のんびり・・・いそいそ~(*くうかんあそび*付き)

なんとか音楽の勉強を続けているちょっと変な主婦兼ピアノ指導者兼ボランティア演奏者の日常。取り留めのない駄文揃い。

本当のワタシ

2006-11-10 00:25:30 | もろもろ
ブログを続けること、2年ちょい。


ほぼ毎日
自分の生活であったこと、感じたことを文章にしてきて
色んな発見や出来事があった。
普通の生活だけでは出会えることができない方たちとお話できた。
文章をマメに書いていくことで
実際の会話の中で語句がすらすらと浮かぶようになった。
海外に居がちな妹の様子も知ることできて安心できた。
ワタシは元々、頭で順序だててものを考えるのがニガテ。
物事の結論や発見を見出す為に
昔から日記や手紙を書くことが多かった。
子供を持ってからは様々な制約から
どうしても自分が存在する世界が濃く、狭くなってしまった。
そんなワタシにとって他人と意見交換ができるブログは
本当に楽しみな場だった。



でもワタシの文章ってどういうものなのか、突然気になった。
文章はその人そのものだろう。
ワタシは極力毎日の記事に虚飾をつけずいるつもりだ。
でもたまにはちょっとした嘘を書くこともある。
他人や自分を傷つける可能性がある場合が主だ。
でもどんなに気をつけているつもりでも
実際ワタシ経験があるように
いつの間にか他人の心に傷をつけていることがあることも
一応承知はしている。
万人に受け入れられる文章を書くことはプロでも出来まい。
だから自分で迷惑をかけない文章を書くことを心がける以外に
道はないのだろうと思う。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


最近どうもワタシという人間は一体何なのか、
という疑問に突き当たることが多い。
日常生活でもネット上でも他人の動静をみては
素直に心配したり、時間さえあればあれこれ思案してみたり
喜び合ったり・・・時には嫉妬に似た羨望を感じることもある。
そういった自分の赤裸々な姿に一喜一憂する度に
自分という人間の真実が何者なのか、深く重い戸惑いを感じる。


もっと自分を知りたい。
そして未来の自分の姿を探求したい。
文章を書き続けることとピアノを弾くことはよく似ている。
満足のいく文章や演奏ができた時は
自分という存在の深部に触れることができたときではないかと思う。

文章や演奏が上手くなりたいという単純な願いよりは
むしろ自分自身の納得のいく文章や演奏を実現できる喜びのほうが
はるかに勝る気がする。