時代設定は19世紀のはじめ。1805年オーストリアに遠征したロシア軍が、ナポレオンに敗れて逃げ帰ってくる。オーストリアでの戦争が終り、ロシアに束の間の平和が訪れた場面から始まる。ナポレオンはプロイセン、オーストリアを個別に撃破、ポーランドを占領する。スウェーデンやトルコなどの弱国を除くと、ナポレオンに対抗できる勢力は、イギリスとロシアだけになっていた。1812年ナポレオンがモスクワに入城する場面が一つのクライマックスになる。自分が偉業を成し遂げるための道具でしかないと考えるナポレオンと、自分はロシアの歴史が流れていくための道具でしかないと考えるロシア軍の最高司令官の2人を対比させてゆく。特定の人物の行動を軸にストーリーを作り上げるというよりも、歴史的な事件が起きて、その事件に飲み込まれていく人びとが、何を感じ、どう生きたのかを浮き彫りにしてゆく。
トルストイの小説そのストーリーが持つ説得力に圧倒され、更に心に響くその1つの鍵は、登場人物の描き方にもある。トルストイの小説にはたくさんの人間が登場するが、作者の都合だけで作り上げられたようなうそ臭い人間はいない。人生の現象には無数の分類が可能であるが、その中には、内容を重点に分ける方法もあるし、形に重点をおいて分ける方法もある。トルストイの小説が持つ説得力は、さまざまな思考回路を持つ人間の行動が積み重なって歴史ができあがるという視点からくるともいえる。世の中には、いろいろな人がいる。内容に重点をおくのか、形に重点をおくのかも1つの多様性だ。全体を見渡してから全体との関連の中で個別の判断をする人もいるし、個別を分析してからそれとの関連を通して全体の判断をする人もいる。
トルストイは、登場人物を描くときに、その人物の頭の中にある思考回路を浮き彫りにする。人間が行動を起こす背景には動機がある。トルストイの小説を読むと、その動機は、その人が持つ思考回路と直結しているとさえ思えてくる。例えば、人間には衣食住を満たしたいという欲求がある。動物としての本能かもしれない。「戦争と平和」ではロシアの社交界が描かれている場面もあるが、負債を抱えてどうにもならない青年貴族は、主人が明日死んでもおかしくない老人で、その老人が死んだ後はその莫大な財産の全てを相続することになる一人娘と、どうすれば結婚することができるのかを考える。戦争の場面もたくさん描かれており、ある将軍は、まわりから自分が偉いと思われるためにはどうすればよいのかという思考回路で生きていて、決戦の前夜に取り巻きを何人も引き連れて陣地を視察するのだが、ある部隊を見つけた時に、部隊をこんな所に配置しても意味がないと言って、司令官に報告せずに、部隊を前進させてしまう。取り巻きたちも声をあげて同意する。その部隊は、伏兵としての役割を果たすためにわざと敵からは見えない場所に配置されていたのだが、その将軍は、「”なぜ”こんな所に部隊を配置しているのか」と考えてみる思考回路を持っていなかった。軍人には、いろいろなタイプがある。前線で指揮を取った経験がない理論家は、どうすれば、自分が作り上げた右回戦術理論の正しさを証明する機会を作ることができるかを考えている。そして総司令部に行き、勝負は、火ぶたが切られる前の布陣と、戦いがはじまってからの部隊の移動で決まると総司令官に主張し、自分の理論を採用するように詰め寄る。理論家は、いったん戦闘がはじまってしまえば、総司令部からの移動命令など1つも前線には届かないことも知っており、どんなに有利な陣地にいても、祖国を焼かれた恨みに心を燃やして「皇帝バンザイ」と叫びながら命を捨てる覚悟の歩兵部隊が突撃してくれば、ひとたまりもないことも知っている。飢えと寒さに苦しめられて、なんで自分が祖国を離れてこんな遠くまでこなければならないのか全くわからなくなっている竜騎兵部隊などは「退路を絶たれた」と叫んで、一瞬にして壊滅したりもする。
ナポレオンとロシア軍最高司令官の2人が物語の縦糸とすると、「戦争と平和」には、横糸の役割を果たす2人の人物も登場する。ピエールとアンドレイという2人の青年貴族。ピエールは、戦争嫌いの空想家、アンドレイは軍人。ピエールは、根気がない。領地改革に着手してもすぐに結果がでなくて嫌になったり、管理人や地主たちからいいようにだまされる。一方、アンドレイは、持ち前の粘りと厳格な実務能力を生かして、ピエールが着手した領地改革などは、数年前に、全てやり遂げていたという感じの青年だ。それでいて、2人は親友。物語では、2人の人格が正反対であることが強調される。ピエールは、いつもにこにこしているおデブちゃん。アンドレイは、いつも陰気な顔をしている痩せのっぽ。しかし、2人とも、軍や社交界では、嫌な奴と距離を置かれたり、ある種の「変人」と見なされたりしていた。2人は、「どうすれば」という思考回路で生きている大多数の人たちからは浮いていた。また、2人も、「どうすれば」という思考回路で生きている人たちを相手にしないところがあった。ピエールとアンドレイは、1人の人間を無理に2人に切り離して作られたキャラクターのようにも見える。外見や性格は正反対だが、2人の頭の中にある思考回路は同じで、2人はまったく同じ思想で生きていた。常に、「どうすれば」ではなくて、「なぜ」と問いかける。
アンドレイは行動力のある人間であり、オーストリア遠征から戻った後に田舎に引きこもったりするが、心の中で変化が起これば、再び、軍に戻るといったふうに、なんとなく「アンナ・カレーニナ」の主人公の青年に似ている。アンドレイは、戦争を通して心の中に変化が起きていく。オーストリア遠征に参加する場面では、アンドレイは、自分が作り上げた作戦計画を司令官に上奏する。アンドレイは、戦争を見たあとに、司令部が採用する作戦計画にはなんの意味もないことを悟る。アンドレイは、オーストリア遠征と、モスクワを背にした最終決戦という2つの戦争に参加する。ともに、砲撃を浴びて意識を失う。消えゆく意識の中で、空を見上げる。オーストリア遠征から、最終決戦にいたるまで「なぜ」という真理を追求してきた。同じ場面の繰り返しの中で、アンドレイの中に変化が起きている。決戦の前夜、自分を訪ねてきたピエールに、アンドレイは「要はここにあるのだ、つまり嘘を退けて、戦争を戦争として受け入れる。おもちゃではないのだ」という。そして、作戦が成功すれば「どうすれば」それを自分の手柄にすることができ、作戦が失敗すれば「どうすれば」その責任を自分以外の人間に押し付けることができるのかしか考えない人たちのことを戦争をゲームにしていると軽蔑する。
なぜ、人は、殺しあうのか。アンドレイは、真理に迫る。真理がわかってしまうことを予感したアンドレイの心は張り裂けそうになる。「ああ、きみ、この頃ぼくは生きているのが辛くなった。あまりに多くのことがわかりかけてきたのだよ」ともいう。アンドレイの真理を探求する旅は、明日の決戦で答えにたどり着くことを予感させる。ピエールは、アンドレイに会うのはこれが最後だろうと思う。ピエールは、内向的な人物として描かれている。なんにでもすぐに心を動かされるが、一晩寝れば、昨日の決心はどこかに行ってしまうような性格で、なんとなく「復活」の主人公の青年に似ている。ナポレオンは、モスクワに迫る。「どうすれば」命の安全が保障される後方任務に就くことができるか、「どうすれば」モスクワが占領されても財産を守れるか、そういった思考回路で生きている人たちは、みんな、ペテルブルグに避難していた。「なぜ」という真理を探求するピエールは、戦場に向かう。アンドレイと同じように、真理にたどり着くには、戦争を見る必要があると感じていた。ナポレオンのモスクワ占領と、モスクワからの敗走でクライマックスを迎える。負傷したアンドレイに代って、戦争の後半はピエールの視点を利用して、トルストイは、「歴史」を描く。「戦争と平和」は、アンドレイが心の旅を終えた後に、ピエールが心の旅を終えることにより完結する。
なぜ、人は、愛しあうのか。ピエールは、真理にたどり着く。ピエールの心の中から、「なぜ」という疑問が消えた。「何故? という恐ろしい問題が、いまは彼には存在しなかった。いまは、何故? という問題に対して、彼の心の中には常に簡単な答えが用意されていた。それは」 「それは、」に続く文章は、アンドレイとピエールという2人の青年に託され、トルストイからの読者へのメッセージともなっている。
「戦争と平和」には、「アンナ・カレーニナ」や「復活」に負けず劣らずの魅力的なヒロインたちが登場する。見た目はいいが心が卑しい女性たちも登場する。一方で、見栄えはしないが、心が清らかな女性たちもいる。トルストイは、「きらきら輝く目」に託して、女性の美しさを描く。「戦争と平和」には、エピローグがついている。ナポレオンのモスクワ侵攻から7年が過ぎていたが、エピローグには、本編に登場した人物たちのその後が書かれている。マリアという女性がいる。外見は見劣りするのだが、物語が進むにつれ、瞳が輝きを増す。神々しいほどの、精神的な美しさをまとっていく。エピローグには、幸せな結婚をしたマリアの姿も描かれている。お腹には、赤ちゃんがいた。「わたし、あなたに愛してもらえないような気がして、こんなにみにくいものだから……」 「おやおや、おかしなことを言う女だね、きみも、美しいから愛しいんじゃない、愛しいから美しいんだよ」と語らせている。
トルストイの「戦争と平和」、その圧倒的な量と深さと広がり、他の小説とは一線を画す。人類の歴史そのものを巨視的な観点から描くという意味で「戦争と平和」は最高の作品だ。歴史上まれに見る天才、英雄といわれるナポレオンは「戦争と平和」においては、ただの人であり、異様な名誉欲・物質欲をもった俗物の権化みたいに描かれている。1812年、ボロジノの戦いで、フランス軍がロシア軍に負けたのはナポレオンが鼻かぜをひいたからだと「戦争と平和」の語り手は揶揄する。ナポレオンは大きな歴史のうねりの中心にいる一人のピエロに見えてくる。「戦争と平和」の主人公はピエールだが、彼はベズウーホフ伯爵の庶子(妾の子)であり、ベズウーホフ伯爵に可愛がられ、伯爵の死後、莫大な財産を譲り受ける。ピエールはロシア一の大富豪になる。その後、ピエールは数奇な運命に出会っていく。主人公ピエールと密接に関わりあうのが、ロストフ家とボルコンスキー家だ。ロストフ家の当主のロストフ伯爵はトルストイの父方の祖父、ボルコンスキー家の当主のボルコンスキー老公爵はトルストイの母方の祖父がモデルといわれる。
ロストフ家は名門であるが、ロストフ伯爵は人が良いばかりで最後は破産する。ボルコンスキー家は名門で大金持ち。ボルコンスキー老公爵は厳格ではあるが、大変なエゴイストでもある。ボルコンスキー老公爵には長男アンドレイ公爵、長女マリアがいた。マリアは最終的にはロストフ家の長男のロストフと結婚する。このロストフ・マリアの夫婦はトルストイの両親がモデルだ。
ピエールは最終的にはロストフ家の娘ナターシャと結婚する。ナターシャはトルストイの妻のソフィアがモデルであるといわれる。ピエールとアンドレイ公爵はトルストイの分身であるが、アンドレイ公爵は行動的・理知的、ピエールは内向的で思索家で心やさしく精神的に弱いところがあった。ピエールはアンドレイ公爵を尊敬しており、2人は仲がよかった。アンドレイ公爵は軍人で、ロシア軍の最高司令官クトゥーゾフ将軍の側近である。
「戦争と平和」は1805年のアウステルリッツの戦いから1812年のポロジノの戦い・フランス軍によるモスクワ占領・フランス軍のモスクワからの撤退・敗走するフランス軍をロシア軍が追い詰めるまでを扱った大河小説。ボロジノの戦いでフランス軍は実際には敗れ、フランス軍はモスクワを占拠したとはいえ、結局は破滅の道を歩む。1812年はロシアがナポレオンという獣からヨーロッパを救った年ともいえる。
アンドレイ公爵はアウステルリッツの戦いで将軍の副官として戦場に赴く。彼は軍旗をもって戦場を動き廻るが、彼の近くで大砲の弾丸が落ちた。アンドレイ公爵は傷つきその場に倒れる。アンドレイ公爵は数時間後に目を覚ます。ナポレオンが側にいるのを感じた。ナポレオンは意気揚々と戦場の視察をしていた。そのとき、アンドレイ公爵は次のように感じた。「彼(アンドレイ公爵)は全身の血が失われていくのを感じていた。そして自分の上に遠い、高い、永遠の蒼穹(そうきゅう、青い空のこと)を見ていた。彼は、それが自分の憧(あこが)れのナポレオンであることを知っていた。しかしいまは、自分の魂と、はるかに流れる雲を浮べたこの高い無限の蒼穹のあいだに生まれたものに比べて、ナポレオンがあまりにも小さい、無に等しい人間に思われたのだった。」 母なる大地を包み込む自然からみれば、ナポレオンはちっぽけなものだった。
ピエールはナポレオンを暗殺しようとしてモスクワに残った。モスクワはフランス軍に占拠され、フランス軍の兵士たちによって掠奪される。モスクワは火の海になった。ピエールは放火犯の1人としてフランス軍に逮捕される。彼はフランス軍の捕虜として、その後、フランス軍に連れまわされ、最後はロシア軍に助けられる。モスクワでの捕虜体験を通して、歴史は1人の人間によってではなく、大勢の名もない民衆によって動くことを実感する。このアンドレイ公爵とピエールの実感したことが、大長編の主題の大きな部分を占める。
トルストイの作品を読み返すと、その物語の世界に没頭してゆく。「戦争と平和」の中に、正直なもの、真摯なものが発見できる。「戦争と平和」の中に、人間の真の姿を見、そして人間の真実の声を聞ける。歴史上でも現代でも、英雄といわれている人たちを1人の人間として見、彼らも民衆の1人だということを実感し、初めて民衆という言葉が生きてくる。ナポレオンもロシアのアレクサンドル皇帝も、ただの人、命に虐げられた兵士・農民たちもみんな民衆であるということを「戦争と平和」は語る。「戦争と平和」において初めて民衆という言葉に血が通ってくる。
振り返ってみると、19世紀初頭、帝政ロシアの物語である。進歩的な青年ピエールはフランス革命精神の象徴としてナポレオンを尊敬し、仏軍のモスクワ侵入の噂にも他のロシア国民ほど憎悪を感じていなかった。彼が親しくしているロストフ伯爵家では、長男ニコラスの出征に、伯爵と伯爵夫人も沈んだ面持ちだったが、出征はニコラスの恋人で財産を持たないソニヤとの仲を割くことにもなるので、夫人にはせめての慰めだった。ピエールの気に入りは娘のナターシャだ。まだ女学生だが2人は兄妹のように仲が良い。ニコラスの出征を見送ったピエールは道楽者の友人ドロコフのパーティで乱チキ騒ぎをする。ベズコフ伯爵の庶子である彼は上流の人々とつき合えない。だが無二の親友アンドレイ公爵の知らせで、危篤に陥った父の病床へ急ぐ。アンドレイは最近、妻リーゼとの仲が気まずく、早く戦場へ出たいと考えていた。遺言でピエールは広大な領域を受けついだが、臨終に立ち会ったクラーギン公爵は娘のヘレーネに彼を誘惑させようと思いつく。アンドレイは妊娠した妻を田舎の邸へ送り戦場へ赴く。
厳格な父親はリーゼに気のつまる思いをさせ、内気な娘マリアは同情しつつ父への遠慮から沈黙を守っていた。ロシア軍は戦線に到着、ナターシャが将兵の奮戦ぶりを夢みている頃、ピエールはヘレーネとの結婚準備に忙殺されていた。アンドレイは総司令官クツゾフ将軍の幕僚としてチェコの小村アウステルリッツに出陣する。結果は敗戦に終わり、ニコラスは辛うじて逃げ帰り、アンドレイは負傷する。休戦条約が結ばれ、将兵はモスクワへ戻る。リーゼはお産で死に、アンドレイは一変して気難しい人間になってきた。一方、派手好きのヘレーネはドロコフを誘惑、ピエールは決闘で彼を傷つけた上、妻と別れた。
ピエールはナターシャの姿を見ることだけを慰めとしていたが彼女はアンドレイと愛し合うようになった。だがアンドレイの父の反対で結婚出来ぬまま旅立つアンドレイを見送ったナターシャは、オペラでヘレーネの兄アナトールに言い寄られ、駆け落ちをすすめられる。ソニヤの知らせでピエールは彼を追い払うがアナトールを諦め得ないナターシャに、アンドレイは再び憂鬱な人間となる。休戦も終わり、ボロディノの決戦でアナトールは戦死、アンドレイは重傷を負い、今は自らの過ちを知って戦場に立ったピエールも負傷した。クツゾフの焦土戦術でロストフ家の人々もモスクワを去り、1人残ってナポレオンを刺そうとしたピエールも実行出来ぬまま仏軍の捕虜となる。アンドレイはナターシャに抱かれつつ絶命し、恋を諦めたソニヤの計らいでニコラスは、アンドレイの子供を引き取っていたマリアと結ばれる。獄中でピエールは信仰あつい農民プラトンを知る。ナポレオンのモスクワ撤退の際、プラトンは射殺されるがドロコフ指揮のコサック騎兵にピエールは救われた。11月も末、ナポレオンは完敗してパリへ逃げ戻った。モスクワに帰ったピエールの訪れた荒廃したロストフ邸では、大人になったナターシャが彼を待っていた。
トルストイの小説そのストーリーが持つ説得力に圧倒され、更に心に響くその1つの鍵は、登場人物の描き方にもある。トルストイの小説にはたくさんの人間が登場するが、作者の都合だけで作り上げられたようなうそ臭い人間はいない。人生の現象には無数の分類が可能であるが、その中には、内容を重点に分ける方法もあるし、形に重点をおいて分ける方法もある。トルストイの小説が持つ説得力は、さまざまな思考回路を持つ人間の行動が積み重なって歴史ができあがるという視点からくるともいえる。世の中には、いろいろな人がいる。内容に重点をおくのか、形に重点をおくのかも1つの多様性だ。全体を見渡してから全体との関連の中で個別の判断をする人もいるし、個別を分析してからそれとの関連を通して全体の判断をする人もいる。
トルストイは、登場人物を描くときに、その人物の頭の中にある思考回路を浮き彫りにする。人間が行動を起こす背景には動機がある。トルストイの小説を読むと、その動機は、その人が持つ思考回路と直結しているとさえ思えてくる。例えば、人間には衣食住を満たしたいという欲求がある。動物としての本能かもしれない。「戦争と平和」ではロシアの社交界が描かれている場面もあるが、負債を抱えてどうにもならない青年貴族は、主人が明日死んでもおかしくない老人で、その老人が死んだ後はその莫大な財産の全てを相続することになる一人娘と、どうすれば結婚することができるのかを考える。戦争の場面もたくさん描かれており、ある将軍は、まわりから自分が偉いと思われるためにはどうすればよいのかという思考回路で生きていて、決戦の前夜に取り巻きを何人も引き連れて陣地を視察するのだが、ある部隊を見つけた時に、部隊をこんな所に配置しても意味がないと言って、司令官に報告せずに、部隊を前進させてしまう。取り巻きたちも声をあげて同意する。その部隊は、伏兵としての役割を果たすためにわざと敵からは見えない場所に配置されていたのだが、その将軍は、「”なぜ”こんな所に部隊を配置しているのか」と考えてみる思考回路を持っていなかった。軍人には、いろいろなタイプがある。前線で指揮を取った経験がない理論家は、どうすれば、自分が作り上げた右回戦術理論の正しさを証明する機会を作ることができるかを考えている。そして総司令部に行き、勝負は、火ぶたが切られる前の布陣と、戦いがはじまってからの部隊の移動で決まると総司令官に主張し、自分の理論を採用するように詰め寄る。理論家は、いったん戦闘がはじまってしまえば、総司令部からの移動命令など1つも前線には届かないことも知っており、どんなに有利な陣地にいても、祖国を焼かれた恨みに心を燃やして「皇帝バンザイ」と叫びながら命を捨てる覚悟の歩兵部隊が突撃してくれば、ひとたまりもないことも知っている。飢えと寒さに苦しめられて、なんで自分が祖国を離れてこんな遠くまでこなければならないのか全くわからなくなっている竜騎兵部隊などは「退路を絶たれた」と叫んで、一瞬にして壊滅したりもする。
ナポレオンとロシア軍最高司令官の2人が物語の縦糸とすると、「戦争と平和」には、横糸の役割を果たす2人の人物も登場する。ピエールとアンドレイという2人の青年貴族。ピエールは、戦争嫌いの空想家、アンドレイは軍人。ピエールは、根気がない。領地改革に着手してもすぐに結果がでなくて嫌になったり、管理人や地主たちからいいようにだまされる。一方、アンドレイは、持ち前の粘りと厳格な実務能力を生かして、ピエールが着手した領地改革などは、数年前に、全てやり遂げていたという感じの青年だ。それでいて、2人は親友。物語では、2人の人格が正反対であることが強調される。ピエールは、いつもにこにこしているおデブちゃん。アンドレイは、いつも陰気な顔をしている痩せのっぽ。しかし、2人とも、軍や社交界では、嫌な奴と距離を置かれたり、ある種の「変人」と見なされたりしていた。2人は、「どうすれば」という思考回路で生きている大多数の人たちからは浮いていた。また、2人も、「どうすれば」という思考回路で生きている人たちを相手にしないところがあった。ピエールとアンドレイは、1人の人間を無理に2人に切り離して作られたキャラクターのようにも見える。外見や性格は正反対だが、2人の頭の中にある思考回路は同じで、2人はまったく同じ思想で生きていた。常に、「どうすれば」ではなくて、「なぜ」と問いかける。
アンドレイは行動力のある人間であり、オーストリア遠征から戻った後に田舎に引きこもったりするが、心の中で変化が起これば、再び、軍に戻るといったふうに、なんとなく「アンナ・カレーニナ」の主人公の青年に似ている。アンドレイは、戦争を通して心の中に変化が起きていく。オーストリア遠征に参加する場面では、アンドレイは、自分が作り上げた作戦計画を司令官に上奏する。アンドレイは、戦争を見たあとに、司令部が採用する作戦計画にはなんの意味もないことを悟る。アンドレイは、オーストリア遠征と、モスクワを背にした最終決戦という2つの戦争に参加する。ともに、砲撃を浴びて意識を失う。消えゆく意識の中で、空を見上げる。オーストリア遠征から、最終決戦にいたるまで「なぜ」という真理を追求してきた。同じ場面の繰り返しの中で、アンドレイの中に変化が起きている。決戦の前夜、自分を訪ねてきたピエールに、アンドレイは「要はここにあるのだ、つまり嘘を退けて、戦争を戦争として受け入れる。おもちゃではないのだ」という。そして、作戦が成功すれば「どうすれば」それを自分の手柄にすることができ、作戦が失敗すれば「どうすれば」その責任を自分以外の人間に押し付けることができるのかしか考えない人たちのことを戦争をゲームにしていると軽蔑する。
なぜ、人は、殺しあうのか。アンドレイは、真理に迫る。真理がわかってしまうことを予感したアンドレイの心は張り裂けそうになる。「ああ、きみ、この頃ぼくは生きているのが辛くなった。あまりに多くのことがわかりかけてきたのだよ」ともいう。アンドレイの真理を探求する旅は、明日の決戦で答えにたどり着くことを予感させる。ピエールは、アンドレイに会うのはこれが最後だろうと思う。ピエールは、内向的な人物として描かれている。なんにでもすぐに心を動かされるが、一晩寝れば、昨日の決心はどこかに行ってしまうような性格で、なんとなく「復活」の主人公の青年に似ている。ナポレオンは、モスクワに迫る。「どうすれば」命の安全が保障される後方任務に就くことができるか、「どうすれば」モスクワが占領されても財産を守れるか、そういった思考回路で生きている人たちは、みんな、ペテルブルグに避難していた。「なぜ」という真理を探求するピエールは、戦場に向かう。アンドレイと同じように、真理にたどり着くには、戦争を見る必要があると感じていた。ナポレオンのモスクワ占領と、モスクワからの敗走でクライマックスを迎える。負傷したアンドレイに代って、戦争の後半はピエールの視点を利用して、トルストイは、「歴史」を描く。「戦争と平和」は、アンドレイが心の旅を終えた後に、ピエールが心の旅を終えることにより完結する。
なぜ、人は、愛しあうのか。ピエールは、真理にたどり着く。ピエールの心の中から、「なぜ」という疑問が消えた。「何故? という恐ろしい問題が、いまは彼には存在しなかった。いまは、何故? という問題に対して、彼の心の中には常に簡単な答えが用意されていた。それは」 「それは、」に続く文章は、アンドレイとピエールという2人の青年に託され、トルストイからの読者へのメッセージともなっている。
「戦争と平和」には、「アンナ・カレーニナ」や「復活」に負けず劣らずの魅力的なヒロインたちが登場する。見た目はいいが心が卑しい女性たちも登場する。一方で、見栄えはしないが、心が清らかな女性たちもいる。トルストイは、「きらきら輝く目」に託して、女性の美しさを描く。「戦争と平和」には、エピローグがついている。ナポレオンのモスクワ侵攻から7年が過ぎていたが、エピローグには、本編に登場した人物たちのその後が書かれている。マリアという女性がいる。外見は見劣りするのだが、物語が進むにつれ、瞳が輝きを増す。神々しいほどの、精神的な美しさをまとっていく。エピローグには、幸せな結婚をしたマリアの姿も描かれている。お腹には、赤ちゃんがいた。「わたし、あなたに愛してもらえないような気がして、こんなにみにくいものだから……」 「おやおや、おかしなことを言う女だね、きみも、美しいから愛しいんじゃない、愛しいから美しいんだよ」と語らせている。
トルストイの「戦争と平和」、その圧倒的な量と深さと広がり、他の小説とは一線を画す。人類の歴史そのものを巨視的な観点から描くという意味で「戦争と平和」は最高の作品だ。歴史上まれに見る天才、英雄といわれるナポレオンは「戦争と平和」においては、ただの人であり、異様な名誉欲・物質欲をもった俗物の権化みたいに描かれている。1812年、ボロジノの戦いで、フランス軍がロシア軍に負けたのはナポレオンが鼻かぜをひいたからだと「戦争と平和」の語り手は揶揄する。ナポレオンは大きな歴史のうねりの中心にいる一人のピエロに見えてくる。「戦争と平和」の主人公はピエールだが、彼はベズウーホフ伯爵の庶子(妾の子)であり、ベズウーホフ伯爵に可愛がられ、伯爵の死後、莫大な財産を譲り受ける。ピエールはロシア一の大富豪になる。その後、ピエールは数奇な運命に出会っていく。主人公ピエールと密接に関わりあうのが、ロストフ家とボルコンスキー家だ。ロストフ家の当主のロストフ伯爵はトルストイの父方の祖父、ボルコンスキー家の当主のボルコンスキー老公爵はトルストイの母方の祖父がモデルといわれる。
ロストフ家は名門であるが、ロストフ伯爵は人が良いばかりで最後は破産する。ボルコンスキー家は名門で大金持ち。ボルコンスキー老公爵は厳格ではあるが、大変なエゴイストでもある。ボルコンスキー老公爵には長男アンドレイ公爵、長女マリアがいた。マリアは最終的にはロストフ家の長男のロストフと結婚する。このロストフ・マリアの夫婦はトルストイの両親がモデルだ。
ピエールは最終的にはロストフ家の娘ナターシャと結婚する。ナターシャはトルストイの妻のソフィアがモデルであるといわれる。ピエールとアンドレイ公爵はトルストイの分身であるが、アンドレイ公爵は行動的・理知的、ピエールは内向的で思索家で心やさしく精神的に弱いところがあった。ピエールはアンドレイ公爵を尊敬しており、2人は仲がよかった。アンドレイ公爵は軍人で、ロシア軍の最高司令官クトゥーゾフ将軍の側近である。
「戦争と平和」は1805年のアウステルリッツの戦いから1812年のポロジノの戦い・フランス軍によるモスクワ占領・フランス軍のモスクワからの撤退・敗走するフランス軍をロシア軍が追い詰めるまでを扱った大河小説。ボロジノの戦いでフランス軍は実際には敗れ、フランス軍はモスクワを占拠したとはいえ、結局は破滅の道を歩む。1812年はロシアがナポレオンという獣からヨーロッパを救った年ともいえる。
アンドレイ公爵はアウステルリッツの戦いで将軍の副官として戦場に赴く。彼は軍旗をもって戦場を動き廻るが、彼の近くで大砲の弾丸が落ちた。アンドレイ公爵は傷つきその場に倒れる。アンドレイ公爵は数時間後に目を覚ます。ナポレオンが側にいるのを感じた。ナポレオンは意気揚々と戦場の視察をしていた。そのとき、アンドレイ公爵は次のように感じた。「彼(アンドレイ公爵)は全身の血が失われていくのを感じていた。そして自分の上に遠い、高い、永遠の蒼穹(そうきゅう、青い空のこと)を見ていた。彼は、それが自分の憧(あこが)れのナポレオンであることを知っていた。しかしいまは、自分の魂と、はるかに流れる雲を浮べたこの高い無限の蒼穹のあいだに生まれたものに比べて、ナポレオンがあまりにも小さい、無に等しい人間に思われたのだった。」 母なる大地を包み込む自然からみれば、ナポレオンはちっぽけなものだった。
ピエールはナポレオンを暗殺しようとしてモスクワに残った。モスクワはフランス軍に占拠され、フランス軍の兵士たちによって掠奪される。モスクワは火の海になった。ピエールは放火犯の1人としてフランス軍に逮捕される。彼はフランス軍の捕虜として、その後、フランス軍に連れまわされ、最後はロシア軍に助けられる。モスクワでの捕虜体験を通して、歴史は1人の人間によってではなく、大勢の名もない民衆によって動くことを実感する。このアンドレイ公爵とピエールの実感したことが、大長編の主題の大きな部分を占める。
トルストイの作品を読み返すと、その物語の世界に没頭してゆく。「戦争と平和」の中に、正直なもの、真摯なものが発見できる。「戦争と平和」の中に、人間の真の姿を見、そして人間の真実の声を聞ける。歴史上でも現代でも、英雄といわれている人たちを1人の人間として見、彼らも民衆の1人だということを実感し、初めて民衆という言葉が生きてくる。ナポレオンもロシアのアレクサンドル皇帝も、ただの人、命に虐げられた兵士・農民たちもみんな民衆であるということを「戦争と平和」は語る。「戦争と平和」において初めて民衆という言葉に血が通ってくる。
振り返ってみると、19世紀初頭、帝政ロシアの物語である。進歩的な青年ピエールはフランス革命精神の象徴としてナポレオンを尊敬し、仏軍のモスクワ侵入の噂にも他のロシア国民ほど憎悪を感じていなかった。彼が親しくしているロストフ伯爵家では、長男ニコラスの出征に、伯爵と伯爵夫人も沈んだ面持ちだったが、出征はニコラスの恋人で財産を持たないソニヤとの仲を割くことにもなるので、夫人にはせめての慰めだった。ピエールの気に入りは娘のナターシャだ。まだ女学生だが2人は兄妹のように仲が良い。ニコラスの出征を見送ったピエールは道楽者の友人ドロコフのパーティで乱チキ騒ぎをする。ベズコフ伯爵の庶子である彼は上流の人々とつき合えない。だが無二の親友アンドレイ公爵の知らせで、危篤に陥った父の病床へ急ぐ。アンドレイは最近、妻リーゼとの仲が気まずく、早く戦場へ出たいと考えていた。遺言でピエールは広大な領域を受けついだが、臨終に立ち会ったクラーギン公爵は娘のヘレーネに彼を誘惑させようと思いつく。アンドレイは妊娠した妻を田舎の邸へ送り戦場へ赴く。
厳格な父親はリーゼに気のつまる思いをさせ、内気な娘マリアは同情しつつ父への遠慮から沈黙を守っていた。ロシア軍は戦線に到着、ナターシャが将兵の奮戦ぶりを夢みている頃、ピエールはヘレーネとの結婚準備に忙殺されていた。アンドレイは総司令官クツゾフ将軍の幕僚としてチェコの小村アウステルリッツに出陣する。結果は敗戦に終わり、ニコラスは辛うじて逃げ帰り、アンドレイは負傷する。休戦条約が結ばれ、将兵はモスクワへ戻る。リーゼはお産で死に、アンドレイは一変して気難しい人間になってきた。一方、派手好きのヘレーネはドロコフを誘惑、ピエールは決闘で彼を傷つけた上、妻と別れた。
ピエールはナターシャの姿を見ることだけを慰めとしていたが彼女はアンドレイと愛し合うようになった。だがアンドレイの父の反対で結婚出来ぬまま旅立つアンドレイを見送ったナターシャは、オペラでヘレーネの兄アナトールに言い寄られ、駆け落ちをすすめられる。ソニヤの知らせでピエールは彼を追い払うがアナトールを諦め得ないナターシャに、アンドレイは再び憂鬱な人間となる。休戦も終わり、ボロディノの決戦でアナトールは戦死、アンドレイは重傷を負い、今は自らの過ちを知って戦場に立ったピエールも負傷した。クツゾフの焦土戦術でロストフ家の人々もモスクワを去り、1人残ってナポレオンを刺そうとしたピエールも実行出来ぬまま仏軍の捕虜となる。アンドレイはナターシャに抱かれつつ絶命し、恋を諦めたソニヤの計らいでニコラスは、アンドレイの子供を引き取っていたマリアと結ばれる。獄中でピエールは信仰あつい農民プラトンを知る。ナポレオンのモスクワ撤退の際、プラトンは射殺されるがドロコフ指揮のコサック騎兵にピエールは救われた。11月も末、ナポレオンは完敗してパリへ逃げ戻った。モスクワに帰ったピエールの訪れた荒廃したロストフ邸では、大人になったナターシャが彼を待っていた。