朝鮮について知りたい

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朝鮮の2013年を振り返る

2013年12月16日 | 現代朝鮮、朝鮮半島
朝鮮の2013年は「決断」とともに過ぎたと思われる。
最近公開されたWFP、FAOの報告によると、今年の穀物生産量も前年比プラスだという。とうとう600万トンの大台に乗ったのか、楽しみで仕方がない。少しの間、詳しい数字が出るまで待つしかあるまい。ともあれ、朝鮮の2013年は、人民生活発展の大きな飛躍をもたらし、「強盛国家」という目標が、理想やモデルのみではなく「現実化」していっていることを、実績とともに示した一年であった。
しかし、私はあえて今年を「決断の年」と呼びたい。それほど2013年3月の「決断」は実りあり、価値ある未来を創造する試金石となったであろうと思われるからである。
1930年6月、金日成主席は日本帝国主義から祖国を取り返し、「朝鮮人が朝鮮人として生きる」ため、銃を手に持つことを宣言した。自主権も国権も、「力」がなければ守れない。「正義は強くあれ!」、これが朝鮮のスローガンである。勝った方が正義、正義は勝つ、いろいろと主張はあろう。しかし自分自身が、「正義を貫き通す」意志と力を持つことこそが朝鮮の指導思想、チュチェ思想の真髄である。
1994年11月、金正日総書記は、次第に強化されていく帝国主義的圧力の中、「進む道はただ一つ」と、高らかに宣言した。世界は目を丸くしただろう。
考えてみれば、この1910年の「韓国(大韓帝国)併合」からの百年余。支配に抗った朝鮮人は、いつも不利益を被った。暴力に抵抗した「見返り」は「さらなる暴力」だったのである。暴力こそ収奪を可能にし、人々の希望を打ち砕き、「抵抗」を抑える特効薬であったのである。伊藤博文を射殺し「テロリスト」と名指された安重根烈士が一貫して強調したのは、朝鮮と日本が「戦争状態」だという一点であった。交戦国間での指揮官の討ち死にと「テロ」とは明らかに違う。「日本人であってしかるべき」だから、「抵抗するもの」は「テロリスト」なのだ。「文化統治」を推進しようとした伊藤を殺害したが故に植民地朝鮮における警察権が強化された、朝鮮統治の際の暴力が「不当に」行われたのは、朝鮮人側にも問題があったと。ばかげている。
2012年4月15日、金正恩第一書記は朝鮮の百年史を総括し、自主と統一の時代を拓くべく、号令をかけた。その結果が12月12日の「打ち上げ」であったこと、これは何度も強調してきた。
重要なのは2013年、今年である。どうやら朝鮮は、「抵抗」することを「継続」するのではなく、「抵抗」それ自体を「不必要なもの」とする覚悟のようだ。
 この結論をたぐり寄せるまで、どのような「決断」が必要なのかは想像に難くないはずだ。世界の超大国アメリカ、「グローバル」という煌びやかなタイトルともに、世界の政治、経済、文化、軍事がアメリカナイズされていく。この流れに逆らった国家指導者は「人権」という断頭台に乗せられ、「世界の英雄」に処刑された。「英雄」の「勇姿」に「世界」が歓喜する。反対の声を上げるものは静かに消えていく。「国益」という魔法によって。
さて、朝鮮はこの1年何をしたのか。「核武力と経済建設の並進路線」、2013年3月、白頭のホランイ(虎)が吠えた。
未だ果たされていない「独立統一」。金正恩プランは世界の「秩序」、「格付け」をひっくり返し、しかもそれを「なくす」ことだと思われる。
これまで「抵抗」/「無抵抗」という選択を迫られ、「抵抗」を選択したがゆえにいつも暴力にさらされ続けた朝鮮が今日、超大国アメリカにたいして「選択」を迫っているのだ。
「戦争」か「平和」か。「選択」はあなたがたがすればよい。