テクノストラベル@読み捨てかわら版@これってどうなの旅の今昔

2004年12/20から、つらつらと書き続けて参りましたブログがプロバイダ閉鎖によりやむなくこちらに引越し致しました(涙

この(▼)極妻に最初に接客したのが

2015-04-12 15:51:31 | 雑談

小生です。当時、國際旅行社・大阪支店の堂島浜の事務所時代に

この手榴弾男SNにマニラ行きの航空券を
正確には奥さんが取りに来られて支払いをされた
最終的には先輩の井上さんが接客された。

マニラはそう言う方面の方々がたくさん行く国だと.....思った!

大阪府警・天満署の刑事さんに事件後事情を聞かれた!

また、おしっこちびった!




出所 産経新聞より より詳しくは ここ

◆タイ航空機爆発事件◆

 1986(昭和61)年10月26日午後8時20分ごろ、四国・高知上空約1万メートルを飛行中のバンコク発マニラ経由大阪空港行きのタイ航空620便エアバスA300(乗員13人乗客233人)から、埼玉県所沢市の運輸省東京航空交通管制部に緊急着陸の要請があった。タイ機は午後8時42分、連絡を受けて厳戒態勢を敷いた大阪空港に無事着陸したが、途中の急降下などで62人が重軽傷を負っていた。  

 機長は、「午後8時ごろ、機体後部で爆発音がして約5000メートル急降下、15分間ダッチロールした。その後、操縦機能の回復に成功して、緊急着陸できた」と話した。

 大阪府警は、運輸省航空事故調査委員会と合同で検証。その結果、機体後部のトイレ内で手投げ弾(手榴弾)が爆発。2つのトイレが大破し、圧力隔壁(直径3メートル)の3分の2が吹き飛んだことがわかった。

 府警の捜査で、手投げ弾を機内に持ち込んだのは、マニラから搭乗した(▼)乗客の山口組系暴力団員と判明。フィリピンの軍関係者から手投げ弾を密輸して、抗争中の暴力団に売り込もうとしていたことが明らかになり、症状が回復した後、航空法違反と殺人未遂罪で逮捕した。

 当初、1年前に群馬県の御巣鷹(おすたか)の尾根で起きた、日航ジャンボ機墜落事故と同じ「圧力隔壁をめぐる事故」との見方が大勢をしめたが、一転して、暴力団員による国際的な手投げ弾密輸事件となり、手荷物検査のあり方など「空の安全」が世間の耳目を集めた。 .......つづく
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ヤクザの事務所に集金に | トップ | 地域の逸品(名古屋の味噌) »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (エ-ス保険の下村です)
2015-04-13 16:19:54
私もテレビ取材を受けました。保険を2口もかけていたのです。チケットの申し込みは確かオ-シャニッドでは?
返信する
保険金は (管理人の村松です)
2015-04-15 14:56:37
下村さん毎度のご笑覧恐れ入ります。
保険金2口はもちろんおりなかったですよね!?
自己責任ですから(笑)
コメント有難うございました。
返信する

コメントを投稿

雑談」カテゴリの最新記事