豪華絢爛としか言いようがないインドのスペクタクル史劇。AmazonのDVD案内には、「16世紀に生み出されたインド古来の伝記:パドマーワトに描かれた愛と誇りの物語が、500年の時を超えて、インド映画史上最大級の製作費を費やした究極の映像美で蘇る!」のコピーの後、ストーリーをこう紹介している。
―13世紀末、シンガール王国の王女、パドマーワティ(ディーピカー・パードゥコーン)は、西インドの小国、メーワール王国の王、ラタン・シン(シャーヒド・カプール)と恋に落ち妃となった。
同じころ、北インドでは、叔父のジャラーウッディーン(ラザ・ムラッド)を暗殺した若き武将、アラーウッディーン(ランヴィール・シン)が、イスラム教国の皇帝(スルタン)の座を手に入れていた。
獰猛で野心に満ちた彼は、第二のアレキサンダー大王との異名を持つほどに、その権勢を広げていく中、絶世の美女、パドマーワティの噂をききつけ、メーワール国に兵を差し向けるが、堅牢な城壁と、誇り高いラージプート族の王であるラタン・シンの抵抗により、パドマーワティの姿を見ることも許されなかった。
一計を案じたアラーウッディーンは、ラタン・シンを拉致してパドマーワティを自らの城におびき寄せるが、彼女の勇気ある救出策によりラタン・シンは奪い返され、遂に総力をメーワール王国に向かわせる。
城を取り囲むアラーウッディーンの大軍勢と睨みあうメーワール王国の兵士たち。やがて始まる、王と王の誇りと野望を懸けた最後の戦い。そして、圧倒的に不利なその戦に、パドマーワティは、ある決意をもって臨んでいた…
シンガール王国とは現代のスリランカを指すらしい。真珠が豊富に取れる国という説明があり、対照的にメーワール王国は砂漠で海がない。伝説の美女パドマーワティがスリランカの出という話は初めて知った。
実はこの作品、危うくお蔵入りする可能性があったという。公開前に「ラージプートとヒンドゥー教を侮辱する内容」「パドマーワティとアラーウッディーンのロマンスが描かれている」という噂が立ち、ヒンドゥー至上主義団体は過激な映画化反対運動を開始する。
wikiの「上映を巡る問題」にはその詳細が載っており、撮影中の2017年10月夜、撮影セットが襲撃・放火され、撮影用の動物が傷付けられ複数の衣装が破壊される事件が発生している。
反発はヒンドゥー教徒だけではなく、複数のイスラム指導者はアラー・ウッディーンの描写が誤っているとして映画の上映中止を要求する。確かに本作でのアラー・ウッディーンは敵役にせよ、悪の権化という描き方になっていた。マレーシアでさえイスラム支配者が否定的に描写されていることを理由に、2018年1月30日に内務省によって上映が禁止された。
何とか公開されたものの、その直前の数日間にわたりインドの複数の地域で上映中止を求める暴動が発生している。公開が認められなかった処もあり、上映反対派の襲撃を警戒、看板を掲示しなかった上映館もあった。公開当日のデリー周辺では、警官隊と準軍事組織が主要上映館の警備に当たったほどだ。
そして映画館や撮影所のみならず監督や主演女優も標的となるのは、インドでの“問題作”の恒例行事となっている。映画館やスタッフの家が放火されることもあるのは、いささかインド事情を知っている人は既知のはず。“表現の不自由展”など日本ならではの催しに過ぎず、インドだったら企画・主催者やその家族も確実に襲撃されていただろう。
ヒンドゥーとムスリム関係の他にも、家父長制を支持するような描き方には批判があったようだ。しかし、ヒロインが死去した1303年当時は家父長制が当たり前の時代だし、この種の非難は的外れとしか言いようがない。そんな事情のためか開始前には長い断りがあった。
「作品中の場所、人物、出来事、地名、言語、舞踏、衣装等について史実との一致を主張するものではない。いかなる形においても特定の人物、集団社会、文化、習慣、思想、伝統、信条等に関して、攻撃あるいは軽んじる意図を持たない。この作品にはサティーや類似の慣習を奨励する意図はない……」
パドマーワティはパドミニーという呼び方もあり、2013-09-10付の記事で彼女について書いている。私がこの作品を見たのは、ラストのジョウハル(尊厳殉死)を見たかったからだ。私がこれまで見たインド関連本ではジャウハル(集団自決)と表記されていたが、英:jauharの邦訳だったようだ。
トップ画像はまさにヒロインがジョウハルを行う場面。手にしているのは夫ラタン・シンの手形のついた布。ジョウハルの仕方は私が以前聞いた話と異なっているが、火に身を投じることに変わりない。ジョウハルを行うメーワールの女たちの中には少女や妊婦もいた。
全編を通じ、「ラージプートとヒンドゥー教を侮辱する内容」「パドマーワティとアラー・ウッディーンのロマンス」は一切ない。それどころかラージプート称賛としか見えなかった。アラー・ウッディーンとラタン・シンの一騎打ちなど、これぞインド版チャンバラと言いたくなるシーンでシビれる。
剣技では明らかに後者が勝っていたのに、アラー・ウッディーンの寵臣カーフールの指示でラタン・シンは背中から矢を射られる。「戦いの義」に背く卑劣な手口だが、死が目前のラタン・シンに向かいアラー・ウッディーンは言い放つ。「戦いの儀とはただひとつ、勝利すること」
ファッションに疎い方でも、衣装の豪華さに目を見張っただろう。サリーにはふんだんに金糸の刺繍がほどこされ、赤や白地の衣装でも金糸の刺繍が引き立っている。アクセサリーも豊富に身に着けているのはいうまでもないが、その豪華さが返ってヒロインに扮した女優の美貌を際立たせていた。神々しさに圧倒された観客がさぞ多かったことだろう。ラージプート戦士さえ、赤や金を基調とした衣装で登場している。
一方、アラー・ウッディーン側は黒がベースの衣装だった。ヒンドゥーに比べれば地味にせよ、アラー・ウッディーンの衣装にも金糸の縁取りがなされ、全体的にシックな印象でカッコイイ。
当時インド映画史上最大級の制作費を費やしただけあり、宮殿のセットも素晴らしい。冒頭の断りにもある通り時代考証は怪しいにせよ、インドの宮殿には石の透かし模様がよく使われている。宮殿内部がとにかく広い。
実は「正義のヒンドゥー王」に扮したシャーヒド・カプールはムスリムで、「悪のイスラム王」役のランヴィール・シンがシク教徒なのだ。さらに驚くのは、ランヴィール・シンとヒロインを演じたディーピカー・パードゥコーンは夫婦。ボリウッドで活躍するムスリムも多く、ムスリムがヒンドゥーを演じるのは珍しいことではない。
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「インド ミニアチュール幻想」
結論から言えば、戦いに負けた国の王妃が殉死する話ですが、美術が素晴らしいスペクタル映画ですね。基本的にインド映画はハッピーエンドの印象がありますが、これは違うのですね。落城すればその中の女性陣も供をするのは日本でもありますが、一国となると規模が違います。インド人にはやはり派手な装飾品が似合います。
宗教がらみで上映が禁止されるのはやはりインドやイスラム教国ならではですが、紹介されたウィキを見てもアラーウッディーンは梟雄で、正直彼の国家には生まれたくありませんね。実際国の成り立ちに無理があるのか、彼の死後すぐ滅んでいますし。
一騎打ちの話ですが、文化圏が同じ国の場合はそうそう露骨な騙し討ちもしないので、やはり、これは宗教の違いからかも、と思ったり。でも、この場合は騙し討ちをしても王妃は手に入らなかったので、実質的には敗北ですね。
しかし、インドで32億円かけてスペクタクル映画が作成できるのに、日本はどうして無理なのでしょう。例えば漫画の実写など酷評レベルの物が多いですし。昨年度の日本アカデミー賞に至っては絶句ものです。
本作は一応実在の人物を描いているため、ラクシュミー・バーイーがヒロインの作品と同じく悲劇になりました。王妃以下女性たちが集団焼身自殺するのは、インド以外聞いたことがありません。
派手な装飾品は男性も付けています。ヒンドゥー、ムスリム共に装飾品で飾り立てているのは日本人からすれば不思議ですが、ナヨナヨした印象は全くありませんでした。
そもそもアラー・ウッディーンは叔父を殺害して君主になっていますからね。叔父は寛容さで知られましたが、それを“臆病”と見る部下も少なくなかったようで、史実ではアラー・ウッディーンの部下たちによって斬殺されたとか。
アラー・ウッディーンはやはり梟雄ですが、モンゴルを何度も撃退してますから、将としては大したものだと思います。
一騎打ちの話で後ろから矢を射るのは、さすがにアラー・ウッディーン側にも「戦いの儀」に反するという武将がいたため、宗教の違いは関係ないと思います。騙し討ちを勧めたカーフールもアラー・ウッディーンの晩年には専横が酷くなり、主人の死から35日後、貴族らによって暗殺されたとか。
映画大国と言われるだけあり、インド映画の制作費は桁外れとしか言いようがありません。日本で莫大な制作費をかけられないのは、それを渋る映画会社やスポンサーがつかないことがあると思います。人気漫画の実写に頼る安易さからも、スペクタクル映画を作る気概さえ日本映画界にはないのでしょう。