ピアノを少し教えているのよ、とたまたまその時の話の流れでバレると
たまに「トロい子がいるとイラつかない?」とよく質問される。
答えは「No」だ。
ほぼ偽りなく(?)今までは「なんで出来ないのだろう?」
とイライラするということはなかった。
その人にはその人なりの思考回路とペースがある。
そこでムリに先に導いたところで、何の得もないと思う。
それにワタシが「トロい生徒」だったからということもあるだろう。
時に「進もうとしても先に進む事の出来ない」心情は
痛いほど理解できる。
逆に抵抗なく何でも弾けてきた友人は
「教えていてどうしてここが弾けないのとイライラすることがある
」
と感じることがあるようだ。
ワタシは取り立てて演奏の成績がいいわけでもなく
学校の実技試験ではいつも面白いくらい平均点を取った。
想像するに
「特に上手くもないし、得に下手でもない。でもインパクトが薄い。」
という学生だったのだと思う。
そんなワタシが学生の時から15年以上
少数ながらもそれぞれの生徒さんと10年近いお付き合いをさせてもらえるのも
ワタシはワタシなりの「売り」があるからだと思う。
それは「気長に付き合える」という事だと思う。
お察しの通り、ワタシはとてつもなく不器用で要領の悪い人間。
普通の人なら抵抗なくすんなりできることでも
「どうしてここはこうなるんだっ?」「どうして皆コレが理解できるのだろ?」
と自分でイチイチ障害をこさえて前進を阻んでしまう。
どうも元々「指導してもらう」(人の考えをすんなり受け入れる)
という事自体がニガテらしい
その証拠に多少遠回りしても自分で考え、導き出した結果
人並みに得意になることもあった。
全く頑固で損な性質である
勿論指導させてもらっているお嬢さん達の中では
素晴らしく勘のいいお子さんもいて、確かにラクである。
でもこういうお子さんはつまづいたときが怖い。
指導するときにかなり慎重にならざるを得ない。
逆に「つまづきなれている」お子さんは
(自分が好きで始めたピアノなら)まず心配はいらない。
その状況に付き添ってあげるだけで、自分で何とか這い上がってくる。
しかし最近自分の演奏が変わったと感じると同時に
生意気にも「どうしてここができないのかなぁ」と思うことが出てきた。
恐らく自分の中で「天然」で弾ける部分がでてきたからだと思う。
大変危険である
「天然」で弾ける部分があるということは
演奏者としてはいいことかもしれないが
指導者としては「初心」を忘れてしまうことにもなりかねない。
様々なお子さん達の指導に携わっていく為には
自分もそれなりの多様性を持っていなければならないと思う。
来週からレッスン開始であるし
年頭に「初心」を忘れてはいけないと肝に銘じた。