バラードが描こうとする「内宇宙(インナー・スペース)」とは、どういうものなのでしょうか。『クラッシュ』(柳下毅一郎・創元SF文庫)の序文には、こうあります。
わたしは自分が探求したいと思った新しい領域を、象徴的な目的からだけでなく、純理論的な、また予定的目的から内宇宙と名づけた。この心理学領域においては(例えばシュルレアリスム絵画に示されるように)精神の内部世界と現実の外部世界とが出会い、融け合うのだ。
『クラッシュ』や『ハイ・ライズ』、または、あらゆるものが結晶化し凍り付いてしまう『結晶世界』といったバラードの小説は、ある特殊な環境を舞台としています。しかし、小説のテーマは、そうした環境における人間の心理に置かれています。テーマとなっているのは“テクノロジー 対 人間”とか“残虐行為 対 人間”という対立ではなく、そうした異常な世界と人間心理の「関係」、そうした世界と関わることによって変化していく人間の心理です。それは「テクノロジーは悪」あるいは「残虐行為は悪」などと、単純に「善悪」や「是非」の対立として解消されるものではありません。
例えば、『残虐行為展覧会』にこんな記述があります。
自動車衝突に潜む性的内容。たとえばジェイムズ・ディーン、ジェイン・マンスフィールド、アルベルト・カミュといった結果的には交通事故の死亡者として名を残した有名人たちの潜在的なセックスアピールを査定しようと、おびただしい数の研究がおこなわれてきた。政治家、映画スター、それにテレビの有名タレントたちを撮った模造ニュース映画を、(a)郊外に住む主婦たち、(b)末期脳梅毒患者たち、(c)ガソリンスタンド店員、から選んだ人びとに見せるのだ。交通事故の犠牲者を映しだすシークエンスは、脈拍および呼吸数の著しい増加をもたらす。志願被験者たちの多くは、死亡者たちがまだ生きていると確信するようになり、後には、夫や妻との性交の際に性的刺戟をもたらす焦点として、衝突事故犠牲者たちの誰かをこっそりと用いるのだった。(第12章「衝突!」)
ヴェトナムでの戦闘を撮った、エンドレスのニュース映画を、(a)調査用に選ばれた観客、(b)精神病患者(第三期梅毒)、に見せる。いずれの場合にも、戦闘場面のフィルムは、拷問と処刑のシークエンスとは反対に、著しく緊張を緩和する働きを有し、血圧、脈膊数、呼吸数を適当なレヴェルに調節するということが判明した。これらの結果は、ありきたりな戦闘場面のニュース映画のもつ低調な劇的要素および興味と一致するものである。……ヴェトナム戦争継続の適否は自明のことであろう。(第11章「愛とナパーム弾/アメリカ輸出品」)
こうした心理には、一見すると嫌悪感を抱かされます。しかし、読み進めていくうちに、しだいに自分の中にもこれと同様なものが潜んでいるのではないか、という恐ろしい問いかけが生じてきます。「衝突してひしゃげた五六年型キャデラックコンバーチブルの、折れたダッシュボードの亀裂と助手席で死んだ女の太股の角度にエロスがある、という指摘。これに共感できるのはよほどの変態なのだけれど、でもここには何かある。事故や災害を見て(胸をいためるふりをしつつ)興奮し、何度もそれを繰り返し見てしまう心理を説明できる何かがある。人々が廃墟に惹かれる心に通じる何かがある。」(山形浩生「J・Gバラード:欲望の磁場」太田出版『コンクリート・アイランド』に収録)というような、人間存在への問いかけが生じてくるのです。
そこで、比較してみたいのが、『An Ideal For Living』でイアンが試みたナチズムの取り上げ方です。既出ですが『An Ideal For Living』とドイツ第三帝国――②の記事に載せたインタビューを引用します。
評論家ミック・ミドルス(リンジー・リードと共著でイアン・カーティスの伝記“Torn Apart -The Life of Ian Curtis”を書いています)が1978年に行った、『An Ideal For Living』についてのインタビュー(ライブアルバム『Preston 28 February 1980』所収)で、イアンカーティスは「Leaders Of Men」について次のように話しています。
(バーナードの「イアンはいつもノートにたくさんの歌詞をあらかじめ書きためていて、できあがった曲に嵌めて歌う」という発言をうけて)
イアン:「例えば「Leaders Of Men」は、2~3年前に書いた詩に、少し付け加えてる。歌詞になるように少しだけ(言葉を)探しながら。」
ミック:「(歌詞は)何についてのもの?」
イアン:「いろんなことだよ、本当に。僕は特定の何かについて書くつもりはない。もし、何かに心を打たれたとしても。僕はしばしば、とても潜在的な意識に従って書く傾向があるから、それが何についてのことなのか、分からない。」
ミック:「例えば、このEP(『An Ideal For Living』)の歌だと、「Leaders Of Men」は何について?」
イアン:「かなりわかりやすい歌だ、かなり明白だよ、本当に。僕は(詩を)解釈のためにオープンする、ってことはしたくないんだ。特定のことについて書くのは無意味なことだ。そうしたら、それは時代遅れなものになっていくだろう」
「潜在的な意識に従って」書かれたナチズムをテーマにした詩は、ナチズムを「善悪」という尺度で安易に捉えないものでした。ナチズムを礼賛している詩だとは思えない詩が、ネオナチだと批判されたのは、解りやすい批判が示されていなかったためでもあると思います。ナチズムを扱った映画や小説の中には、ナチズムを安易に物語のツールとして「極悪」の定位置に据えていると感じられなくもないものがあります。しかし、バラードの小説も、そして、恐らくイアンが試みていたことも、そうした類のものではない、と思われます。道徳とか常識とか信条といった、観念に覆い隠されて見えない人間の深層にある本質への、突き詰めた問いという危険な試みがなされているのではないでしょうか。
ここで「Disorder」の歌詞に戻り、「僕」が失った“普通の人間の感覚や感情”とは何だろうとあらためて考えてみます。『クラッシュ』の序文でバラードは、「感覚と感情の死亡は、極めてリアルで優しい快楽へと道を拓いた――つまり苦痛と損傷への興奮だ。」と書いているのですが、「僕」が受けたショックは、例えばバラードの小説に描かれているようなショックと類似したもので、観念の底にある無意識、「内宇宙」へと達するものではないか、と思います。そこには、「普通の世界」と隔てられてしまった人間が感じる、底知れぬ「孤独」があるのではないでしょうか。
バラードは、自身の代表作として、「時間が語りかけてくる」を挙げています。主人公は、水を抜いたプールの底一面に表意文字のような不思議な溝を刻んで自殺した生物学者の友人パワーズです。パワーズは遺伝子異常を起こし始める生物たちを研究しながら、電算機から打ち出される「96,688,365,498,695」「96,688,365,498,694」「96,688,365,498,693」……という不思議な数字のメッセージを受け取ります。この数字は終末に向かう世界をカウントダウンする「時の声」で、友人が聞いたものと同じメッセージでした。バラードは、この作品を自身の代表作だとする理由として、「私が扱うテーマのほとんどすべてが『時間が語りかけてくる』にあらわれているからである。」と述べています(『ザ・ベスト・オブ・バラード』ちくま文庫)。そして、そのテーマとは、「たとえば、宇宙の無限の時間と空間のなかで感じる孤独とか、生物に関するとりとめもない想像とか、水を抜いたプールや荒れはてた飛行場に秘められた複雑な記号の意味を解読しようとする行為とか。なかんずく、ますます無常感が強まる心理状態から脱出して、人間には見えない宇宙の力と、ある種の調和を個人の単位でつくり出そうとする決心」だとしています。
「イアン・カーティスは孤独と絶望をうたった」とよく言われます。このイメージはともすればステレオタイプな悩めるロッカーとしての印象を与えがちです。一口に「孤独」といってもその「孤独」とはどういった心情なのだろうか、それはもしかしたら「宇宙の無限の時間と空間のなかで感じる孤独」「ますます無常感が強まる心理状態」のようなものではないだろうか、そんなことを考えます。「Disorder」に描かれたような、捉えどころのない心理状態をつきつめてみることで、少し、理解が深まるような気がします。
わたしは自分が探求したいと思った新しい領域を、象徴的な目的からだけでなく、純理論的な、また予定的目的から内宇宙と名づけた。この心理学領域においては(例えばシュルレアリスム絵画に示されるように)精神の内部世界と現実の外部世界とが出会い、融け合うのだ。
『クラッシュ』や『ハイ・ライズ』、または、あらゆるものが結晶化し凍り付いてしまう『結晶世界』といったバラードの小説は、ある特殊な環境を舞台としています。しかし、小説のテーマは、そうした環境における人間の心理に置かれています。テーマとなっているのは“テクノロジー 対 人間”とか“残虐行為 対 人間”という対立ではなく、そうした異常な世界と人間心理の「関係」、そうした世界と関わることによって変化していく人間の心理です。それは「テクノロジーは悪」あるいは「残虐行為は悪」などと、単純に「善悪」や「是非」の対立として解消されるものではありません。
例えば、『残虐行為展覧会』にこんな記述があります。
自動車衝突に潜む性的内容。たとえばジェイムズ・ディーン、ジェイン・マンスフィールド、アルベルト・カミュといった結果的には交通事故の死亡者として名を残した有名人たちの潜在的なセックスアピールを査定しようと、おびただしい数の研究がおこなわれてきた。政治家、映画スター、それにテレビの有名タレントたちを撮った模造ニュース映画を、(a)郊外に住む主婦たち、(b)末期脳梅毒患者たち、(c)ガソリンスタンド店員、から選んだ人びとに見せるのだ。交通事故の犠牲者を映しだすシークエンスは、脈拍および呼吸数の著しい増加をもたらす。志願被験者たちの多くは、死亡者たちがまだ生きていると確信するようになり、後には、夫や妻との性交の際に性的刺戟をもたらす焦点として、衝突事故犠牲者たちの誰かをこっそりと用いるのだった。(第12章「衝突!」)
ヴェトナムでの戦闘を撮った、エンドレスのニュース映画を、(a)調査用に選ばれた観客、(b)精神病患者(第三期梅毒)、に見せる。いずれの場合にも、戦闘場面のフィルムは、拷問と処刑のシークエンスとは反対に、著しく緊張を緩和する働きを有し、血圧、脈膊数、呼吸数を適当なレヴェルに調節するということが判明した。これらの結果は、ありきたりな戦闘場面のニュース映画のもつ低調な劇的要素および興味と一致するものである。……ヴェトナム戦争継続の適否は自明のことであろう。(第11章「愛とナパーム弾/アメリカ輸出品」)
こうした心理には、一見すると嫌悪感を抱かされます。しかし、読み進めていくうちに、しだいに自分の中にもこれと同様なものが潜んでいるのではないか、という恐ろしい問いかけが生じてきます。「衝突してひしゃげた五六年型キャデラックコンバーチブルの、折れたダッシュボードの亀裂と助手席で死んだ女の太股の角度にエロスがある、という指摘。これに共感できるのはよほどの変態なのだけれど、でもここには何かある。事故や災害を見て(胸をいためるふりをしつつ)興奮し、何度もそれを繰り返し見てしまう心理を説明できる何かがある。人々が廃墟に惹かれる心に通じる何かがある。」(山形浩生「J・Gバラード:欲望の磁場」太田出版『コンクリート・アイランド』に収録)というような、人間存在への問いかけが生じてくるのです。
そこで、比較してみたいのが、『An Ideal For Living』でイアンが試みたナチズムの取り上げ方です。既出ですが『An Ideal For Living』とドイツ第三帝国――②の記事に載せたインタビューを引用します。
評論家ミック・ミドルス(リンジー・リードと共著でイアン・カーティスの伝記“Torn Apart -The Life of Ian Curtis”を書いています)が1978年に行った、『An Ideal For Living』についてのインタビュー(ライブアルバム『Preston 28 February 1980』所収)で、イアンカーティスは「Leaders Of Men」について次のように話しています。
(バーナードの「イアンはいつもノートにたくさんの歌詞をあらかじめ書きためていて、できあがった曲に嵌めて歌う」という発言をうけて)
イアン:「例えば「Leaders Of Men」は、2~3年前に書いた詩に、少し付け加えてる。歌詞になるように少しだけ(言葉を)探しながら。」
ミック:「(歌詞は)何についてのもの?」
イアン:「いろんなことだよ、本当に。僕は特定の何かについて書くつもりはない。もし、何かに心を打たれたとしても。僕はしばしば、とても潜在的な意識に従って書く傾向があるから、それが何についてのことなのか、分からない。」
ミック:「例えば、このEP(『An Ideal For Living』)の歌だと、「Leaders Of Men」は何について?」
イアン:「かなりわかりやすい歌だ、かなり明白だよ、本当に。僕は(詩を)解釈のためにオープンする、ってことはしたくないんだ。特定のことについて書くのは無意味なことだ。そうしたら、それは時代遅れなものになっていくだろう」
「潜在的な意識に従って」書かれたナチズムをテーマにした詩は、ナチズムを「善悪」という尺度で安易に捉えないものでした。ナチズムを礼賛している詩だとは思えない詩が、ネオナチだと批判されたのは、解りやすい批判が示されていなかったためでもあると思います。ナチズムを扱った映画や小説の中には、ナチズムを安易に物語のツールとして「極悪」の定位置に据えていると感じられなくもないものがあります。しかし、バラードの小説も、そして、恐らくイアンが試みていたことも、そうした類のものではない、と思われます。道徳とか常識とか信条といった、観念に覆い隠されて見えない人間の深層にある本質への、突き詰めた問いという危険な試みがなされているのではないでしょうか。
ここで「Disorder」の歌詞に戻り、「僕」が失った“普通の人間の感覚や感情”とは何だろうとあらためて考えてみます。『クラッシュ』の序文でバラードは、「感覚と感情の死亡は、極めてリアルで優しい快楽へと道を拓いた――つまり苦痛と損傷への興奮だ。」と書いているのですが、「僕」が受けたショックは、例えばバラードの小説に描かれているようなショックと類似したもので、観念の底にある無意識、「内宇宙」へと達するものではないか、と思います。そこには、「普通の世界」と隔てられてしまった人間が感じる、底知れぬ「孤独」があるのではないでしょうか。
バラードは、自身の代表作として、「時間が語りかけてくる」を挙げています。主人公は、水を抜いたプールの底一面に表意文字のような不思議な溝を刻んで自殺した生物学者の友人パワーズです。パワーズは遺伝子異常を起こし始める生物たちを研究しながら、電算機から打ち出される「96,688,365,498,695」「96,688,365,498,694」「96,688,365,498,693」……という不思議な数字のメッセージを受け取ります。この数字は終末に向かう世界をカウントダウンする「時の声」で、友人が聞いたものと同じメッセージでした。バラードは、この作品を自身の代表作だとする理由として、「私が扱うテーマのほとんどすべてが『時間が語りかけてくる』にあらわれているからである。」と述べています(『ザ・ベスト・オブ・バラード』ちくま文庫)。そして、そのテーマとは、「たとえば、宇宙の無限の時間と空間のなかで感じる孤独とか、生物に関するとりとめもない想像とか、水を抜いたプールや荒れはてた飛行場に秘められた複雑な記号の意味を解読しようとする行為とか。なかんずく、ますます無常感が強まる心理状態から脱出して、人間には見えない宇宙の力と、ある種の調和を個人の単位でつくり出そうとする決心」だとしています。
「イアン・カーティスは孤独と絶望をうたった」とよく言われます。このイメージはともすればステレオタイプな悩めるロッカーとしての印象を与えがちです。一口に「孤独」といってもその「孤独」とはどういった心情なのだろうか、それはもしかしたら「宇宙の無限の時間と空間のなかで感じる孤独」「ますます無常感が強まる心理状態」のようなものではないだろうか、そんなことを考えます。「Disorder」に描かれたような、捉えどころのない心理状態をつきつめてみることで、少し、理解が深まるような気がします。