朝鮮について知りたい

朝鮮について知りたいこと、書いていきます。

朝鮮の強盛国家建設の現況とその思想

2015年10月31日 | 現代朝鮮、朝鮮半島
先日の講演内容を。

日朝友好と平和のための集いにおいて講演させていただけることをたいへん光栄に思います。
本日は、朝鮮がどのような思想や政策にもとづいて社会主義強盛国家建設をおしすすめているのかということについて述べたいと思います。
来年5月、朝鮮労働党第6回大会が1980年に開催されて以降、36年ぶりに党第7回大会がおこなわれる予定になっています。36年のあいだ朝鮮にどのような困難、苦難があり、それにたいして、いかにたちむかい勝ちぬいてきたのか、そのたたかいの蓄積のうえに、いまどのように未来をめざしているのか、といったことについてできるだけ朝鮮の論理にしたがってお話をしていきたいと思います。

 わたしは3年ぶりに朝鮮労働党創立70周年を迎えようとする祖国を訪問し、2か月半ほど滞在しました。ピョンヤン国際空港がまったく新しくなっており、大きな驚きと感動を覚えました。さらにピョンヤン市内に近づくにつれ、ここはピョンヤンなのかなというくらい新しい街が誕生していました。
 今年は、朝鮮が日帝の植民地支配から解放されて70周年、朝鮮労働党創立70周年であり、それは同時に朝鮮半島が北と南とに分断されて70年を迎える年でもあります。朝鮮が解放されて70年たちましたが、朝鮮半島は北と南にいまだ分断されており、2つの国家体制が存在する中、真の解放のためのたたかいはまだつづいているといえるでしょう。これは、もともと一つの民族であった朝鮮民族に対しての外部勢力とそれと結託した勢力による暴力がいまだ続いているという意味です。そのあおりをもっとも深刻にうけている存在の一つが在日朝鮮人であるとわたしは自覚しています。このような分断体制が払拭されないかぎり、在日朝鮮人にたいする暴力をとめることはできないというのがわたしのこれまで生きてきた結論です。
 朝鮮の分断を終わらせ祖国を統一させるたたかいにわたしもコミットしているという問題意識をもって、朝鮮労働党創立70周年について述べたいと思います。具体的には、日本で生きている朝鮮人の立場から、党創立70周年をどのように見ているのか、また日本の人たちに朝鮮の姿から、どのようなことをメッセージとしてうけとっていただきたいと思っているのかについて述べたいと思います。
 今年10月10日に金正恩第一書記は、朝鮮労働党創立70周年慶祝閲兵式および市民パレードで演説をおこないました。また、10月4日には、朝鮮労働党創立70周年に際して「金日成、
金正日同志の党の偉業は必勝不敗である」を発表しました。
この二つの著作から、いま朝鮮の社会主義強盛国家建設がどのような思想にもとづいておしすすめられているのかということを考察するのが本講演の主旨です。著作について考察するために、党創立70周年を迎えた朝鮮の現在の状況、歴史的背景についてみていきたいと思います。
 
1、朝鮮労働党創立70周年を迎えた歴史的背景

朝鮮労働党創立70周年を迎えた歴史的背景については二つにわけられます。一つは、朝鮮革命の路程における党創立からの70年間についてです。もう一つは、70年の歴史のなかでとりわけこの2年間についてです。
朝鮮革命は金日成主席、金正日総書記、そして金正恩第一書記という3名の指導者のもと、偉大な人民が指導者に結集して団結してすすんできた道のりです。簡単に言うならば、金日成主席の時代に朝鮮革命の道が開拓され幕を開けたのならば、金正日総書記の時代には金日成主席の革命偉業をうけつぎ、アジアにおいて社会主義の理念を守るために、新たな状況に即して新しい政策をうちだすたたかいをきりひらいてきました。
金日成主席は複雑な国際共産主義運動のなかで朝鮮革命の進路をどのように定め導いていくのかというむずかしい問題を解決するなかで、チュチェ思想を創始しチュチェの社会主義を建設していきました。それにたいして金正日総書記は1990年代を前後してソ連東欧社会主義が崩壊し、国際共産主義運動が弱体化する一方、米帝国主義の朝鮮にたいする圧殺策動もあるなかで、先軍政治路線を打ち出し、一国となった社会主義をどのように守っていく大きな課題をクリアしなければなりませんでした。


金正恩第一書記は、2011年12月17日の金正日総書記の急逝により朝鮮革命の指導者としての地位と役割を引き継ぐことになりました。金正恩第一書記への評価はさまざまであったでしょう。何よりも年齢が若く、金日成主席や金正日総書記に比較して革命実績や経験が圧倒的に少ないという側面、そのことからその指導力を懸念するような声が世界の進歩的人士からもあがりました。一方反動側からは朝鮮革命を壊滅せしめるチャンスだという誹謗もありました。
このような状況のなかで金正恩第一書記が朝鮮革命をどのように引き継ぎ、どのように発展させるのかといった問題は、朝鮮のみならず自主と平和、革命と建設の見地からは運命の分水嶺として提起されました。
金正恩第一書記が朝鮮革命の指導者となって三年間を迎えた朝鮮労働党創立70周年は、今後の朝鮮革命の行方を示すものでありました。金正恩第一書記が党や政権を指導してきた3年間を総括して、金正恩第一書記の実力はどうであったか、朝鮮人民はどのようにこの日を迎え朝鮮労働党や指導者にたいするどのような思いをもっているのかが示されました。
ソ連・東欧社会主義が挫折した1990年代以降、その影響は朝鮮にとって少なくありませんでした。1995年から「苦難の行軍」をおこない、朝鮮人民は食べるものもなく餓死者もでました。朝鮮人民にとってみれば悲しい悲惨な状況であるにもかかわらず、いまだに日本では当時の状況をおもしろおかしくとりあげ報道しています。朝鮮の人々にとっては実際の悲しい経験、記憶を興味本位でとりあげる報道はあまりにも品性にかけるといえます。

1995年からの「苦難の行軍」をのりこえて、2008年には社会主義強盛国家の大門を開くことを目標にする段階にいたりました。
1990年以前には、社会主義諸国との友好関係があり物と物とを交換して貿易をおこなうバーター取引がなされていました。しかし1990年代にはいるとバーター取引ではなくドルで決済するようになり、自国で生産できないものはほとんどはいってこなくなってしまいました。
当時朝鮮にまったく外貨がなかったわけではなく、中国元やルーブルは備蓄していました。米ドルで決済するようにというアメリカによるドル政策のおしつけががきびしい状況が生まれ、貿易にストップがかかってしまうわけです。アメリカによる朝鮮への孤立圧殺政策、これによって米ドルで決済できない朝鮮には食糧や石油などの物品など内需の要求を充足できない状況におちいりました。

他国と貿易できないきびしい状況のなかで、経済活動において基本となる電気と鉄は自力でつくるという方針がうちだされました。外国から輸入したコークスで鉄鉱石を溶かして鉄鋼を生産するのと、電気の力を最大限に強めてチュチェ鉄を生産するのとではどちらが効率がよいでしょうか。コークスのほうがコストも安く効率もよいのです。しかし、コークスを買うことによってではなく、自主の指針を貫き、自力で電気やチュチェ鉄もつくり、経済の土台を自分の力で築き上げてこそ、「強盛朝鮮」の未来があるのだと金正日総書記は予見していたのです。

きびしい状況のなかで経済の土台をつくることができ、2008年には主席の生誕100周年を迎える2012年まで、強盛国家の大門を開こうというスローガンが金正日総書記によって提起されました。朝鮮人民は金正日総書記を信じて強盛国家の大門が開くまで、ともにたたかいました。しかし総書記は大門を開くところを見ることなく惜しくも急逝されました。そのようなたたかいの途上で逝去されたからこそ朝鮮人民は金正日総書記にたいし心から哀悼の意を示し、金日成主席の肖像のまえに献花しながら涙をながしていたのです。

2011年12月17日以降、金正恩第一書記が朝鮮革命を指導することになり、金日成主席や金正日総書記の思想と指導を受け継いでいきました。

金日成主席と金正日総書記が人民とともにひらいてきたこの道を、そのまままっすぐにすすんでいくことが、2012年4月15日、金日成主席生誕100周年慶祝閲兵式でおこなった金正恩第一書記の演説「先軍の旗をさらに高くかかげ最後の勝利をめざして力強くたたかおう」のなかで提起されていました。

「こんにち、われわれは新たなチュチェ100年代が始まる歴史の分水嶺に立っています」

この演説のなかで、金正恩第一書記は、わたしたちはこれまで金日成主席と金正日総書記が歩んできた道、人民とともに歩いてきた道をこれからも歩むだろう、これまでベルトをきつく締めてわが党についてきてくれた、わが人民ほど偉大な人民はいない、もう二度とベルトをきつく締めることがないように、わたしはこれから献身していくと述べました。

2012年8月28日、朝鮮では青年デー祝賀大会が開かれました。この祝賀大会には全国1万人の模範的な青年代表がピョンヤンに集まって、約一週間の行事をおこないました。全国1万人の青年デー祝賀大会のなかには102名の在日朝鮮青年の代表も参加していました。そしてわたしもそのなかの一人だったのです。青年デー祝賀大会の前日の8月27日、金正恩第一書記は「青年デー祝賀大会参加者と全国の青年に送る祝賀文」のなかでつぎのように述べています。

われわれは白頭山強国建設における歴史的進軍の道にはいった」


2012年4月15日の時点では、いま朝鮮革命を引き継ぐことができるかどうかという分水嶺に立っていると述べ、同年8月27日には、われわれはこの分水嶺をこえて白頭山強国、強盛国家建設の道の進軍をはじめた、この課題をすべて青年たちにまかせると述べられたのです。歴史の分水嶺をこえて、朝鮮は自主の道、先軍の道、社会主義の道にそってすすむ準備ができたことが示されたのでした。
金正恩第一書記が金正日総書記から革命のバトンを受け継いでから3年が経ちました。2015年2月18日、朝鮮労働党中央委員会政治局拡大会議が開催されました。拡大会議においては金正日総書記の遺訓を貫徹するためにこの3年間のすべての党活動が総括されました。ここで総括されたもっとも重要な内容は、金正日総書記がうちだした党建設、人民政策は正しいということです。

金正恩第一書記が指導者として登場してきた3年間は、金正日総書記がのこした遺訓を実現するために実践してきたということです。すべての工場、軍隊、学校、教育、文化、政治そして経済など、あらゆる部門にのこされた金正日総書記のすべての遺訓を100%完遂しようとするなかで、何ができて何ができていないかを明確にしながら、その遺訓を2015年10月10日の朝鮮労働党創立70周年を迎える日までに実現するというのがこの3年間の闘争でした。そのような意味で2015年までの金正恩朝鮮は胎動の時期であったととらえられます。2015年10月10日は、金正恩第一書記が自分の頭で考えて、人民のための政策を新しくうちだし始動するスタートになります。もちろんこれまでの朝鮮のすべての政策も第一書記の実績ですが、これから主席と総書記の偉大な理想を、人民とともに現実として実現させていく政策は第一書記にゆだねられたわけです。その意味で、これからの第一書記の政策と方法が2016年の第7回党大会で示されることになるでしょう。

金正恩第一書記は「朝鮮労働党創立70周年慶祝閲兵式およびピョンヤン市民パレードでおこなった演説」のなかで人民重視、青年重視、軍隊重視という三大重視路線をうちだしました。これは金正日総書記の遺訓を達成するというこれまでの指導から、独自の色をだした指導へと進展している一つの事例だとわたしは考えています。
金正恩第一書記が2015年1月1日に発表した「新年の辞」のなかでつぎのように述べています。

「党創立70周年を迎える今年、朝鮮人民のすべての勝利の組織者であり導き手である党の指導力と戦闘力を強化するうえで、新たな里程標をもたらさなければなりません」


2015年10月30日、朝鮮労働党中央委員会政治局は2016年5月の初めに朝鮮労働党第7回大会を開催すると発表しました。
このような里程標をうちだしていくということを念頭において、2014年から今年まで2か年計画で党創立70周年を迎えるための闘争をおこなってきたのです。
2014年の「新年の辞」では、社会主義強盛国家建設のすべての部門で新たな飛躍の熱風を強くまきおこし、先軍朝鮮の繁栄期をひらく壮大な闘争の年、偉大な変革の年になるとしています。また、2015年の「新年の辞」では、白頭の革命精神と気概をもって敵対勢力の挑戦と策動を断固粉砕し、社会主義防衛戦と強盛国家建設のすべての部門で勝利の砲声を高くとどろかせて、祖国解放と党創立70周年を革命的大慶事として輝かせなければならないと述べています。

先述したように、2014年のあいだに金正日総書記の遺訓をすべて明確にし、何ができて何ができていないのか、できていないならばなぜできていないのか、何が足りないのか、精神力が足りないのか、お金が足りないのか、資材が足りないのか、足りないものはすべてこちらで保障するので完遂しなければならないと述べました。
すべてを明確にしたうえで、金正日総書記の遺訓を2015年10月10日までに100%やりとげるために計画化をおこない、指導がなされました。その象徴が2015年8月27日に完成された白頭山英雄青年発電所なのです。
2012年4月15日の施政演説以降からの金正恩朝鮮の党政策を総括し、これからの新しいロードマップを提起する契機となったのが10月10日でした。したがって朝鮮労働党創立70周年を迎えてたんに意義深いということではなく、朝鮮革命70年間の路程においても、金正恩朝鮮のこの2年間の路程においても、党の指導力と戦闘力を強化する新しい里程標をうちだした重要な節目となる党創立70周年だったといえるでしょう。

2. 党創立70周年をむかえた朝鮮

朝鮮労働党創立70周年を朝鮮がどのように迎えたのかということを紹介したいと思います。
沙里院市にある嵋谷協同農場は、朝鮮のなかでももっとも米が生産できる朝鮮の穀倉地帯にあります。2014年、朝鮮は歴史的に降雨量が少ない年でした。その影響で今年も農作物の生産が減るのではないかと心配されましたが、嵋谷協同農場は、これまで1ヘクタールあたり約9トン生産していた米を今年は11トン生産する見込みをうちだしています。
ふつうの米作は苗代をつくり、田んぼに水をはって苗を植えます。嵋谷協同農場では、その水をためる水が不足しているので田んぼに水をはって苗を植えるのではなく、部屋のなかで苗を育て、ある程度大きくしたうえで水がない田んぼにさしていきました。嵋谷協同農場の他にも妙香山の近くに大きな農場がありますが、その農場の人たちは嵋谷協同農場の常識をこえた仕方にたいして無理だと笑っていましたが、実際は大きな成果を上げたのです。わたしの知人が嵋谷協同農場にいます。今年協同農場へ行き、見わたすかぎり稲が実っている風景を見た瞬間、不覚にも涙がでてしまいました。

嵋谷協同農場で米の収穫が成功したのには、秘密があります。咸鏡南道という工業地帯にある工場で尿素肥料が作られるようになったのです。これまでは尿素肥料は朝鮮ではつくられていませんでした。すべてを貿易でまかなっていました。とりわけ金大中大統領の政権のときには、朝鮮農業における肥料の大半を韓国政府が送り、それで農業をおこなっていたのです。いまでは100%朝鮮で生産できるようになっています。
「咸南の炎」という言葉があります。これは、咸鏡南道が最初に新しい科学技術の炎を燃えあがらせるよう指示した金正日総書記の方針に従い、咸興の労働者階級が2011年にその火を点じたときに総書記が喜びながら「見てください、咸南に炎が立ち上がった」と、述べた言葉です。そのような成果のうえに尿素肥料が全国の農村に供給され朝鮮農業はいま順調にすすんでいるのです。
嵋谷協同農場の作業班長をしている知りあいがいます。わたしと同じ年でこれまで7回くらい会ったことがあります。今回、携帯電話をもっていました。ピョンヤンではなく、地方の沙里院でスマホをもっているのです。まったくつかいこなせないようだったので、どうしてスマホを持っているのかと聞くと、お金がのこってもしかたないから買ったとのことでした。

国家公務員は1か月6000ウォンの給料ということを考えるならば、農民と労働者の格差が少しずつなくなってきています。いま朝鮮において農業が順調に発展してきています。
漁業では1月8日水産事業所に行きました。この事業所で加工されているすべての魚は育児園と愛育園に行くとのことでした。愛育園で預かる子どもの年令は、日本の保育園にあたり、育児園にはもう少し歳がうえの子どもたちが入っています。
元山の近くに葛麻食料工場があります。ミョンテ(スケトウダラ)の加工工場で冷凍ミョンテ、乾燥させたミョンテなどさまざまに加工しています。
朝鮮の食卓が急速にあざやかで豊かになってきました。1995年、「苦難の行軍」のとき、一人あたりの配給は1日トウモロコシ20粒でした。トウモロコシ20粒の状況を克服するために、1998年からジャガイモ革命がはじまりました。ジャガイモを食べて何とか食をつないできて、2008年くらいに農業が少しずつおちついてきました。少しずつおちついてきたといっても食べるものは麦や米がほとんどで、他の食品が多様に豊かにあるという状況ではありませんでした。いまは、野菜やキノコなど食材が豊かです。またみかんやリンゴなど果物も食べられるようになってきました。食の豊かさを朝鮮の人々は生活のなかで実感しています。

元山の松涛園にある海がすぐ近くに少年団だけがつかっている松涛園国際少年キャンプ場があります。このキャンプ場は少年少女たちのための施設なので全世界の子どもたちも申請すればつかえるようになっています。かかる費用はすべて無料です。今年のピョンヤンは雨が少なかったこともあり停電がかなりありました。しかし元山に行ったときは一度も停電はありませんでした。、キャンプ場施設内には、国際友好少年会館、屋外運動場、体育館、室内プール、屋外プール、アーチェリー場、水族館、鳥類舎、動物剥製品陳列室などが整備されていました。キャンプといっても建物のなかに調理実習室があり、そこで子どもたちは指導をうけながら食事をつくるようになっていました。文芸公演をするための講堂、ゲームセンターなども整備されていました。4月から10月まで松涛園でキャンプができ、10月から3月までは近くの馬息嶺スキー場でキャンプができるようになっています。両方とも元山にあるので季節にあわせて両方の施設を利用できるのです。運動場は14、5歳までの年齢の子どもたちが国際競技できる運動場です。体育館もあり、テレビが設営してありました。わたしたちがはいると、テレビのモニターに歓迎しますと流れていました。この施設を全部まわるのに4時間半かかりました。
元山には、元山青年発電所があり、電力生産は高い水準にあります。地方ではありますが、電気の事情にはこまらないような状況があります。

最近未来科学者通りができています。7000人から1万人くらいの科学者たちだけが住んでいる街です。住居用の高層住宅のビルが建ち並ぶだけではなく、学校も幼稚園、病院などもあり一つの街になっています。科学者たちと科学者たちの家族、そして科学者のお世話をする労働者などが住んで生活しています。
わたしは訪問するときは、失礼ながら事前に許可を得ることなくいきなり訪問するようにしています。アポイントをとって行くと、きれいに掃除したりするので、いきなり「はいっていいですか」と言って、おじゃまします。今回もそのようにしてある家庭を訪ねましたが、きれいにかたづけられていました。入居するとき、家具やテレビなどの家電製品などすべては無料でそなえてあり、身ひとつだけ引っ越すだけで生活ができるようになっているようです。わたしが訪問した家は家族3人で6部屋ありました。建物のなかには国家で運営している売店、大衆浴場などもあります。

朝鮮の電力生産においては、水力発電が67%を占めています。水力は他の火力などの発電方式にくらべて小さい電力しか生みません。水豊発電所、煕川発電所、白頭山英雄青年発電所、元山青年発電所など全国各地にいくつか点在しています。あとの火力発電所は33%しかないわけです。そうすると朝鮮は「苦難の行軍」時代につくられ計画されてきた発電所で67%もの電力をつくっているのです。こんにちすべての産業が順調に発展しているのも、苦しい時期からの未来を見すえたねばり強いたたかいがあったからだといえます。
いま朝鮮では太陽光をつかって水をあたためてお風呂のお湯に使うようになっています。また小規模の太陽光発電が導入されてきています。新しくつくられている街灯は太陽光発電になっていました。

その他にも元山製靴工場や東平壌商業街が新しくつくられています。
以上、いまの朝鮮がどのような発展をとげているのかということについて簡単にお話をしました。

3. 金正恩朝鮮-強盛国家建設の思想


このような状況のなかで、朝鮮労働党創立70周年に際して金正恩第一書記がどのような政策をうちだしたのかということに焦点をあてて述べたいと思います。

どのように党を建設してきたのかという党建設史の見地から朝鮮労働党創立70周年を総括したのが2015年10月4日の文献です。

それにたいして10月10日の文献は、朝鮮労働党の革命指導史を人民の名前で総括し、チュチェ偉業の最終勝利にむけた新しい金正恩朝鮮の里程標(その根本思想)を提起しています。里程標については2016年5月に予定されている朝鮮労働党第7回大会で正式にかつ具体的にうちだされると思われます。
党大会は、前回の大会で提起された計画経済の目標値が達成され総括した後、新しい計画経済の数値をうちだしていくことが重要な使命としてあります。また朝鮮革命、祖国統一といった角度から戦術的戦略的課題がうちだされる大会なのです。
1980年に朝鮮労働党第6回大会がおこなわれ、そのときに、社会主義経済建設の十大展望目標がうちだされました。それはあくまでも世界において社会主義諸国が存在しているときに実現すべくうちだされた目標です。他の社会主義の国々との貿易、交流を前提にしたうえでの経済建設の目標だったのです。そこにいつまでもこだわっては党大会を開催すること、国家事業を発展させていくことはできないという事情もあるのではと思っています。
金正恩第一書記の時代になって、もっとも顕著にあらわれているのはあらゆる国家事業、党事業が正常にまわっているということです。金正日総書記のときは、先軍政治がうちだされ朝鮮においてもっとも緊張状態におちいった期間でした。こんにちでは先軍政治体系ができあがっており、朝鮮労働党第一書記、朝鮮人民軍最高司令官、国防委員会第一委員長の唯一指導によって、党も軍も国家も指導されています。

しかしこの非常事態にあわせた国家運営方式では、人民生活の発展にも支障がでてくるのは必至で、それを克服するため現在朝鮮では内閣に財政を集中させ、内閣総理がすべての責任をもって現地の了解に行き、足りない資金を調達して供給する体系を確立することによって人民生活を向上させようとしています。
二つの文献について述べたいと思います。

金正恩第一書記は10月4日、著作の冒頭でつぎのように述べています。

「金日成主席が創立した朝鮮労働党は、金日成主席と金正日総書記の卓越し、かつ洗練された指導のもとに不敗の革命的党として強化発展し、革命と建設を輝かしい勝利の道に導いてきた栄えある金日成、金正日同志の党である」

党建設史における総括は、一言でいえば金日成主席と金正日総書記の指導のもと、党の指針どおりに党建設をおしすすめていけば輝かしい勝利をおさめることができるということです。これまで主席と総書記が人民の党をどのように建設してきたのか、人民によってどのように受け入れられているのか、朝鮮労働党が金日成、金正日同志の党として、どのような活動をこれからすすめていかなければならないのかといったことを明らかにしています。

金正恩第一書記は文献をつぎのようにしめくくっています。

「金日成、金正日同志の党の聖なる偉業は永遠に必勝不敗である」

10月10日の演説では、人民重視、軍隊重視、青年重視をうちだし強調しています。人民を信じて人民のために、軍隊を重んじて軍隊に力を注ぐということであり、未来を担っていく青年たちが準備されていることによって朝鮮の未来は明るいということです。

金正恩第一書記は、つぎのように述べています。

「人民重視、軍隊重視、青年重視に革命的党の生命があり、力があり、洋々たる前途があるということがわが党の70年の歴史の貴い総括です」

まず人民重視です。人民というのは二つとない支持者であり助言者であり援助者です。なぜ朝鮮労働党があり、社会主義をおしすすめ、指導者は一人なのかといったことすべては人民のためなのです。
 朝鮮においては社会主義や朝鮮労働党、指導者を守るために人民があるのではなく、人民のために制度もありすべてが奉仕するのです。人民とともに歩んできた歴史が朝鮮労働党の70年史であり、勝利をおさめた歴史である、という認識はなによりも大事な見解だと思います。
今回金正日勲章をもらった労働新聞社の主筆が書いた『労働新聞』(2015年10月7日付)の政論「偉大なわが人民」の最後に、つぎのような文章があります。
 「党も人民を命綱でつなぎ、人民も党を命綱でつなぎ、党の滅私奉仕に人民は一片丹心で応えてきたわれらの70年、わが党は世界でトップの政治思想強国、天下無敵の軍事強国、世界に二つとない青年強国とともに、だれもなしえたことのなかった人民強国を立ちあげたのである」
 ここで人民強国という言葉がつかわれています。日本では一般的に国民という言葉がよくつかわれます。国民という名のもとに人民もおり搾取階級もいるため、国民という言葉が階級意識をうすめる作用をしていることをみなければなりません。朝鮮は人民のための国としてこれまで存在してきました。人民が朝鮮労働党の存在根拠であり、存在できる担保となっています。
 
軍隊重視にかんしては、これまでどおり先軍政治をすすめていくとして、すべての戦争形態に対応する準備はできている、戦争をするなら戦争をしよう、しかしわれわれは自主権を守るといった思想で一貫されています。
 
青年問題について述べるならば、金日成主席はそもそも青年運動から朝鮮革命をはじめました。朝鮮革命をはじめたとき主席自身は青年でした。青年の力にもとづいて建国も、建軍も、建党もしたのです。朝鮮においては軍も国家も党も全部青年がつくったといえます。
主席の青年重視思想を体系化したのが、金正日総書記です。1996年社会主義労働青年同盟から金日成社会主義青年同盟に名前をかえて、新しい世代である青年たちに革命のたいまつを渡しました。革命のたいまつを渡しながら朝鮮全土に青年たちを愛しなさいというスローガンをかかげます。すべての人民が青年たちを愛し、青年たちに重要な革命任務をまかせ、そして青年たちはそれにこたえます。奇跡的な建築物である青年英雄道路、ピョンヤン国際空港、ピョンヤンと元山間の高速道路、白頭山英雄発電所などすべて青年がつくりました。
 このような金日成主席の青年重視政策、金正日総書記の青年重視思想をひきついだ金正恩第一書記は、2015年4月に人民軍飛行士たちといっしょに白頭山に登りました。白頭山では4月でも頂上の天池が見えるところまで登るとマイナス40度にもなります。朝の4時に登り、マイナス40度のなかで夜明けを待ちました。日が昇ってきたのが7時半です。
夜明けを兵士たちといっしょに迎えながら金正恩第一書記は、朝鮮の新しい日は白頭山から明けてくると言われました。この言葉は、われわれはこれからも白頭山でたたかった革命伝統を守り輝かしていくということを意味します。これから青年強国をつくっていこう、いま白頭山発電所をつくっているが、この建設に関わる青年たちはほんとうにすばらしい、まるで抗日闘士、抗日一世がわたしの目のまえにいるようだ、朝鮮においては新しい世代の青年たちが準備されている、そのような姿をもって党創立70周年を迎えようと言われました。

金正恩第一書記が青年たちを高く評価したのをうけ、今年の青年デーの前日、2015年8月27日、白頭山英雄青年発電所の第一ダムがみごとに完成したのでした。
最後に金正恩第一書記の一貫した活動スタイルと方法、思想について述べます。

金正恩第一書記の特徴の一つは徹底して唯一指導体制を確立しようとする点です。唯一指導体制の強化と関連して、朝鮮労働党第8回思想活動家大会でおこなった演説「革命的な思想攻勢によって最後の勝利をはやめよう」(2014年2月25日)のなかで金正恩第一書記はつぎのように述べています。
「いまは、党のまわりに軍隊と人民をいっそうかたく結束して、当面の革命の難局をきりぬけていかなければならない重大な時期であり、千万軍民の愛国の熱情と知恵、英知を 強盛国家の建設をはやめることに最大限指向させなければならないときです。
この歴史的課題をもっとも用意周到に、もっとも完璧に実現するための思想体系、指導体系が、ほかならぬ党の唯一指導体系です」
金正恩第一書記の特徴のもう一つは人民大衆第一主義です。すべてのことを人民のためにおこなうという徹底した立場に立っています。これまで第一書記の著作のなかで、人民という言葉が登場しないことはありませんでした。主席も総書記も含めて、何のための社会主義であり、何のための唯一指導体系であり、何のための革命であり、何のための祖国なのか、といえば、すべてが人民の自主性擁護のためなのです。

これは人民に服務する、奉仕するということだけではなく、人民の自主性を擁護し実現するということです。人民の社会政治的生命を守ることを要求するのがチュチェ思想です。ほかの国、ほかの民族に抑圧されたままの人民でいるのか、奴隷として生きるのか、それとも自主的人民として生きるのかということをチュチェ思想は問いかけています。人民が社会の主人として堂々と登場し、自主性を完全に実現して生きていけるようにすることが、人民への最大のプレゼントであるというのが金正恩第一書記の政治思想だといえます。
これまでの期間にはさまざまな苦難もあったと推測されます。金正恩第一書記は、最高指導者として推戴された当初から幹部たちにきびしく接しています。金正恩第一書記は人民たちのために自分がいま何をできるのかを考えて行動しなさいと言いました。

金正恩第一書記が激怒する現場については何度か報道されています。

たとえば万景台遊園地です。遊園地というのは子どもたちが遊ぶ場所です。子どもたちは国の王様です。これは金日成主席の教えであり、金正日総書記の教えです。子どもたちが歩いて走って遊ぶにもかかわらず、なぜ雑草が生えているのか、活動家たちの目にはこれが見えないのかと強く指摘しました。
雑草をとる、とらないという問題ではない、子どもたちが安全に遊べない状況にあるのが見えないから、あなたの人民観はゼロではなくてそれ以下だ、このような活動家が何百、何千万人いようとも朝鮮の未来、人民の未来はひらけない、われわれは総書記の遺訓を貫徹するためにいま何をしなければならないのか、総書記のように人民を第一に思う金正日愛国主義をかかげて実践していかなければならないと述べました。

つぎにスッポン工場です。スッポン工場は総書記がつくった工場です。人民たちの健康によい食材であるスッポンをより多くの人民に食べさせるためにつくられた工場であるにもかかわらず、現代化されたという報告書を見るとカメラ1台をつけたということしかありませんでした。カメラを1台つけて監視すると、スッポンが死なず生産性は上がるのかと批判されました。

このように人民の名において幹部たち、活動家たちが点検され、きたえられています。


主席と総書記の遺訓を貫徹して、人民の理想を実現するための唯一指導体系を強化することによって、人民大衆第一主義の社会主義強盛国家を建設するという政策的方向にそった金正恩時代の党の新しいロードマップが2015年はじめまでには提起されるであろうと、わたし自身見通していました。しかし複雑な情勢が生じたなかで、2015年には実現されず、2016年5月まで党大会が延長されたという見方をわたしはしています。

朝鮮におけるこれからの大きな課題は、経済建設と祖国統一です。これらは朝鮮労働党第6回党大会で提起された最重要課題でもありました。今後は、社会主義の理念をかかげ、その政策として人民大衆第一主義、人民重視、軍隊重視、青年重視がうちだされていくと考えられます。
最後に、日朝友好と平和のための集いの主旨に即してチュチェ思想の生活力について述べたいと思います。

こんにち日本でもっとも深刻な問題なのは、朝鮮観だと思います。これまで日本の大きな曲がり角には必ずといっていいほど「朝鮮問題」が内包しています。1923年に関東大震災が発生し多くの朝鮮人が虐殺されました。それを契機に労働者の運動がとん挫してしまいます。多くの朝鮮人が虐殺されるのと同時に、多くの社会主義者も殺されるという事態がひきおこされ、1924年には多くの社会主義者がつぎつぎに転向していきました。その後、日本がアジアに侵出していく土台となったのが朝鮮にたいする植民地支配でした。
日本の人々にとって現在もっとも大きな問題となっている安保法についても同じことが見て取れるでしょう。安保法が成立したことは、日本人民の自主性実現にとってその未来を占う大変な事態だと思っています。しかし、安保法については意見を分かつ国会議員であっても朝鮮観において、彼らは一致しています。「経済制裁法」の期間延長を定める国会でも全会一致でした。かれらは全会一致で2年間延長して万景峰号がはいってこないようにする決議をしています。そしてこの法律の施行根拠は「わが国の安全と平和を脅かす」というものです。要は、「戦争状態」にあるという認識からスタートして、「宣戦布告」を全会一致で朝鮮に投げかけているわけです。そして朝鮮にたいする自身たちの歴史にはふたをする。このような朝鮮が攻めてくる危険性があるという一致した見解が「反北朝鮮」キャンペーンをもたらし、日本の人たちの朝鮮および在日朝鮮人にたいしての観点を曇らせていく結果、とりわけ在日朝鮮人にたいする日常的な暴力も誘発されてくるわけです。この状況が安保法という小状況(本質は大事態)を成立せしめる大状況として機能しているとするならば、このような「深刻な朝鮮観」を批判せずにはいられません。だれのための「朝鮮観」なのか。その「朝鮮観」によって実質的被害を受けるのは、朝鮮の、そして日本の人民ではないのでしょうか。在日朝鮮人の立場からみると、朝鮮高校のみが高校無償化の対象とならないなどを筆頭に、民族教育が日本政府によって否定されている状況は、民族としての誇りや尊厳が踏みにじられる過程でしかないのです。

わたしたちは、そのような状況のなかで、朝鮮人として生きるとき、自分ができること、しなければならないことは何かという問題を、常に「自身の課題」課題として追求していかなければならないのではないでしょうか。

朝鮮と日本の両国の未来のためにいま自分たちがなすべきことは何かを考え、ともにすすんでいきましょう。