「コントロール」のパンフレットが、唐突で意味がわかりにくく、歌詞対訳でかなり苦労したと指摘する
Hunting by the rivers
Through the streets
Every corner abandoned too soon
Set down with due care
の部分ですが、『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』では、こう訳されています。
川のほとりでハンティングし
通りを過ぎて
どの角もすぐに見捨てられて行き
十分注意して 取り決める
サントラ盤は先に記したコントロールのパンフレットの引用にもある通り、
川のほとりで狩りをして
通りをぬけて
どの街角にも あっという間に人通りがなくなる
よく注意して書き留めてほしい
となっています。「Every corner abandoned too soon」を『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』は「どの角もすぐに見捨てられて行き」と訳し、サントラ盤は「どの街角にも あっという間に人通りがなくなる」と訳しています。前者の〈街角が見捨てられる〉を、後者は〈街角に人がいなくなる〉と解釈したという違いはありますが、どちらもほぼ直訳です。
これを思い切って前の部分と合わせて「川や 通りの中に 何かを求めても/もはや意味がない」と意訳したのが「コントロール」です。「abandoned」=「見捨てられる」の主語を単に「街角」とするのではなく、作者の心情に目を向け、街角も作者も「すぐに見捨てられる」──「もはや意味がない」が他と違うのは、その点にあります。こう訳されると、「Hunting by the rivers」「Through the streets」が、作者の内面を表すものとして読めてきます。〈あちこちに行っていろんなことをしても、意味がない〉という心情としてまとまってきます。
そして、「Set down with due care」「これだけは覚えていてくれ」は、〈こんなことをしていても意味がない〉ことを強調するものとして、前のフレーズとつながってくるわけです。「Set down」とは、「心に刻む」ことなのだと理解することができます。
「十分注意して 取り決める」「よく注意して書き留める」では、何を「取り決める」のか、「書き留める」のかよく理解できず、浮いてしまいます。
直訳したのではよくわからない「Hunting by the rivers/Through the streets/Every corner abandoned too soon/Set down with due care」をこのように解釈してみると、これは、その前にある「Naked to see/Walking on air.」「無防備なまま/浮かれている(=真実から目をそむけて有頂天になっている)」ことの比喩として、しっかりつながってきます。
(ちなみに、サントラ盤では、「Aching to see /Walking on air.(痛みを感じながら目を向けて/宙を歩いて)」となっており、いよいよわかりません。「Naked」を「Aching(痛む)」と聞いてしまったようです)。
このように、よくわからないまま、一つ一つのフレーズをバラバラにしてしまうのではなく、つながりに注意しながら読み込んでいくことで、全体を貫くテーマのようなものが見えてくるように思います。他の多くの詩と同じように、この詩には心象が描かれていて、内省的な内容であると思われます。「Atmosphere」は1980年にフランスで限定販売されたシングルですが、同時収録されている「Dead Souls」に、「A duel of personalities」「(内なる)人格同士の闘い」というフレーズがあります。この「内なる人格同士の闘い」が「Atmosphere」のテーマではないかと思うのです。
「コントロール」には、ステージでのパフォーマンスについて「自分じゃない誰かが自分のふりをしているようで」というイアン・カーティスのセリフがあります。ドキュメンタリー映画では、カーティスが、自分自身の心情について、「人が抱いているイメージと実際の自分は違う。それがどんどんイヤになってくる。イアンは2人いる。1人はメディアの存在、バンドの歌手。もう1人は実際のイアン。傷だらけで怒れる──孤独な人間。もし本当の自分を見せたら、人はソッポを向くだろう」と話していたと、ジェネシス・P・オリッジ(1950-)が語っています。いろいろな話をしたけれども、彼がよく話していたのは、自分の心情についてののことだった、と。「Atmosphere」には、こうした内面の葛藤が表れているように思うのです。(続く)
Hunting by the rivers
Through the streets
Every corner abandoned too soon
Set down with due care
の部分ですが、『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』では、こう訳されています。
川のほとりでハンティングし
通りを過ぎて
どの角もすぐに見捨てられて行き
十分注意して 取り決める
サントラ盤は先に記したコントロールのパンフレットの引用にもある通り、
川のほとりで狩りをして
通りをぬけて
どの街角にも あっという間に人通りがなくなる
よく注意して書き留めてほしい
となっています。「Every corner abandoned too soon」を『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』は「どの角もすぐに見捨てられて行き」と訳し、サントラ盤は「どの街角にも あっという間に人通りがなくなる」と訳しています。前者の〈街角が見捨てられる〉を、後者は〈街角に人がいなくなる〉と解釈したという違いはありますが、どちらもほぼ直訳です。
これを思い切って前の部分と合わせて「川や 通りの中に 何かを求めても/もはや意味がない」と意訳したのが「コントロール」です。「abandoned」=「見捨てられる」の主語を単に「街角」とするのではなく、作者の心情に目を向け、街角も作者も「すぐに見捨てられる」──「もはや意味がない」が他と違うのは、その点にあります。こう訳されると、「Hunting by the rivers」「Through the streets」が、作者の内面を表すものとして読めてきます。〈あちこちに行っていろんなことをしても、意味がない〉という心情としてまとまってきます。
そして、「Set down with due care」「これだけは覚えていてくれ」は、〈こんなことをしていても意味がない〉ことを強調するものとして、前のフレーズとつながってくるわけです。「Set down」とは、「心に刻む」ことなのだと理解することができます。
「十分注意して 取り決める」「よく注意して書き留める」では、何を「取り決める」のか、「書き留める」のかよく理解できず、浮いてしまいます。
直訳したのではよくわからない「Hunting by the rivers/Through the streets/Every corner abandoned too soon/Set down with due care」をこのように解釈してみると、これは、その前にある「Naked to see/Walking on air.」「無防備なまま/浮かれている(=真実から目をそむけて有頂天になっている)」ことの比喩として、しっかりつながってきます。
(ちなみに、サントラ盤では、「Aching to see /Walking on air.(痛みを感じながら目を向けて/宙を歩いて)」となっており、いよいよわかりません。「Naked」を「Aching(痛む)」と聞いてしまったようです)。
このように、よくわからないまま、一つ一つのフレーズをバラバラにしてしまうのではなく、つながりに注意しながら読み込んでいくことで、全体を貫くテーマのようなものが見えてくるように思います。他の多くの詩と同じように、この詩には心象が描かれていて、内省的な内容であると思われます。「Atmosphere」は1980年にフランスで限定販売されたシングルですが、同時収録されている「Dead Souls」に、「A duel of personalities」「(内なる)人格同士の闘い」というフレーズがあります。この「内なる人格同士の闘い」が「Atmosphere」のテーマではないかと思うのです。
「コントロール」には、ステージでのパフォーマンスについて「自分じゃない誰かが自分のふりをしているようで」というイアン・カーティスのセリフがあります。ドキュメンタリー映画では、カーティスが、自分自身の心情について、「人が抱いているイメージと実際の自分は違う。それがどんどんイヤになってくる。イアンは2人いる。1人はメディアの存在、バンドの歌手。もう1人は実際のイアン。傷だらけで怒れる──孤独な人間。もし本当の自分を見せたら、人はソッポを向くだろう」と話していたと、ジェネシス・P・オリッジ(1950-)が語っています。いろいろな話をしたけれども、彼がよく話していたのは、自分の心情についてののことだった、と。「Atmosphere」には、こうした内面の葛藤が表れているように思うのです。(続く)