むすんで ひらいて

YouTubeの童話朗読と、旅。悲しみの養生。
ひっそり..はかなく..無意識に..あるものを掬っていたい。

時を ふる

2014年03月30日 | こころ
温かい空気にさらそうと、窓と階段の下の物置を開け、奥の方に母がしまって逝ったまま何年も構っていなかったものを調べる。
少し触れただけで、しんしんと指が冷たくなった。
三週間ほど前、春物を出すために、今は衣替えした洋服を入れている、初海外のホームステイで使った大きなトランクを開けた時と同じ冷たさ。

長い間、暗いところにしまい込まれた物たちは、たとえば冷凍庫の底から食べ物を取り出す時や、冬にかじかむのとは違った種類の、なにか指の芯に沁みてくる冷気をたたえているよう


去年の今頃、一緒にシンガポールへ行ったメンバーに、19才の大学生が二人いた。
長年知っているこうくんの友人まっちゃんは初対面で、たまたま近くのスーパーでレジのアルバイトリーダーをしていた。

この間、買い物カゴを預けながらあいさつすると、目の感じが誰かに似てる。
はて。 そうだ、初恋の人だ。と、思いいたった。


あの頃、わたしたちもやっぱりまっちゃんと同じくらいの年で、井の頭池を挟んだ公園の両脇に住んでいて、何度も林を抜け、橋を渡り、行ったり来たりした。

静かな住宅地の、アパートの一階にある彼の部屋は、春のぽかぽかした週末に窓を開けると、緑の匂いと隣室のポップミュージックと、外の水道でバイクを洗う水の跳ねる音が流れ込んできた。
時たま、二つ隣の大家のおばあさんの部屋から、お散歩に出かけるところにちょくちょく顔を合わせる、白い小さな犬の鳴く声がした。

それにしても、誰かの目をあんなにじっくり見たというのは、彼がはじめてだった。
とりわけ、テレビをおもしろそうに観ている横顔の、今にも笑い出しそうな、あどけないまなざしが好きだった。

そうしていると、子どもの頃、家に(一時は10羽!)いたインコたちのつぶらな瞳を思い出したのは、あれが生き物の目を毎日覗きこんでは話しかけた、目についての濃厚な記憶だったからかもしれない。


彼は、しなやかな長身に、九州出身と関係あるのか太い眉をしていて、大様でカラっと笑い、洋服と洋楽と、地元長崎を愛していた。

大学が春休みに入った、まだ肌寒い日曜日、原宿で朝から並んで買ってきたというモスグリーンの細見のスプリングコートを、部屋の入り口で紙袋から取り出すと、うれしそうに羽織って見せてくれた。
春になると、旅先からムーミンたちの元へ戻ってくるスナフキンみたいに。

イギリスの卒業旅行の写真の中で、ビートルズのアルバムで見た横断歩道を、友人たちと同じポーズで渡っていた。

長い休みの度に帰省して、買ってきてくれるお土産は、いつの間にかカステラに決まっていった。

そして、左腕にはいつも、おじいさんからお父さんを経て受け継いだ、腕を動かすとぜんまいが巻き上がるという、銀色の時計をつけていた。
二日も放っておくと止まってしまうそうで、夜は外してから必ず振り足して、お財布の隣に並べた

そうすると、今が熱を帯びて、彼の大事にしていることや場所に、息吹が伝わっていくようだった。







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