愛語

閑を見つけて調べたことについて、気付いたことや考えたことの覚え書きです。

「Love will tear us apart」について――(2)

2010-03-31 20:25:28 | 日記
 私がこの詩に惹かれたのは、「When routine bites hard/and ambitions are low」のフレーズが、まさにルーティンワークを繰り返している、自分の日常の心情にぴったりだったところにあります。
 「ambition」は「コントロール」字幕では「野心」と訳され、『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』では「気力」と訳されていますが、「気力」よりも「野心」の方が解釈の幅が広がるように思います。単に気力とかやる気が低下するのではなく、かつて抱いていた「野心」「大志」のようなものが、日常の決まりきった仕事、型にはまった言動のくり返しに埋もれていく――そんな感じが、このフレーズに凝縮されているような気がしました。
 続く「And resentment rides high/But emotions won't grow(怒りは高まるけれども 感情が育たない)」とは、どういう意味なのでしょうか。
 これは、「Disorder」に「I've got the spirit, but lose the feeling(僕は生き返ったけど、感じる力がなくなった)」とあるのと似た感覚で、怒りや抵抗以外の感情がなくなっていく、ということなのではないかと思います。
 そして、こうした感情を抑えつつ何とか持ちこたえようと、やり方を変えたりして続けていく日常を壊してしまうのが「love」です。単純に愛すべきものとも言い切れない、憎むべきものかもしれない、しかし、圧倒的な力をもつ何かとしての、強いイメージを持っています。
 つまり、個人的な「妻」と「愛人」という対立を超えた、いろいろな対立に置き換えることができ、日常と日常をおびやかす存在、そうした対立の中で葛藤する心を描いた詩として捉えることができるように思います。バンドの活動も、最初は大きな野望の実現だったかもしれませんが、それが仕事となり、ルーティンワークとなることで、本来のモチベーションとは違う気持ちで続けなければならなかったかもしれません。また、バンドの活動も含め、生活を成り立たせるためにしなければならないことと、詩の創作は、矛盾し対立するものだったかもしれません。そして、こうした矛盾や対立は、程度の差こそあれ、多くの人が共通して抱いていることではないでしょうか。どちらに従うべきか暗黙のうちに決定することで、みな感情をコントロールしていて、「本当の自分は違う」などと思いながら、ルーティンワークをこなし続けている、といったふうに。
 トニー・ウィルソンは、こんなことを言っています。
「彼(イアン・カーティス)はビジネスマンではなかった。人を組織できるタイプではなかったし、また体を使ったり頭を使って手はずを整えたりもできなかった。私はできる。私は不倫をしていたが、同時に二人の女性を愛していた。タフだよ、だって私はファクトリーやなんでも経営するのと同様の能力を使ってたからだ」(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』)
 こうしたやり方ができるのなら、自分も周囲も傷つけることなく、スムーズに物事を運んでいけるのかもしれません(トニーは結局二度離婚していますが)。しかし、たいていの人はこのような局面に対したとき、そんな器用なことができず、全人格をかけて悩むのではないでしょうか。頭で理屈は分かっていても、感情がついていかない――そんな時「But emotions won't grow」というフレーズが実感されるのでは、と思います。

 死の少し前、イアン・カーティスはインタビューで、「詩がいかに明白に、彼の現実の状況から影響を受けているか」ということを説明しています。
「……もっと言うと、それは私的な人間関係と、そして人々がある種の問題に対処するやり方についてのものだ。僕は人々がある種の問題をどう見て、どう対処するか、そうしたことにどう順応するかということに関心をもつ傾向がある」(David Nolan“Bernard Sumner: Confusion”)

No,I don't know just why,         どうしたらいいのか、
Which way to turn,            どちらに向かえばいいのか、 
I got this ticket to use         このチケットの使い道がわからない
                       (「From Safety to Where…?)

I can't see why these dislocations,   どうしてこんなに混乱したのか分からない、
No family life,               家庭生活などいらない、
this makes me feel uneasy       僕に不安を感じさせるだけ
                        (「Colony」)

How can I find               どうしたら見つけられるのだろう
the right way to control,         正しく抑制する方法を
All the conflict inside,          内なる葛藤のすべて
All the problems beside         横たわる問題のすべて
As the questions arise,         疑問がいろいろ沸き上がると
and the answers don't fit,        答えが合わない、
Into my way of things          僕の対処の仕方では
                        (「Komakino」)

などの詩は、彼が人間関係や、日常生活で抱えた様々な問題について、自分の対処の仕方がまずい、あるいは対処の仕方がわからない、と感じていたことを窺わせます。妻と愛人の問題はその中でも最たるものだったのでしょう。

「Love will tear us apart」について――(1)

2010-03-24 20:31:42 | 日記
「Love will tear us apart」は3時間で書き上げた。ある夜、僕らがあのリフを思い付くと、イアンが言ったんだ――僕にアイディアがあるんだ、って。彼が目の前で歌ってくれた時、僕らはあれがデビーとアニークについてのものだとは思わなかった。ただこう思ったんだ――なんて素晴らしい曲だ――「Love will tear us apart」、いいぞ、イアンがまたやってくれた、って。
(ピーター・フック『クローサー』コレクターズ・エディション所収の、バーナード・サムナー、スティーブン・モリスとの鼎談)

無理からぬことだが、この歌詞はメディアには、うまく行かなかった恋愛関係についての歌であると解釈された……火葬場で、私が墓石に刻むために選んだ語句をロブ・グレットンに伝えた時、彼は茫然としたが、その言葉は変えるところはほとんどなさそうで、私が言いたかったことすべてを要約しているように思われた。「愛が私たちを引き裂いていく」という表現は、私たちみんながどのように感じたかをとてもうまく表していた。
(デボラ・カーティス『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』)

「Love will tear us apart」は、イアン・カーティスと妻デボラ、愛人アニックとの間の三角関係についての詩だと言われています。この曲はカーティスの死の翌月、1980年6月に発売され、全英チャートの13位に入り、ジョイ・ディヴィジョンの最大のヒット曲となりました。

When routine bites hard           日常がつらくなり
and ambitions are low             野心も消え失せて
And resentment rides high          怒りが高まっても 
But emotions won't grow           感情がついてこない 
And we're changing our ways,        僕たちはやり方を変え
taking different roads             別の道を歩み始める
Then love, love will tear us apart again   愛は――愛はまたしても僕たちを引き裂く
Love, love will tear us apart again      愛は――愛はまたしても僕たちを引き裂く  

Why is the bedroom so cold         なぜ寝室はこんなに寒いのか
You`ve turned away on your side.     君は背を向けて眠る 
Is my timing that flawed?           僕のせいでひびが入り
Our respect run so dry.            尊敬し合う心も乾くけど
Yet there's still this appeal that       まだ惹かれているから
We've kept through our lives         僕たちは共に暮らしている

But love, love will tear us apart again    けれども愛は、愛はまたしても僕たちを引き裂く
Love, love will tear us apart again      愛は、愛はまたしても僕たちを引き裂く 

You cry out in your sleep           君は眠りの中で叫んでいる
All my failings exposed            僕の失敗をことごとく暴露した
And there's a taste in my mouth      口の中に苦味が残る
As desperation takes hold           自暴自棄に陥ると
Just that something so good just      うまくいっていたことが それ以上機能できなくなる 
can't function no more.

But love, love will tear us apart again    けれども愛は、愛はまたしても僕たちを引き裂く


(※2連までの対訳は映画「コントロール」の字幕から、それ以下は『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』から引用しています)

「Why is the bedroom so cold」など、うまくいっていない家庭生活の雰囲気が表されていて、「love will tear us apart 」というフレーズは、事情を知れば、そこに割って入っている愛人の存在を、当然のように連想させます。
 しかし、「僕らはあれがデビーとアニークについてのものだとは思わなかった」というピーター・フックの発言の背景には、メンバーたちがカーティスの詩についてあまり気にとめていなかった、という事実が指摘されます。『クロ-サー』コレクターズエディション所収の三人の鼎談で、それぞれ次のように語っています。

「僕らは彼の詞に耳を傾けたことはなかった。それはとても奇妙なことだ。……自分たちの演奏に必死だったんだ。理解しようとしたけど、ついていくだけで精一杯だったんだ。」――バーナード・サムナー
「そこにはたしかに多くの感性が宿っていたけど、当時は、彼は自分の仕事をしているってことにすぎなかった。彼は作詞家だった。歌詞にはドラムを叩くことより意義があるのも事実だけど、それも仕事の一環だったんだ。」――スティーブン・モリス
「結局は、僕は自分の仕事にあまりに没頭していたから、彼が日常は言わなかった何かを必死で僕らに伝えようとしていたことに気付かなかったんだ。」――ピーター・フック

 イアン・カーティスは1980年4月のアニック・オノレ宛の書簡で、「僕は個人的な感情を自分の中に閉ざしてしまう。……僕が本当はどう感じているのかを理解することは、誰にとっても(きっと)難しい」と書いています。(“Torn Apart -The Life of Ian Curtis”)
 おそらく、彼はその「理解してもらうのが難しい彼の感情」を詩の中にこめていた、ということなのでしょう。「彼の意志と感情はすべて歌詞の中にあった。生きている間は彼の詩はどちらの意味にも取れるような表現だったが、亡くなったことによってはじめて、あと知恵ですべてが明らかになったのだ」(デボラ・カーティス『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』)。しかし、「彼は僕らにシグナルを送っていたんだ。だけど僕らは気付かなかった」(バーナード・サムナー)「おそらく彼は僕らに何か言おうとしていたんだろう」(スティーブン・モリス)というように(以上前掲の鼎談)、死後はじめて、周囲は詩と彼の感情について理解したようです。
「Love will tear us apart」が、彼の私生活での感情を歌った、私小説のような詩であることは、疑いようがありません。しかし、NME誌のライター、ポール・モーリイが、「初めて聞いた時、これは自分の歌だと思った」というように、単に個人的な感情であることを超え、多くの人の感情に訴えられなければ、単なる「私情」であって「詩」とは言えません。この詩にはそうした「詩」としての可能性があるかどうか、考えてみたいと思います。

「Atmosphere」の解釈──(3)

2010-03-18 21:53:43 | 日記
 そこで注目したいのは、2連の「Worn like a mask of self-hate」です。「自己嫌悪(の仮面)を身にまとう」とは、どういう意味なのでしょうか。
 自己を嫌悪しているようなふりをしている、とは、本当は自己嫌悪なんてしていない、ということになります。そして、続く「Confronts and then dies」の「Confronts (対立)」は、「自己嫌悪の仮面を被った自分とそうでない自分が『対立』している」ことのように読めます。だとすると、これは「Dead Souls」にある「A duel of personalities」=「(内なる)人格同士の闘い」と同じでしょう。
 自己嫌悪を身にまとっている自分と対立するのはどんな人格なのでしょうか。それが、「Naked to see/Walking on air.」=「無防備なまま/浮かれている」自分なのではないかと思います。
 「People like you find it easy」の「you」を「コントロール」は「君たち」と複数形で訳し、他の二つは「君」と訳しています。「君たち」とすると、特定の人物ではなく、世間一般の人々を指すニュアンスが強くなります。「多くの人々は『常に危険は存在する』という真実から目をそむけて浮かれている」、しかしそれは「自分はそうではない」ということではなく、「自分も含めて」そうだという自己批判なのではないでしょうか。
 そこから「川や通りの中に何かを求めても/もはや意味がない」という無常感が導き出されるように思います。「コントロール」のパンフレットにあるように、これは思い切った意訳ですが、直訳すると前後とつながらず唐突な印象を与える「川のほとりでハンティングし/通りを過ぎて/どの角もすぐに見捨てられて行き」とは、無常を象徴する風景として解釈できそうです。
 最後は「どうか行かないで」という呼びかけが再び繰り返されます。この呼びかけは、誰に向けてのものなのでしょうか。これは、日常に浮かされている自分を見捨てて去っていってしまう自分、つまり自分を見張って戒めてくれる「君」が去って行ってしまうことを食い止めようとする呼びかけのように思えます。
 イアン・カーティスはファン雑誌のインタビューで、「詩はどう解釈されてもかまわない。いろんな意味にとれるしね。好きなように解釈すればいいのさ。」と語っていたと、デボラは『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』に書いています。
 「イアン自身、いつも他の人の詩を読み解くのを楽しんできた。私たちはよくルー・リードの『パーフェクト・デイ』の最後の行の解釈を巡って議論したものだ」(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』)
 確かに、「Atmosphere」は、いろいろと想像力を掻き立て、解釈について考えさせる詩だと思います。

 ジョン・ライドンは、セックス・ピストルズのドキュメンタリー映画「No Future」で、パンクが生まれた1970年代の後半、ヒットチャートにあふれていたラブソングや、形骸化したロックについて、「恐ろしく退屈だった」と言っています。
 反骨精神を表すロックも、型にはまると反逆ではなくなります。型にはまった表現は人々の心に「何かを考えさせる」ということはありません。誰にでも同じような感じ方を、記号のようにわかりやすく伝達するのが型(パターン)です。ジョン・ライドンは、「君に伝えたい 愛してる ベイビー」という、パターン化されたヒットソングの言葉について、「くだらねえ。『君に伝えたい くたばりやがれ』他人の歌を歌うならねじまげるさ」と語っています。「言葉は俺の武器だ。暴力は得意じゃない。」というライドンの怒りの言葉、そして「俺たちの音楽は正直な音楽だ。この15年間で一番正直な音楽だ」という音楽に人々は熱狂しました。ピーター・フックは、1976年、マンチェスターで行われたセックス・ピストルズのギグを見たときのことを、「ショックだった。まるで車の事故だ。あんなバンドは初めて見た」と、ドキュメンタリー映画「ジョイ・ディヴィジョン」で語っています(このセックス・ピストルズのギグを見た翌日、バーナード・サムナーとともにパンクバンドを結成します。これがジョイ・ディビジョンの始まりです)。しかし、そのパンクも、皆が同じようにスタイルを真似ると、表現は型にはまり、人の心を煽動する力は失われていきます。
 ドキュメンタリー映画「ジョイ・ディヴィジョン」で、トニー・ウィルソンはこう語っています。
 「パンクでは『くたばれ』と叫べる。だがそこから先へは進めず、毒のある短い怒りのフレーズを発するだけ。ロックの再燃には必要だったが、遅かれ早かれそれ以外の突っ込んだ表現が現れてしかるべきだった。それを最初にやったのがジョイ・ディヴィジョンだ。パンクのエネルギーと単純さを使って、複雑な感情を表現した」
 ジョイ・ディヴィジョンの表現は「ポスト・パンク」を代表するものとして注目されます。イアン・カーティスの内省的な歌詞は、こうした背景のもとで、支持を得ていったようです。
 この詩はとても抽象的ですが、彼の詩には、実生活に即した私小説のようなものもあります。代表的なのが「Love will tear us apart 」です。

「Atmosphere」の解釈──(2)

2010-03-11 20:19:03 | 日記
 「コントロール」のパンフレットが、唐突で意味がわかりにくく、歌詞対訳でかなり苦労したと指摘する
  Hunting by the rivers
  Through the streets
  Every corner abandoned too soon
  Set down with due care
の部分ですが、『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』では、こう訳されています。
  川のほとりでハンティングし
  通りを過ぎて
  どの角もすぐに見捨てられて行き
  十分注意して 取り決める
 サントラ盤は先に記したコントロールのパンフレットの引用にもある通り、
  川のほとりで狩りをして
  通りをぬけて
  どの街角にも あっという間に人通りがなくなる
  よく注意して書き留めてほしい
となっています。「Every corner abandoned too soon」を『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』は「どの角もすぐに見捨てられて行き」と訳し、サントラ盤は「どの街角にも あっという間に人通りがなくなる」と訳しています。前者の〈街角が見捨てられる〉を、後者は〈街角に人がいなくなる〉と解釈したという違いはありますが、どちらもほぼ直訳です。
 これを思い切って前の部分と合わせて「川や 通りの中に 何かを求めても/もはや意味がない」と意訳したのが「コントロール」です。「abandoned」=「見捨てられる」の主語を単に「街角」とするのではなく、作者の心情に目を向け、街角も作者も「すぐに見捨てられる」──「もはや意味がない」が他と違うのは、その点にあります。こう訳されると、「Hunting by the rivers」「Through the streets」が、作者の内面を表すものとして読めてきます。〈あちこちに行っていろんなことをしても、意味がない〉という心情としてまとまってきます。
 そして、「Set down with due care」「これだけは覚えていてくれ」は、〈こんなことをしていても意味がない〉ことを強調するものとして、前のフレーズとつながってくるわけです。「Set down」とは、「心に刻む」ことなのだと理解することができます。
 「十分注意して 取り決める」「よく注意して書き留める」では、何を「取り決める」のか、「書き留める」のかよく理解できず、浮いてしまいます。
 直訳したのではよくわからない「Hunting by the rivers/Through the streets/Every corner abandoned too soon/Set down with due care」をこのように解釈してみると、これは、その前にある「Naked to see/Walking on air.」「無防備なまま/浮かれている(=真実から目をそむけて有頂天になっている)」ことの比喩として、しっかりつながってきます。
(ちなみに、サントラ盤では、「Aching to see /Walking on air.(痛みを感じながら目を向けて/宙を歩いて)」となっており、いよいよわかりません。「Naked」を「Aching(痛む)」と聞いてしまったようです)。
 このように、よくわからないまま、一つ一つのフレーズをバラバラにしてしまうのではなく、つながりに注意しながら読み込んでいくことで、全体を貫くテーマのようなものが見えてくるように思います。他の多くの詩と同じように、この詩には心象が描かれていて、内省的な内容であると思われます。「Atmosphere」は1980年にフランスで限定販売されたシングルですが、同時収録されている「Dead Souls」に、「A duel of personalities」「(内なる)人格同士の闘い」というフレーズがあります。この「内なる人格同士の闘い」が「Atmosphere」のテーマではないかと思うのです。
 「コントロール」には、ステージでのパフォーマンスについて「自分じゃない誰かが自分のふりをしているようで」というイアン・カーティスのセリフがあります。ドキュメンタリー映画では、カーティスが、自分自身の心情について、「人が抱いているイメージと実際の自分は違う。それがどんどんイヤになってくる。イアンは2人いる。1人はメディアの存在、バンドの歌手。もう1人は実際のイアン。傷だらけで怒れる──孤独な人間。もし本当の自分を見せたら、人はソッポを向くだろう」と話していたと、ジェネシス・P・オリッジ(1950-)が語っています。いろいろな話をしたけれども、彼がよく話していたのは、自分の心情についてののことだった、と。「Atmosphere」には、こうした内面の葛藤が表れているように思うのです。(続く)

誤りの訂正

2010-03-11 20:06:49 | 日記
「イアン・カーティスの詩について調べることの意味」の記事で、松浦美奈さんが、「「イアンの歌詞は、彼がその時、心の奥底で感じていたことを極めて詩的に綴ったものが多いので、映画を観た人が、イアンがどういう心情でこの歌詞を書いたのか? 少しでも判りやすく伝えたい!」-このような努力を惜しまなかった翻訳者と出会えたことは、詩にとってとても幸運だったのではないかと思います。」と書いたのですが、これは、パンフレットを読み直したところ、私の誤解でした。これは制作サイドの意志で、この意志をふまえて松浦さんが訳した、ということです。

また、「イアン・カーティスの死についての見解」の記事で、「カーティスはちょうど死の一月ほど前に癲癇の治療薬を大量に飲み、自殺未遂を起こしていますが、バーナードは、それよりも前に、リストカットによる自殺未遂をしていた事実をドキュメンタリーで語っています。」とある部分ですが、DVDを見直したところ、リストカットについての自殺未遂について映画で語っていたのは、「バーナード」ではなく「ピーター・フック」でした。どちらも、記事の方は訂正してあります。こうした間違いを見つけると恥ずかしいのですが、気付いたら、その都度断ってから訂正するようにします。