愛語

閑を見つけて調べたことについて、気付いたことや考えたことの覚え書きです。

「Transmission」のsilenceとdance――(3)

2011-08-31 21:04:50 | 日記
 以前、法月綸太郎の短編集『パズル崩壊』(1999年・集英社)に収録された「シャドウプレイ」というミステリーを紹介しましたが、そのときにも触れたように、この短編集には、「トランスミッション」というタイトルのミステリーも収録されています。以下、あらすじを紹介します。ネタバレになりますので読む予定の方は飛ばして下さい。

 主人公は32歳のミステリー作家「僕」です。独身で、夜執筆し朝眠り、気ままな生活をしています。ある夏の日の午前中、眠っているところに一本の間違い電話がかかってきます。「ヤスナガ・カズヒコ」宛にかかってきた電話は、「あなたの子ども、トモユキ君を預かっています。現金五千万円を用意してください。」という誘拐犯からのものでした。寝ぼけながら電話を切り、再び眠りかけたところで、事態の深刻さに気が付いた「僕」は、ベッドからはね起きます。電話帳を見ると自分の電話番号と下二桁が違っているだけの「安永和彦」という人物がいることが分かりました。その番号に電話をかけると、妻らしき女性が出ます。用件を聞かれた「僕」は、とっさに誘拐犯の言葉を、伝言ゲームのようにそのまま復唱してしまいます。電話を切った後、気まずい思いを抱えながら、「僕」は誘拐された子ども「トモユキ」がどんな少年なのか空想します。実は「僕」は以前結婚していて、子どももいました。しかし、子どもは3歳で病死、その後離婚していたのです。
 そして、二回目の脅迫電話が、また「僕」宛にかかってきます。「僕」は再び安永和彦宛に電話をかけます。今度は安永氏本人が電話に出ます。やはり「僕」は脅迫電話の内容をそっくりそのまま復唱し、電話を切ります。三回目の脅迫電話は、身代金の受け渡し場所と時間を指定するものでした。「僕」は再度、安永氏に電話をかけます。これで自分の役目は終わりだ、「僕」はそう思ったものの、どうしても子どものことが気にかかり、身代金の受け渡し場所である井の頭公園に、午後九時、出掛けていきます。そこで、犯人グループに、安永氏が雇った私立探偵と間違えられて捕まってしまった「僕」は、間違い電話のいきさつを説明します。すると、犯人たちは「僕」の話をでたらめだと断言し、自分たちが録音した脅迫電話を「僕」に聴かせます。そこには、「僕」の声ではなく、犯人グループと安永氏が直接やりとりする様子が録音されていました。犯人たちは取引のために「僕」と「トモユキ」を残していったんその場を立ち去ります。取り残された「僕」は、混乱します。自分は巻き込まれただけだと思っていたけれども、そうではなく、はじめから計画の一部に入っていたのか、それともこれは悪い夢なのか……そんな考えを巡らせていると、安永氏が雇った本物の私立探偵が二人を救出に来ます。助けられた「僕」は私立探偵から、「やつらを片付けてくるから、あんたはこの子を家まで送ってやってくれ」と頼まれます。「僕」は、「いったい自分がこの事件に巻き込まれたのは偶然なのか」と探偵に尋ねます。「今は話せないが、いずれわかる。とりあえず、あんたは踊り続けるしかない」と探偵は答え、「踊れ、踊れ、踊れ。ラジオの音楽に合わせて踊るんだ」と言います。「僕」は、その聞き覚えがあるフレーズが、「トランスミッション」の「Dance, dance, dance, dance to the radio」であることを思い出します。子どもを家に送り届けると、そこには母親からの置き手紙があり、訳あって自分たち夫婦はしばらく姿を消すので、その間その子を預かってください、と書かれています。置き手紙の筆跡は、「僕」の別れた妻の筆跡に非常によく似ていました。思い返すと電話の声も似ていたような気がします。そして、「トモユキ」は、自分の父親は本当の父親ではないこと、母親の名が「クミコ」であると話します。「クミコ」は、「僕」の別れた妻と同じ名前でした。
 「トモユキ」を預かった「僕」は、まるで本当の親子のように楽しい時間を過ごす中で、ふと、この子が自分の子ではないかと思い始めます。そんなはずはない、自分は息子が息を引き取るのをこの目で見たのだから、もし別れた妻がこのことを仕組んだとしたら、どんな意図があるのか、色々なことを考えながら、「僕」は「この調子で踊り続けるしかない」と思うのでした。しめくくりの一節は「Dance, dance, dance, dance to the telephone」となっています。

 この小説では、主人公が普段心の奥に押し殺している妻子への感情が、間違い電話をきっかけに露呈します。常識では有り得ない状況について、あれこれ考えることを遮らせる、有無を言わせぬ力が、「Dance, dance, dance, dance to the radio」に込められています。
 「Transmission」のsilenceとdance――(1)の記事で、「silence」は、世間から疎外感を感じている「僕たち」を象徴しているのではないか、と書きましたが、あるいは、「僕たち」が押し殺している心の声を指しているのかもしれない、と思います。この小説では、主人公の妻子への感情が「silence」にあたり、それが、間違い電話に踊らされる中で響いてくる、という感じでしょうか。
 既に書きましたが、理性を捨てて本能の赴くままに踊ろう、という呼びかけは、イアンの歌詞の中でも積極的で前向きなメッセージだと思います。
 トニー・ウィルソンが、初めてジョイ・ディヴィジョンを見たのは、音楽業界の人々が集まってアマチュアのバンドのステージを見る、“バンド合戦”という企画でした。その時の印象を、トニーは、「ほかのバンドがあのバンド合戦に出た理由は、スターへの憧れや音楽業界に入るため。だがイアンらはもっと切実だった」と語っています(ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』)。『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』や『Torn Apart―The Life of Ian Curtis』には、バンドを売り込むためにメンバーの誰よりも熱心だったイアンの様子が記されています。最初私は、こうしたエピソードから、イアンが、ルー・リードやイギー・ポップといった彼の憧れのスターたちのようになろうという野心を持っていたのだと、単純に考えていました。しかし、トニー・ウィルソンの言葉や、「Transmission」の歌詞をよく読んで考え直してみると、イアンが抱いていた野望は、単にスターになって名声を得ることではなく、人々の心の奥を揺さぶり、眠っている何かを呼び覚ますこと、その中心に位置付けられるような存在に自分たちがなり得るはずだ、というものだったのではないかと思えてきました。イアンにとって、ルー・リードやイギー・ポップは、単に有名なスターではなく、自分の中の根源的な何かを揺さぶる存在だったはずです。また、ロックだけではなく、愛好していた文学、アートすべてが、「Touching from a distance, Further all the time.」というものだったのだと思います。その末端に自分も加わろうというのが、イアンの野望であり、夢だったのではないでしょうか。そんな意図が「Transmission」の歌詞から読み取れるように思うのです。
 しかし、以後、こんなふうに聞き手に呼びかけるような詩はなくなります。詩の内容は、より自己の中に沈潜するようなものになり、そこに表れる孤独はますます深まっていくのです。

「Transmission」のsilenceとdance――(2)

2011-08-24 21:29:11 | 日記
 イアンの特徴的なダンスについて、『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』から、デボラの記述を拾ってみます。先ず、1974年12月の、イアンとデボラの婚約パーティーの時の記述です。出席者の1人の若い叔父と、デボラが楽しそうにダンスをしていたところ、嫉妬深いイアンが怒り、持っていたカクテルをデボラ目がけて掛けます。そうした気まずいいきさつがあった後で、パーティーのダンスに加わったイアンの様子が記されています。

 イアンは楽しみの輪に加わろうとしたが、私とではなく一人で踊った。ぎこちなくねじれた彼の動きや、精彩なくじろじろ人を見ている不機嫌な表情は、多数のゲストを困惑させた。(第2章)

 次に、癲癇を発病した後、バンドが一気に有名になりはじめ、1979年1月に雑誌『NME』の表紙を飾った頃の記述を挙げます。

 イアンのダンスはオフステージの時の発作の悲惨なパロディのようになってしまった。目に見えない糸巻きを巻いているかのように腕を振り回し、足をぎこちなくピクつかせる姿は、無意識のうちにやる彼の動き(引用者注:癲癇の発作)とほぼ同じような印象を与えた。唯一違っていたのは頭の激しい振りだけだった。彼のダンスは意図的な演出といってもおかしくないほどだったが、四年前の私たちの婚約パーティーで見せた踊り方と似てなくもなかった。(第7章)

 さらに、1979年の6月に1stアルバム『アンノウン・プレジャーズ』が発売された頃の記述です。

 メディアから称賛を浴びていることも彼にとっては充分であるかと言えばそうでもないようだった。記事は次第にイアンの独特のダンスについてくどくど書かれるようになった。(第8章)

 この、独特なイアンのダンスは、現在でもネット上に上がっている動画や、ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』に収録されているライブ映像などから窺うことが出来ます。初めて見た人は、多かれ少なかれ異様な印象を受けるのではないでしょうか。実際のライブでは、想像以上に強烈だったでしょう。
 評論家のジョン・サヴェージによる“Good Evening We're Joy Division”というタイトルで1994年に書かれた文章には、1979年8月に行われたステージでの様子が回想され、イアンのパフォーマンスについて次のように書かれています。

 始まりでは、イアン・カーティスは静かだ。まるで永遠に我慢しているかのように。そして、あたかもスイッチが入れられたようにグループが楽器をブレイクさせると、その静寂さは突然暴力的な瞬間へと鋭い音をたてて砕けていくのだ。目の前で見せてくれるイタズラと言えば、彼がやっている“死んだハエ”踊りだろう。足と手が死んでいく虫のようにケイレンするのだ。しかし、事実彼はちゃんとコントロールされていた。手足が三半器管の中に飛び込み始め、催眠術にかかっているようなカーヴを描き出すと、もうしばらくの間、目は彼に釘付けだ。
 そして君は気がつくだろう。彼は脱皮しようともがいているのだ、すべてのものから、永遠に、他の誰よりも必死にもがいているのだ、と。これは途方もないことだ。ほとんどパフォーマーたちはステージの上にいる時はほんの一部だけをさらけ出すだけで、案外控え目にするものだ。しかし、イアン・カーティスは何ひとつ隠してはいなかった。彼の後ろのミュージシャンたちと共に、どんな瞬間にも彼は崖から飛び降りていたのだ。(『ハート・アンド・ソウル』収録のライナー・ノート)

 “死んだハエ”という譬えが印象的なのか、あちこちで引用されているのを見かけます。そして、ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』では、イアンのダンスは、ジョイ・ディヴィジョンを特徴付ける重要な要素として印象付けられます。

 ステージに現れた彼は、シャイで静かで、やがてステージを支配する。内側に入っていくの。まるで巨大なボルトの電源にプラグが差し込まれたみたいに、あの収縮運動のようなけいれんが始まる。トランス状態で……人間のシンボルみたい。
ジェネシス・P・オリッジ(ミュージシャン)

 錯乱状態に陥ったかのように震えだすと、どこまでいくのか、まるで操り人形だ。操り人形の動きの中に彼の脆弱性を感じた。パフォーマンス・アートで体を切り裂くのに似てる。彼は血こそ流さないが、自分の中の何かを観客に捧げたんだ。
ロブ・ディッキンソン(ライター、ジャーナリスト)

 イアンのダンス、ステージでのパフォーマンスを考えるうえで、発病前と発病後ではその意味は大きく異なるということを踏まえておきたいと思います。「持病について(2)」の記事でも書きましたが、発病後、ステージは彼にとってかなり困難なものとなりました。特に、ステージ上で発作が起こることを最も恐れ、そして、実際にそれが起こった直後に自殺未遂を起こしています。
 初期の頃のパフォーマンスは、ステージでグラスを割って自身を傷つけたり、セットを壊したりといった激しさで、普段の物静かな様子とのギャップで周囲を驚かせましたが、それは、パンクの型にはまったものともいえます。しかしその頃から、恐らく、ある種独特の異様さがあったのではないかと思います。婚約パーティーの時のダンスが、社交の場のダンスとしては浮いていたように、パンクの型に収まりきらないものがあったのではないでしょうか。「トランスミッション」は、初期に書かれたものですが、イアンにとってのダンスとは何か、その考えが比較的論理的に示されています。一時の表面的な楽しみ、憂さ晴らしとかではなく、もっと深く、根源的なものを投影し、それを通じて触れ合おうという呼びかけです。病気を抱え、追いつめられていく中で、ステージでのダンスは、まさに命がけの、綱渡りのようなものとなっていきます。「どんな瞬間にも崖から飛び降り」、「自分の中の何かを観客に捧げ」るようなダンスが、「人間のシンボル」のように見えたのは、まさに極限状態の生命の燃焼のようなものが投影されていたからではないでしょうか。

「Transmission」のsilenceとdance――(1)

2011-08-10 20:39:31 | 日記
 第1連

Radio, live transmission.                   ラジオ 生放送
Radio, live transmission.                   ラジオ 生放送

 詩の背景が分かります。ラジオの生放送から音楽が流れている夜、それを聴いている「僕たち」が描かれていきます。

 第2連

Listen to the silence, let it ring on.            沈黙に耳をすまし 響かせよう
Eyes, dark grey lenses frightened of the sun.      眼が、暗い灰色の瞳が太陽を恐れている
We would have a fine time living in the night,      僕たちは夜に楽しい時を生きた
Left to blind destruction,                   盲目的破滅に身を任せ
Waiting for our sight.                     見えるようになるのを待っている

 1行目「Listen to the silence, let it ring on.」の 「it」を、邦訳本『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』 は「ラジオ」ととり、「沈黙に耳を傾けて ラジオを鳴らそう」としていますが、この「it」は、直前の「the silence」ととりました。映画『コントロール』の訳もそうとっています。この詩には、世間からどこか疎外された、または疎外感を感じている「僕たち」が描かれていますが、「the silence」はそんな僕たちを象徴する言葉ではないかと思います。沈黙している存在、声なき声、その存在を響かせようというのが、この詩のテーマではないでしょうか。
2行目「Eyes, dark grey lenses frightened of the sun.」の「Eyes, dark grey lenses 」を『コントロール』では「見えない瞳が」と訳しています。これは、後述するように、4行目の「blind」と重ね合わせたものと思いますが、「dark grey lenses」というフレーズが好きなので、そのまま訳してみました。
 3行目「We would have a fine time living in the night,」、太陽を恐れて、夜に生きている――「僕たち」がどんな存在かをイメージさせます。「夜」は、単に夜というのではなく、ラジオに合わせて踊る夜、“沈黙を響かせる”ダンスを踊る夜のことでしょう。
 4行目「Left to blind destruction, 」ですが、『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』は「無茶な破滅に身を任せ」、『コントロール』は「破滅に身を任せ」と訳しています。後者は2行目の「dark grey lenses」に「blind」の意味を重ね合わせて「見えない瞳」と意訳し、ここでは敢えて「blind」を訳していません。確かに、「blind」を訳そうとすると、その意味に悩まされます。訳は『サブスタンス』『ザ・ベスト・オブ・ジョイ・ディヴィジョン』などの歌詞カードが「盲目的破滅」と訳しているのに合わせてみましたが、「盲目的破滅」とは、どういうことを言っているのでしょうか。恐らく「blind」は、単に“見えない”ということではなく、「盲目的」=理性や分別が無いことを表していると思われます。日常の生活では理性を優先させているけれども、夜になるとそれが見えなくなる、ということでしょうか。理性を無くしたその行為は、破滅的ではあるのですが、その時だけ「僕たち」は楽しい時間を過ごし、その存在を響かせることができるのです。5行目の「Waiting for our sight.」の「our sight」とは、昼から夜になって別のものが見えるようになる、「覚醒」する、ということではないでしょうか。理性を捨て去ったダンス、そんな夜の世界へのいざないを、この詩は表していると思います。

 第3連

And we would go on as though nothing was wrong.    僕たちは何も間違ってなかったかのように振る舞った
And hide from these days we remained all alone.     孤独だった日々を隠し
Staying in the same place, just staying out the time.   同じ場所にいる、まさに時を超えて
Touching from a distance,                   遠くから触れ合う
Further all the time.                       より深く いつでも

 1、2行目には「僕たち」がそれまで“昼”の世界でどんなふうだったかが示されています。何かが間違っていると感じながら、それに気付かないフリをして過ごしてきた、ということでしょうか。そんな日々が「孤独」だったのは、心の底から誰かと触れ合うことが出来なかったからなのです。
 3~5行目は、そんな「僕たち」が触れ合うことの喜び、「fine time」の絶頂を表しています。パンクに出会った若者たちはこんな感じだったのでしょう。そして、「Staying in the same place,」の後が「just staying out the time.」“時を超えて”となっているところに注目したいと思います。「Staying in the same place,」は、物理的な距離だけではなくて、精神的な距離を言っていると思います。だからこそ時を超えられるのです。例えば日本の古典にも「同じ心を持つ人と語り合うことは慰めになるけれども、そういう人とでなければ誰かといても孤独だ。一人、灯火のもとで本を読んで、“見ぬ世の人(この世では会えない昔の人)を友とする”ことはこの上なく慰められる」(『徒然草』第12、13段)などとありますが、これと同じような意味で、同じ思いを持っている人と出会い、触れ合うことは時空を超える、というのです。このフレーズ「Staying in the same place, just staying out the time. Touching from a distance, Further all the time.」は、アートの効用を言い得ているのではないでしょうか。「Touching from a distance」は、デボラの本のタイトルになっていますが、近くにいたのにイアンと遠ざかってしまったデボラは、このタイトルにどんな思いを込めたのでしょうか。回想されている内容については、バンドの関係者から異論があるようですが、彼女がまとめた詩集によって、多くの読者がイアンの言葉に、時を超えて触れ合えるようになったのですから、その機会を作ってくれたことに感謝したいと思います。

 第4連の「Dance, dance, dance, dance, dance, to the radio.」の繰り返しは、この詩の中で最も印象深く、曲の盛り上がりと合わせて感情のピークとなっています。「僕たち」はそれぞれ別の場所にいて、ラジオから流れる音楽を聴いています。そして、まるで同じ場所にいるように、時空も超えて、より深く触れ合っているのです。

 第5連

Well I could call out when the going gets tough.        つらくなったら叫べばいい
The things that we've learnt are no longer enough.      学んできたことは役に立たない
No language, just sound, that's all we need know, to synchronise love to the beat of the show.
言葉はいらない、サウンドだけ、ショーのビートに愛をシンクロさせよう

 1行目は、裏を返せば、「つらくなるまで叫ぶことができない」ということでもあります。普段は物静かで大人しいけれども、突然感情を爆発させる、とくにステージでは別人のようだったイアンの姿が重なります。
 2~3行目で、知識や言葉は役に立たない、と明言されます。理性によって押し殺されていた心の声、「silence」の底にある声を爆発させ、解放させてくれるのが、ダンスとサウンドなのです。「No language, just sound, that's all we need know,」は、歌詞を書いていたイアン自身を否定するようにも思えます。音楽の方が言葉(詩)よりも、沈黙の底にある感情と共鳴する、ということですから。もしかしたら、イアン自身が、言葉にならない思い、詩に表現し尽くせない感情を、音楽とダンスによって爆発させていたのではないか、とも思います。
 ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』で、バーナード・サムナーはこう発言しています。

 彼はクスリでラリってたと思われてるが違う。ただ、そう見えただけだ。本当は単に音楽でトランス状態になり、踊りまくってた、別世界に入って。

 イアンのかなり特徴的なダンスについては、様々に証言されています。次に、その発言をまとめてみたいと思います。

「Transmission」のテキストについて――(2)

2011-08-03 21:00:51 | 日記
 B2系統のテキストの最大の異同は第5連ですが、それ以外の異同については、聴き取りながら書き取るという歌詞カードの作成過程を考えると、lensesが relentless、timeが tideになっているなど、ある程度納得できる範囲のものです。B1系統の、詩集(A系統)との異同はそれで良いとして、B2系統のテキストでは、なぜここまで違ってしまっているのでしょうか。
 B2系統の録音のうち、この第5連のテキストに近い内容でイアンが歌っているのは、『スティル』所収のライブだけです。これは、1980年5月2日バーミンガム大学で行われたもので、イアンの最後のライブとなったものです。ここで歌われた「Transmission」を聞くと、B2系統の第5連と、ほぼ合っています。しかし、3行目についてはほとんど聞き取れないレベルです。
 シングル盤としてリリースされた「Transmission」の歌と聞き比べると、全く合っていません。『ザ・ベスト・オブ・ジョイ・ディヴィジョン』には、シングル盤とは別に、ライブバージョンが二つ収録されています(ジョン・ピール・セッションとBBCテレビ「サムシング・エレス」のもの)が、どちらもこうは歌っていません。第5連がこのバージョンで歌われているものが他にもあるかどうか、「Heart And Soul」、「Les Bains Douches 18 December 1979」「PRESTON 28 FEBRUARY 1980」に収録されているライブと、「Let The Movie Begin」に収録されているRCAのデモテープ(RCAからのデビューをみこして録音されたもので、「Transmission」の録音としては最も古いものになります。テンポは他と比べるとかなりゆっくりで、歌詞も聴き取りやすいです。そして、イアンの声はかなり高めです。「Let The Movie Begin」に収録されているインタビューの声はこれに近く、その後の“地を這うようなバリトン・ボイス”といわれる声との差がよく分かります)などで確認してみましたが、いずれも違います。
 実は、この1980年5月2日のバーミンガム大学でのライブですが、アニック宛ての書簡でイアンは「歌詞を間違えた」と書いているのです。

「ギグは最高だった、今まで見たことがない大観衆で、いつものミスがあちこちにあったことを除けば(僕が「Transmission」の最後の歌詞を忘れてしまったように)、みんな楽しんでいた。あの夜のナンバーは、僕たちの最近のギグの中では最高のものだったと思う。」(『Torn Apart――The Life of Ian Curtis』Chapter 20 p.251)

 バーミンガム大学のライブでは、イアンは「Transmission」の第5連の歌詞を間違えてしまったようです。たしかに、1行目と2行目は、第3連と殆ど同じ内容の繰り返しで、歌詞を忘れて戻ってしまったと考えられそうです。よく分からない3行目については、もしかしたらノリで適当に歌ってしまったのかもしれません。『スティル』は、そのライブを収録しているので、歌詞としてはそれを示す他ないでしょう。しかし、音源が違う(間違って歌っていない)『ザ・ベスト・オブ・ジョイ・ディヴィジョン』や『コントロール』のサントラ盤に掲載されるのは、明らかに間違いです。聴き取りによると思われる細かな歌詞の異同は、逐一示さなくても良いかと思うのですが(現在ネット上に出ている歌詞は詩集と合っているようですし)「Transmission」の歌詞カードに関しては、かなり大きな間違いなので、書き留めておこうと思った次第です。
 改めて、詩集のテキストを用いて「Transmission」を読んでみたいと思います。