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インドに抑留された日本人抑留者 その一

2020-08-15 22:10:07 | 歴史諸随想

 今日で終戦75周年を迎える。毎年この日には決まって各ТV局が特集を組み、「戦争は絶対にダメ」「平和の誓い」等といったお題目を繰り返す報道姿勢には心底ウンザリなので、暫く前から見ていない。
 ただ、せっかくの8月15日なので、殆ど知られていないインドに抑留された日本人民間人について記事にしたい。尤もインドに終戦まで抑留された日本人がいたことを私が知ったのは、数年ほど前だった。本題は失念したが、行き付けの図書館か書店で立ち読みして初めて知った。
インドに抑留された日本人民間抑留者」というネット記事にはその詳細が載っており、執筆者は林博史氏。記事のトップでは論文についてこう述べられている。

―この論文は、太平洋戦争の開戦時にマレー半島など東南アジアにいた日本人がイギリスによってインドに抑留された状況について、イギリスのPublic Record Officeと日本の外務省外交史料館に所蔵されている資料から、分析したものです。イギリスの関連資料については、共同通信から「インドに邦人抑留 大戦中の英外交文書発見」として配信され、1996年8月2日付で地方紙各紙で紹介されました。2001.11.26

 はじめに林氏が述べているように、1941年12月8日アジア太平洋戦争が開始されたとき、世界の各地に住んでいた日本人は否応なしに戦争に巻き込まれることになった。日本の敵国に住んでいた日本人は、それらの国から見れば敵国人になったのだ。
 抑留者と言えば、シベリアを指すのが一般的だが、シンガポールやマレー半島、ビルマなどの英国植民地にいた日本人はインドに連れて行かれ、そこで抑留される。記事で取り上げられているのは、英国によりインドで抑留された日本人たちである。私が記事中で最も驚いたのがこの箇所。
日本との戦争が始まることを予期していたイギリスはマラヤに住んでいた日本人のことを事前に調べており、この(1941年)12月8日早朝から日本人の逮捕が始まった。まず成年男子が捕らえられ、ついで婦女子にも拡大された

 抑留者の日記には「12月8日未明、家で寝ていたところを警察官がやってきて捕らえられ港にあった移民局に連れて行かれた」という記述があり、宣戦布告なしに英国が日本人民間人をいきなり拘束したのが伺える。
 英国側も予想外の日本軍の進撃に混乱しており、クアラルンプールが危うくなると(同地の占領は1月11日)抑留者をインドへ移送した。宿舎にしても食料にしても準備が不十分なままに抑留され、しかも抑留者たちはわずかな身の回りのものだけしか持つことを許されなかった。

 日本人抑留者が収容されたプラナキラはニューデリーの中にある古い城だった。プラナキラ抑留所の酷い実態がわかるのは、1942年8月に日英の交換船によって領事館関係者など抑留者の一部が戻ってきてからである。交換船によりインドから引揚げてきた日本人の証言は以下の通り。

1.抑留者が住んでいるテントは非常に狭いだけでなく、寒い時期は極端に寒く、暑い時期は耐えられないほど暑い。テント内の温度が華氏120度[摂氏約50度]までのぼることもまれではない。テントは雨季には水につかり、砂嵐によって破壊されることも珍しくない。
 インド政庁は、日よけを付けたりテント内にレンガを敷くなどのようなおざなりの方法以上には、自然の力からテントを守る十分な対策を講じてこなかった。インド政庁は随分前に抑留者たちを恒久的な建物に移す約束をしたが、あれこれ言い訳をして約束を実行することを遅らせている。
2.食糧について、量とカロリーは別として、質が悪くバラエティに欠けている。日本人の好みに必要な調味料が不十分なため、多くの抑留者が食欲をほぼ完全に失い、その結果、疲労困憊している。
3.台所は換気が悪く調理施設が不十分なため調理は地面でやらなければならない。雨の時は雨漏りのために野外で調理するのと同様になる。
4.適当な浴室も洗い場もなく、それらの場所を隠すためのコンクリートの壁だけしかない。水は不十分で暑い風呂の施設はない。
5.トイレは設備が悪く、数も不十分である。またテントから遠く、老人や子どもはトイレを使うことに困難を覚えている。
6.抑留所の診察室と病院は施設が貧弱で、医薬品は乏しく、患者の扱いは不親切である。

 1942年12月31日現在でプラナキラ抑留所に収容されている抑留者のリストが作成されている。当初の収容者は2689名(男1718名、女725名、子ども246名)で出発し、その後収容された者が246名、抑留所内で生まれた子どもが19名、合計2954名(男1884名、女783名、子ども287名)が収容された。
 しかも抑留者は日本人だけではなかった。台湾人182名(男98名、女42名、子ども42名)、朝鮮人7名(男のみ)、中国人10名(男6名、女4名)、マレー人7名(男1名、女3名、子ども3名)、タイ人7名(男6名、女1名)、合わせて213名が含まれている。
その二に続く

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (鳳山)
2020-08-15 23:05:52
インドに日本人が抑留されていたんですね。知りませんでした。アメリカの日系人抑留も酷かったそうですが、イギリスも同じ穴の狢ですね。許せません。
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鳳山さんへ (mugi)
2020-08-16 21:53:34
 英国の抑留も酷いものですが、もっと許せないのは執筆者の林博史なる歴史学者。日本の戦争責任資料センター研究事務局長であり、“慰安婦問題”を扱っている典型的な反日左翼です。
 リンク先の論文でも英国による日本人抑留は全く非難せず、日本政府だけを糾弾しています。「敵国の捕虜や抑留者を人道的に扱おうとしたイギリスとそうではなかった日本との違い」とほざいており、昨日は猛暑のため(仙台でも最高気温35.5度)、より暑くなりました(怒)。
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Unknown (牛蒡剣)
2020-08-16 22:39:48
冷静に考えればこういった人々がいて当然ですが
ホント語られた試しがないですよねえ。

小林よしのり氏の戦争論でインドネシア侵攻作戦に従軍した砲兵将校の体験談がのっているのですが、その中でインドネシア在住の邦人が抑留されていまして、現地の日本人学校が臨時収容施設されていました。本稿の場合と違って蘭領インドシナ作戦は急進撃で占領できたため、後方に輸送される前に日本軍が救出に成功しています。・・・・ただ若い女性が多くほとんどの女性が・・・・・。
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牛蒡剣さんへ (mugi)
2020-08-17 22:36:16
 小林よしのりの漫画は全く見たことがありませんが、最近は奇矯な発言で知られていますよね。どう見てもパヨクとしか思えません。

 ただ、砲兵将校の体験談は遅ればせながら初めて知りました。当時インドネシアにいた日本女性の多くは若かったことも初耳ですが、彼女たちがどんな憂き目にあったのか、想像に難くありません。尤も林センセイは先の論文でも朝鮮人“慰安婦”には触れても、日本女性には全く言及しない。
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Unknown (牛蒡剣)
2020-08-24 22:17:51
ネット回線が物理的に切断(庭の立木のせい)
で切れてしまい修理したものの接続が不安定で
困っている今日この頃です。(コロナ騒動で
プロバイダーも手が足りない)

小林よしのり氏ですけど1998年頃は従軍慰安婦
論争や大東亜戦争論に参戦して当時主流だった
左派的な主張と全面的に殴り合いしてた頃で
そのころの作品でした。戦争体験が敗北や集団自決や戦災といったしか語ることが許されない左派的風潮へのアンチテーゼとして「勝って勝って勝ちまっくたまま終戦を迎えた人」の体験を意識して語った
部分です。この砲兵将校(当時在命の方)日本軍
最強師団の有力候補(装備 人員の質 戦歴どれも
異常!)の56師団出身の方でインドネシア攻略戦
とビルマ攻略戦に参加し、インパールが始まる前に
内地の野砲学校教官(戦歴が凄すぎるので当然の処置)に転出して敗北を知らないまま終戦を迎えた方です。ちなみにこの人が転出した後も56師団は大暴れをして15倍の英軍と中国軍相手に自軍以上の損害を与えて降伏しました。・・・・インパール後の
地獄が出現した後にですよ・・・・・。
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牛蒡剣さんへ (mugi)
2020-08-25 22:11:44
 ネット不通になってことは鳳山さんのブログで知りましたが、原因は庭の立木のせいでしたか。私の場合はハードディスクがダメになったためでしたが、物理的な切断というケースもあるのですね。コロナのお陰で修理も遅れるとは……

 作品は未読ですが、かつて小林よしのり氏は右派の論客だったと記憶しています。『朝まで生テレビ』に出演していたこともあり、現代もバリバリの左派として知られる姜尚中に「理性がなければ、国際社会で通らない」と反論され、何も言えなかったのを憶えています。理性があれば国際社会で通る、と考えているなら、それこそ非理性的だと私は思いますし、これが日本の“リベラル”なのです。

 旧日本軍に「勝って勝って勝ちまっくたまま終戦を迎えた人」がいたとは知りませんでした。56師団が日本軍最強師団だったことも初めて知ったし、本当に勉強になります。インパール後の日本兵は完全に戦意喪失状態だとばかり思っていたのですが、これほどスゴイ砲兵将校がいたこと自体驚きます。

 終戦記念日ということもあり先々週の河北新報の読者コーナー「声の交差点」では、盛んに「人道精神あふれる米兵、そうでない日本兵」等の投稿が載っていました。未だにGHQの検閲報道が続いているようでゲンナリです。
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小林よしのり (motton)
2020-08-26 10:12:22
小林よしのり氏は、基本的には既存権威へのアンチで、そういう意味で(真の意味での)リベラルでもあり革命的でもあります。

『ゴーマニズム宣言』や『戦争論』で既存のサヨクをボコって現在にいたる流れを作った功績はあります。
しかし、自身の著作を権威のようにして自分で考えないネトウヨは嫌っています。


PS
姜尚中なんか、理性の皮を被って自分の感情や自分勝手な理想を押し付けているだけじゃん。(理性ある工作員ではないと思う。)「朝鮮は自ら戦わなかったから植民地になった」と言ってみろっての。

国際社会(国際政治)における理性ってのは、現実主義そのもので理想主義の反対。同胞=自国民の生命財産を守る以上の価値観はなく、そのために知性でもって合理的な判断をするのが正しく、理想ありきは間違い。アメリカのように理想を武器に使うのは正しいが。

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Re:小林よしのり (mugi)
2020-08-26 22:57:48
 繰り返しになりますが、小林よしのり氏の作品は未見なので作品は批評できません。最近のネットニュースでは左派寄りの発言を繰り返しているようだし、“転向した”と従来のファンから見られているようですね。

 姜尚中如きなど、あれで政治学者というからお笑い草です。初めてТVで見た時、何とも陰気臭い男という印象でしたが、今でもそう思っています。それでもインタビュー(河北新報だったか)で、女性から結構ファンレターを貰うと言っていたことがあり、この辺りは朝鮮人らしいと嫌味でした。
 話していることも情緒的な感情論丸出し。戦後、リヤカーを引いて苦労していたなどの話をしていたこともあり、それを聞いた私の昭和一桁生まれの母も、日本人も同じように苦労していたと怒っていました。

 国際政治が現実主義そのものなのは、政治に素人でも分かりますよね。姜に限らず日本の政治学者は、理性を装って理想ありきを主張するのだから救いようがない。
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