比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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ヒガンバナ・・・巾着田・・・高麗の里

2006-09-13 | 道をゆく 埼玉イイなっ

ヒガンバナ(曼珠紗華とも言います)の季節です。高麗の里(埼玉県日高市)、巾着田のウェブを見ましたら、あと数日のようです。ここは我が家から数十分で行けるところ、友だちもいるので毎年行きます。もっとも入園料(駐車料)がいるので最終日の次の日くらいにしています(セコイ)。これは昨年の写真です。時期を過ぎているので花も艶を失っています。


白いヒガンバナを見ました。赤い曼珠沙華に混じってキレイでした。丸い巾着田の外周を流れる川の縁にそって、ほとんど360度近く群生しています。それは見事なものです。この近辺、天気がよければ絶好のハイキングができます。「日和田山、多主峰山」いずれも散歩程度の山です。高麗王を祀った「高麗神社」「聖天院」もあります。ぜひどうぞ。

巾着田のヒガンバナを見て高麗の里のことを知りたくなりました。「高麗神社」に行きますといわれが書いてあります。716年古代朝鮮の高麗の貴人「高麗王若光」を中心に1799人がこの地に住み着いたとのこと。大和王朝から与えられた入植地でしょうか。663年大和王朝が絡んだ「白村江の戦い」が朝鮮でありましたから、今でいうとボートピュ―ピィルでしょうか。亡命貴族です。この時代の朝鮮からの人は渡来人というようです。帰化人ではありません。拉致でもありません。それはずっと後の時代です。
大和の国より技術先進国ですし集団ですからあらゆる方面の技術者がいたでしょう。建築、土木、農業、鋳造、鍛造、馬の飼育、牧畜、当時の地元の人は目を見張ったでしょうし教えられたでしょう。不毛の地が田畑になり灌漑が施されたのです。
当然のことながら長い年月で民族の血は同化されていきます。
そんなことを考えながら高麗の里を歩くと面白いですよ。

この薀蓄の参考にした本は
    相曾元彦渡来人 高麗福信」(明石書店1992年刊)


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