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愛語

閑を見つけて調べたことについて、気付いたことや考えたことの覚え書きです。

イアン・カーティスの死についての見解

2010-02-26 21:10:52 | 日記
 イアン・カーティスの自殺の原因については、持病の癲癇の悪化、女性問題などが理由とされていますが、結局「遺書はなく、動機も不明なままであった」(小学館ジャパンナレッジ『日本大百科全書』「ジョイ・ディヴィジョン」項)としか言えません。しかし、残ったメンバーたちが、長い間多くを語らなかったこともあり、イアン・カーティスの死は様々な憶測をよび、《好きなように》語られてきたように思うのです。

 「コントロール」でカーティスを演じたサム・ライリーは、「彼は普通の人間でした。人々を魅了したのは、彼が若くして死んだからです」と言っています。23歳という若さ、そしてアメリカツアーに出発する直前での謎の死によって、彼はまるでイコンのように神話化されました。現在でも一部にカルト的な人気を集めています。
 1988年に、“Atmosphere”が再リリースされた際にアントン・コービンが撮ったプロモーションビデオは、イアン・カーティスの巨大な写真を宗教的な装束をまとった人たちが掲げ歩くという、イアン・カーティスを偶像として崇拝するような内容です。その過剰な思い入れに、マネージャーのロブ・グレットンが激怒した、とドキュメンタリー映画のパンフレットには記されています。
 一方こうした偶像化に反発するかのように、自殺は突発的なもので「たいした意味はない」と軽く扱おうとするような傾向があるようです。例えば、「バーナード・サムナーが『イアンの自殺は単にドラッグのやりすぎだ』と片付けた」とか、「自殺の原因は単に女性問題なのだ、愛人アニック・オノレとの恋愛が破綻しただけなのだ」とする見方です。
 事実の検証よりも前に、主観的な理解をしているという点では、どちらも共通しているのではないでしょうか。結局は「不明」なのだとしても、検証を試みる必要は、あるのではないでしょうか。

 ドキュメンタリーでは、彼の持病の癲癇について、当時どれだけ偏見があったかを含めて伝えています。癲癇患者の苦しみについては、例えば、日本癲癇協会編『新・てんかんと私』に載せられている癲癇患者たちの手記が参考になるでしょう。発作の苦しみだけではなく、発作を他人に見られることが、患者にとっては発作以上に苦しいことなのです。カーティスが発病したのは22歳の時、自殺の1年5ヶ月前のことです。成人してからの発病は珍しく、過度のストレスのせいではないかと言われています。発作の症状は人それぞれなのですが、彼の発作は全身が痙攣し、意識が失われる重度のものでした。スタッフの一人が、「イアンには悪魔が憑いてる」と怯えたほどの激しい発作をしばしば起こしました。「イアンのダンスはオフステージの時の彼の発作の悲惨なパロディーのようになってしまった。目に見えない糸巻きを巻いているかのように腕を振り回し、足をぎこちなくピクつかせる姿は、無意識のうちにやる彼の動きとほぼ同じような印象を与えた。」(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』)とデボラ・カーティスが書く発作は、ギグの回数に比例して増え、症状も悪化していきました。安静で規則正しい生活をすることが発作を抑えるための大切な要素なのですが、彼の生活はそれとはほど遠く、ついにステージで発作を起こしてしまいます。大勢の人に発作を見られたことは、相当な負担となったようです。
 当時も今も、癲癇に対しては基本的に薬で発作を抑えるという対処法が行われます。イアン・カーティスは、どの薬が効くか分かるまで大量の薬を毎日飲み続けるという治療を受けていました。バーナード・サムナーは、大量の投薬を受けるようになってから、カーティスの精神状態は不安定になり、癲癇の薬が、病気そのものよりも健康状態に悪影響をおよぼしたと主張して、「薬が彼を殺した」と語っています。これは、ドキュメンタリーでバーナード自身が語り、先に記した3冊の著作にも引用されています。先に挙げた「バーナード・サムナーが『イアンの自殺は単にドラッグのやりすぎだ』と片付けた」、という誤解は、この発言がゆがめられて伝わったものだろうと思います。
 また、自殺の原因が単に女性問題なのだとすること――愛人アニック・オノレとの恋愛が破綻しただけだとすることが適当ではないことも、これらの事実を見ただけでも明らかでしょう。カーティスはちょうど死の一月ほど前に癲癇の治療薬を大量に飲み、自殺未遂を起こしていますが、ピーター・フックは、それよりも前に、リストカットによる自殺未遂をしていた事実をドキュメンタリーで語っています。当時カーティスが抱えていたのは女性問題だけではありません。他にも様々な問題を抱えていて、状況はもっと複雑です。精神状態といい体調といい、彼が鬱病であり休養が必要であったことは明らかですが、ジョイ・ディヴィジョンは新興で弱小だったレーベル、ファクトリー・レコードの看板であり、多くの人の生活もかかっていました。

 “Bernard Sumner: Confusion”で、当時ローディーを務めていたテリー・メイソンという人物(バーナードとピーター・フックの中学の同級生で、のちにバンドからは離れることになります)がこんな発言をしています。以下要約します。「レコードの売り上げだけでは十分ではなく、何といってもギグをやらなければならなかった。体調を考えれば、もしイアンが「できない」と言えば誰も反論できなかっただろう。でも、彼はやらなければならなかった。自分の家族だけではなく、いろんなものが肩にかかっていた」。スティーブン・モリス(1957-)は、「彼(イアン)は人が聞きたいだろうと思うことを言った。自分は大丈夫だといつも言っていた。すると、なんとなく彼の言葉を信じてしまい、そのままやり過ごしてしまうんだ」(『クローサー』コレクターズ・エディション所収の、バーナード・サムナー、ピーター・フックとの鼎談)と語っています。
 テリー・メイソンは、ドキュメンタリー映画でも関係者の一人として出演しています。DVDに特典としてついている、本編未収録のインタビューでは、「自分がかつてジョイ・ディヴィジョンに関わっていたことがわかると、周囲の人間が何か聞き出そうと大騒ぎになった。イアンにはなにかとんでもない秘密があると思って……そんなものはない。いい奴だったが追いつめられていた。それだけだ」と声をつまらせ、怒りを露わにしています。
 イアン・カーティスは、いったいどんな状況に追い込まれていたのか、それを検証し、そして、「彼の意志と感情はすべて歌詞の中にあった」(デボラ・カーティス『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』)という詩を理解することが、彼の死についてきちんと考えることに通じるのではないかと思っています。「よく分からないけれどすごかったらしい」過去のものとして風化させるのではなく、「Touching from a distance, Further all the time」(時を超えてより深く触れ合う)ことのできる作品の作者として捉えられれば、「イアンは死んだからカルトになったのではない。すばらしい歌をいくつも書いたからだ」(「ロッキング・オン」2008年4月号)というバーナードの言葉が、実感を持って受け入れられるのではないでしょうか。

イアン・カーティスの詩について調べることの意味

2010-02-18 21:39:24 | 日記
 こういった参考資料をもとに、イアン・カーティスの詩と生活について調べながら、映画「コントロール」の字幕のすばらしさを改めて感じました。イアンの詩がすっと入ってきたのは、この翻訳のおかげだと思います(これについては改めて記したいと思います)。パンフレットには、字幕を担当した松浦美奈さん(恋愛映画からホラーまで、幅広い作品を手がけているベテランで、とくに洋楽の専門ということではないとのことでした)が、詩を訳すのにどれだけ神経を使ったかということを書かれていました。「イアンの歌詞は、彼がその時、心の奥底で感じていたことを極めて詩的に綴ったものが多いので、映画を観た人が、イアンがどういう心情でこの歌詞を書いたのか? 少しでも判りやすく伝えたい!」という配給サイドの意向を汲み、そのための努力を惜しまなかった翻訳者と出会えたことは、詩にとってとても幸運だったのではないかと思います。文学(研究)の分野でさえ、肝心のテキストの正確な理解を目指す前に、批評だけが先走ってしまうことは多々あるからです。
 イアン・カーティスは歌詞について生前のインタビューで、《特にメッセージはない。どうとでも好きなように解釈してもらえればいい》(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』など)と語っていて、詩を表立って取り上げることには否定的でした。だからといって、それはそのまま「どうでもいい」とか、判る人にだけ判ればいい、ということにはならないと思います。

 ただ、ジョイ・ディヴィジョンに限らず、洋楽の歌詞カードに間違いが多いことは、よく指摘されることです。例えば、『ボブ・ディラン全詩302篇』(1993年)の訳者あとがき(片桐ユズル「ディランのことば」)にはこう書かれています。
 「歌詞カードというものの性質上、訳しにくいものも、訳したいものも、とにかく全曲やらなくてはならない。そして歌詞カードというものは、ふつう、筆者が校正に目をとおすチャンスはないものらしいので、とんでもないミスプリントがときどきある。……ふつうの歌詞カードというものは、あちらで出ている原盤にはついていないから、日本で出すときは、外人アルバイトをつかまえてきて一曲いくらで、レコードをききながら書きとりをさせるのだ。ところが、このためには、スペリングや文法がきちんとできるだけではだめで、詩についての教養と想像力がいるのだ。このごろは外人も質がおちて、そういうひとはなかなかいない。そこで、だめな外人がつくった、だめな書きとりをもとにして、たいてい歌詞カードをつくる。訳者の語学力の問題以前に、すでにテキストがあやふやなのだ。
 レコードとか、活字とかいうかたちで、多数ばらまかれるものは、とうぜん、それだけの責任をもってつくられたものとおもって、みんな買っているが、じつは、マスコミ産業の内情や労働条件からいったら、そんなに良心的にしていたら身がもたないから、ヨカロー、コノヘンデヤッチマエー、てなもんだ。だから、レコードにしろ、放送にしろ、活字にしろ、そういうインチキさを承知し、割引きしながら、うけとらないといけない。」

 つまり、訳以前にすでにテキストがあやふやなのです。このような例として、ニュー・オーダーの「Here to stay」があります。これは、ファクトリー・レコードの盛衰を描いた映画「24アワー・パーティ・ピープル」(2002年)のエンドロールに流れます。サビの部分、「Like a bright light on the horizon / Shining so bright, he`ll get you flying(地平線に輝く光のように/光輝く、彼が君を飛ばせる)」に続いて、「ジョニーは泣く/でも彼は歌える/屋根の上で君の頭に向けて」という字幕が出ます。何のことかよくわからないつながりです。アルバム『シングルズ』の歌詞カードを見ると、「Jhonny can weep/ But Johnny can sing /But then on the roof /Onto your head」となっていて、これを訳したたためなのだと分かります。一方インターネットで公開されている歌詞は、「He`ll drive you away, he`ll drive you insane /But then he`ll remove all of your pain」で、直訳すると、「彼は君を遠くへ飛ばせる、君を狂わせる、でも君の苦しみを全て取り去るだろう」となります。これならよくわかります。曲を聴いても確かに「ジョニー……」ではないようです。《飛ばしてくれる彼、狂わせてくれる彼、苦しみを取り去ってくれる彼》は、勿論イアン・カーティスのことですし、映画に登場したプロデューサーの故マーティン・ハネット(1948-1991)、マネージャーの故ロブ・グレットン(1953-1999)など、音楽に尽くした全ての人たちへのオマージュとして、ぐっと響いてきます。
 「24アワー・パーティ・ピープル」は、ピーター・フック(1956-)が「正確性は60%ほど」(「ストレンジ・デイズ」2008年4月号のインタビュー。ちなみに「コントロール」は「95%正しい」とのこと)というように、事実を描くというよりは、面白く描くことの方に重点が置かれているようで、随所に笑いの要素がちりばめられていて、楽しく観ることができます。しかし、この歌がラストにあることによって、馬鹿馬鹿しさの目立つ本編に、もう少し深い余韻が添えられているはずなのです。そのため、テキスト・翻訳のあいまいさが悔やまれるのです。

 イアン・カーティスは「Transmission」で「言葉はいらない、サウンドだけ」と歌っていますが、少なくとも彼の詩に強く引きつけられた私にとっては、とても意味があります。そして、こうした歌詞の持つ意味を考え直すきっかけとなり、一つの作品としてきちんと「読みたい」という動機につながりました。

主な参考資料

2010-02-14 14:23:49 | 日記
 まず、未亡人デボラ・カーティスによる『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』-イギリスでは1995年に出版され、日本では2006年に翻訳が出版されています。ここには未発表のものを含む全詩集も収められています。詩というよりも、かなり長文で、言葉を羅列しただけの草稿とみられるものもあります。イアン・カーティスは、常に詩を書くためのノートに言葉を書きためていて、曲ができあがると、そこからふさわしいものを取り出して詩にしていました。デビュー間もないころのインタビューで、詩のいくつかは2~3年前に書いていたものを修正したものだと語っています(2007年にイアン・カーティス没後25年を記念して編集されたジョイ・ディヴィジョンの未発表音源集「Let the Movie Begin」所収のブックレットより)。
 この『タッチング・フロム・ア。ディスタンス』の邦訳版では、原文の一部がカットされています。理由はわかりませんが、ドキュメンタリー映画にも引用されていた部分で、イアン・カーティスの読書傾向を知ることができる興味深い部分なので、削られてしまっているのは残念です。これについては改めて記したいと思います。

 そして、ジョイ・ディヴィジョンの所属していたファクトリー・レーベルの社長、トニー・ウィルソン(1950-2007)の当時の妻、リンジー・リード(夫妻は公私にわたってカーティスの面倒を見ていました)と批評家のミック・ミドルスの評伝“Torn Apart -The Life of Ian Curtis”は、イギリスで2006年に出版されたもので、愛人アニック・オノレに宛てたイアン・カーティスの書簡を収録しています。
 映画「コントロール」の後半に、イアン・カーティスがアニック・オノレに宛てた手紙が朗読される場面があります。簡潔で控えめな表現の中に感情が滲み出るような文章で、映画を見たとき、書簡も読みたいと思ったのですが、思いがけず“Torn Apart -The Life of Ian Curtis”で多くの書簡を読むことができました。「コントロール」で朗読されていた書簡は、実はいくつかの書簡と、遺作「クローサー」の中の詩を組み合わせてまとめたものであることが分かりました。一通り読んだ書簡には、彼が日々感じたことや、文学や映画、音楽についてとつとつと記されていて、とても素朴な印象を受けました。「映画『24アワー・パーティ・ピープル』の粗野でぶっきらぼうなイアン・カーティスは全く違う。彼はとても親切で礼儀正しくて、穏やかに話していた」というアニック・オノレの発言が記されているのですが、確かにこれらの書簡からは、物静かで穏やかな雰囲気が伝わってきます。ただ、やはりああした業界の雰囲気の中で、「24アワー・パーティ・ピープル」でカーティスを演じたショーン・ハリスのように振る舞うこともあったのではないかと思います。
 “Torn Apart -The Life of Ian Curtis”は、デボラの著作が愛人アニック・オノレについて記した批判について、逐一といっていいくらいの反論を載せています。アニック・オノレはベルギーを中心に、フランスをはじめヨーロッパの国々にジョイ・ディヴィジョンを紹介した音楽レーベル、クレプスキュールのオーナーで、ドキュメンタリー映画に関係者の一人として出演し、多くのことを語っています。一方デボラの方は著作が引用されるのみで、この二つの著作の対立も含め、アニックを含む「バンド側」と家庭との溝が推し量られます。

 そして、イギリスで2007年に出版されたバーナード・サムナーの伝記 David Nolan“Bernard Sumner: Confusion”は、バーナード・サムナーのカーティスについての発言は勿論、多くの関係者がカーティスについて感じた印象、当時の状況などについての発言を過去に遡って知ることができます。

イアン・カーティスの詩について調べようと思ったきっかけ

2010-02-11 21:32:40 | 日記
 イアン・カーティス(1956-1980)の半生を描いた映画「コントロール」は、写真家のアントン・コービン(1955-)の初監督作品で、2007年に製作、日本では2008年に公開されました。《この時代を神秘化することではなく、若者たちの愛と家族生活を中心とし、ジョイ・ディヴィジョンや彼らの出世物語を二次的なこととして扱いたい》という監督の意図のもと、イアン・カーティスの没後約30年たって製作されたこの映画は、カリスマとしてではなく、ごく普通の若者としてのイアン・カーティスを描いています。

 私はこの映画の前提となっているイアン・カーティスの「伝説」を知りません。映画を観たのはニュー・オーダー、ジョイ・ディヴィジョンの音楽が単純に好きだったからなのですが、バンドの歴史についてはほとんど知りませんでした。イアン・カーティスの詩についても同様で、「孤独と絶望を歌った」などと評されている、という認識しかありませんでした。

 「孤独」とか「絶望」といった言葉は、「愛」という言葉と同じくらい、この手の歌詞にはありふれていて、正直なところ、なかなかリアルに受けとることは難しいように思います。「カリスマ」、「孤独と絶望」などと言われると、詩心のない平凡な人間には、はなから近づけない世界のようにも思えます。しかし、映画「コントロール」を通して知ったイアン・カーティスは、平凡で、共感できる弱さを持っていました。スクリーンに映し出される言葉は端正で美しいのですが、それだけではなく、日々の感情を一つ一つ丁寧に表現したものとして伝わってきました。詩を書きながら自分自身の心に何度も問いかけていくという、そんな心の過程がよくわかるように思えました。そして時折、心の奥から何かがぐっと掻き立てられるように、身につまされるように迫ってきたのです。

 アントン・コービンはU2をはじめとして数多くのミュージシャンの写真を撮っていることで有名です。オランダからロンドンに移住し、本格的に写真家としてのキャリアをスタートさせることになったきっかけが、ジョイ・ディヴィジョンと出会ったことだったということです。1988年に、ジョイ・ディヴィジョンの“Atmosphere”が再リリースされた際、プロモーションビデオを撮っています。
 バーナード・サムナー(1956-)が「驚くほど彼(イアン)を掴んでいた」と言い、アントン・コービンが「ジョイ・ディヴィジョンと過ごした時間を感じさせる何かがあった」と言う主演のサム・ライリーは、《イアン・カーティス》というアイコンを演じるプレッシャーは感じず、「彼はごく普通の人間でした」と語っています。恵まれたルックスで、才能があるけれどももろく、優しいけれども人を傷つける、ダメだけどかっこいい等身大の若者像を演じています。なんとなくその延長線上に想像した《イアン・カーティス》を、インターネットの動画で検索してはじめて見たとき、あまりのギャップに呆然としました。異形にしか見えないパフォーマンス、詩の文字から伝わってきた感情とは別の、並はずれた感情がそこにはあり、その瞬間自分の中に大きくスイッチが入ってしまいました。この詩をできるだけ正確に理解したい。「コントロール」の二ヶ月後に公開されたドキュメンタリー映画「ジョイ・ディヴィジョン」を見て、さらにその思いを強くしました。
 このドキュメンタリーもやはり、等身大のイアン・カーティスの苦悩を描いています。そして、ジョイ・ディヴィジョンというバンドが生まれた背景について、《マンチェスターとは》という都市論をからめて客観的に伝えようとしています。「コントロール」は、事実を忠実にたどろうとしていますが、そのため個人の年譜をなぞるだけに終わった感じがなくもありません。このドキュメンタリーとあわせると、時代背景を含めた立体的な把握できるように思います。イアン・カーティスの詩が、実生活に即したものであると同時に、いろいろな文学、芸術をふまえていることもよく理解できます。これらの映画を見て感じたことは、彼の詩は果たして「孤独と絶望」を歌っているのだろうかという疑問です。そう言われればそうなのかもしれないと思うのですが、むしろ、自分自身の存在を問いただして、よりよく生きたいという切実な願いのようにも伝わりました。“Existence well what does it matter? I exist on the best terms I can.”(存在、それが何だというんだ、僕は精一杯存在している)という、精一杯存在するための葛藤が、その本質ではないかと思いはじめました。
 こうしたきっかけから、詩を理解するために何が必要なのか考えたとき、批評だけではなく、客観的な事実が必要だということを感じました。そこで、詩のテキスト、ふまえているもの、実生活、時代背景、それらを知るための資料を少しずつ探しはじめることにしました。

※映画に関しての監督や俳優のコメントについての記述は、特に断らない限りパンフレットによるものです。
※文中のバーナード・サムナーの発言は、「ロッキング・オン」2008年4月号のインタビューによるものです。