朝鮮について知りたい

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神奈川新聞を見ながら

2013年03月09日 | 帝国主義・植民地
http://news.kanaloco.jp/editorial/article/1302140001/


いわゆる「高校無償化」適用如何に関する問題が朝鮮学校を取り巻いている。この記事は、神奈川県の補助金停止と相成ってでたものではあるが、FACEBOOK上にて、いささか、この記事が「シェア」され、「いいね!」という表現が目立ってくるこの状況の中、一意見として、また論議を醸すため、私も一つ「シェア」をしたいと思います。

この報道、たしかに「進歩的」ではあるんですけど…
しかし、私はあえて、「ちょっと待て、その先は断崖だ」と言いたいです。

この記事からは「北朝鮮=悪魔国家」、だからといって「子供の権利をはく奪する権力を国家は持たない」という論理構造が見えます。
「朝鮮は確かに悪い。でも子供たちには「罪」はない。」こんな論調は、日本が朝鮮に対する植民地宗主国であったということ、今のまさに「現在の」朝鮮の状況を作った張本人が日本である、という批判を無効化させる恐れがあると思います。
無償化や補助金は日本の「恩恵」ではなく、「義務」なんですよ。そして子供たちはその「権利」を持つ。それだけの話なんです、本当は。そこにこそ批判しなければならない。

しかし、このように差別が全面化するあまりにも難しい状況の中におかれてしまうと、この「差別がだめだ」という論調が出てくると何でもかんでも「いいね!」と評価してしまう。この自分たちの評価がのちの自分たちの「転向」、たとえば民族教育側も教育内容を考えようとか、祖国との「距離」とか、「教科書の内容」とかを言い出してしまう。そんないろいろな問題が、補助金や無償化の「前提」に設定されてしまう今の状況こそに批判する、そういう態度が必要なのかな、と思います。教育内容がだめだから、補助金がもらえないんだ、こんな論理は権利の論壇では何も示さないただの「教育に関する国家の干渉」でしかありえないのです。 
 たとえ、「反日」(わたしは本当の意味での「愛日」と思っていますが)であろうと、全員が「朝鮮籍」だろうと、補助金も無償化も適用しなくてはならないんです。だって、教育なんですから。

今の朝鮮の状況、日本はそれに対してどれほども「責任」を感じているのか、朝鮮戦争時の日本の「戦争責任」などみじんも感じてない状況や、ベトナムに派兵して、「経済的成長」をもたらした南の当局の問題など、全部が無視された状況での「子供愛」、これに対して、在日朝鮮人運動をやっている私たちが「いいね!」ということは、補助金をもらわなかったり、無償化が実現されない以上の「敗北」をもってくるのではないのでしょうか?

 そういう意味で、この記事を持ち、シェアし、「いいね!」と言っているすべての人々に、私は「ちょっと待て、その先は断崖だ。」と言いたいです。ちなみにこの言葉は徐京植先生の名言です。(半難民の位置から)

民族教育の権利が政治的にはく奪されていく中、私は、「今こそ政治闘争を!」と呼びかけたいですし、その「政治闘争」の最前線にたっている国家がまさに、朝鮮民主主義人民共和国だと思い、そのことから、私は朝鮮を「在日朝鮮人」の祖国である、と規定したいです。 

明々白々な差別に対しての抵抗はもちろん、「見えない」、もしくは「優しい」差別、ナショナリズムやレイシズムにこそ抵抗する,世界で最もラディカルに。これが在日朝鮮人運動の意義であり、この精神こそが一世の残した宝だと思います。
今の無償化闘争が、4.24教育闘争のようになれていない根拠、理論的脆弱性がここにあるのかな、と私は思います。

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