信州上田の・・・六文銭の写真帳
1月12日、ふたたびの東御市本海野「海野宿」。昨年の11月29日以来です。
江戸時代、德川幕府は1601年から7年かけて五街道を整備、続けて1625年中山道追分宿から分れて北信濃、上越、越中、加賀に向かう北国街道が整備。
北信濃、上越、北陸の大名の参勤交代の道、善光寺への信仰の道、佐渡金山の輸送の道です。
追分宿から分れて小諸宿、田中宿、海野宿、上田宿へと続きます・・・最初は海野宿は田中宿のサブのような位置づけ、のちに本宿に格上げ・・・
テーマパークではありません。ドラマのセットではありません。人が普通に生活している街村です。
お休み処、お食事処・・・通りには看板がありません、あたりの雰囲気にマッチさせ目立たぬように案内されています。
大壁造りと土蔵・・・大壁は壁の厚さ5寸(15㎝)、土蔵は壁の厚さ1尺(30㎝)をいうようです。
このあたりは大壁も土蔵も壁につながる破風と庇を土で塗り固めた塗篭屋根造りになっています。
土蔵の天井も土壁にしてその上に屋根を載せた置屋根土蔵造りは見られません。
二階の出格子・・・長短を組み合わせた縦繁格子(海野格子と呼ばれる)。
一階、二階とも出梁造り(梁・・・短いほうの水平材)。
切妻部分全体(ケラバ)を覆っている本卯建が見えます・・・
本来は破風面の強化のためだったようですが装飾的な意味合いに変わっていきました。
防火壁といわれますが役に立つか?です。
幅員約10mのメインストリート・・・中央に用水路が・・・セギ(堰)と呼ばれているようです。、
お休み処、お食事処・・・通りには看板がありません、あたりの雰囲気にマッチさせ目立たぬように案内されています。
大壁造りと土蔵・・・大壁は壁の厚さ5寸(15㎝)、土蔵は壁の厚さ1尺(30㎝)をいうようです。
このあたりは大壁も土蔵も壁につながる破風と庇を土で塗り固めた塗篭屋根造りになっています。
土蔵の天井も土壁にしてその上に屋根を載せた置屋根土蔵造りは見られません。
二階の出格子・・・長短を組み合わせた縦繁格子(海野格子と呼ばれる)。
一階、二階とも出梁造り(梁・・・短いほうの水平材)。
切妻部分全体(ケラバ)を覆っている本卯建が見えます・・・
本来は破風面の強化のためだったようですが装飾的な意味合いに変わっていきました。
防火壁といわれますが役に立つか?です。
幅員約10mのメインストリート・・・中央に用水路が・・・セギ(堰)と呼ばれているようです。、
※撮影日は1月12日。
※この稿は続きます。
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