トーキング・マイノリティ

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誰が電気自動車を殺したか? 06/米/クリス・パイン監督

2009-04-04 20:55:42 | 映画
 日本人にはなじみが薄いが、1990年代前半、アメリカ市場で電気自動車が製造された。環境に優しい車として注目を集めるも、ある時期から街や市場からも姿を消してしまう。その電気自動車、GMEV1を取り上げたドキュメンタリーがこの作品。利潤追求を何より優先する企業社会と環境問題は両立が極めて難しいと痛感させられた。

 EV1は全米大陸で販売されたのではなく、アリゾナ州カリフォルニア州のみでリース方式で供給するという限定式だった。この映画を見る限りGMも量産、生産拡大に後ろ向きな印象は否めず、環境にも配慮しているとの姿勢をアピールすることが真の目的だったのか、と疑いたくなる。技術部はともかく、上部のお偉方は販売に消極的だったと見なされても当然だろう。
 新型の電気自動車ゆえ、技術面の欠陥は当然あった。生産にかかる費用も高く、安いコストで量産可能な従来型のガソリン車を売った方が儲かるのだ。さらに環境に配慮する法もブッシュ政権時代、徐々に骨抜きとされたという。むしろガソリンを食う大型のRV車が人気を集め、電気自動車は一般には敬遠される。

 ユーザーにとって電気自動車の致命的な欠点は走行距離が短く、充電のための時間がかかる点である。市内を運転するだけなら問題ないが、長い距離を走るのは難しかった(航続距離160km程度)。そのままGMが生産を続けていれば技術も向上、問題点も修正されていくと思われるが、現代のすぐ乗れる車がある以上、毎日充電を余儀なくされる車に不便と感じる人も少なくないのは確かである。充電は家庭以外にもガソリンスタンドのように町中にいつでも電池が常備されていれば、ドライバーも購買意欲をそそられたかもしれない。さらに技術途上もあるにせよ、バッテリーは重金属や化学物質などを多量に消費する代物で、環境面から見ればこちらも問題はあるのだ。

 EV1はデザインもよく静か、スピードはガソリン車に劣らず電気料金はガソリンよりも安く理想的な車…映画ではこの電気自動車の長所を最大限持ち上げ、電池の問題点の扱いはかなり少ない傾向があった。私もネットで検索し、電池自体の欠点を初めて知った。自然エネルギーを利用した太陽電池さえも劣化しやすいらしい。今後は技術革新が可能だろうが、開発のコストもバカにならない。
 映画で改めてガソリン車はエンジン内部が汚れやすいことを知らされたが、それが電気自動車の普及を阻む原因でもあった。今の自動車産業はガソリンで汚れる車を基盤に成立しており、汚れない車なら産業界全体の影響は計り知れない。諸部品やエンジン清掃も産業として確立している。これらを必要としない車の出現は歓迎されないだろう。

 2003年末、GMは公式にEV1の計画を中止、この電気自動車は1台残らず回収、廃棄された。その原因をドキュメンタリーは石油業界の圧力に求めている。それは間違いではないと思う。業界が膨大な資金で利権を守ろうとするのは資本主義社会なら当然であり、政治家や報道も業界に左右・支配される。
 アメリカも少し前まで路面電車が町中を走行していたが、GMは路面電車を生産する企業の株を大量に買占め、電車を配線に追い込んだといわれる。市民が公共の乗物を利用するより自家用車を購入してくれた方が望ましいし、路面電車では日本もアメリカに追随するかたちとなる。

 今世紀初め、日本で「洗剤の要らない洗濯機」が三洋電機から発売された。しかし、画期的とも思えるこの洗濯機は間もなく生産中止に追い込まれ、家電量販店で今は見かけない。洗剤メーカーによる相当な圧力があったと想像されるが、「環境に優しい」を謳い文句に性能の怪しい製品も少なくないのは事実である。環境に優しく低コストの商品を大量生産、なおかつ利潤を上げるのは至難の業なのだ。
 見切り発進の感があるEV1を殺したのは石油業界よりも資本主義社会だが、電気自動車を生んだのもまた資本主義世界。もし共産主義圏でこの車が作られたならば、国営計画生産で量産は可能だろうが、欠陥は判っても事実は隠蔽され続け質も向上しなかっただろう。

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