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愛語

閑を見つけて調べたことについて、気付いたことや考えたことの覚え書きです。

プランKでのイベント――イアン・カーティスとウィリアム・バロウズ

2012-02-08 21:48:11 | 日記
 プランKは、ベルギーのブリュッセルにあったイベント・ホールです。砂糖の精製所を改装した建物で、複数のパフォーマンススペースがあり、観客は音楽・ダンス・映画・美術など様々なジャンルのアートを楽しむことができました。
 1979年10月、プランKのオープニングセレモニーとして企画されたイベントの興行主だったのが、のちにイアンの愛人となるアニック・オノレと、ジャーナリストのミシェル・デュバルです。ジョイ・ディヴィジョンは、同じファクトリー・レーベル所属のバンド、キャバレー・ヴォルテールとともに出演しました。このイベントにはウィリアム・バロウズが招かれ、自身の著作『第三世界』を朗読するというライヴを行いました。
 イアンはバロウズの愛読者で、信奉者でした。 

 イアンはバロウズの大ファンだった。彼の作品は脱工業化(ポスト・インダストリアル)の悪夢的なもの。内容はというと――偏狭で道徳感が欠如していて、皮肉で悪意に満ち、全体主義的で暗く欲深い、異常な西欧社会。知覚の奥義、カットアップ……すべてかみ合ってた。そして示唆してもいた。アートや文学の発想を取り入れたら粗悪なグラム・ロックやプログ・ロックさえマシになるんじゃないかと。(ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』)

というジェネシス・P・オリッジの発言は、イアンがバロウズに惹き付けられた理由を窺わせます。
 そして、「そのフェイバリットに〈プランK〉でむべなく追い払われたエピソードはピーターの語る定番ネタ」と、ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』のパンフレットにはあります。映画でのピーター・フックの発言は次のようなものです。

 イアンはバロウズから本をもらおうと考えた。著作を全部読んでたので、タダでもらえると思ったんだ。なぜだかね。俺とバーナードは面白がって付いてった。バロウズは朗読を終えるとサイン会を始めた。イアンは行き、俺たちは柱の影でクスクス笑い、バロウズが何か言った。聞こえたのはひと言“うせろ、ガキ!”
 俺たち笑ったの何の、イアンは赤っ恥だ。

 このエピソードについて、バロウズのファンサイトReality Studioは「バロウズと親しい者なら誰しも、彼がファンに対して“失せろ”と言うなど考えられない。バロウズは常に礼儀正しくあろうとし、古風とさえ言えるようなマナーで接していた。ファンや信奉者に寛大で、カーティスのように若くてハンサムだったらなおさらだった。なぜそんなやりとりになったのか? カーティスがバロウズを侮辱したのか? バロウズの機嫌が悪かったのか?」という疑問を呈し、検証を試みています。ここには、イアンが高校時代に通っていた書店の経営者が、イアンのバロウズへの熱狂ぶりを語るメールインタビューなどもあり、興味深いのですが、今回はとくに、プランKでのバロウズとイアンについて、気になった証言を取り上げてみたいと思います。
 まず、アニック・オノレとともにイベントの興行主であったジャーナリストのミシェル・デュバルの証言です。2008年4月22日付の、Emailでの返答です。

 僕はあのプランKでのギグを企画し、バロウズとジョイ・ディヴィジョンにインタビューをした。インタビューは、プランKで、イベントの前に行われた。バロウズはとても愛想がよく礼儀正しく……イアンとロブ・グレットン(ジョイ・ディヴィジョンのマネージャー)、そして、カット・アップでいうとCabs(キャバレー・ヴォルテール)がいた。ショウの最後にイアンがバロウズに抱き留められていたことをよく覚えている。何を話していたかは分からないが。

 イアン自身の発言としては、1980年1月8日の“A Day Out With Joy Division,” Vol.2/No.5.に載ったインタビュー記事の抜粋が載せられています(元記事はこちらで読むことができます)。イアンはこの件に関しては、「バロウズに本をもらえるかどうか頼んだけれども、彼は持っていなかった」とだけ言っています。アニック・オノレは2008年4月21日付のEmailで、「ブリュッセルでのバロウズについて、特に何も覚えていないし、後でイアンから聞いたこともない」と答えています。
 そして、キャバレー・ヴォルテールのリチャード・H・カークの2008年4月28日付のEmailでの返答から、いくつか抜き出してみます。

 ウィリアムがイアン・カーティスに「失せろ」と言ったかはかなり疑わしいと思う。僕はバロウズにプランKで会った。ウィリアムの知り合いだったThrobbing Gristleが、僕をジェネシス・P・オリッジの友人だと紹介した。バロウズは僕のことを知らず、キャバレー・ヴォルテールのことも知らなかった。しかし、とても友好的で、礼儀正しい老紳士だった。キャバレー・ヴォルテールのバッジをあげたくらいだよ。彼はそれをポケットに入れていた。これがバロウズとの初対面だった。

 プランKでの忘れられない思い出は、イアンやバロウズ、そしてジョイ・ディヴィジョンやキャバレー・ヴォルテールの他のメンバーたちと同じテーブルに座っていた時のことだ。イアンはウィリアムにSuicide(バンドの名)についてどう思うか尋ねた。バロウズは自殺という行為のことだと思ったようで、「賛成しない」と言ったんじゃなかったかな。

 それから、ジョイ・ディヴィジョンのローディーだったテリー・メイソンの証言が上げられています。これは、"Torn Apart―The Life of Ian Curtis"からの引用です。"Torn Apart"にはp.164~p.165にわたってプランKのイベントについての記述があり、テリーの発言はp.165に記されています。

 次の日、僕たちはギグに行き、イアンはバロウズが朗読しているところに行こうと決めた。大ファンだったから。イアンはバロウズに自分がどれだけバロウズのことを偉大な人物だと思っているか伝えようとした。説明を繰り返しながら、イアンはバロウズが自分について何かしら知っていないかと期待していたけれど、バロウズはイアンのことを全く知らず、大勢の中の誰かという感じだった。

 ドキュメンタリー映画でのピーター・フックの発言だけでは分からない、当時の状況が、これらの発言から窺えるように思います。イアンが本をもらおうと考えて断られたという出来事以外にも、イアンとバロウズの間には交流があったようです。初対面の時は、もしかしたらリチャード・H・カークがそうであったように、友好的に接してもらえたのかもしれません。そして、本をもらおうと考え、頼んだところ、断られた、ということではないでしょうか。“バロウズが自分について何か知っているかもしれない”と期待していたというところに野心家だったというイアンの一面が表れているようにも思います。
 ミシェル・デュバル、リチャード・H・カークが伝えるプランKでのバロウズの印象はReality Studioの主張する「バロウズは常に礼儀正しくあろうとし、古風とさえ言えるようなマナーで接し、ファンや信奉者に寛大」というバロウズ像と合致します。
 また、バロウズと様々なゲストとの対談をまとめた『ウィリアム・バロウズと夕食を』(ヴィクター・ボリス編 梅沢葉子・山形浩生訳 思潮社 1990年刊)には、フランスの出版者モーリス・ジロディアスのこんな発言があります。
「私はビル・バロウズの大ファン。文壇で今まで出会った人たちの中で一番感じが良かった。ものすごく繊細で。彼のイメージや評価に伴う様々な神秘さを解明する、繊細な何かがある」(p.41「書くことについて」)一方で文学史家でバロウズの著作目録の著者であるマイルズの、「ビルはとても近寄りがたい存在だった。彼とどうやって話をすればよいのかわかるまで一苦労したし、イアン(サマーヴィル。当時のバロウズの共作者であり、付き人だったが、ビルの六十二歳の誕生日に自動車事故で死んだ)が調子を合せて「今夜のウィリアムはちょっと神経質になっている」と言ったりした。彼がハイになっているものと思っていた。心ここに在らずという感じだった。」(p.81「ロンドンのバロウズ」)という発言もあります。バロウズ自身は「確かに一人でいることが多いし、あまり社交的じゃない。これといった目的のない雑多な集まりやパーティーに行くのは苦手だね。パーティーというのは大方間違いだ。規模が大きくなればなるほどひどい。……本当に親しい友人には定期的に会っている。たくさんの人には会わないしあまり出掛けることはない。」(p.100「ニューヨークのバロウズ」)とも言っています。バロウズは(当然だとは思いますが)、こうした面を持ちつつ、努めて人には礼儀正しく誠実に接しようとしていた――対談集を一読してそんな印象を持ちました。
 ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』を見た時点では、私はバロウズについて、エキセントリックな人物というくらいの印象しか持っていなかったので、ピーターの発言から、いかにも気むずかしいアーティストとしてのバロウズの印象を強くしました。しかし、必ずしもそれだけではないようです。イアンもまた、人当たりがよく礼儀正しいと言われています。バロウズに対していきなり無礼な態度をとったとは考えられません。しかし、憧れの人に会うという気負いと、ちょっとした気持ちの行き違いなどがあって、もしかしたらバロウズを不快にさせてしまったのかもしれません。或いは、ただ単に本をもらおうとしたイアンが断られた、ということが多少誇張されている可能性もあるかもしれません。
 ところで、ピーター・フックが、イアンがバロウズに「失せろ」と言われているのを一緒に見て笑っていたというバーナード・サムナーですが、ドキュメンタリー映画の中で、この件について何も発言していません。今回調べた中にも出てきませんでした。