信州上田の信濃国分寺です。国分寺とは奈良時代の律令制が確立したころ・・・信濃国府(県庁みたいなもの)のあったとされるところに造営されたお寺です。平安時代中期の「承平の乱」(平将門の乱)で焼失したと伝えられ、そのご再建・・・現在の本堂は江戸末期、三重塔は建築仕様から室町時代の建立といわれます。
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・
比企の丘ブログのギャラリー開放です。
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本堂。江戸時代末期1860年に竣工。入母屋妻入り、屋根の下に庇があるので二層に見えますが一層です。
国指定重要文化財三重塔・・・建立はいつの時代か不確か・・・建築仕様から室町時代の建立といわれます。
※国宝三重塔は全国に13、そのうちに長野県で2、国指定重文の三重塔は長野県で3。戦乱が少なかったことからか。
信濃国分寺裏の蓮池・・・7月、蓮の花が咲きます。
※撮影は2017年5月12日 Panasonic LUMIX DMC-FZ100。
※上田に国府があったのか・・・文献上では確認できないそうです。「和名類聚抄」では「信濃国筑摩郡に国府」と記されているそうです。上田に国府ありとするのは国分寺、国分尼寺の遺構があるということで憶測できるだけだそうです。上田に国府を置いた理由も松本の国府を移動した理由も松本のどこに国府がったのかも謎です。
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