トーキング・マイノリティ

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インド首相からの贈り物 その一

2014-10-04 20:40:21 | 世相(外国)

 先月、インドのナレンドラ・モディ首相が来日した。日本滞在最終日、皇居で天皇陛下に謁見した際、モディ首相はヒンドゥー教の聖典バガヴァッド・ギーターを献納している。例によって河北新報はこの献納を報じず、私もネットでようやく知った。このニュースを紹介したサイトもあり、見出しは「インド「神道は全てを受け入れる」 天皇陛下に贈られたヒンドゥーの聖典が論争に」。
 これにはインド人の意見が34件紹介されており、モディ首相のギーター献納には概ね賛成だった。同時に反対や中道の意見も幾つかあるのは興味深い。この贈り物については日本人もネット論争を繰り広げていて、こちらも面白かった。先ずインド人の賛成派の意見を何点か挙げてみたい。

■バガヴァッド・ギーターは長年インドで尊重されてきた書物だ。もっとも敬意を持たれている、非宗教的なテキストなんだよ。
■天皇陛下も喜んでこのギフトを受け取ってくださったと思うんだけど。
■バガヴァッド・ギーターは、インド人からの最高の贈り物でしょ(相手が誰であろうと、どこの国の人であろうと)。
■なにか物ではなく、知識を贈る。最高のことだと俺は思うね。
■良いギフトだよな……。だってインドの文化だもん……。好き嫌いはともかくさ。
■素晴らしいアイデアだ。でも他の国のトップが僕らの聖典に、どれくらいの敬意を持ってくれるだろう。

 ギーターを「非宗教的なテキスト」と断定した意見の他にも、「メッセージが込められた本を送っただけで、宗教とはまったく関係ないってことは分かってるから!!」「だから宗教じゃないって。俺たちの歴史と文化の一部だ」といった主張もある。
 そもそも、バガヴァッド・ギーターとは「神の詩」の意であり、クリシュナ神アルジュナ王子にダルマ(義務)を順々と説くかたちになっている教典なのだ。そのため非宗教的なテキストや宗教ではない、といった意見に私は思わず、えっ?となってしまった。宗教抜きにインドの文化はあり得ないのだし。それに対し、以下は反論派の主張。

俺達の首相なんだから、その立場に相応しい行動をとってもらいたい。 
■他国の宗教に敬意を持てない人。それがモディ首相だよ。
■お返しに同じような書物を贈られたら、モディ首相は受け取るべきなの?日本の首相はギーターを読んでくれるかもしれないけど、俺たちの首相も贈られたらそれを読むべきなのか?なんで国際政治に宗教を持ち出すの?
■他国で宗教的な本を贈るって、彼は政治のトップ?それとも宗教のトップ?インドの政治よりも、布教の方に興味があるみたいね!!

 首相のギーター贈呈を批判した人々がインドで8割強を占めるヒンドゥー教徒なのか、宗教的マイノリティかは不明。ただ、この国でしばしば発生する凄惨な宗教暴動を思えば、政治の場で宗教を持ち出すことに懸念する意見が出るのは当然だろう。一応インドでも政教分離が取られているが、宗教勢力が政治に介入するのは珍しくない。そして冷静な見方をしているのは、賛成も反対もしなかった人々。

■日本はまた特別だと思うけどね。ヒンドゥーの文化が多く残ってるし、仏教徒も大勢いる。 
■日本人の多くは仏教徒。ギーターを外交手段として取り入れるだろうけど、従いはしないでしょ。

 特に2番目の意見は考えさせられた。これはインド人にこそ当てはまり、ヒンドゥー教徒が多いインドは仏教経典を外交手段として利用するが、従いはしない。賛成派だが、日本の神道を引き合いにしている次の意見は傑作だった。

■これの何が問題なんだ?メディアはシントウのことを何も分かってないね。日本の文化をちゃんと学ぶべきだ。天皇は法王のような存在なんだよ。そしてシントウは、すべての宗教を受け入れるんだ。宗教が違くても、誰でも日本の神社に参拝する事が出来るしね。

 件のインド人自身、日本の文化や神道を学んでいるのやら。融通無碍で全ての宗教を受け入れているのはヒンドゥー教も同じ。尤も異教徒は現代でもヒンドゥー寺院に気軽に参詣出来ないし、かつては不可触民を寺院に入れなかったほど。宗教対立時には敵対する異教徒から寺院が焼打ちされることも珍しくなかった事情もあり、ヒンドゥー寺院に近づく異教徒に警戒するのは当然かもしれない。
その二に続く

◆関連記事:「日本人は隠れヒンドゥー教徒?
 「阿修羅的な人―バガヴァッド・ギーターより」 

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