DVDでだが、先日久しぶりにイラン映画を見た。監督ジャファル・パナヒ、代表作に『白い風船』『チャドルと生きる』『オフサイド・ガールズ』等がある。仙台で公開されたミニシアターでは、作品を次のように解説していた。
―反体制的な活動を理由に、政府から“20年間の映画監督禁止令”を受けているイランの名匠ジャファル・パナヒ監督、待望の最新作。監督自らタクシー運転手に扮し、厳しい情報統制下にあるテヘランに暮らす乗客たちの人生模様を描きだした奇跡の人生賛歌。
作品の公式サイトもあるが、映画.comの特集にはこんな一文もあった。
「反体制的な作風と、09年の大統領選で改革派を支持したことから、これまでに2度逮捕され、86日間の拘留も経験。映画製作、脚本執筆、海外旅行、インタビューを20年間禁じられ、違反すれば6年間の懲役を科される身…」
イラン当局からは“反体制的な作風”と断定されたらしいが、一般日本人からすると理由がまるでワカラナイ。強いて言うなら『チャドルと生きる』『オフサイド・ガールズ』は、イスラム社会に虐げられる女性が登場しており、これが“反体制的な作風”と見なされたのだろうか?“反体制的な作風”の作品が当たり前な国の庶民には、想像もつかない検閲体制だろう。
そんなパナヒ監督の最新作だったが、私的にはいささか期待外れだった。監督自らタクシー運転手に扮し、タクシーに乗ってくる乗客や彼らの会話を映すやり方は面白いが、ドキュメンタリーの形を取っても、映画作りのためのフィクション?という感想が出てくる。
まず初めに登場した客は自称路上強盗と女教師。死刑を巡る彼らの会話は興味深く、死刑を当然視しているのが自称路上強盗の男。死刑は見せしめになるので結構という男と、イランはすぐ死刑にする、中国に次いで世界で2番目に死刑が多いと反論する女。2番目がサウジではなくイラン?「世界各国の死刑制度と驚きの処刑方法」というサイトによれば、人口当たりの死刑執行数は世界最多なのがサウジとある。
この国でも教師は世間知らずと思われているのは笑えたが、原則公開処刑のサウジでのようにイランでも、時に公開死刑が行われているのだろうか?尤も19世紀までは日本も含め欧米諸国でも公開処刑は広く行われていたが。
他の乗客たちも異色だ。海賊版レンタルビデオ業者や交通事故で負傷した男とその妻、金魚鉢を大事に抱えている2人組の老女、映画監督志望の学生、監督の幼馴染、政府から停職処分を受けた女性弁護士など…
このような個性的な人々が偶然タクシーに乗って来たとは到底思えない。乗客たちも実は役者で、台本通りの芝居をしている?と疑いたくなる。もちろん映画なので、多少フィクションが含まれていても不思議はない。
映画の後半の主役は、何といっても監督の姪ハナだろう。齢は十歳くらいだろうか、顔立ちは可愛いくとも、大人に臆することなく喋りまくる。ハナは学校の課題である短編映画を撮ろうと構想を練っている。子供でもスカーフを被り、肌を露出しない服装をしているのはイランらしいが、スマホで映像を撮りまくる現代っ子なのだ。特に印象的だったのは、ハナがイランで上映可能な映画の規則をおじに話すシーン。
「女性はスカーフを被り、男女は触れ合わない。政治や経済の話は避ける。俗悪なリアリズムや暴力は避ける。善人役の男性にはネクタイをさせない。善人の男性にはイラン名を使わず、代わりにイスラムの聖人の聖なる名前を使うこと……」
スカーフを被らない女性や触れ合う男女の登場するイラン映画は考えられないが、善人役の男性も当局が決められた規則に従っていたのだ。殆どの日本人は、これほどまで厳しい検閲に驚愕するはず。トルコも映画制作では検閲があるにせよ、スカーフを被らない女性の方が多く登場している。
厳しい検閲があるにも拘らず、各国の映画祭で軒並み賞を取るのがイラン映画なのだ。幾ら当局が表現の自由を制限、圧力をかけてもそれに屈さず、映画制作を続けようとする監督の強い意思には本当に驚嘆させられる。実はこの作品も当局の許可が下りず、本国では公開されなかったが、支援者たちの協力により制作できたという。
イランに比べ限りなく“表現の自由”を謳歌しているはずの日本映画界だが、質が低下の一途をたどっているのは如何なる理由なのか?最近の邦画のヒット作はアニメばかりだし、安易に漫画を実写化する作品も多い。制作環境では遥かに劣るイランの方が良作を生み出し続けてる。恵まれすぎて返って創作意欲のある映画人が育たないのやら。
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