久しぶりの観劇。
渋谷のPARCO劇場にて、PARCO歌舞伎「決闘!高田馬場」。
久々に、非常に安心して観れる芝居でした。
何より役者が全員芸達者。ツボをはずさない。
若干前半が冗長に感じないこともなかったけど、
だからと言ってそれが退屈と言うわけでは決してなく。
ある意味あってしかるべき冗長さ、とでも言うべきでしょうか。
そして後半、クライマックス。
歌舞伎の技術で魅せる魅せる。
特に早代わりの連続は素晴らしすぎ。
市川亀治郎さんが特に見事で!
あまり詳しいことはネタバレになるからかけないんだけど、
感嘆しまくりのクライマックスでした。
で、気がついたこと。
なんだか三谷さんっぽくなかったんですよね。
作・演出が三谷幸喜だったのに。
多分、そのことを知らないで観たら、絶対気がつかないと思う。
そのあたりは試行錯誤、なところもあったんだろうと思うんだけど、
微妙な不協和音を感じるわけです。
ただ、それは凄く面白い不協和音なのです。
例えば役者の演技の方向性の不協和音。
市川染五郎さんとか中村勘太郎さんは、現代劇にも頻繁に出演されていて、
結構PARCO慣れした演技と言うか、
歌舞伎っぽくないアプローチで演技をしているように見えます。
一方、市川亀治郎はじめそのほかの方は、
どちらかと言うと結構歌舞伎よりのアプローチなんですね。
伝統的というか、割かしべたな感じすら受けると言う。
全く異なったアプローチの役者が一つの舞台に立てば、
そりゃ不協和音を感じるんですよ。
だけど、それが凄く面白い。
「融合」とは微妙に違うずれを感じて、
で、役者は明らかにそれを楽しんでる。
この新しい、伝統的な歌舞伎とは違うし、
「いのうえ歌舞伎」や「コクーン歌舞伎」、はたまた「野田歌舞伎」とも違う
この異質で新しいアプローチの歌舞伎を楽しんでる。
その楽しさが十二分に観客席まで行き届いてるから、
観客はスタンディングオベーションを、
なんの躊躇もなくしていけるんじゃないかと、そう感じたわけです。
PARCO歌舞伎、面白かったなぁ。
願わくば今後もシリーズ化して続いていくことを。
…あー、でも、そうなると、毎回チケット取りに苦労するんだろうなぁ……。
渋谷のPARCO劇場にて、PARCO歌舞伎「決闘!高田馬場」。
久々に、非常に安心して観れる芝居でした。
何より役者が全員芸達者。ツボをはずさない。
若干前半が冗長に感じないこともなかったけど、
だからと言ってそれが退屈と言うわけでは決してなく。
ある意味あってしかるべき冗長さ、とでも言うべきでしょうか。
そして後半、クライマックス。
歌舞伎の技術で魅せる魅せる。
特に早代わりの連続は素晴らしすぎ。
市川亀治郎さんが特に見事で!
あまり詳しいことはネタバレになるからかけないんだけど、
感嘆しまくりのクライマックスでした。
で、気がついたこと。
なんだか三谷さんっぽくなかったんですよね。
作・演出が三谷幸喜だったのに。
多分、そのことを知らないで観たら、絶対気がつかないと思う。
そのあたりは試行錯誤、なところもあったんだろうと思うんだけど、
微妙な不協和音を感じるわけです。
ただ、それは凄く面白い不協和音なのです。
例えば役者の演技の方向性の不協和音。
市川染五郎さんとか中村勘太郎さんは、現代劇にも頻繁に出演されていて、
結構PARCO慣れした演技と言うか、
歌舞伎っぽくないアプローチで演技をしているように見えます。
一方、市川亀治郎はじめそのほかの方は、
どちらかと言うと結構歌舞伎よりのアプローチなんですね。
伝統的というか、割かしべたな感じすら受けると言う。
全く異なったアプローチの役者が一つの舞台に立てば、
そりゃ不協和音を感じるんですよ。
だけど、それが凄く面白い。
「融合」とは微妙に違うずれを感じて、
で、役者は明らかにそれを楽しんでる。
この新しい、伝統的な歌舞伎とは違うし、
「いのうえ歌舞伎」や「コクーン歌舞伎」、はたまた「野田歌舞伎」とも違う
この異質で新しいアプローチの歌舞伎を楽しんでる。
その楽しさが十二分に観客席まで行き届いてるから、
観客はスタンディングオベーションを、
なんの躊躇もなくしていけるんじゃないかと、そう感じたわけです。
PARCO歌舞伎、面白かったなぁ。
願わくば今後もシリーズ化して続いていくことを。
…あー、でも、そうなると、毎回チケット取りに苦労するんだろうなぁ……。