マーティン・ハネット(1948~1991)の奇才かつ変人ぶりを描いているのは、何といっても映画「24アワー・パーティー・ピープル」です。録音の場面で、ドラムについて、「そういう叩き方は2万年前からやってて飽き飽きなんだ。もっとシンプルにやってみろ、速く、ゆっくり。」と指示し、ついにはドラムキットを解体し、スタジオの屋上に設置して叩かせる場面が印象的です。ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』でも、「堂々と謙虚に」とか、「ハッパのせいか禅の修行なのか分からない」とスティーヴン・モリスは語っています。
映画『コントロール』では、殺虫剤を噴霧する音を録音する様子が描かれていますが、グラスが割れる音、エレベーターの閉まる音、誰かがポテトチップスを食べる音、さまざまな雑音を効果音として取り入れたこのアルバムは、「マーティンはfucking pop recordを作る気は全く無かった。彼は実験がしたかったんだ」(『Torn Apart ―The Life of Ian Curtis』に収録されているバーナード・サムナーの言)というように、ありきたりなポップ・ミュージックとも、当時流行していたパンクとも一線を画す作品となりました。
マーティンは当時最先端の機材であったエフェクター、AMSを駆使して自在に楽器の音を変えました。スティーブン・モリスは、「彼がボタンを押し僕がスネアを叩くと音が箱の中に入る。魔法みたいで驚いた」と言っています(ドキュメンタリー映画「ジョイ・ディヴィジョン」)。そして、マーティンはAMSの開発にも深く関わっていました。
「AMS社の変人の切れ者二人にマーティンは見出された。彼らは月に一度荒野の岡の駐車場で会ってた。あいつはイカれたクスリ中毒だ。その彼が連中の車に乗り込み30分ほど話すわけだ。頭に描いてる音のイメージを」トニー・ウィルソン ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』
「ビートルズ、U2、ボウイ、ピンク・フロイド、歴史に残るアルバムには必ず偉大なプロデューサーがいる」と『Torn Apart ―The Life of Ian Curtis』にはありますが、マーティン・ハネットとの出会いによりジョイ・ディヴィジョンの世界観は確立したといえるでしょう。「マーティンはジョイ・ディヴィジョンの理解法を示した。彼らの中に何かを発見し、何かを感じ取った。それが何なのかを頭の中に投影してたんだ」というピーター・サヴィルの言(ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』)が印象に残ります。
一方、バーナード・サムナーとピーター・フックはこのサウンドに当時かなり不満を持っていました。絶賛されたけれども、「世界中でバーナードと俺だけが気に入らなかった。皮肉だ。たまには気が合う」とピーター・フックはドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』で語っています。気に入らなかった理由は「こんなの暗くて誰も聴かないと思った。浸透しない、と。」(バーナード・サムナー)というサウンドの重苦しさに加えて、彼らがライブで演奏している音とあまりにもかけ離れていた、というところにありました。RCAレコードで録音された音源(これは海賊版と、4枚組のボックス・セット『Heart And Soul』のdisc3に収録されています)や、『Unknown Pleasures』のコレクターズ・エディション盤と『Heart And Soul』のdisc4に収録されている1979年7月13日にファクトリーで行われたライブの録音(『Unknown Pleasures』の発売直後のもの)と比べてみると、よく分かります。下手くそで荒削りな演奏ですが、激しく、エネルギッシュで、これはこれで強い印象を与えるとは思います。しかし、同時に、マーティン・ハネットのもたらしたジョイ・ディヴィジョンの“解釈”がどれほどのものかもよく分かります。初めてライブの演奏を聴いた時は、あまりにもスタジオ録音と違うので驚きました。とくにイアンのボーカルの激しさには圧倒されます。個人的に最も違いを感じるのが、『Closer』の冒頭の曲「Atrocity Exhibition」です。これは、前述の1979年7月13日のライブの他、『Still』のコレクターズ・エディション盤に収録されている1980年2月20日にハイ・ワイコム・タウン・ホールで行われたライブの録音を聴くことができます。どちらも鬼気迫るボーカルで、レコードの方の、空間をさまようような独特の静けさが漂うボーカルとは全く違います。
「生身のジョイ・ディヴィジョンには身体的な激しさがあった。だが、マーティン・ハネットはベースとギターを抑え、イアン・カーティスのヴォーカルとスティーヴン・モリスのドラムにのみディレイとリヴァーブを施した」(『Unknown Pleasures』ライナー・ノート収録のジョン・サヴェージのレヴュー)というように、「ボーカルとドラム」の音は、マーティンが最も神経を費やしたところだったようです。例えば「インサイト」では、イアンの声は「必要な距離感を得るため」(同レヴューより)電話線を通して録音されています。
『Torn Apart ―The Life of Ian Curtis』には、「ハネットは、カーティスのボーカルに明確に焦点を置いた」とし、「ハネットがジョイ・ディヴィジョンにほどこした優れた仕掛けは、リスナーとボーカルの間に親密な関係を提案した。楽器の音と切り離したことで(筆者注:ボーカルだけいつも別録りだったということを指していると思います)、リスナーは、ボーカルに独特な余韻を感じ、シンガーがリスナーに向かって独りで歌っているような印象をもたらした」とあります。そして、「ハネットは効果的に不安感を誇張し、意図的にジョイ・ディヴィジョンの太いサウンドを全く不自然な何かにモーフィング(人の顔を徐々に変化させて別の顔にする技法)した。本来のパワーは失われたかもしれないが、繊細で神秘的な共鳴を得た」(同)という繊細さ・神秘さは、イアンの詩が持っている雰囲気に通じているように思います。
『Torn Apart ―The Life of Ian Curtis』は、「ハネットは、イアンの声から、誰もが、バンドのメンバーでさえ見落としていた何かを聴いた。恐らくカーティス自身も気付いていなかったのでは?」と記しています。『Heart and soul』にジョン・サヴェージが寄稿している文章の中に、マーティンのイアンについてのこんな言葉が記されています。「イアン・カーティスはそのゲシュタルト(形態)に近づく、ひとつの手段だったんだ。その時代、唯一僕がばったり出くわした存在だったね。ライティングの指揮者だったよ。」
『Torn Apart ―The Life of Ian Curtis』には、マーティンとイアンの関係についての、関係者の証言が記されています。マーティンがイアンの声と歌詞から受けたインスピレーション、そしてイアンがマーティンから受けた影響について、考えてみたいと思います。
映画『コントロール』では、殺虫剤を噴霧する音を録音する様子が描かれていますが、グラスが割れる音、エレベーターの閉まる音、誰かがポテトチップスを食べる音、さまざまな雑音を効果音として取り入れたこのアルバムは、「マーティンはfucking pop recordを作る気は全く無かった。彼は実験がしたかったんだ」(『Torn Apart ―The Life of Ian Curtis』に収録されているバーナード・サムナーの言)というように、ありきたりなポップ・ミュージックとも、当時流行していたパンクとも一線を画す作品となりました。
マーティンは当時最先端の機材であったエフェクター、AMSを駆使して自在に楽器の音を変えました。スティーブン・モリスは、「彼がボタンを押し僕がスネアを叩くと音が箱の中に入る。魔法みたいで驚いた」と言っています(ドキュメンタリー映画「ジョイ・ディヴィジョン」)。そして、マーティンはAMSの開発にも深く関わっていました。
「AMS社の変人の切れ者二人にマーティンは見出された。彼らは月に一度荒野の岡の駐車場で会ってた。あいつはイカれたクスリ中毒だ。その彼が連中の車に乗り込み30分ほど話すわけだ。頭に描いてる音のイメージを」トニー・ウィルソン ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』
「ビートルズ、U2、ボウイ、ピンク・フロイド、歴史に残るアルバムには必ず偉大なプロデューサーがいる」と『Torn Apart ―The Life of Ian Curtis』にはありますが、マーティン・ハネットとの出会いによりジョイ・ディヴィジョンの世界観は確立したといえるでしょう。「マーティンはジョイ・ディヴィジョンの理解法を示した。彼らの中に何かを発見し、何かを感じ取った。それが何なのかを頭の中に投影してたんだ」というピーター・サヴィルの言(ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』)が印象に残ります。
一方、バーナード・サムナーとピーター・フックはこのサウンドに当時かなり不満を持っていました。絶賛されたけれども、「世界中でバーナードと俺だけが気に入らなかった。皮肉だ。たまには気が合う」とピーター・フックはドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』で語っています。気に入らなかった理由は「こんなの暗くて誰も聴かないと思った。浸透しない、と。」(バーナード・サムナー)というサウンドの重苦しさに加えて、彼らがライブで演奏している音とあまりにもかけ離れていた、というところにありました。RCAレコードで録音された音源(これは海賊版と、4枚組のボックス・セット『Heart And Soul』のdisc3に収録されています)や、『Unknown Pleasures』のコレクターズ・エディション盤と『Heart And Soul』のdisc4に収録されている1979年7月13日にファクトリーで行われたライブの録音(『Unknown Pleasures』の発売直後のもの)と比べてみると、よく分かります。下手くそで荒削りな演奏ですが、激しく、エネルギッシュで、これはこれで強い印象を与えるとは思います。しかし、同時に、マーティン・ハネットのもたらしたジョイ・ディヴィジョンの“解釈”がどれほどのものかもよく分かります。初めてライブの演奏を聴いた時は、あまりにもスタジオ録音と違うので驚きました。とくにイアンのボーカルの激しさには圧倒されます。個人的に最も違いを感じるのが、『Closer』の冒頭の曲「Atrocity Exhibition」です。これは、前述の1979年7月13日のライブの他、『Still』のコレクターズ・エディション盤に収録されている1980年2月20日にハイ・ワイコム・タウン・ホールで行われたライブの録音を聴くことができます。どちらも鬼気迫るボーカルで、レコードの方の、空間をさまようような独特の静けさが漂うボーカルとは全く違います。
「生身のジョイ・ディヴィジョンには身体的な激しさがあった。だが、マーティン・ハネットはベースとギターを抑え、イアン・カーティスのヴォーカルとスティーヴン・モリスのドラムにのみディレイとリヴァーブを施した」(『Unknown Pleasures』ライナー・ノート収録のジョン・サヴェージのレヴュー)というように、「ボーカルとドラム」の音は、マーティンが最も神経を費やしたところだったようです。例えば「インサイト」では、イアンの声は「必要な距離感を得るため」(同レヴューより)電話線を通して録音されています。
『Torn Apart ―The Life of Ian Curtis』には、「ハネットは、カーティスのボーカルに明確に焦点を置いた」とし、「ハネットがジョイ・ディヴィジョンにほどこした優れた仕掛けは、リスナーとボーカルの間に親密な関係を提案した。楽器の音と切り離したことで(筆者注:ボーカルだけいつも別録りだったということを指していると思います)、リスナーは、ボーカルに独特な余韻を感じ、シンガーがリスナーに向かって独りで歌っているような印象をもたらした」とあります。そして、「ハネットは効果的に不安感を誇張し、意図的にジョイ・ディヴィジョンの太いサウンドを全く不自然な何かにモーフィング(人の顔を徐々に変化させて別の顔にする技法)した。本来のパワーは失われたかもしれないが、繊細で神秘的な共鳴を得た」(同)という繊細さ・神秘さは、イアンの詩が持っている雰囲気に通じているように思います。
『Torn Apart ―The Life of Ian Curtis』は、「ハネットは、イアンの声から、誰もが、バンドのメンバーでさえ見落としていた何かを聴いた。恐らくカーティス自身も気付いていなかったのでは?」と記しています。『Heart and soul』にジョン・サヴェージが寄稿している文章の中に、マーティンのイアンについてのこんな言葉が記されています。「イアン・カーティスはそのゲシュタルト(形態)に近づく、ひとつの手段だったんだ。その時代、唯一僕がばったり出くわした存在だったね。ライティングの指揮者だったよ。」
『Torn Apart ―The Life of Ian Curtis』には、マーティンとイアンの関係についての、関係者の証言が記されています。マーティンがイアンの声と歌詞から受けたインスピレーション、そしてイアンがマーティンから受けた影響について、考えてみたいと思います。