比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

伊那名物・・・ソースカツ丼

2009-04-09 | 美味しいブログ ソト飯、弁当、駅弁
伊那名物ソースカツどん?・・・・・卵でトジてない
ソースは醤油味も混じって美味かった。ソースのしみたキャベツも美味い。
田舎もんだからソースなんてシャレたお上品なものよりここのようにソースに醤油味がチョッと利いたのは好きだ(醤油が入ってるかは知らないが)。


カツ丼なんて食べたことがない田舎もんでだった。豚カツを卵でとじたカツ丼を食べたとき世の中にこんな美味いものがあったのかと感動した。
そのご仕事であちこちの地方を回った。どこの土地でも卵でトジテないカツ丼だった。中にはキャベツもないのもあった。
卵でとじるのもトンカツにソースだけというのもどちらも好きだ。カツカレーはもっと好きだ。

信州・・・桜の高遠城址から見た・・・日本の屋根

2009-04-09 | 山が好き 中央・南 アルプス
桜と雪の山々・・・これが高遠城址公園のゴチソウです。

赤石山系の千丈ヶ岳(3032m)を源流とする三峰川(みぶがわ)が藤沢川と合流して伊那谷に向かうあたり、山峡の城下町高遠・・・城址公園から一万尺クラスの山々を眺めています。

桜の城址公園から伊那谷を隔て西駒ヶ岳。

伊那の人が西駒ヶ岳と呼ぶ木曽駒ヶ岳(2956m)。
農事暦に使うという駒の形の雪形がもうすぐ出ます。

西駒ヶ岳から南に・・・空木岳(うつぎだけ2864m)。

仙丈ヶ岳(3032m)。三つのピークを集めた山塊。
関係ありませんが「仙醸」という地酒があります。

三峰川・・・・何度も出てくる川の名前です。源流は仙丈ヶ岳ですが三峰岳(みぶだけ2999m)という山からも水を集めています。このあたりは静岡、山梨、長野の国境です。

日本の屋根・・・ホントウは南アルプスとか中央アルプスとか書けば簡単なんです。でもそんな通称の宣伝文句みたいな名前を使った自治体名があるので使えません。日本アルプス・・・明治時代、ある外人が日本紹介のパンフに使ったのが最初、ウエストンが広め、明治・大正の山岳屋が定着させたようです。ヨーロッパアルプスもどきということです。憧れですね。地方都市の○○銀座と同じです。
そんなことをいわないでも日本の山はヨーロッパアルプスよりもっと素敵です(比較してはイケマセンが)。

まだ昼前です。昼飯してから帰ろう

信州・・・高遠城址の桜は・・・一分咲き

2009-04-09 | 古城・城址・陣屋・館跡
甲州武川の山高神代桜・・・観桜は終わりました。
で次どこに行きましょう。思いつきで朝早く出かけてきてまだ時間はたっぷりあります。

花の高遠城址公園に行ってみようか。もちろんまだ咲いてないでしょうが。
甲州街道(国道20号線)・・・国境の小淵沢、富士見の町を過ぎて茅野から杖突峠を越えて高遠に。

高遠城址公園・・・タカトウコヒガンザクラ(エドヒガンザクラとマメザクラの交配種)、狭い城址(2~3㌶くらい?)の中にところ狭しと1500本。まったく蕾のまま。
イイ雰囲気です。作り物の天守閣がないのがイイ。城郭は武田信玄の参謀山本勘助の縄張り(基本設計)、三方を三峰川(みぶかわ)、藤沢川に囲まれ後背地は急峻な山。難攻不落?と思われますがどうだったのでしょう。

桜の花もチラホラ・・・観桜の人もチラホラ・・・

この城址公園のウリは桜と雪をいだく春の山です。
正面(西)に見えるのが伊那の人たちが西駒ヶ岳と呼んでいる木曽駒ヶ岳(2956m)、海抜800mの段丘上にある公園、すぐ下は三峰川、その向こうの伊那谷を隔てて見上げる山はたいへん高く見えます。

入り口にあったパンフレット。
「保科正之」の大河ドラマを作る会・・・伊那市観光協会がなぜ?

保科正之(1611~1673年)、会津松平藩の始祖。高遠三万石の藩主として5年間在籍、山形藩20万石、会津藩23万石と転勤していきます。将軍の実弟ですから縁故異動ですがトコロテン式に押し出される前任の大名はたいへんです。
領民にたいへん支持率の高かった殿様です。会津藩主として四代将軍家綱の閣僚として、その政策は特筆すべきものがあります。主なものに・・・
①殉死の禁止②社倉(地域的な緊急用穀物の備蓄倉庫)創設③間引き禁止④税制改革⑤高齢者への扶持米など・・・・・
幕府政策ではこれに加えて
①玉川上水の開削(都市計画の基礎造り)②末期養子禁止制度の廃止(早いこと養子を決めておかないと大名家廃絶となった)③江戸城天守閣の再建中止(無駄なハコモノの廃止)・・・など。
二代将軍秀忠の庶子、三大将軍家光の異母弟。秀忠の第一夫人お江与の方がたいへん嫉妬深い方で命を狙われるという境遇ののち高遠保科藩の養子になります(このへんはドラマとしては面白い)。家光に信任され幕閣としても才能を発揮します。

有能な閣僚が政策を建議して実行する。今日でも理想的な姿です。
会津の殿様を伊那の人たちが・・・「保科正之」を大河ドラマに・・・・・ワカリマス

この公園から見た雪の山々は次回に。

甲州武川・・・山高の実相寺の・・・神が宿る・・・神代桜を見た

2009-04-08 | 野の花や木々
ヤオヨロズの神々が宿る神代桜

エドヒガンザクラ、樹高13.6m、根周り13.5m、樹齢2000年。西側から見た根周り。

東側から見た根周り・・・

三春の滝桜にしてもこの神代桜にしても日本三大桜なんていうランク付けをしては桜に失礼であろう。
神代のむかしから生きてきた、ヤオヨロズの神がこの木に宿っている、それだけで感激です。

わたくし的ですが・・・静かな・・若葉のころ・・・もっと素晴らしいと思う。

甲州武川・・・山高の実相寺から・・・鳳凰山が見える

2009-04-08 | 山が好き 中央・南 アルプス
甲州武川・・・山高の神代桜を見に行って実相寺の参道から鳳凰山を見上げています。通称「鳳凰三山」・・・地蔵ヶ岳、観音ヶ岳、薬師ヶ岳・・・3つの山をまとめてそういいます。

桜と水仙と地蔵ヶ岳(2764m)・・・素晴らしいコンビネーションです。

通称オベリスクといわれる尖塔が見えます。

釜無川を左岸の段丘の途中の日野春あたりから見た鳳凰山・地蔵ヶ岳の尖塔です。

雄大な山容が眺められました。

鳳凰・・・オベリスクのイラストです
1904年ウォルター・ウエストンがこの岩塔に初めて登ったのだそうです。

オベリスク・・・古代エジプトの神殿の尖塔形の記念碑。のちに戦利品として略奪の対象になります。日本の山にこの名前は好きでないです。意味を知ってる人もほとんどいないでしょう。

山の写真のあとは神代桜です。

甲州武川・・・山高・・・実相寺の桜

2009-04-08 | 道をゆく 関東
甲州武川村山高(現北杜市)の神代桜・・・を見に行きました。
日曜日、高速料金はなぜか1250円。須玉ICを出て段丘の上のJR日野春駅のあたりから釜無川の谷底めがけて下り20号線を突っ切り大武川の段丘の上に上がるとそこが武川の山高地籍・・・

日蓮宗大津山実相寺・・・「山門不幸」と書いてありますが意味不明。
※「山門不幸」・・・「九十九と一つさん」にコメントで教えてもらいました。
お寺は不幸ごとを扱うところですが、神代から生きてきたこのめでたい桜をどうぞ見てやってください・・・・というような意味らしいです。何かめでたいことで境内を開放するときのキャッチフレーズのようです。

山門から本堂に向かって桜、水仙、チューリップが見事。

桜にお参りに来た信心深い方々・・・本堂にも大勢の参拝客が。

参道から見上げると鳳凰三山の地蔵岳・・・通称オベリスクといわれる尖塔が見えます。

武州北本・・・石戸宿の・・・蒲桜

2009-04-07 | 野の花や木々
4月4日・・・石戸宿の蒲桜・・・
国指定の天然記念物・・・日本五大桜の一つ・・・樹高14m、根周り7.4m、樹齢推定800年余。
エドヒガンザクラとヤマザクラとの自然交配といわれます。

蒲桜・・・蒲冠者と呼ばれた源範頼(頼朝の弟)がこの地に植えた?と伝えられることから。
東光寺・・・この地の檀徒に支えられた檀寺。地蔵堂のような小さな本堂、小さな境内、その中にドカ~ンと。



畑を隔てた裏側の道路から。

源範頼・・・源頼朝の弟、義経の兄、吉見町に居(吉見御所)を構えていたと伝えられます。頼朝の猜疑心か北条家の陰謀か源家の血縁のものは次々に謀殺されていきますが範頼もまた1194年伊豆修善寺にて幽閉ののち殺されます。石戸宿では生き延びてこの地に逃れて来たとき携えてきた杖から発根したのがこの桜という伝説があります。

石戸宿・・・中山道の69宿ではありません。道も中山道の脇街道でしょうか。17号線沿いからは外れて県道57号線沿いにあります。

日本五大桜・・・三春の滝桜、武川の神代桜、根尾谷の薄墨桜、富士宮の下馬桜、それにここ石戸の蒲桜。

武州北本のエドヒガンザクラ

2009-04-07 | 野の花や木々
4月3日訪問・・・北本市指定指定エドヒガンザクラ・・・高さ20m・・・カメラの三脚を担いだ人の上の枝がそうです。


午後の逆光で竹薮の中に幹がありますからその大きさはわかりずらい。幹周り3m。200年以上といわれますがたしかなことはわかりません。


エドヒガンザクラといっても本州、四国、九州の山地に自生。
幹の樹皮がタテに割れています。
荒川の旧河道に近いむかしの谷内田の中にあります。神社仏閣の桜ではないので詳細に関する文書はないでしょうね。


小江戸・川越③・・・新河岸川の桜

2009-04-06 | 川と滝と湖と海と橋の風景
川越から江戸までは十三里半?(54km)、江戸時代の初期(1638年)から農産物、薪炭などを江戸に供給する流通の大動脈が新河岸川。荒川の右岸に沿って現在の和光市新倉(幸魂大橋のあたり)で荒川に合流していたようです(現在は東京都北区赤羽の岩淵水門のあたりで合流)。水源は遠くは東京都瑞穂町の不老川、市街東部の伊佐沼、市街西部の武蔵台地の支流を集めて新河岸川になります。
川越夜船・・・川越を夜に出た船は朝には日本橋に。50石船(約10㌧)~80石船。鉄道の普及とともに流通の主役からは降りましたがいまも面影は残しています。

氷川神社下の氷川橋の辺りの風景です。都市河川ですが水はキレイです。
お花見の宴会は1組だけ。船着場ではスケッチするおじさんが一人。 

川越~東京間を13里半としたのは、川越芋のことを「栗より(9里4里)美味い13里半」といったむかしの宣伝コピーからのシャレです
川越芋・・・商品開発者は所沢の新田入植者だそうです。保水力の弱い関東ローム層台地に合った貴重な換金農産物だったのです。先人に感謝ですね。

小江戸というキャッチフレーズ・・・いつのころからできたのでしょう。全国に6つ(川越、栃木市、大多喜、佐原、掛塚、彦根)・・・いずれも徳川親藩か物流集散地で栄えたところです。小江戸らしい風景のブログです。ちなみに小京都といわれるところは45ヵ所ありました。モドキとかそういう意味ではありません。どの町も江戸時代から大都市を参考にしての町づくりをしてきたのです。
今日の桜巡礼は5ヶ所。これにて終了です。まだ行きたいところもありますがこれからのお天気しだい。

小江戸・川越・・・喜多(北)院・中院・南院

2009-04-05 | 古墳・遺跡・石塔婆
無量寿寺星野山「喜多院」(北院を喜多院に改めた)の中に徳川三代将軍家光のお手植えのエドヒガンザクラがあります。拝観料を払わないと見にいけません。でもってパス。葉っぱの繁る夏の風景をどうぞ


無量寿寺星野山中院・・・こじんまりとしてますがエドヒガンザクラがみごと。
ここも去年の夏に来ました。落ち着いた雰囲気が好きです


天台宗星野山無量寿寺多聞院南刹 南院遺跡 明治二年神仏分離令以廃仏毀釈乱由廃絶
石塔婆にかけられた木の板に彫られた文字。この文字になにを感ずるか人それぞれです。ただこの板がなかったら南院の存在は誰も知らないでしょう。
中院と喜多院の間に、風化して文字も読めない数基の石塔婆が並ぶ。10数坪。


北(ペイ)、中(チュン)、南(ナン)・・・・・これに東(トン)、西(シャー)がそろったら麻雀の東・南・西・北・中です。