強盛大国の大門を開いていく闘争をおこなっているのも生きた実証と言えるでしょう。

3)意識的な社会的存在としての人間の意識性をもっとも高く発揚させる社会

チュチェの社会主義は次に、意識的な社会的存在としての意識性をもっとも高く発揚させる社会主義です。
 意識性は人間の重要な属性であり、自主性と創造性は意識性をもって保障されます。チュチェ哲学は、思想意識と知識とで区分される意識の中でも、とりわけ人間活動における思想意識の決定的役割を明らかにし、強調しています。
 人間の意識の問題をめぐり、歴史的に激しい論争がくりひろげられました。観念論者が精神を物質的存在から離れた絶対的な『存在』とみなしたならば、唯物論者は精神を物質世界の反映だと考えました。唯物論者の見解は意識が何なのかという問いにたいして一定の進歩をもってきましたが、それは意識の役割についての科学的解明にはなりえませんでした。ヘーゲルなどのドイツ古典哲学の伝統をまっすぐに受け継いだマルクス、そしてエンゲルスは、社会的意識が社会的存在によって規定されるという反映論的立場にたちながらも、社会的意識の物質にたいする能動的役割を反作用という概念をもって説明しました。それは、意識の役割にたいする科学的解明において、重要な発展ではありましたが、どこまでも、物質との関係性において述べられた意識の役割を述べたにすぎません。思想意識、そして知識としての意識は人間のみが持つものです。よって意識の役割を科学的に解明するためには、意識と物質の関係性を明らかにしながらも、意識の役割を人間活動の要因に関する問題として捉えなければなりません。
 チュチェ哲学は思想意識が人間の活動において、決定的な役割を果たすということを明らかにしたうえで、人間は自主的な思想意識をもっているがゆえに、客観的世界を自己の要求に即して、主動的に認識し、それを自身の創造的活動をもって変えていくということを解明しました。
 人間のもつ思想意識の役割はその性格と内容によって、人々の立場と態度、活動方法から生活までをも規定します。自主的で革命的な思想意識は人民大衆の自主性を擁護し、自然と社会を革命的に改造する革命闘争を促し、逆に反動的な思想意識は、人民の自主性を蹂躙し、社会発展に何ら影響を与えない行動の要因として作用されるのです。
 このような理解から、チュチェ哲学は、社会主義建設の主体である人民大衆がより高い自主的、革命的思想意識をもちうるように、思想教育を強化する一方、ブルジョア思想との熾烈な思想闘争を要求します。
 全社会にチュチェの革命精神がみなぎるように、思想革命を力強く推進することによって、帝国主義的な思想の浸透を粉砕することが社会主義を守る最重要課題の一つとされる所以がここにあります。

4)社会的存在としての人間の集団主義的要求を具現する社会

 チュチェの社会主義は次に、社会的存在としての人間の集団主義的要求を具現する社会主義です。
 人間は社会的存在として、社会的関係を結び社会的活動をします。
 人間は長い歴史の間、自然と社会、自分自身と向き合い、それらを改造する全ての活動を社会的に行ってきました。雄大な自然を認識し改造する労働活動も、厳しい試練を乗り越えながら前進する社会変革も、自分自身をより深く把握しより高い段階へと発展させる活動も、全て社会的協力なしには実現することも始めることもできません。
そもそも人間が自主性、創造性、意識性をもつのも、人間が社会的存在として生きていく過程で、社会が人間に本性的要求を授けるからです。人間は、たとえ人として生まれたとしても、社会を形成し、社会的関係を結び社会的活動をすることなしには、社会的本性である、自主性、創造性、意識性をもつことはできません。
社会的存在としての人間は社会的集団の中でのみ、集団と自己の自主的要求を同時に実現することができるのです。集団の中で、集団にたいする自己の責任と役割果たすことによって、集団の愛と信頼の中で生きることが最も誇らしい人間の生活です。社会的集団の利益を無視して、ひいてはその利益を犠牲にすることによって自分ひとりだけよい暮らしをするような活動は人間の本来的活動ではありません。このようなことから、人間は集団主義を本然的要求とします。
 このような集団主義は社会的集団の威力を強化する根本条件です。人民大衆は団結することなしに主体としての十分な役割を果たすことはできません。また、いかに傑出した人といえども、個人は集団の一構成員になったにせよ、歴史を担い推進する革命の主体にはなりえません。集団主義に基づき団結した人民大衆こそが社会主義を発展させる革命の主体となりうるのです。
 人間の本来的要求としての集団主義は、私的所有にもとづく搾取社会では一つの社会的思想として一般化されることはできませんでした。搾取階級は何よりも団結する人民を恐れ、そのため、個人主義的な思想潮流を垂れ流すことによって、人々の中で集団主義が発揚されるのを抑制してきたからです。
 人間本来の要求である集団主義は、労働者階級が歴史の舞台に出現し、社会主義社会が建設されてはじめて支配的な思想となることができます。資本主義にたいする社会主義の重要な優越性はそれが、集団主義にもとづく社会だというところにあります。
 集団の利益と個人の利益が合致する社会主義では、集団の利益のみではなく、個々人の利益が尊重され、社会建設における貢献度によって、最大限の配分が行われています。
 このような集団主義が最も崇高な高さに至るのは人民大衆が、党と領袖のまわりに一致団結し、一つの社会政治的生命体となるときです。社会的集団の代表としての領袖を中心に党と大衆(朝鮮では現在、党と軍隊、大衆)が思想意志的に、道徳義理的にかたく結束された一心団結こそ、自主的で創造的活動である社会主義建設を成果的に営む最重要要因です。
 このような理解から、チュチェ哲学は社会主義革命と建設において、3大革命と人民政権を強化することを強調するのです。

4.結び

 以上、チュチェ社会主義の思想的基礎と題しまして、チュチェ哲学をその創始、独創性と生活力を中心に見てきました。
 現在、朝鮮にてチュチェ社会主義が建設され、社会主義強盛大国を展望できるようになったのは、ひとえに朝鮮がチュチェ思想をもっていたためであったといえます。
 チュチェ思想が創始され、社会主義の哲学的・思想的基礎を強固にする問題を立派に解決したことによって、チュチェ社会主義は帝国主義者のいかなる誹謗中傷や圧力にも動揺せず、勝利の道を確実に前進しているのです。
 社会主義の挫折、帝国主義との闘争の中で、チュチェ社会主義を守り、発展させている現実は、チュチェ社会主義が基礎としているチュチェ思想の偉大性、優越性、生活力を実証してくれています。

時代を創る人となれ!

2011年10月13日 | チュチェ思想入門
最後の連載になりました。今回までの5回という連載の中で、チュチェ的な「モノの見方、考え方」を綴ってきました。


人間は誰でも「哲学する」ことができ、自身の哲学を持っています。しかし、誰もが世界と自身の運命開拓のチュチェとなり、自主的で創造的な活動を目的意識的にできるわけではありません。自分の哲学を更新し、新たな観点を持つということは決して容易ではないからです。「プライド」を持つ人が、自分の世界観を反省し、「考え方」と「行動」を変えるのは苦痛を伴います。
「バスケがしたいです」。正直な気持ちの代価は涙でした。


「俺は弱い」。これもやはり、悔しさいっぱいの言葉でした。





 しかし、この苦しみを乗り越えてこそ、新しい、魅力のある自分自身を見つけ出すことができるのです。反省なしに人間の成長はありえない、だからこの苦痛はしばしば「陣痛」とも呼ばれます。
では、この反省の基準は、一体何でしょうか。この基準こそ集団であり、もう少し突っ込みますと、「集団の志向」です。自分を集団から離れた個人として捉えるのか、集団を成す個人として認識するのか、ここに自分を伸ばす鍵があります。
このようなことを考えたことがありますか?「自分はどんな時代に生きているのか」。この「時代」、診断を誤ると、「置いていかれる」という疎外感から人間は思わぬ方向に進んでしまいます。ただ付き従うだけの従順な道に、です。「誰々はこんなことをやってるんだって」「すごいな、俺は何をしてるんだ!」

  もちろん、他人と自分を比べることは悪いだけではありません。しかし、他人の通った道をついていっても、その道がどのような道なのかを見定めて、必要なものを受継ぎ、自分の進路を見つける力が何よりも大事なのではないのでしょうか。

 
「時代」は、あなたが生きている空間ではない。「時代」はあなたが創っている、また創っていくものです。そう、「時代」とは、まさにあなた自身なのです。
そのような観点から、自分を取り巻く環境を見てみると、いろいろと考え方も変わってくると思います。「時代」を先取りし、前を向いて走りながらも、時には立ち止まり、歩いて、ふと横を向いてみてはどうでしょう。あなたの横には誰がいますか? その人の表情はどうでしょうか?
「それは理想だよ」。現実とまったく一致した理想なんてものは存在しない。自主的で創造的で意識的な社会的存在である人間の集団が持つ理想、その集団を成す「自分の理想」を実現していくところに、人の生きる道、人生があると私は切に思います。

世界の中で、自分の自主的志向を叶えていく。自然を愛し、社会を発展させる。その道でこそ「本当の自分」を発見することができると、思います。
「あなたは誰?」、これは『ソフィの世界』という本での最初の質問です。


 哲学は、自分を発見する人間学であり、それを持って自分の運命を開拓していく武器です。こんな大切な哲学も時には、自分を傷つけ他人を汚す兵器にもなり得ます。
「人のために、人によって」。これがチュチェ哲学の真髄です。


人間が主人となる社会を創り、自然を克服する力を持つ。これは、遠い未来の話かもしれません。しかし、この未来を愛し、そのために現実でまい進していく。自分が置かれた環境で、自分がいる集団で。このような世界観と、人生観を持って、集団の未来につながる自分の道を少しずつ着実に歩んでいく時、人に愛され、尊ばれる人生を創造できると、私は確信しています。


「未来を愛し、未来を確信し、未来を創造しよう」。「未来」はあなた(=人間)が創るのです。

海路を示す光を持て!

2011年10月13日 | チュチェ思想入門
ゲーム、ネット、携帯、漫画とどのように付き合っていくのか。これは、現在日本に住む人々が持つ重要な課題の一つです。

特に、これから子供たちを育てようとする、「セセデ」の親たちにとって、現在の日本における家庭教育をマネージメントする上で、社会的に普及されているモノをどのように有効的に使うのかという問題は、大事な関心事の一つだと思われます。

現在、日本を含め「先進国」と称される社会で、問題の一つとなっているのが、上記のような、「サブカルチャー」(いわゆる若者文化)です。今回は、このような社会を哲学してみましょう。

本来ならば人間は、人と人との関係を築いていき、その過程に新しく出会い、別れ、自らを育て上げていきます。そういった人々の関係の中で、自分の感情、そして世界観を養っていくのが人間です。人間が大人になる上で必ず、通らなければならない登竜門がこの「人間との付き合い」だとも言えるわけです。なぜならば、人間は社会的存在だからです。

ですから、人との付き合いの中で、恥をかいてみたり、他人に新しく習うということは、人間にとって極めて「普通」なことなのです。

しかし、私たちがいる社会では、この「普通なこと」が「普通じゃない」。それは、この人々の関係を自らが商品、モノとして感じてしまっているがゆえにです。本来、社会的存在としての自らの意思で、人々の間で暮らしていく存在こそが人間です。しかし、私たちはいつの間にか、何を持っているのかという観点から「人間の価値」を決めてしまいがちです。
それは、人と人をつなぐツールとしての、携帯やネットなどが、大量に生産され、それを管理しえない若者までもが無責任的に過剰使用してしまう、社会にも要因があるとは思いますが。

しかしながら、そのような社会において、モノを使うというのはごく自然なことです。大事なことは、この社会に生きる人々が自らの世界観をしっかり持っていないことによって、「全ての主人であり、全てを決定する」自らの価値を、本来、彼(彼女)らが扱うはずである「モノ」によって規定してしまうこともあり得るということです。

これは特に、人間の「自由」などを考えてみるとよくわかります。ポテトチップスやポッキーを買う、そして買わない自由があるのと同じように、ある人は友達をつくり、またある人は、友達なんかいらないと思う。一言で、人々が「人間関係」すらも取捨選択できる「自由」が、横行しているのではないのかと、思います。この状況から、「一人でも大丈夫」という考えが少なからず許容されてしまうのが、現在の特徴だと私は、思います。

私は、この状況が、集団的存在であるからこそ全てを開拓していくことのできる人間の才能を埋没させ、「自分だけ」という暗い闇に閉じ込めてしまうメカニズムのように見えて、不安を覚えてしまうのです。
ゲーム、ネット、携帯、漫画といった問題を最初に提起しました。
「ワカモノの問題」の中には、ただダメだ、と一方的に判断される問題も多いのですが、今、このようなモノが氾濫している社会の中で、それを無視したり、もしくは単純に「ダメ」という方法で、拒絶するのはナンセンスだと私は思っています。

拒絶は「解決」ではありません。このような社会的状況を理解して、これらのモノとどのように付き合っていくのかという視点こそ大切だと、私は思っています。

人間を個人の枠の中に閉じ込めてしまう、この真夜中の大海のような大量生産・消費社会の中に生きているがこそ、私たちは、人間として自らの進む道を、いつでも照らす灯台となる世界観を持たなくてはならないのではないのでしょうか。

人はモノじゃない

2011年10月13日 | チュチェ思想入門
「環境は人を変える。しかし、人は環境を変える」。とある日、テレビで聞いた言葉です。コマーシャルを作った当事者は、いわゆる「第3諸国」において、現在どれほどの人々が、日本の資本主義的大量生産、消費によって、自然破壊に伴う甚大な被害を受けているのか、確実にわかっているでしょう。(体のいい言葉を並べていやがる)などと、考えながらペンを取ってみました。

前回の内容は、人間のみが社会的集団を形成し、集団的な結束力を持って、「世界」と向き合うがゆえに、まさに「人は環境を変える」ということでした。

今回のテーマは、では人間はなぜそのような行動をできるのか、しようとするのかという問題に接してみようと思います。

これまで哲学者たちは、人間に対するあらゆる哲学的問いに対して、色々な答えを出しては、疑い、新しい答えを打ち出し、哲学の歴史を発展させてきました。その先達による人間観の発展過程を、紙面上お披露目できないのは、少し寂しいところです。

チュチェ哲学は、「人間は社会的存在」という答えを前提に、そのような人間は、「どのような特徴を持つのか」というところに注目しました。
人間が「すべての主人であり、すべてを決定する」ことを成し遂げうる要因はなんなのでしょう。それは、人間が持つ自主性、創造性、意識性です。「人間は自主性、創造性、意識性を持った社会的存在である」。これが、チュチェ哲学の人間観です。


社会に属し、社会的な揺りかごの中で自らを育んできた人々全員が、社会からもらえるプレゼントは、この自主性、創造性、意識性です。人間は、自主性を持っているがゆえに世界と自分自身の主人となり、創造性を持っているがゆえに自身の要求に沿って世界を変えていきます。そのすべての行動を、目的意識的にできるところに人間の魅力があるわけですね。

イジメをきらい、民族差別を憎み、異国でウリマルを学びチョゴリを守るのも、自主性を持つからであり、子どもを愛し、電車で席を譲り、広い心で他国の文化を尊ぶのもやはり、人間に自主性があるからです。自ら奴隷の道を選ぶ人は、人間としての命を絶たれたも同然です。人を人と見なせないヒトは、自ら尊い命を捨てるも同じです。

人間として、自主的な存在として自分が持った志向を叶えていくための自分の行動を、目的意識的にできるのは、自主的な人間が創造性、意識性も持つからです。

 一言で、人間は自主という運命開拓における第一目標を達成するため、創造という極めて意識的な活動をし、自然の主人として、社会の主人として、そして人生の主人としての運命を開拓していくのです。
 人々は、このような自主性を持つ人間として、長い歴史の過程の中で、自然の束縛から抜け出し、社会の恩恵を受けるため努力し、自身を磨いてきたのです。難しい条件の中でも人間としての、民族や同胞といった社会の一員としてのプライド=自主を守っていく道こそが、ヒトから人間になる大きな一本道ではないのでしょうか。

 最近話題のAKB48。年端もいかない若い女の子が、「人気」という「選挙」に身を投じて、「当選」「落選」で自らの「価値」を決めつけられるこの状況。自らを「商品」にして、他人を蹴落とす「美貌」と「愛嬌」を兼ね備えなければならない。もちろん1位や2位になれれば、その子は「夢」を果たすでしょう。しかし、彼女たちがもし自分「だけ」が一等賞になろうと考えているとしたら、それは人間としての尊い生き方ではないと思います。

他人の自主性を尊重する。そして集団的自主を達成するために、創造的活動を目的意識的に、集団的にする時、素晴らしい人の生き方が生まれるのではないでしょうか。


人間の辞書に「不可能」という文字はない

2011年10月13日 | チュチェ思想入門
今回から2度に渡って、「人間って何?」という問題を探っていくとしましょう。人間の問題は、実はとてもシリアスな問題です。復習しながら、考えてみましょう。

人間、誰もが自分の哲学を持っているということから考えてみると、「人間って何?」という問いに対して、あなたも答えを持っています。ここで注意したいのは、まず、哲学は誰もが持っているということ。

次に、その哲学はそれぞれ「違う」ということ、即ち、間違った世界観も持ち得るということです。自分の生活を一貫している哲学を問い直してみると、なかなか正しい人間観を持っているとはいい難いのではないでしょうか?

すべての人が持っている「哲学」は、言葉よりも、特に行動でもって、より顕著に現れてきます。恋愛する時なんかは、「好きだ!」という言葉よりも、「好きだという行動」が欲しいものですよね。いわゆる「気持ちの伝わる行動」というヤツです。いかにいい言葉でも、行動が伴わない人の言葉を信頼、信用しないということは、すでに皆さんが身に付けている能力です。

このようなことから、それが本意であろうが不本意であろうが、自分のふとした間違いから、その人の間違った人間観というものが現れてくるのです。「悪魔に身を委ねてしまった自分」の人間観が、です。こんな、ふと出てきた自分の人間観一つで、イジメや社会的不平等を否定できるのか、不本意にも肯定してしまうのかが、変わるのです。これが、哲学における「人間の問題」がシリアスな問題となる所以です。

だから、人間観というものに触れて、絶えず自分が持っている哲学を更新する必要が出てくる訳です。自分自身の「ものの見方、考え方」、ひいては、行動をも改善するというところに、哲学なるものの生命力があるんですね。

では、人間とは何なのでしょうか? 一言で「社会的存在」「集団的存在」です。

あのナポレオンは、「吾輩の辞書に不可能という言葉はない」と言ったそうですが、そんなことはあり得ません。どんな優れた人にだって、できないことはあります。チュチェ哲学はこの言葉をこう言い換えます。「人間の辞書に不可能という言葉はない」。


人間はこれまですべての歴史を「集団の力」で創り上げてきました。自然を開拓する労働も、社会を変革する闘争も、自分自身を育てる教育や努力もすべて、例外なく集団的な活動の帰結です。すべての活動を「集団的にできる」ということが、人間の「唯一無二の才能」なのです。
人は、一人では文字の読み方だってわかりません。他人に依拠せず、個人のみで生きた後に待っているのは、「人間」そのものの放棄です。民衆が創り上げてきた歴史を糧に、今ある社会という枠組みの中でのみ、誰もがヒトから「人間」へと成長することができるのです。


ある船長さんはこんなことを言いました。「俺は剣術を使えないんだ! 料理だって作れねえし、航海術も持ってない。ウソもつけねえ!」。「自分の無能さを暴露した貴様に何ができる」と問う相手に、彼はこう答えました。「お前に勝てる」。これは例にすぎませんが、誰もが自分の持っている才能や能力を自慢することなく、足りない自分を支えてくれる人々がいるということを、自覚して生きていきたいものです。


「私は、自分が知らないということのみを知っている」。哲学史にその名を残す、ソクラテスの言葉です。

社会の上に立ち、人々を使い貶めるようなヒトは決して「人間」になり切れません。逆に社会の中心で集団のために自らを捧げるような人こそ「人間の鑑」となり、そのような「人間」の集まりが、すべてを可能にする「チュチェ」になるのです。

「脇役なんかいないから!」

2011年10月12日 | チュチェ思想入門

2回目です。本論に入って行きましょう。今回は、「人間中心の世界観」な哲学の基本となる原理、サッカーで言うところのサイドキックです。

「人間が全ての主人であり、人間が全てを決定する。」


難しい!!と思った方もいらっしゃるかも、ですね。ちょっと例をあげて見ていきましょうか。この前も述べましたが、哲学とは「ものの見方、考え方」。この文章そのものを覚えることに意義があるわけではありません。「哲学する」方法として、この原理に接してみましょう。

ここでいう「全て」とは、全ての事柄を意味します。自然や社会、人間自身、運命、結婚、恋愛、進路、趣味などなど、まさに全てです。
 結婚や恋愛などで見てみると、どうでしょうか。ある人を好きになる、これを決めるのはあなたです。その人といいお付き合いをできるのか、どうか。これを決めるのも、やはりあなたではないでしょうか。もちろん恋愛過程において、いろいろな人にアドバイスしてもらったり、キューピットとして活躍してもらう場合もあるでしょう。しかし、最終的に決定するのはあなたなのでは?自分の運命や進路を決めるのも、趣味や特技に磨きをかけるもかけないも、やはり、あなた次第なのです。

ここでの重要な問題は、その全ての主人として全てを決定する「あなたは誰?」という問題なのですが。(これは次回に。)

自分自身の問題とは、少し違う問題が、人間(私)と自然、社会、人間(これを総じて「世界」といいます)との関係です。人間が人と人との間とはよく言ったものですが、人間の人生において、世界との関係というものもまた、切っても切れない、必ず、ついて回る問題だということは、前にも触れました。

 自分の状況を変革することはできても、そこから逃げ出すことは、不可能です。いかに自分の置かれた状況を認識し、それを改革していくのか。ここに「自分が開拓していく人生」の鍵があります。

 自然、社会、そして人間自身の主人となって、自分の人生を自分の力で切り拓いていくところに「人間の条件」があるわけです。いかに優れた能力を持っていようとも、主人となれず、全てに従順し、へつらうヒトに「人間」という認定状は下されないのです。

「自然の主人」だって?

 ここで疑問を持つ人がいるかも知れませんね。自然の力は雄大であり、人智を超える神聖なるものと思う人もいるのではないでしょうか。最近人気の、○ヒゲさんのように、地震を起こす力を人間が持っているわけでもなし。ロギアな人でもいればまだしも、人間が「自然の主人」などと!ナウシカ見ろ!と言う方もいると思います。

 しかし、人間は自然の中で生まれおち、育まれながらも、長い間、一度も自然に対して、素直に負けを認めた時はないのですよ。火を見つけ、水を汲み、木を切りそれを組み立てる。そのような過程に、人間はこれまで不可能と思われてきた、「自然の主人」としての地位を確固たるものにしてきたのです。



 このように、人間は全ての主人として、自然や社会、人間自身と向き合い、自然を利用し、社会を発展させ、人間自身を育んできました。

 元来、自然破壊というものも、人間の本性から考えた場合には、極めて「人間らしからぬ出来事」であり、そのような惨状も人間自身の発展とともに、減少し、逆に自然保護活動の幅が広がっていくと考えるのが、善き哲学の方法です。人間は社会的不平等やイジメはもちもん、世界の中でのあらゆる矛盾を認識し、それを変革してのみ、「人間としての人生」を切り拓いていくのです。

 さて、次回からはこの「全ての主人」としての人間の本性とは何なのかを探る旅に出ましょう!

「ジャイアンだって哲学する」

2011年10月12日 | チュチェ思想入門
最近、ある記事に連載を始めました。

「21歳からの哲学」ということで。

そんなこんなで、更新もしてなかったので、軽~くいってみますか。


今回は初回ですので、準備体操と思って「哲学する」ということはどのようなものなのかを簡単にガイダンスさせていただきましょう。

 さて、みなさん、「哲学」というと、どのようなイメージをお持ちでしょうか。哲学者というと、言葉遊び好きな偏屈な人とか、頭固そうという意見がありますね。 私もよく言われます。「難しそう」というのが「哲学」に対しての一般的な意見ではないでしょうか。しかし、「哲学」というものは誰もが持っているものです。哲学を「ものの見方、考え方」とも言います。うまく言い表せていると思います。

 「俺はジャイアン、ガキ大将~」、「真の友よ~」で有名な、あのジャイアン氏。彼の名セリフは「俺のものは俺のもの、お前のものは俺のもの」です。これもやはり、彼の「ものの見方、考え方」でしょう。

 これを哲学的に解釈してみますと、こうなります。「俺は子供たちのトップ(親分)。自分の持っているいいものを子分が親分に渡すのは当たり前の道理。したがって、自分はすべてのものを持つべきである。」

 これは簡単な例ですが(個人的にジャンアンは好きです)、ある人の言葉や実践が、その人の哲学(ものの見方、考え方)というものを象徴するという例えになったとは思います。逆に考えると、その人の哲学はその人の言葉と実践でしか表せないものなのです。

 さて、このように、人々は各々、自分の考えを持っていますし、その信条に従って行動するものです。しかしながら、全ての人がその自分の信条(モットー)を、自分自身の要求に即してうまく持ち得ているわけでは決して、ないのです。

『理知と学問、人間のこの至高の天分を軽蔑するならするがよい-さすれば悪魔に身をゆだねたも同じこと、滅びいくにきまっている。』

「ファウスト」という著書で書かれたゲーテのこの言葉は、人は時に、理に合わない考えを「自身の観」として確立してしまう「浅はかさ」を持っているということ、またそれは「悪魔の使者」となりうる可能性すら、秘めているということを、我々に警告しています。この言葉は、人生のパイロットとしての自分自身がしっかりした「哲学」を持っていないとき、その人生が途中で墜落する事すらあるということを教えてくれているのです。

今の「悪魔に身を委ね」つつある日本の中で生きていく私たちは、語り継がれる賢者の言霊をしっかりと焼き付けておかなければならないのではないのでしょうか。

 ヒトを「人」たらしめるのは、「動物性」でも「植物性」でもなく、「人間性」です。花の個性を香りと色彩とするならば、人の個性は「人間性」です。包容力があり、暖かい人間性を持ってこそ、その人の周りには次第に人が集まるものです。

 ヒトとして生まれた人が、「人間性」を持った「人」として成長していく過程と、「人間性」を考え、理解し、自分の哲学として確立する過程が一致するのはそのためです。たとえば、人が人生において「幸せ」とは一体何なのかを考えるのも、また同じです。「幸せ」とは何なのかを考え、そこに対する答えを探しだす。その「真理」にもとづき、自分の要求に沿って自分自身の力で創っていくものこそ、人生です。

 自分の生きる状況から逃げ出すことはできません。人間は自分のおかれた世界の中でのみ、自分の人生を切り拓いていけるのです。その運命を切り拓いていく「ものの見方、考え方」とは、一体なんなのか?

 これに対する答えを探りだしていく過程がまさに、「哲学する」というではないのかと、私は思います。
 今の「理知」が欠けている日本社会の中で我々自身がより良く、「人間らしく」生きていくために、持つべき「哲学」がどういうものなのかという、問題提起をこれからの連載で綴っていきたいと、思います。