トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

池田理代子の世界 その二

2015-11-02 21:10:09 | 漫画

その一の続き
池田理代子の世界』には「ジャンヌ・ダルク、罪深き男装」というコラムがあり、これも1994年6月2日付の朝日新聞夕刊からの転載。以下はここからの引用。

フランス衛兵隊を率いて市民の側に寝返り、バスティーユ攻撃の先導となってフランス大革命に散っていった男装の麗人・オスカルは、私の作品『ベルサイユのばら』のヒロインである。この男装の麗人のイメージが余程強かったのか、その後私は会う人ごとに「今度はジャンヌ・ダルクの生涯を描いてみてはどうでしょうか」と言われ続けたものだった。「男装をした救国の女性戦士」というと、人々は何といっても真っ先にジャンヌ・ダルクを思い浮かべるらしい…(中略)

 軍の先頭にたち華々しい活躍をしてフランスを救ったこの乙女は、結局イギリスに捕えられて宗教裁判にかけられ、魔女として火あぶりの刑に処せられたのはあまりに有名な話であるが、その宗教裁判において最も異端とされ問題視されたのが、彼女の男装であったということを、私は知らなかった。当時カトリックでは、女が男の服装をすることを固く禁じていたのだ。
 女性が男装をして戦うことの二重の意味での反逆性。パリのピラミッド広場に建つ金ピカのジャンヌ・ダルクの像を見上げながら私は、しみじみとそれを認識した。

 このコラムを見て私はおや、と思った。あれほど欧州を舞台とした歴史漫画を描いている池田氏が、裁判でジャンヌ・ダルクの男装が最も異端・問題視されたことを長らく知らなかったのか?キリスト教をいささかでも学んだならば、これは知られている出来事のはず。聖書には有名な次の一節がある。
女は男の着物を身に着けてはならない。男は女の着物を着てはならない。このようなことをする者をすべて、あなたの神、主はいとわれる」(申命記22-5)

 男装はもちろん女装も、キリスト教・ユダヤ教の教義ではご法度なのだ。これは中世に限らず現代も宗派問わず同じであり、カトリックが異端として激しく弾圧したカタリ派さえ、男装や女装は認めなかっただろう。昨年6月、「ブルガリア研究室」さんから頂いたコメントからも、正教会でも異性の服装の着用には厳しいことが伺えた。
「オーソドックス教会(正教会)の世界では、相変わらずホモなどの同性愛は罪悪で、21世紀になってブルガリアでもホモたちによるPride Paradeなどが年に1度開催されたりもしているけど、教会は怒っています
  
 ブルガリアはかつて共産圏だった国でもあり、宗教面では極めて世俗的のはず。にも拘らずゲイや女装には未だに厳しい。他にも室長さんのブルガリア社会へのコメントも興味深い。
「女性による男装の事例は、あまり聞きません。女性は女性らしく、と言うのが基本的考え方かも。ブルでは、軍人、警官などの制服姿の女性も、ほとんど全く見ることは無かったように記憶します。少しはいたはずだけど、どうも見た記憶が無い。男社会に入るのは、危ないから、志願者もいなかったのかも」

 ひと口に欧州といえ、西欧と東欧、バルカン諸国では風習はまるで異なる。ブルガリアを含めたバルカン諸国は、オスマン帝国の支配下におかれた歴史もあり、昔から男優位社会なのだが。欧州を舞台にした作品を描く日本人は多いが、キリスト教をあまり学んでいない人も少なくない、というのが私の印象。ひょっとすると日本人は、宗教を学ぶことを避ける傾向があるのだろうか。

 もちろん少女漫画家全てがキリスト教に疎い訳ではない。青池保子さんはエッセイ「『エロイカより愛をこめて』の創りかた」で、「ヨーロッパを舞台に描く者にはキリスト教が必修科目」と言っている。その直後、「単に坊さんが好きなだけで、それ以前から『薔薇の名前』や『修道士カドフェル』に刺激されて、いつか中世の修道院の話を描いてみたいと思っていた」、と素直に白状していた。
 高卒の青池さんに対し、池田氏は中退といえ東京教育大学文学部哲学科で学んでいる。学歴では池田氏の方が上なのだ。学生時代、何の哲学を学んだのかは不明だが、池田氏は70年代半ば頃のインタビューで、尊敬する人物にマルクスを挙げていたことを憶えている。
その三に続く

◆関連記事:「NHKアーカイブス ベルサイユのばら

よろしかったら、クリックお願いします
人気ブログランキングへ   にほんブログ村 歴史ブログへ



最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
禁止されているということは (madi)
2015-11-03 18:34:50
汚れた中年弁護士の感覚としては、わざわざ禁止されているということは、それが目に付くほどはやっている、ということを意味すると考えています。アヘン吸入が蔓延していたから日本の刑法にはアヘンに関する罪がたくさんあるわけです。シェイクスピア劇だと女形がいたし男女変換がしょっちゅうあります。ヨーロッパに関しては現実には男装女装はさかんだったのかもしれません。
返信する
Re:禁止されているということは (mugi)
2015-11-03 20:53:30
>madiさん、

 申命記が成立した時代背景は古代だったし、西欧の中世では男装女装は今ほど盛んだったとは思えません。ジャンヌ・ダルクの男装はコスプレどころか、貞操を守るためだったはず。彼女は男装だけではなく断髪しており、これも性的虐待を防ぐためでした。獄中でも男装していたのは、監視している英国兵からの性的暴行を防ぐためだったようです。これで決定的な異端扱いとなりましたが、哀しい話です。

 それにしても、日本の刑法にはアヘンに関する罪が沢山あったとは知りませんでした。日本の歌舞伎は現代でも女形はいるし、シェイクスピア劇でも昔はいたとは。日本の歌舞伎役者が全て男性になったのは、女の歌舞伎役者による売春もしばしばあったため、ついにお上が女の役者を禁止にしたとか。
返信する
宗教での禁止は (madi)
2015-11-04 00:43:23
 すばやいレスポンスありがとうございます。
 わたしが犯罪者を日常的にみているせいもありかもしれませんが、宗教の禁止事項は対立する宗教でそれが頻繁におこなわれていたことを意味するようにみえます。コーランでは多神教攻撃の部分がけっこうあり偶像崇拝批判がでてきます。

 また、戒律のしばりについては地域的な差もあり砂漠とか田舎で近親の相互監視のつよいところと都市の自由なところでは違うことでしょう。イタリアの都市で法律がまもられないのは古代近代もかわらないことでしょう。
 また、汚れた中年弁護士は法律があるからこと、そのとおりに世の中が動いていないと思います。
 貞操についても現在の調査では父方DNAと法律上の子の一致率はユダヤ人と日本が特に高いという結果がでています。女性の貞節という観点や浮気のしにくい環境という解説もありますが、これは戦争と虐殺被害の結果ではないかと思っております。人口復活のときのベビーブームのときに不倫の子をつくるひまはそうそうなさそうです。
返信する
Re:宗教での禁止は (mugi)
2015-11-04 21:28:54
>madiさん、

 私の方こそ、再度参考になるコメントを有難うございました。

 仰る通り宗教の禁止事項は、対立する宗教で、それが頻繁におこなわれていた可能性がありますね。しかし、先の貴方のコメントにあったように、自分たちも禁止事項を結構犯していたことも考えられます。
 聖書ではカナン人がいかに堕落しているか書き連ねられていますが、ユダヤ人はカナン人から宗教や文化面で影響を受けていました。自分たちの悪業を敵役の異教徒に投影、彼等への口撃に使っていた?と想像しています。偶像崇拝禁止はユダヤ教も同じ、というよりこちらがルーツです。

 法律があるといえ、守らない人が多いのはいつの時代も変わらない。そして現在の調査で、父方DNAと法律上の子の一致率はユダヤ人と日本が特に高いという結果が出ていたのですか??日本人と違い全世界に居住しているユダヤ人が?人口復活のときのベビーブームなら、イギリスやドイツ、フランス辺りも同じはずなのに、、、

 再度アヘンに関することですが、日露戦争直前に来日したイラン人外交官は、日本では麻薬中毒者を見かけないと記録しています。だから日本の刑法にはアヘンに関する罪が多くあったという指摘に驚きました。この外交官のことは以前記事にしており、貴方からコメントを頂きました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/3ffd295f08a473778ebe3a03bcfebd91
返信する
Re:宗教での禁止は (motton)
2015-11-05 17:19:18
# 横からすみません。
アヘンに関しては、中国(清)の惨状を間近で見ていたからではないでしょうか。アヘンは国を滅ぼすものだと。
ちなみに台湾統治では、いきなり禁止にするのではなく、許可制(新規は禁止)にして徐々に減らし撲滅に成功したようです。
返信する
女装はあった (室長)
2015-11-06 10:28:39
こんにちは、
 池田理代子に関心がないので、読んでいませんでした。小生のコメントに言及があるのに、今日気が付きました。遅くなってすみません。
 madiさんのいう、法律に禁止されていることと、流行との関係に関しては、必ずしも心当たりが無いのですが(ブルでは、そういう流行も無いから、恐らく禁止法例も無いはず)、ブルガリアで、男装する女性、或は警官、兵士などの制服を着る女性の姿を見たことが無いのは確かです。とはいえ、戦時中のソ連軍を描いた映画とかで、制服を着た女性兵士、女性警官はよく見る光景。ブルのある映像でも、女性警官の制服姿を見た記憶はある。
  少数は居たのでしょうが、基本的には本部にいるタイピストとか、事務関係部署だと思う。ブルの映画で見た女性警官も、売春婦取り締まり担当の女性警官の姿でした。女性相手の部門だから、女性警官もいたということでしょう。

  とはいえ、女子会などの隠れた遊びとしても、ブルの社会で、男装趣味などがあったとは思えない。基本的に、ブルでは、社会主義時代以来女性の社会進出はかなり進んでいて、大学でも成績優秀者は断然女性でしたが、彼らに男装趣味は見られない。

  ところが、ブルの伝統社会の祝祭日を今年小生のブログで連載した時に気が付いたのは、トルコ系社会、ムスリム系ジプシーの社会などでは、祝祭日・冠婚葬祭のおふざけとして(例えば結婚式披露宴)、男性が女装して、性交シーン、出産シーンを真似するという事例が結構記録されているようです。これは新郎・新婦教育のため、と言う理由が一応はあるようですが・・・。他方で、クリスチャンの場合は、そういう女装してふざけるということも、やはりなかったと思う。

  ともかく、女装してふざける男はいても、男装してふざける女性などはいないし、宝塚のように、女性が男装する舞台芸術も無い。隠れた遊びとしても、そういうコスプレは、少なくとも伝統社会の昔には無かったと思う。
  西欧では、日本のアニメの影響で、コスプレが流行っているらしいけど、やはり男装する女性はほぼ居ないのではないかと思う(想像ですが)。憧れるのはやはり、美しい、或はかわいらしい女性の姿ではないか?
返信する
Re:Re:宗教での禁止は (mugi)
2015-11-06 21:12:57
>mottonさん、

 仰る通り、アヘン戦争敗戦後の清の惨状は日本に衝撃を与えました。それを防ぐために日本の刑法では、アヘンに関する罪が多く作られたのかもしれません。日露戦争直前に来日したイラン人は、麻薬中毒者を見かけないことで、日本を覚醒した国と評価していました。

 台湾でもアヘンが蔓延していたのですか。そして台湾での対策は初めて知りました。アヘンを許可制にして徐々に減らしていったとは、統治政策は賢明でした。
返信する
Re:女装はあった (mugi)
2015-11-07 21:24:35
>こんばんは、室長さん。

 ブルガリアといえば共産圏だったので、何となく女性の社会進出が進んでいたイメージがあったのですが、貴方の滞在経験では女性の兵士はおろか、警察官さえ目にしなかったことを教えて頂いて驚きました。共産圏の映画はプロパガンダの色合いが濃いはずですが、その映像に登場した女性警官でも売春婦取り締まり担当に過ぎなかったのですか。悪く言えば警察組織では下っ端ですよね。

 19世紀フランスの女性作家ジョルジュ・サンド(ショパンとの恋愛で有名)は男装することもしばしばでした。米国の富豪の娘に生まれながら、渡仏して活躍した作家ナタリー・バーネイも男装趣味があり、少なくともこの時代のフランスの社交界には、男装する女性が一部にせよいたようです。
 池田理代子によれば、革命前のフランスにも男装する貴婦人がいたとか。尤も彼女らのような男装の麗人は、極めて稀なケースだろうと思います。

 ブルのトルコ系社会では、冠婚葬祭の余興にせよ、女装する男性がいたことを室長さんから教えて頂きましたが、クリスチャン社会ではそのような習慣はなかったのですね。
 西欧社会では女性は女らしく、と常に言われていることを聞いたことがあります。この場合の「女らしく」とは日本とはニュアンスが異なり、室長さんの仰る通り、美しい女性の姿で、ということを意味するそうです。
返信する