愛語

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「Interzone」――イアン・カーティスとウィリアム・バロウズ(2)

2013-05-15 18:58:32 | 日記
 『裸のランチ』に出てくる架空の都市「インターゾーン」のモデルとなっているのは、バロウズが1952年から1954年にかけて滞在した、モロッコのタンジールです。この頃のタンジールについては、山形浩生『たかが、バロウズ本』のp.112~p.115に分かりやすくまとめられています。また、同書p.112に「タンジールの位置づけと文化的な風土については、ミシェル・グリーンの名著『地の果ての夢タンジール ボウルズと異境の文学者たち』にかなり詳細に書かれているので本格的に興味のある方はこっちを読むといいだろう」と紹介されている新井潤美・太田昭子・小林宣子・平川節子訳『地の果ての夢タンジール ボウルズと異境の文学者たち』(1991年、邦訳は1994年・河出書房新社)は、当時のタンジールについてよく知ることができ、かつ、読み物としても魅力的な本でした。この2冊を中心に、「インターゾーン」のモデル、タンジールについてまとめてみたいと思います。
 まず、タンジールの基本的な情報を、『日本大百科全書(ニッポニカ)』(ジャパンナレッジ)から抜粋してみましょう。

 北アフリカ、モロッコ最北部のジブラルタル海峡に面した港湾都市。地中海の入口という戦略的位置から、強国の争奪の的となった歴史を持つ。〈略〉 19世紀にふたたびヨーロッパ列強の植民地化の波が押し寄せ、タンジールは鎖国体制にあったモロッコの外交都市となった。1905年第一次モロッコ紛争の発端となったタンジール事件が発生、12年モロッコはフランス、スペインの保護領として分割され、タンジールは特別にフランス、スペイン、イギリス3国の国際委員会の管理下に置かれた。23年にはイタリア、ポルトガルなど5か国を加えた委員会による国際管理地区となり、25年永世中立の国際都市を宣言し、タンジールは自由貿易港として発展した。40年に一時スペインが占領したが、45年アメリカが加わった国際管理委員会が復活した。1956年3月モロッコの独立に伴い、同年10月モロッコに返還された。

 第二次大戦後、国際管理地区(インターナショナル・ゾーン)となったタンジールは、関税がかからない自由貿易港として発展しました。自由貨幣が流通し、一方、密輸や麻薬取引が横行する街でもありました。『地球の歩き方 モロッコ』(2012・13年版)には、「ちょっと前まで、タンジェは国際商人でごった返し、密輸やスパイの舞台だった。エキゾチックで危うさの漂う町、しかしそこには自由がある……そんな魅力が、芸術家たちを引きつけた。マチスやドラクロワといった画家、ポール・ボウルズ、ピエール・ロティといった文学者などの創作に大きな影響を与えた」とあります。「1947年にボウルズがみずから進んでタンジールに落ちついてから、多くの西洋の知識人が続々とこの地に集まってきた」(ミシェル・グリーン『前掲書』p.13)というように、ボウルズはタンジールに滞在していた文学者の中でも代表的な人物でした。「殺人と強姦以外は何をしても許されるという風潮が蔓延していた」(同書p.12)タンジールには、知識人や金持ちに加え、ならず者も多く流れ込んできていました。例えば、「ゲシュタポのスパイでムッソリーニの拉致に関わったオットー・スコルゼニは、かつてナチス将校だった仲間と組んで、タンジールで武器供給業を営んでいた」(同書p.15)というように。
 バロウズが1952年にタンジールを訪れたのは、「ドラッグや同性愛方面の期待と同時に、ボウルズ夫妻がここにいるからだった。ボウルズは1948年の『シェルダリング・スカイ』で世界的な名声を獲得。バロウズは作家としてのアドバイスを求めてボウルズを訪ねた。」(『たかが、バロウズ本』p.114)という理由からですが、バロウズが求めた、タンジールの自由で背徳的な雰囲気は、タンジールがモロッコ独立運動の拠点となったことで変化していきます。モロッコが独立するのは1956年ですが、バロウズがタンジールを訪れた頃から、町のあちこちで政治紛争が起こるようになりました。『たかが、バロウズ本』p.114には「まさにバロウズがここにやってきたその年、1952年の暴動を契機に、タンジールは不況へと陥る。先行きの不安から投資も沈滞し治安の悪化を恐れて金持ち観光客も減少、それまでの華やいだ雰囲気は急速に薄れる」とありますが、このあたりの様子について、『地の果ての夢 タンジール』では次のように記されています(p.220~221)。

 もはや船ごとに、裕福な旅行者と野心的な移住者たちが到着するということはなくなった。がら空きのホテルと工事も半ばのまま放置された建物が並ぶ新市街には堅苦しい沈黙が襲った。港は、密輸業のほうはまだ利潤が上げられたにもかかわらず、最盛期の狂気じみた雰囲気を失っていた。〈略〉このタンジールの落ち込みぶりにウィリアム・バロウズはインスピレーションを感じたのである。〈略〉彼は、自分が目にしたこと、すなわち、すべての規則が一時停止し、退廃してぼろぼろになった町を題材に、無政府状態を小説化していた。「インターゾーン」はとてつもない人物が混在する話である。そこは、堕落した人々の交錯する地だった。貪欲な現地人と、感傷的な気取り屋と、夢に破れた人と、流れ者の強盗とが、それぞれ新しい人生をはじめるために必死になっている。幻影に目をくらまされて、バロウズの描く逃避者たちはその場が消滅しつつある場所であり、都市同様自分たちもやがてエントロピーのいけにえとなるであろうことを理解しない。彼は「インターナショナルゾーン」と題された初期のエッセイの中で、「タンジールはエネルギーがどこに向けても同じだけ発散しているため身動きがとれない。その結果、滅びかかっている宇宙のように衰えてきている」と書いている。

 ここで「インターゾーン」「インターナショナルゾーン」と呼ばれているバロウズの著作は、「晩年のバロウズが金に困って発表した、これまた『裸のランチ』の初期バージョンからの抜粋。もともと『裸のランチ』の作業タイトルは『インターゾーン/裸のランチ』だったが、最終的にまとめたものからはかなり削られた。そしてその一部が、アレン・ギンズバーグの資料の中から見つかってバロウズに送られ、その中の特に「WORD」という長めの章を中心に、当時書かれた小話をあわせて出版されたものである。」(『たかが、バロウズ本』p.66)を指していると思います(ウィキペディア(英語版)も参照)。
 『たかが、バロウズ本』には、「留意すべきなのは、バロウズがやってきてからタンジールの状況はひたすら下降線をたどっているということだ。ドラッグ環境の面でも、おそらくは物価面でも。「すべてはどんどん悪くなる」というバロウズの世界観は、おそらくこのタンジールでの経験にも裏打ちされている。そして悪くなったあげくに、ものすごい締めつけの警察国家が出現するというイメージも、ここの経験とおそらくは無縁ではない。」(p.114)とあります。こうしたタンジールの状況をふまえて、『裸のランチ』の「インターゾーン」の描写の一部を見てみたいと思います(p.154~155。なお、太字にしたところは邦訳では傍点が打ってあります)。

 ありとあらゆる国の麻薬を作るにおいが市の上空におおいかぶさっている。アヘンやマリファナのどろんとした樹脂のような煙、ヤーヘの樹脂脂質の赤い煙、ジャングル、海水、腐った川の水、ひからびたくそ、汗、生殖器などのにおい。
 山岳地方のフルート、ジャズ、ビーバップ、一本弦のモンゴル人の楽器、ジプシーの木琴、アフリカのドラム、アラビア人の風笛……
 市は猛烈な伝染病に襲われ、ほったらかしの犠牲者の死体は、街なかでハゲタカの餌食(えじき)になる。白子(しろこ)たちは日なたで目をしばたたき、少年たちは林の中にすわってものうげに自慰を行う。未知の病気にむしばまれた人びとは、悪意のある抜け目のない目つきで通行人を見つめる。
 市のマーケットの中には「ミート・カフェ」がある。エルトリア語でいたずら書きをする時代遅れのとてもありそうもない商売の信奉者、まだ合成されていな麻薬の常用者、〈略〉第三次世界大戦のやみ商人、テレパシーによる感受性をもった収税史、精神の整骨療法家、おとなしい偏執病の西洋将棋さしが告発した違反の調査者、幽霊省の官僚、設立されていない警察国家の役人、バングトット作戦――睡眠中の敵を窒息させる肺臓勃起――を完成した一寸法師の同性愛女〈略〉海底や成層圏の疾病、実験室や原爆戦の病気などの治療に熟練している医者……知られざる過去と不意に出現する未来とが音のない振動音のなかで遭遇(ミート)する場所だ……幼虫的実在物が生きた実在を持っている……

 これでもかという位の、醜悪な要素が遭遇する場所が「インターゾーン」で、行き詰まりの場所であるにもかかわらず、さらに悪い方へ向かっていこうとする負のエネルギーで満ちている、そんな印象を受けます。