愛語

閑を見つけて調べたことについて、気付いたことや考えたことの覚え書きです。

イアン・カーティスの詩について調べようと思ったきっかけ

2010-02-11 21:32:40 | 日記
 イアン・カーティス(1956-1980)の半生を描いた映画「コントロール」は、写真家のアントン・コービン(1955-)の初監督作品で、2007年に製作、日本では2008年に公開されました。《この時代を神秘化することではなく、若者たちの愛と家族生活を中心とし、ジョイ・ディヴィジョンや彼らの出世物語を二次的なこととして扱いたい》という監督の意図のもと、イアン・カーティスの没後約30年たって製作されたこの映画は、カリスマとしてではなく、ごく普通の若者としてのイアン・カーティスを描いています。

 私はこの映画の前提となっているイアン・カーティスの「伝説」を知りません。映画を観たのはニュー・オーダー、ジョイ・ディヴィジョンの音楽が単純に好きだったからなのですが、バンドの歴史についてはほとんど知りませんでした。イアン・カーティスの詩についても同様で、「孤独と絶望を歌った」などと評されている、という認識しかありませんでした。

 「孤独」とか「絶望」といった言葉は、「愛」という言葉と同じくらい、この手の歌詞にはありふれていて、正直なところ、なかなかリアルに受けとることは難しいように思います。「カリスマ」、「孤独と絶望」などと言われると、詩心のない平凡な人間には、はなから近づけない世界のようにも思えます。しかし、映画「コントロール」を通して知ったイアン・カーティスは、平凡で、共感できる弱さを持っていました。スクリーンに映し出される言葉は端正で美しいのですが、それだけではなく、日々の感情を一つ一つ丁寧に表現したものとして伝わってきました。詩を書きながら自分自身の心に何度も問いかけていくという、そんな心の過程がよくわかるように思えました。そして時折、心の奥から何かがぐっと掻き立てられるように、身につまされるように迫ってきたのです。

 アントン・コービンはU2をはじめとして数多くのミュージシャンの写真を撮っていることで有名です。オランダからロンドンに移住し、本格的に写真家としてのキャリアをスタートさせることになったきっかけが、ジョイ・ディヴィジョンと出会ったことだったということです。1988年に、ジョイ・ディヴィジョンの“Atmosphere”が再リリースされた際、プロモーションビデオを撮っています。
 バーナード・サムナー(1956-)が「驚くほど彼(イアン)を掴んでいた」と言い、アントン・コービンが「ジョイ・ディヴィジョンと過ごした時間を感じさせる何かがあった」と言う主演のサム・ライリーは、《イアン・カーティス》というアイコンを演じるプレッシャーは感じず、「彼はごく普通の人間でした」と語っています。恵まれたルックスで、才能があるけれどももろく、優しいけれども人を傷つける、ダメだけどかっこいい等身大の若者像を演じています。なんとなくその延長線上に想像した《イアン・カーティス》を、インターネットの動画で検索してはじめて見たとき、あまりのギャップに呆然としました。異形にしか見えないパフォーマンス、詩の文字から伝わってきた感情とは別の、並はずれた感情がそこにはあり、その瞬間自分の中に大きくスイッチが入ってしまいました。この詩をできるだけ正確に理解したい。「コントロール」の二ヶ月後に公開されたドキュメンタリー映画「ジョイ・ディヴィジョン」を見て、さらにその思いを強くしました。
 このドキュメンタリーもやはり、等身大のイアン・カーティスの苦悩を描いています。そして、ジョイ・ディヴィジョンというバンドが生まれた背景について、《マンチェスターとは》という都市論をからめて客観的に伝えようとしています。「コントロール」は、事実を忠実にたどろうとしていますが、そのため個人の年譜をなぞるだけに終わった感じがなくもありません。このドキュメンタリーとあわせると、時代背景を含めた立体的な把握できるように思います。イアン・カーティスの詩が、実生活に即したものであると同時に、いろいろな文学、芸術をふまえていることもよく理解できます。これらの映画を見て感じたことは、彼の詩は果たして「孤独と絶望」を歌っているのだろうかという疑問です。そう言われればそうなのかもしれないと思うのですが、むしろ、自分自身の存在を問いただして、よりよく生きたいという切実な願いのようにも伝わりました。“Existence well what does it matter? I exist on the best terms I can.”(存在、それが何だというんだ、僕は精一杯存在している)という、精一杯存在するための葛藤が、その本質ではないかと思いはじめました。
 こうしたきっかけから、詩を理解するために何が必要なのか考えたとき、批評だけではなく、客観的な事実が必要だということを感じました。そこで、詩のテキスト、ふまえているもの、実生活、時代背景、それらを知るための資料を少しずつ探しはじめることにしました。

※映画に関しての監督や俳優のコメントについての記述は、特に断らない限りパンフレットによるものです。
※文中のバーナード・サムナーの発言は、「ロッキング・オン」2008年4月号のインタビューによるものです。


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