愛語

閑を見つけて調べたことについて、気付いたことや考えたことの覚え書きです。

主な参考資料

2010-02-14 14:23:49 | 日記
 まず、未亡人デボラ・カーティスによる『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』-イギリスでは1995年に出版され、日本では2006年に翻訳が出版されています。ここには未発表のものを含む全詩集も収められています。詩というよりも、かなり長文で、言葉を羅列しただけの草稿とみられるものもあります。イアン・カーティスは、常に詩を書くためのノートに言葉を書きためていて、曲ができあがると、そこからふさわしいものを取り出して詩にしていました。デビュー間もないころのインタビューで、詩のいくつかは2~3年前に書いていたものを修正したものだと語っています(2007年にイアン・カーティス没後25年を記念して編集されたジョイ・ディヴィジョンの未発表音源集「Let the Movie Begin」所収のブックレットより)。
 この『タッチング・フロム・ア。ディスタンス』の邦訳版では、原文の一部がカットされています。理由はわかりませんが、ドキュメンタリー映画にも引用されていた部分で、イアン・カーティスの読書傾向を知ることができる興味深い部分なので、削られてしまっているのは残念です。これについては改めて記したいと思います。

 そして、ジョイ・ディヴィジョンの所属していたファクトリー・レーベルの社長、トニー・ウィルソン(1950-2007)の当時の妻、リンジー・リード(夫妻は公私にわたってカーティスの面倒を見ていました)と批評家のミック・ミドルスの評伝“Torn Apart -The Life of Ian Curtis”は、イギリスで2006年に出版されたもので、愛人アニック・オノレに宛てたイアン・カーティスの書簡を収録しています。
 映画「コントロール」の後半に、イアン・カーティスがアニック・オノレに宛てた手紙が朗読される場面があります。簡潔で控えめな表現の中に感情が滲み出るような文章で、映画を見たとき、書簡も読みたいと思ったのですが、思いがけず“Torn Apart -The Life of Ian Curtis”で多くの書簡を読むことができました。「コントロール」で朗読されていた書簡は、実はいくつかの書簡と、遺作「クローサー」の中の詩を組み合わせてまとめたものであることが分かりました。一通り読んだ書簡には、彼が日々感じたことや、文学や映画、音楽についてとつとつと記されていて、とても素朴な印象を受けました。「映画『24アワー・パーティ・ピープル』の粗野でぶっきらぼうなイアン・カーティスは全く違う。彼はとても親切で礼儀正しくて、穏やかに話していた」というアニック・オノレの発言が記されているのですが、確かにこれらの書簡からは、物静かで穏やかな雰囲気が伝わってきます。ただ、やはりああした業界の雰囲気の中で、「24アワー・パーティ・ピープル」でカーティスを演じたショーン・ハリスのように振る舞うこともあったのではないかと思います。
 “Torn Apart -The Life of Ian Curtis”は、デボラの著作が愛人アニック・オノレについて記した批判について、逐一といっていいくらいの反論を載せています。アニック・オノレはベルギーを中心に、フランスをはじめヨーロッパの国々にジョイ・ディヴィジョンを紹介した音楽レーベル、クレプスキュールのオーナーで、ドキュメンタリー映画に関係者の一人として出演し、多くのことを語っています。一方デボラの方は著作が引用されるのみで、この二つの著作の対立も含め、アニックを含む「バンド側」と家庭との溝が推し量られます。

 そして、イギリスで2007年に出版されたバーナード・サムナーの伝記 David Nolan“Bernard Sumner: Confusion”は、バーナード・サムナーのカーティスについての発言は勿論、多くの関係者がカーティスについて感じた印象、当時の状況などについての発言を過去に遡って知ることができます。


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