雅藍(がお)っぽさまるだし2。

芝居やゲームやWWEや映画やライブを糧に人生を何とか過ごしてる、そんな雅藍(がお)さんの日々をまるだし。

PARCO歌舞伎「決闘!高田馬場」:芸達者と不協和音の妙。

2006年03月19日 | 風に記された文字だから(演劇)
久しぶりの観劇。
渋谷のPARCO劇場にて、PARCO歌舞伎「決闘!高田馬場」

久々に、非常に安心して観れる芝居でした。
何より役者が全員芸達者。ツボをはずさない。

若干前半が冗長に感じないこともなかったけど、
だからと言ってそれが退屈と言うわけでは決してなく。
ある意味あってしかるべき冗長さ、とでも言うべきでしょうか。

そして後半、クライマックス。
歌舞伎の技術で魅せる魅せる。

特に早代わりの連続は素晴らしすぎ。
市川亀治郎さんが特に見事で!

あまり詳しいことはネタバレになるからかけないんだけど、
感嘆しまくりのクライマックスでした。


で、気がついたこと。
なんだか三谷さんっぽくなかったんですよね。
作・演出が三谷幸喜だったのに。
多分、そのことを知らないで観たら、絶対気がつかないと思う。

そのあたりは試行錯誤、なところもあったんだろうと思うんだけど、
微妙な不協和音を感じるわけです。
ただ、それは凄く面白い不協和音なのです。

例えば役者の演技の方向性の不協和音。
市川染五郎さんとか中村勘太郎さんは、現代劇にも頻繁に出演されていて、
結構PARCO慣れした演技と言うか、
歌舞伎っぽくないアプローチで演技をしているように見えます。

一方、市川亀治郎はじめそのほかの方は、
どちらかと言うと結構歌舞伎よりのアプローチなんですね。
伝統的というか、割かしべたな感じすら受けると言う。

全く異なったアプローチの役者が一つの舞台に立てば、
そりゃ不協和音を感じるんですよ。

だけど、それが凄く面白い。
「融合」とは微妙に違うずれを感じて、
で、役者は明らかにそれを楽しんでる。
この新しい、伝統的な歌舞伎とは違うし、
「いのうえ歌舞伎」や「コクーン歌舞伎」、はたまた「野田歌舞伎」とも違う
この異質で新しいアプローチの歌舞伎を楽しんでる。
その楽しさが十二分に観客席まで行き届いてるから、
観客はスタンディングオベーションを、
なんの躊躇もなくしていけるんじゃないかと、そう感じたわけです。

PARCO歌舞伎、面白かったなぁ。
願わくば今後もシリーズ化して続いていくことを。

…あー、でも、そうなると、毎回チケット取りに苦労するんだろうなぁ……。
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