比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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東松山市民の森・・巌殿観音・・散歩

2006-10-19 | 古墳・遺跡・石塔婆
東松山市民の森から巌殿の奥の谷地田。このへんは海抜90㍍です。田んぼが広がる中をゆっくりと歩いて巌殿観音の参道入り口付近に出ます。このへんで海抜50㍍です。

畑にはいろいろな野菜があります。白菜はこれからです。鷹の爪は真っ赤です。ミョウガに似た葉っぱがあります。ウコンです。青々としています。
道端には丹精こめた葉牡丹が行儀よく植えられています。2か月くらいたつと見事な景観になります。このへんの人は花が好きなのです。優しいなあ。

弁天沼という池があります。なにやら説明した看板があります。このへんの伏流水を集めたむかしからの米作りのための灌漑池です。

沼の裏にこの村のお先祖様の眠る墓地があります。板碑がありました。


板碑です。青石塔婆とも言います。説明板によると応安元年(1368年)とあります。室町時代足利義満の時代です。上部が三角状、2㍍余、梵字でなにやら彫ってあります。秩父片岩でしょうか。600年余にしては風食が見られません。手入れして磨きなおしたのでしょうか。
中央の屋根?のようなものがあるのが宝篋印塔です。明和7年(1770年)とあります。本来お経を収めるものだったらしいですが供養塔になってきたらしいです。
前列の白いのは馬頭観音か。元禄(1688年)とあります。このほうが古いのです。あとから整理して並べなおししたのかな。あとは風食が激しく読めません。
板碑のあるところから東に少し歩くと足利基氏の塁があります。横幅10㍍、奥行き5㍍弱の田んぼが5枚、これは谷地田です。左側に小さな説明看板があります。それだけです。館跡も何もありません。奥は高坂台地です。高坂ゴルフクラブ岩殿コースです。




説明板を写真に撮りました。歴史マニアの方は読んでください。

今日は歴史散歩をしました。岩殿村の歴史は奥が深いなあ。


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