比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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彩の国・・・深谷で見た・・・400年前に開削された備前渠用水

2015-02-13 | 川と滝と湖と海と橋の風景
彩の国深谷市岡部、埼玉に18年ぶりで訪れた渡り鳥ナベヅルを見に行ったときの、その土地の見て歩る記です。

JR高崎線岡部駅から北に、伊勢崎市境島村に通じる埼玉県道259号線(新野岡部駐車場線)、道の駅「おかべ」から小山川を越えてすぐに・・・埼玉県最古の人工河川・・・その名も「備前渠用水」があります・・・またの名を備前堀、備前渠川(渠・・・中国語で人工河川のことをいうそうです、日本ではあまり使いませんが暗渠という熟語で使われています)。
本庄市山王堂で利根川から取水、小山川の左岸を流れ深谷市岡で小山川に、深谷市矢島で小山川の右岸に流れを変え、熊谷市葛和田のあたりで福川と合流し利根川に。人工河川ですが利根川水系一級河川。全長23㎞、流域1400㌶の水田を潤す。

埼玉県道259号線の喜七八橋の上から上流の風景。遠くに浅間山が見える。

川家康が江戸に入府したのは1590年・・・そのとき家康の石高は250万石といわれ、譜代旗本に与えた分を除くと自身の石高は100万石。三河、遠江、駿河、甲斐、信濃を領した時代は132万石といいますから石高は大きく増えましたが、関東平野は荒地、湿地・・・領地開拓は一から始まります。
利根川の東遷、荒川の西遷を手始めに、新田開発の大プロジェクトです。
備前渠は1604年、初代関東郡代伊奈備前守忠次が計画、工事の指揮を執ったことから後に備前渠といわれます(同じように伊奈忠次が施工した水戸の用水堀は備前堀といわれます)。
洪水による取水口の破壊。浅間大噴火による河床の上昇など、いろいろなことがありましたが、1961年、現在の取水口の完成で安定した川になってるようです。
こうして関東平野は新田が開発され豊饒の地に育って行き、八代将軍吉宗の時代には450万石を超え、旗本所領地も400万石を越えたといいます。

何気ないただの農業用水に見えますが400年前に開削された農業用水です。
現役の農業用水路であり、治水、農業の歴史遺産です。


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