むすんで ひらいて

YouTubeの童話朗読と、旅。悲しみの養生。
ひっそり..はかなく..無意識に..あるものを掬っていたい。

信州 つづり路 2 

2012年10月03日 | 旅行
白馬二日目の朝、窓を開けると、ベランダの前の林に水の音が響いていた。
フロント脇の掲示板には、「降水確率60%、雨時々くもり」と、書いてある。
翌日は、30%。

それなら、トレッキングは明日にしよう。

11才の年末年始、スキーに来た時も、4日間雨が降りっぱなしだった。
ホテルのお客さんは、ロビーの暖炉を囲んで新聞や本を広げ、時々窓辺に立っては、北アルプスを見上げていた。

わたしは滑るのも好きだったけれど、冷たい雨に降り込められて、みんなでワインレッドの絨毯に並ぶソファーに身を沈め、薪の弾ける音を聞きながら年を越していけることに、静かな喜びも感じていた。


両親が若い頃に利用していたこのホテルは、今から18年前に立て直され、あの暖炉もロビーからバーに移り、全体が、モダンで賢そうな面持ちになった。
けれど、その後もつい、わたしは当時の赤い三角屋根があるような気で山を上がって行き、正面玄関に面した角を曲がったとたんに、はっとしてしまう。
「そうか、新しくなったんだ」と。

この日の午前中、来たらいつもそうするように、10分ほど坂を上って、森の奥の教会へ歩いた。

扉の内側には、前日の結婚式の気配が、ひっそりと残っている。
入り口の中央に赤いカーペットが丸められ、飾り付けの白いゆりが、まだ生き生きとして、短くなったキャンドルは、ついさっきまで燃えていたように芯を焦がしている。




ほの暗い教会の中、葉を打つかすかな雨音に耳を傾けていたら、Tシャツとパーカーに、ひんやりとした空気が染み入ってきた。




外に出ると、すぐ前の木からリスが走り下り、ふさふさのしっぽを立てて、トトトトッと森の深くへかけていった。
わたしたちは、街へ下りて、おなじみの喫茶店で温まろう。

そこには、母が10年前の夏、なくなる3ヶ月前の、最後の旅行でも来ていた。
その時通された窓辺の、思いがけない山並みに心動かし、注文したお昼ごはんがくるまでの間、テーブルのペーパーナプキンにそれを写しとった。

今日は、わたしたちが一番のりのお客だったらしく、入っていくと、お店の女性が、端から順々に窓のブラインドを上げているところだった。
いつもの母娘の店員さんに加わり、三代目の小さな女の子が奥からはにかみながら出てきて、「こちらへどうぞ。」と、からだの半分もありそうなメニューを抱え、案内してくれた。

変わらない内装の、その席からは、今、額に入れ、家の居間に飾っているあの鉛筆の山と同じ風景が、晴れ間の陽射しを受けているのが見えた。


雪の日に、ソリに乗り、ホテルからゲレンデまで父に引いてもらった森の散策路。
牡蠣フライの芯が、まだちょっとあやしい温度だったレストラン。
母と好物の「若あゆ」(和菓子)を買い、車の中で分け合った、その向かいのスーパー。

夏の日に、残雪が銀色に輝く山並みを眺め、テラスでとった朝食の、目玉焼きに並んだカリカリベーコンの香ばしさ。
夜のレストランで初めて食べた、オニオングラタンスープの、とびきりの熱さ。
デザートに出されたブラマンジェのなめらかさに心つかまれ、いつか自分で作る日のためその名を突きとめようと、帰ってから何ヶ月も、スーパーでよく似たお菓子を探しては、味を確かめた謎解きの日々。

雨もようの日は、思い出の地層からも、土の匂いが立ち上ってくる。


夜、つめたい空気はまだ水気をはらんでいたけれど、露天風呂から見上げると、月が、大きなびわの木をつやつやと照らしていた。

明日は、山を登れるだろうか。


つづく

                        かうんせりんぐ かふぇ さやん     http://さやん.com/


コメント    この記事についてブログを書く
« 信州 つづり路 1 | トップ | 信州 つづり路 3 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

旅行」カテゴリの最新記事