イアンがデボラとつきあい始めたのは1972年、16歳の夏でした。17歳のバレンタインデーには、デボラにこんな詩を贈っています。
I wish I were a Warhol silk screen 僕がウォーホルのシルクスクリーンだったらなあ
Hanging on the wall 壁に架かっている
Or little Joe or matbe Lou あるいはリトル・ジョーでも、ルーでもいい
I'd love to be them all 彼らのすべてでありたい
All New York city's broken hearts ニューヨーク中の失恋と
And secrets would be mine 秘密はいつも僕のもの
I'd put you on a movie reel 君を映画に出してあげよう
And that would be just fine そうすればちょっといいんじゃない
「他の男がいる時と私たち二人きりでいる時のイアンの態度には大きな隔たりがあった。彼は私を連れて田舎道を歩くのが好きだった。孤独と静寂が彼を幸福にしているようで、またそういう時の彼が一番魅力的で愛情が溢れているように感じられた。」(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』)とデボラが書いているような幸せな二人の関係は、いかに変わってしまったのでしょうか。『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』から目に付くところを抜粋してみます。
若くて頑固だった私たちは、周りの人たちの鼻を明かしてやろうと決心した。つまり、早々に離婚するのではないかと予想していた人たちに見る目のなさを思い知らせてやろうと思っていたのだ。 (第3章 p.46)
実務的なことにイアンは弱かったので、代わりに私が“介護人”の役割を果たした。家計は私が管理した。 (第3章 p.51)
結婚生活が期待していたほど心地よいものではないと分かるのにあまり長くかからなかった。社会生活をするのに余分なお金はほとんどなかったし、光熱費を最小限に抑えておくためには居間しか暖房はつけられなかった。 (第3章 p.51)
夜は創作するために“青の部屋”に(イアンは)閉じこもった。中断されるのは、マルボロの煙が渦巻くその部屋に私がコーヒーを運び入れる時だけだ。こうした状態を私は気にしていなかった。むしろ必要不可欠なプロジェクトのようなものと私たちは捉えていた。彼の仕事の中身を詳しく調べもせず、彼の作る歌はスーパーなものになるに違いないと、私は疑っていなかった。 (第4章 p.62)
私はどうしても、イアンが実用的なことに一切関心がない、ということが理解できなかった。料理はやりながら覚えていくものだが、それと同じように、イアンもいわゆる男性がやるべきことを徐々にやっていくのだろうと勝手に思い込んでいた。 (第5章 p.71)
私は常にイアンの健康状態に責任をもって対処してきたが、娘を授かってからはごく自然な感じで、彼にも娘を生活の中心に置いてほしいと期待した。 (第8章 p.97)
彼はステージ生活から家庭生活へとはうまく切り替えられなかった。私はどんな時でも彼の面倒を見ることができたのに。彼が学生の時から側にいたのに、バンド内の友情を乱すおべっか使いとしてしか私のことを見てくれなくなった。 (第8章 p.101)
初のアポロでのギグの前日、私はベビーバスに入れるために運んでいる時階段を踏み外して転んだ。翌日、やけどをした足に包帯を巻いて母に買ってもらった服を着て、アポロの楽屋に座っていた。私はその狭い楽屋の斜めの方から夫の愛人にじろじろ見られているのに全く気がつかないでいた。ごく自然な感じでイアンは素早くその楽屋から私を移動させた。 (第9章 p.115)
夜、仕事に出かけている間は、母が赤ん坊の面倒を見てくれると言ってくれた。……仕事はとても疲れた。朝早くから娘の世話をして、夜働き、遅くに帰宅して、その後にイアンが帰ってくるのを待つ。彼が安全にベッドで休むのを確かめるまでが仕事だ。 (第9章 p.117)
イアンは、私が彼の人生をいかに不幸にしているかを仲間に話すのがお決まりになっていたというし、ピーター・フックが私に語ったことによると、礼儀知らずのイメージが伝わっていたらしい。私たちの結婚生活は破綻し、彼は私に話をしなくなった。 (第9章 p.120)
『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』を、デボラの側からの一方的な、一面的な記述だと批判するのは容易いことでしょう。これは、あくまでもデボラの立場から見た出来事です。そこには、貧しい中で夫の愛を信じ、一生懸命支えていたのに、夫を奪われてしまった彼女の悲しみと怒りが表れています。
もちろん、イアンは彼女の気持ちに無関心だった訳ではないと思います。デボラがいかに自分の人生を不幸にしているか、仲間に話していたのは、彼女への仕打ちに対する後ろめたさもあったからではないでしょうか。そして、自分なりにデボラとの距離について思い悩み、「Glass」や前回列挙したような詩が書かれたのではないでしょうか。
デボラが「彼の人生をいかに不幸にしているか」、イアンから繰り返し聞かされていたはずのバーナド・サムナーは、『ロッキング・オン』2008年4月号に収録されているインタビューで、デボラについてこう語っています。
彼女は彼女のアングルからイアンを見ていて、僕らは反対側からイアンを見ていたわけ。でももちろん僕らは、デビーのことも、イアンを通してのみ見ていたわけだ。だからこの映画のおかげで僕は彼女の苦しみを、より良い観点から理解することができた。夫を失った彼女の苦しみがよくわかったんだよ。それまで僕が彼女に対して抱いていた印象は、愚痴っぽくていつもイアンにつきまとう奥さんというものだったけどね。イアンはよく、「彼女はまた僕に腹を立てている」と言っていたし、そんなときあいつはとても不機嫌で不幸せに見えたから。
バーナードが言うように、どんな観点から見るかでその人の立場への理解は変わってきます。しかし、後年、ある程度客観視できるようになってからならともかく、当事者として事態に直面している間は、相手を思いやる余裕もなく、自分の立場でしか対象を見られません。そんな時に生じる、どうしても埋められない溝――「The gaps are enormous」(「I Remember Nothing」)という関係から生じる摩擦がいかに「心をくじく」かを訴えたのが、「Glass」ではないかと思います。そしてそれは、夫婦間に限らず、友人同士、同僚同士、または自分と世間との間、などというように、あらゆる関係において言えることだと思います。加えてイアンの場合は、「Digital」に表現されたような、アーティストとしての特殊な心理状態と日常生活とのギャップという問題がありました。「Digital」と「Glass」がセットであること、それは、イアンの詩と生活を図らずも象徴しているのではないかと思います。彼はデモーニッシュな詩魂に耽溺するタイプの詩人ではなく、日常生活をごく普通の人間として生きていました。芸術家の中には、芸術に没頭するあまり、日常での不道徳に無頓着な人もいます。しかし、イアンの場合はそうではなく、日常での他者への接し方について、いろいろと考えていたようです。結果的に彼は妻や子どもだけではなく、バンドのメンバーや恋人、彼を愛した全ての人々を失望させることになりましたが、そこに至るまでに「何度でもやり直そう」(「Glass」)としていたのではないでしょうか。
自分と他者、または自分と世界との関係に、安易な妥協を許さないというのは、若さゆえの生真面目さでもあります。しかし、ガラスが砕けるようにくじけやすい「young hearts」を歌った「Glass」からたった1年もたたないうちに発表された『Unknown Pleasures』では、「だけど憶えているよ、僕らが若かった頃を」(「Insight」)と、「あたかも若い時を終えてしまったように年寄りじみて言」(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』)うのです。「Glass」にみられた若者の焦燥感は、全てを諦めてしまったような絶望へと変化していきます。この間イアンに起こった様々な変化の中で、最も劇的で深刻だと考えられるのは、癲癇の発病です。『Unknown Pleasures』の詩について考える前に、癲癇の発病についてまとめてみたいと思います。
I wish I were a Warhol silk screen 僕がウォーホルのシルクスクリーンだったらなあ
Hanging on the wall 壁に架かっている
Or little Joe or matbe Lou あるいはリトル・ジョーでも、ルーでもいい
I'd love to be them all 彼らのすべてでありたい
All New York city's broken hearts ニューヨーク中の失恋と
And secrets would be mine 秘密はいつも僕のもの
I'd put you on a movie reel 君を映画に出してあげよう
And that would be just fine そうすればちょっといいんじゃない
「他の男がいる時と私たち二人きりでいる時のイアンの態度には大きな隔たりがあった。彼は私を連れて田舎道を歩くのが好きだった。孤独と静寂が彼を幸福にしているようで、またそういう時の彼が一番魅力的で愛情が溢れているように感じられた。」(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』)とデボラが書いているような幸せな二人の関係は、いかに変わってしまったのでしょうか。『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』から目に付くところを抜粋してみます。
若くて頑固だった私たちは、周りの人たちの鼻を明かしてやろうと決心した。つまり、早々に離婚するのではないかと予想していた人たちに見る目のなさを思い知らせてやろうと思っていたのだ。 (第3章 p.46)
実務的なことにイアンは弱かったので、代わりに私が“介護人”の役割を果たした。家計は私が管理した。 (第3章 p.51)
結婚生活が期待していたほど心地よいものではないと分かるのにあまり長くかからなかった。社会生活をするのに余分なお金はほとんどなかったし、光熱費を最小限に抑えておくためには居間しか暖房はつけられなかった。 (第3章 p.51)
夜は創作するために“青の部屋”に(イアンは)閉じこもった。中断されるのは、マルボロの煙が渦巻くその部屋に私がコーヒーを運び入れる時だけだ。こうした状態を私は気にしていなかった。むしろ必要不可欠なプロジェクトのようなものと私たちは捉えていた。彼の仕事の中身を詳しく調べもせず、彼の作る歌はスーパーなものになるに違いないと、私は疑っていなかった。 (第4章 p.62)
私はどうしても、イアンが実用的なことに一切関心がない、ということが理解できなかった。料理はやりながら覚えていくものだが、それと同じように、イアンもいわゆる男性がやるべきことを徐々にやっていくのだろうと勝手に思い込んでいた。 (第5章 p.71)
私は常にイアンの健康状態に責任をもって対処してきたが、娘を授かってからはごく自然な感じで、彼にも娘を生活の中心に置いてほしいと期待した。 (第8章 p.97)
彼はステージ生活から家庭生活へとはうまく切り替えられなかった。私はどんな時でも彼の面倒を見ることができたのに。彼が学生の時から側にいたのに、バンド内の友情を乱すおべっか使いとしてしか私のことを見てくれなくなった。 (第8章 p.101)
初のアポロでのギグの前日、私はベビーバスに入れるために運んでいる時階段を踏み外して転んだ。翌日、やけどをした足に包帯を巻いて母に買ってもらった服を着て、アポロの楽屋に座っていた。私はその狭い楽屋の斜めの方から夫の愛人にじろじろ見られているのに全く気がつかないでいた。ごく自然な感じでイアンは素早くその楽屋から私を移動させた。 (第9章 p.115)
夜、仕事に出かけている間は、母が赤ん坊の面倒を見てくれると言ってくれた。……仕事はとても疲れた。朝早くから娘の世話をして、夜働き、遅くに帰宅して、その後にイアンが帰ってくるのを待つ。彼が安全にベッドで休むのを確かめるまでが仕事だ。 (第9章 p.117)
イアンは、私が彼の人生をいかに不幸にしているかを仲間に話すのがお決まりになっていたというし、ピーター・フックが私に語ったことによると、礼儀知らずのイメージが伝わっていたらしい。私たちの結婚生活は破綻し、彼は私に話をしなくなった。 (第9章 p.120)
『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』を、デボラの側からの一方的な、一面的な記述だと批判するのは容易いことでしょう。これは、あくまでもデボラの立場から見た出来事です。そこには、貧しい中で夫の愛を信じ、一生懸命支えていたのに、夫を奪われてしまった彼女の悲しみと怒りが表れています。
もちろん、イアンは彼女の気持ちに無関心だった訳ではないと思います。デボラがいかに自分の人生を不幸にしているか、仲間に話していたのは、彼女への仕打ちに対する後ろめたさもあったからではないでしょうか。そして、自分なりにデボラとの距離について思い悩み、「Glass」や前回列挙したような詩が書かれたのではないでしょうか。
デボラが「彼の人生をいかに不幸にしているか」、イアンから繰り返し聞かされていたはずのバーナド・サムナーは、『ロッキング・オン』2008年4月号に収録されているインタビューで、デボラについてこう語っています。
彼女は彼女のアングルからイアンを見ていて、僕らは反対側からイアンを見ていたわけ。でももちろん僕らは、デビーのことも、イアンを通してのみ見ていたわけだ。だからこの映画のおかげで僕は彼女の苦しみを、より良い観点から理解することができた。夫を失った彼女の苦しみがよくわかったんだよ。それまで僕が彼女に対して抱いていた印象は、愚痴っぽくていつもイアンにつきまとう奥さんというものだったけどね。イアンはよく、「彼女はまた僕に腹を立てている」と言っていたし、そんなときあいつはとても不機嫌で不幸せに見えたから。
バーナードが言うように、どんな観点から見るかでその人の立場への理解は変わってきます。しかし、後年、ある程度客観視できるようになってからならともかく、当事者として事態に直面している間は、相手を思いやる余裕もなく、自分の立場でしか対象を見られません。そんな時に生じる、どうしても埋められない溝――「The gaps are enormous」(「I Remember Nothing」)という関係から生じる摩擦がいかに「心をくじく」かを訴えたのが、「Glass」ではないかと思います。そしてそれは、夫婦間に限らず、友人同士、同僚同士、または自分と世間との間、などというように、あらゆる関係において言えることだと思います。加えてイアンの場合は、「Digital」に表現されたような、アーティストとしての特殊な心理状態と日常生活とのギャップという問題がありました。「Digital」と「Glass」がセットであること、それは、イアンの詩と生活を図らずも象徴しているのではないかと思います。彼はデモーニッシュな詩魂に耽溺するタイプの詩人ではなく、日常生活をごく普通の人間として生きていました。芸術家の中には、芸術に没頭するあまり、日常での不道徳に無頓着な人もいます。しかし、イアンの場合はそうではなく、日常での他者への接し方について、いろいろと考えていたようです。結果的に彼は妻や子どもだけではなく、バンドのメンバーや恋人、彼を愛した全ての人々を失望させることになりましたが、そこに至るまでに「何度でもやり直そう」(「Glass」)としていたのではないでしょうか。
自分と他者、または自分と世界との関係に、安易な妥協を許さないというのは、若さゆえの生真面目さでもあります。しかし、ガラスが砕けるようにくじけやすい「young hearts」を歌った「Glass」からたった1年もたたないうちに発表された『Unknown Pleasures』では、「だけど憶えているよ、僕らが若かった頃を」(「Insight」)と、「あたかも若い時を終えてしまったように年寄りじみて言」(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』)うのです。「Glass」にみられた若者の焦燥感は、全てを諦めてしまったような絶望へと変化していきます。この間イアンに起こった様々な変化の中で、最も劇的で深刻だと考えられるのは、癲癇の発病です。『Unknown Pleasures』の詩について考える前に、癲癇の発病についてまとめてみたいと思います。