トーキング・マイノリティ

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池田理代子の世界 その一

2015-11-01 20:40:08 | 漫画

 行き付けの図書館から借りた『池田理代子の世界』(朝日新聞出版)を先日見た。表紙には「ベルサイユのばら40周年+デビュー45周年記念」を謳っており、ベルばらファンはもちろん池田ファンには興味津々の内容だろう。このムックではベルばらについて特に目新しい情報はなかったが、池田氏のインタビューには興味深い主張が幾つかあった。作品以外にもインタビューからは、池田氏の思想も浮き上がってくる。

「ベルサイユのばら」の他に私が見た池田漫画は、「生きててよかった!」「桜京」「ゆれる早春」「おにいさまへ…」くらいだったと思う。ベルばら以外の代表作「オルフェウスの窓」は途中までしか見ていない。ベルばらの続編的作品「栄光のナポレオン-エロイカ」を見たのも、某中古本チェーン店での立ち読みだったし、それでベルばらキャラのアランやベルナール、ロザリーが登場していたのを知った。
 しかし、ナポレオンにはまるで関心がなかったし、革命後のフランス情勢も同じだった。そのため「栄光のナポレオン~」は買わず、こちらも今に至るまで未読のまま。

 まだ小学生だった昭和48年(1973)当時、私はベルばらに夢中になっていたが、70年代は多くの素晴らしい少女漫画が生み出された時代でもあり、私の関心は他の作品に移っていった。一番好きな少女漫画を問われたならばベルばらを挙げるが、実は池田氏は私の最も好きな少女漫画家ではない。
 最も好きな少女漫画家の名を聞かれれば、私は迷わず青池保子さんの名を挙げる。青池、池田両氏ともに歴史漫画を数多く描いているが史観や思想面ではかなり違っており、『池田理代子の世界』にはそれがよく伺える。

 またも未見だが、池田氏はポーランド史を扱った『天の涯まで』という作品も描いており、これが「朝日ジャーナル」に連載されていたことを初めて知った。連載に先立ちジャーナルではポーランド文学者・吉上昭三氏との対談も掲載、その対談がムックに再録されている。初出はジャーナル1989年12月29号。対談で池田氏は分割で祖国を失ったボーランドを引き合いに、こう語っている。

そういう意味でも、私は今ほど歴史を学ぶことの必要性の多い時代はないと思うんです。日本人は歴史好きな国民だといわれているでしょう。でも、歴史から学ぶことの下手な国民だというのが、私の感想です。
 せっかくヨーロッパという、ものすごい血を流してくれた歴史の教科書があるのだから、ただ楽しむだけでなく、学び取るためにあるのだということを強調したいですし、また、これからの日本人にはそれが一番必要になってくると思いますね

『天の涯まで』は未読ゆえ論評できないが、上の意見への私の感想は、「池田先生、いささか上から目線過ぎないですか?」 
 私は20数年来のナナミスト(塩野七生ファン)でもあり、ネットでは塩野氏を指して「日本最強の歴女」と言った人もいて、これには私も同感だ。歯に衣着せぬ論評で知られる塩野氏でも、ここまで大上段には言わないだろう。
 ものすごい血を流してくれた歴史というのならば、東、南、東南、西アジア史も同じであり、せっかくの流血の歴史がありながら、欧州人は歴史から学びとっているのか極めて疑問だ。ポーランド史には全く浅学だが、ポーランドと聞いて真っ先に私がイメージするのはボグロム。規模としてはロシアの方が大だが、「カトリックの砦」だったポーランドの事情があるのは書くまでもない。

 歴史に学べという掛け声はあふれていても、どの歴史をどう学ぶのか、その選択は難しい。読書家で歴史本を好んで読んでいた人物の1人に、ベルばらにも登場するルイ16世がいる。王太子の頃からルイはデイヴィッド・ヒュームの「英国史」を愛読、特に革命により処刑されたチャールズ1世の非命に深い印象を受けていたという。
 社会情勢が不安定になると、彼はこの1節を反復熟読、これを反面教師にし、どうすれば一身の安全を保てるか、を沈思した。その結果、大勢に逆らわず、譲歩によって危険を回避するのが良策だ、と信じるに至った。譲歩すれば革命は沈静化する、と安易に期待したのだ。

 敵に果敢に抵抗したチャールズ1世と対照的に、革命政府に譲歩に譲歩を重ねたルイ16世だが、斧とギロチンの違いはあれ、どちらも斬首されたのは変わりない。尤も優柔不断のルイにチャールズ1世のような行動は取れなかっただろうが、せっかく流血の歴史を学んでも失敗例となったのだ。
その二に続く

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