金縛りって、あったことありますか?
この間、ミスタードーナツで友人を待ちながらポンデ黒糖をかみしめていたら、お隣から
「もう、たーいへんだったわよぉ!」
と、ほんとにたいへんそうな声色が飛び込んできて、すぽっと耳が引きこまれてしまいました。
はす向かいに座っている彼女は、60代後半くらいで、息を弾ませるようにしてお友達にこう続けました。
「だいぶ前だけどね、毎っ晩、金縛りが続いたのよ。
それでもう、怖くて眠れないから、隣の子ども借りてきて一緒に寝ることにしたの。
そーしたら、まあ、その子が夜トイレに何っべんも立つもんだから、しょっちゅう起こされてねぇ。
眠れやしないの。
そんでしょうがないからあきらめて、ちょうど近所にひよこをくれるって人がいたもんだからね、それいっぱいもらってきたのよ。
それだけ庭に放したら、気もまぎれるかもしれないと思ってね。
そぉしたらまぁ、一週間もしない内に、ぜーんぶだめ! 夜中にネコが来たんだわ。
あっれはもうねぇ。 あんなにひよこ外出しとくんじゃなかったなーって思ってねぇ。」
と、お皿のドーナツに被さる大きなため息。 それは、ちょっと哀しい懺悔のようでした。
避けたいことが避けられない時、ジレンマを紛らわすために反応したことは、きっと虚しいから....
そこにあるものを見据えながら、今を意識して生きる力が、人と人の間で熱く支えられていくといいな。
と、自分津々浦々に思いを巡らせながら、しみじみ熱いカフェオレを飲み込みました。
わたしは金縛り、インドの市場で、鶏がさばかれているのを初めて見た夜、あいました。
そしてベッドの左側には、日本の古風な女性の幽霊が立ったままこちらを見下ろしていて...恐れおののいたのですが、お昼間のショックでできた頭の中のズレが、寝ている間に揺さぶり直されて、そういう現れ方をしたのかな...という気がします。
さて、話変わってこのところ、お昼間は半袖の似合う暑さになり、急に海が見たくなってきました。
そんなわけで先週、静岡県の中田島砂丘を歩いてきました。
朝、家族からここに行こうか~と提案が出たのですが、たまたまその前日の夜、仕事でお世話になった方と久しぶりに連絡を取り合っていて、二か月前に東京からこの砂丘のそばに引っ越したんだよ~と聞いたばかりだったので、あまりにタイムリーな時間と場所にびっくり。
深雪をザックザックと踏みしめるように、砂の丘を越えていきました。
そして今は、鳥羽の海に友人を訪ねて来ています。
母国のインドネシア語と英語をミックスして話す彼の日本語会話には、まだ漢字の熟語が少なくて、シンプルな言葉がよく出てきます。
「何を言おうとしてるかな。」と想像するのは、まるで絵本を読むような新鮮さで、わかってくると、そこに彼の豊かな内面がはだかのまんまにじみ出ているものだから、妙に心に沁みてきました。
ひとしきりお互いの近況を話して、印象に残ったフレーズは、これ。
“ Let the current flow ”
わたしは、単純翻訳の「流れを流れさせて」が気に入りました。
いろいろやっかいなこともあるけれど、荒波に立ち向かわずに、流れを見て、そこで今できることを精一杯していこう。
波打ち際のぬるい水の中を歩くと、砂がこしょぐったくて足の裏がわくわくしました。
お昼下がり、お部屋から、フェリーが行き交うのを眺めていました。
下の階のせり出した屋根の端っこにも、カラスと鳩が変わりばんこにやってきて、やっぱり眺めていました。
その後ろ姿は、さっそうとして見えました。
かうんせりんぐ かふぇ さやん http://さやん.com/