比企の丘

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冬の信濃路・・・旧中山道・・・蓼科山麓・・・御牧ヶ原台地の南・・・八幡宿を尋ねる

2018-04-10 | 旧街道・峠道・旧宿場
信州上田の・・・六文銭の写真帳

2月22日、近世は幕府直轄の幹線道路中山道の宿場のあったところ、長野県北佐久郡浅科村(現佐久市)の八幡宿を尋ねました。

中山道69次24番「八幡宿」・・・江戸時代佐久郡八幡村、明治の時代1889年八幡村、蓬田村、桑山村、矢嶋村が合併して南御牧村に、1955年南御牧村、中津村、五郎兵衛新田村が合併して浅科村に、2005年佐久市に。旧中山道は国道142号線と県道44号線に挟まれいまは市道に。家数143戸、本陣1.脇本陣1、問屋1、旅籠9軒。人口360人の小規模の宿。東に千曲川を挟んで塩名田宿、その距離2.8㎞、西3.5㎞に望月宿、宿間の里程が短いのは千曲川の洪水で川止めになることがあり逗留客を受け入れるための宿の役目があったようです。

宿場としての遺構は本陣跡の門のみ。
集落の守護神社で村の名前にもなった八幡神社、高来社(こうらしゃ)があります。高良社は高麗社、望月牧を管理した渡来人の祖神を祀る総社という説が定説のようです。

道路に面して一の鳥居、社号標。

二の鳥居、隋神門。1843年建立。

参道の正面に高良社の本殿、1491年望月城主滋野(望月)光重が建立。国の重要文化財。

八幡神社本殿、拝殿、1789年建立。高良社の右隣に建てられています。


八幡神社内の高良社は八幡神社の摂社であるか主祭神であるか・・・境内の配置を見て疑問が残ります。当社は895年滋野貞秀により創祀・・・高良社として創建か?、八幡宮はそれよりよりあとの勧請か?鎌倉時代の史書「吾妻鏡」に「佐久八幡者」の記載があるそうです。
※撮影日は2月22日。


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