言わずと知れた終戦記念日。
地区でも数名の戦死者を出している。
いま、TVで首相の靖国神社参拝が中継されているが、
戦後生まれの我々とその辛酸を味わった世代とは感慨も違うかもしれない。
出征を経験した父はあまり多くを語らない。
それでもこちらから話を向けるとポツリポツリと話を聞かせてくれる。
終戦を迎えたのは台北だったそうだ。
戦地に赴く時はすでに戦闘が激しくなってきた頃で、
輸送船や、オンボロ輸送機を乗り継ぎ台湾入りした時は「これで終わりか!」と覚悟したようである。
部隊付きの衛生兵であった父は最前線には出たことがなかったようだが、
それでも空襲を受けた経験はあるようだ。
フィリピンなどの激戦地に比べれば食糧事情なども恵まれたほうだったようである。
だが、そういった話の中に戦争の悲惨さというものはさほど感じられない。
意図して避けているのか、本人の記憶の中に封印されているのかはわからない。
ともあれ、終戦後ちょうど半年で日本に引き上げてきたのだった。
西日本の港から列車を乗り継いで故郷を目指した。
途中、原爆で焼け野原となった広島の街を見たそうだ。
池袋に着いたときはすでに川越市止まりの終電しかなく、とりあえず行ける所まで行こうと乗り込んだ。
終点につく頃には辺りは雪で、どうしようかと思案している時、
市内の学生だという若者が「家に泊まっていけ」と声をかけてくれたのである。
ご好意に感謝して一泊させていただき、翌日、家に帰りついたときはまだ雪が降っていた。
時に1946年2月15日。
村の鎮守「八幡神社」の「春の祭典」の日であった。
八幡様は武運長久を祈願する神でもあり、近隣からの出征者はここに参拝して行ったそうである。
今日は台風が接近していることから天候はすぐれない様だ。
人間の喧騒をよそに、ミョウガの薮の中に可憐な花が咲いている。
地区でも数名の戦死者を出している。
いま、TVで首相の靖国神社参拝が中継されているが、
戦後生まれの我々とその辛酸を味わった世代とは感慨も違うかもしれない。
出征を経験した父はあまり多くを語らない。
それでもこちらから話を向けるとポツリポツリと話を聞かせてくれる。
終戦を迎えたのは台北だったそうだ。
戦地に赴く時はすでに戦闘が激しくなってきた頃で、
輸送船や、オンボロ輸送機を乗り継ぎ台湾入りした時は「これで終わりか!」と覚悟したようである。
部隊付きの衛生兵であった父は最前線には出たことがなかったようだが、
それでも空襲を受けた経験はあるようだ。
フィリピンなどの激戦地に比べれば食糧事情なども恵まれたほうだったようである。
だが、そういった話の中に戦争の悲惨さというものはさほど感じられない。
意図して避けているのか、本人の記憶の中に封印されているのかはわからない。
ともあれ、終戦後ちょうど半年で日本に引き上げてきたのだった。
西日本の港から列車を乗り継いで故郷を目指した。
途中、原爆で焼け野原となった広島の街を見たそうだ。
池袋に着いたときはすでに川越市止まりの終電しかなく、とりあえず行ける所まで行こうと乗り込んだ。
終点につく頃には辺りは雪で、どうしようかと思案している時、
市内の学生だという若者が「家に泊まっていけ」と声をかけてくれたのである。
ご好意に感謝して一泊させていただき、翌日、家に帰りついたときはまだ雪が降っていた。
時に1946年2月15日。
村の鎮守「八幡神社」の「春の祭典」の日であった。
八幡様は武運長久を祈願する神でもあり、近隣からの出征者はここに参拝して行ったそうである。
今日は台風が接近していることから天候はすぐれない様だ。
人間の喧騒をよそに、ミョウガの薮の中に可憐な花が咲いている。