むすんで ひらいて

YouTubeの童話朗読と、旅。悲しみの養生。
ひっそり..はかなく..無意識に..あるものを掬っていたい。

ここから、そこまで。

2013年06月13日 | こころ
梅雨。 時々思いついたように雨の降る、しっとりした庭に、ピンク、紫、青の紫陽花が映えています。 ここ二、三日はすっかり真夏の暑さになったので、半袖に着替えたら、ちらりちらりとこれまでの夏の思い出がつながってきました。

夏生まれで夏大好きなわたしは、ちょっと前まで、梅雨の時期をその前にくぐり抜けるトンネルのように思っていました。 曇り空が続いて、もどかしいなぁ、って。

いつも一直線に、行きたいところ、ほしいものを目がけてたんだな。
だけど、この頃特に、晴れ間の夏を予感させる青空や、水をはらんだ空気の匂い、そしてなによりその先には、花火や海や蝉のにぎやかなご褒美が待っている!という予感に、思いがけない楽しみが含まれていたことに気づきました。

似たような思いは、先日、再び滝巡りをした時にも。
現地の友人に案内してもらい、ふらりと立ち寄ったので、一番奥にあるメインの滝まで登る時間がちょっと足りなくなりました。 そこで、少し手前で引き返し、夏にまたおにぎりを持って登ろう!と言い合って、楽しみができたことを喜びました。 

むかしだったら、なんだか悔しくなって、ゴールをがむしゃらに見届けようとしたことでしょう。



今もよく覚えている、小学2年生の夏休み。 
歩いていた湿原中ほどの分岐点で、右はさらに奥へと進む小道、左は帰路、に差しかかりました。 天候があやしくなってきたから引き返そうとする家族を振り切って、ここであきらめたら負けだと思ったわたしは、一人右へと、トットコ、トットコ。 あれは、とりつかれていたな

だんだん茂みが深くなってきて、ほんとうは止めてほしかったけど、じぶんから引き返せずにいると、幸い父が追いかけてきてくれました。

あの時、行き着けなくて負けると、どうなったのだろうね?
自分がなんにもなしになると思ってた。
いつも何かに試されてる気がして、手当たり次第やってきた課題に挑んだ。
それで疲れちゃうことも多かった。


自分で選んで、決めていい。 その決めたことをしていい。 しっぱいもいい。 良薬になる。 
クセをとって、自由の感覚をほんとうにわかろうと、試行錯誤の旅をしてきたような気がする。

輝く夏も、一番奥の滝も、最初の目的地も、素敵なもの。
だけどもそれは、ここにも、そこにも、もちろん自分にも。
なんにもなしじゃなくて、ほんとうは、知らないだけであるんだよ。

ないと思ってるところに、ガツガツ外の何かを手に入れて、埋め込んで、あるらしいって証明しなくて、だいじょうぶ。
もうある素敵によぉく目を凝らして、「そこ」の素敵に向かう、道端の素敵を楽しみたいね。

ここから、そこまで。 大切なのは、素敵を味わうことだから。









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