愛語

閑を見つけて調べたことについて、気付いたことや考えたことの覚え書きです。

「Love will tear us apart」について――(3)

2010-04-07 22:02:35 | 日記
 アニックと出会う前から、彼の家庭生活はうまくいっていませんでした。
 デボラは、バンドとファクトリー側から自分が疎まれたためだと言っています。

「ファクトリーは家族みたいだったわ。彼らが探し求めているような人じゃなければ、誰でも締め出されたの。ナタリーがまだお腹に入っていた時、私はファクトリーの玄関に立っていたの。トニーが私を上から下までジロジロ見たわ。彼が何を考えているかははっきりわかってた。ステージ横に妊娠6ヶ月の妻が立っているロックスターなんて構ってられるか、って。」(ジョン・サヴェージ「Good Evening We're Joy Division」:『ハート・アンド・ソウル』ボックスセット所収のブックレット )

 バンド側には、「(マネージャーの)ロブは断固として男っぽい、男だけの場にしようとした。これは作業だ、これは僕らの仕事なんだ、っていう雰囲気を作るために彼女や奥さんを連れてこないようにしたんだ。……彼は僕らがバンドに集中することを望んだんだ。我々VS世界。そこに意味があったんだ」(ピーター・フック『クローサー』コレクターズエディション所収の鼎談)という意識があったようですが、家庭とバンドの対立も、結局はそれぞれが求める「愛」の方向が一致しなかったからだともいえるのではないでしょうか。
 「ジョイ・ディヴィジョンはすごい。今まで見たバンドの中で最高だ。マネージャーになって世界中へ連れていくんだ」と言って、勤めていた店のDJを辞めて彼らのマネージャーになったロブ・グレットン(ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』)の「愛」は、良き夫としてのイアン・カーティスを求めるデボラの「愛」とは一致しません。その間にあったイアンの、妻と子どもに抱く愛情は、アーティストとして存在する場所から彼を引き裂くものだったかもしれません。

 彼の愛人アニック・オノレは、もちろん女性ですが、クレプスキュールのオーナーであり、「バンド側」の人間です。
 アニックとの関係は1979年秋に始まります(ナタリーの誕生は1979年4月です)。
 ドキュメンタリー映画で見るアニックはいかにも知的な美人で、発言の端々に、彼のアーティストとしての才能をよく理解し、評価していることが窺われます。そんな彼女の期待に応えることは、イアンにとって誇らしいことだったのではないかと思います。
しかし、アーティストとしての存在価値を失ってしまえば、アニックからの愛情を失うことになるかもしれない、そうした「プレッシャー」を伴う関係であったかもしれません。アニック・オノレ宛の書簡で、イアンは、「どうか君が僕のプレッシャーになっているなんて思わないでほしい」とか、「ロブが何て言ったかわからないけど、彼はどれだけ僕が君のことを思っているか全くわかっていない」、などと訴えています。もしかしたら、アニックが彼にプレッシャーを与えていると周囲に感じさせてしまう面もあったのかもしれません。
 ドキュメンタリー映画のパンフレットに、アニック・オノレについて、「見落とすべきでないのは、その(引用者注:イアン・カーティスとの)関係が決してロック・バビロン風のエピソードではなかった点だ。ジョイ・ディヴィジョンとファクトリー、あるいはポスト~ポストパンク史にとって、彼女の活動やヴィジョンが果たした功績はことの他に大きい。……イアンが悩んだとすれば、この背景を含めてのことだろう。三角関係どころの状況ではなかったのだ。」とあります。「ロック・バビロン風」とはどういう意味なのか、少しわかりにくかったのですが、恐らくこういうことではないかと思われます。「バビロン」は、キリスト教において、《異教徒の驕慢が横行する退廃した都市》という位置づけをされています。要するに「ロック・スターと愛人」という関係から一般に想像されるような、退廃した、ただれた関係ではない、ということでしょう。
 『Torn Apart The life of Ian Curtis』には、「アニックはイアンにとって知的で創造的なパートナーだった。二人は映画やアート、本、音楽を共有していた。彼女は現在でもそうしたものについての強く積極的な興味を持ち続けている」というマーク・リーダー(当時彼らの周辺にいた関係者の一人。ヴァージン・レコードのマンチェスター第1号店に勤めていました。最近では、バーナードが2009年に結成したバンド、バッド・ルーテナントのシングルのリミックスを手がけています。シングルは2010年2月にリリースされました)のコメントがあります。アニック・オノレ宛の書簡で、イアンは、例えば「T.S.エリオットの『荒地』といくつかの詩は、16歳の時に学校で習って以来ずっと自分の心の中で特別な位置を占めている」といったように、音楽や詩や映画について熱心に語っています。

 一方で「彼をポップ界のウィリアム・バロウズと見ていた」(ポール・モーリイ『クローサー』コレクターズエディション所収のブックレット)アニック・オノレの前で、イアンは「アーティストっぽい、苦悶に満ちた人間であることを印象付けようとしていた」(『クローサー』コレクターズ・エディション所収の鼎談)というピーター・フックのような見方もあります。
 バーナードやピーターと一緒になって「若者らしく、バカなまねをして」くれた時もあったけれども、それは「粗野な男の世界に入り込んだ男であるフリをしていた」のかもしれない、「いや、もしかしたら、アニークに、そしてデビーに対して装っていたのかもしれない。イアンはそんなヤツだったよ。彼はあらゆる人に対してあらゆるものになれたんだ。いつも無理をして、人に合わせてマスクを変える。彼はそれができたけど、それは彼にとって問題でもあった。プレッシャーになったんだ。やがてアニークはイアンに言い始めた。キーボードを入れるのは嫌、まるでジェネシスみたいだ、って。それが彼をパニックに陥れたんだ。(引用者注:サウンドに口を出したということでしょう)」(『クローサー』コレクターズ・エディション所収の鼎談)

 死の少し前から、イアンはバンドを辞めたいとメンバーに言っていたようですが、バンドを辞めることは、アニックとの関係にも当然関わるものでした。
 そして、「彼のいない家で一人、毎日乳母車を引いて過ごした」というデボラにはただただ同情します。自殺の前日、デボラに「離婚しないでほしい」と言ったイアンの真意は、よくわかりません。
 妻デボラと愛人アニック、そしてジョイ・ディヴィジョンとファクトリーについての一連のエピソードを見ていると、利害関係とか、悪意によるわけではなく、愛情ゆえに関係がつらくなってしまうこともある……そんなことを感じます。人生を美しく輝かせるだけではない、時に残酷で“苦い”「愛」の力が、「Love will tear us apart」の詩には表れていると思います。イアン・カーティスが「愛に引き裂かれて」死んだということを実感します。


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