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愛語

閑を見つけて調べたことについて、気付いたことや考えたことの覚え書きです。

『An Ideal For Living』とドイツ第三帝国――(4)

2010-06-02 20:51:51 | 日記
・「No Love Lost」
「No Love Lost」は直訳すると「失われた愛もない」という意味で、「嫌悪・憎しみ」を意味するイディオムです。この歌は、ジョイ・ディヴィジョンというバンド名と密接な関わりを持っています。
「No life at all in the house of dolls (人形の家には生命は無い)、No love lost 、No love Lost」という一節に出てくる、「the house of dolls (人形の家)」とは、「アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所に2年間収容されたポーランド出身の作家イェヒエル・デ・ヌールの著作『ダニエラの日記』(英訳題『The House of Dolls』)を指しています。デ・ヌールは強制収容所での体験をいくつか発表していますが、そのうち最も有名なのが『ダニエラの日記』で、強制収容所内でユダヤ人女性を性奴隷にする制度を描いています。作品のモデルは、ホロコーストで亡くなったデ・ヌールの妹だとされています。「Joy division」とは、この本に出てくるナチの性的慰安所の名称です。

 イアンは私に「ジョイ・ディヴィジョンとは、ナチスが女囚たちをドイツ兵のための娼婦としての役割をさせたことを意味するんだ」と言った。それを聞いて、私は身がすくんだ。ぞっとするほど悪趣味で、私は大多数の人がその意味を知らないでほしいと願った。……注意をひくためだけにそんな名前を選んだにすぎないと自分に言い聞かせているうちに、私は徐々にその挑発的な名に慣れていき音楽に集中するようになった。
(デボラ・カーティス『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』)

『An Ideal For Living』を録音した1977年の12月の時点では、バンドは「ワルシャワ」と名乗っていました。しかし、1978年の初頭、バンド名を「ジョイ・ディヴィジョン」に変更します。「ワルシャワ・パクト」というバンドが他にあり、混乱を避けるためでした。ジョイ・ディヴィジョンという名を思い付いたのは、バーナード・サムナーです。

 職場の奴が本を何冊かくれた。1冊は『ダニエラの日記』ナチの収容所の本だ。読まずにページをめくると、兵士の慰安私説の名が出てきた。俺は思った。“ひどく悪趣味だけど……パンクだ”
(ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』)

 また、バーナードは、映画『コントロール』の公開に寄せて行われたインタビュー(『ロッキング・オン』2008年4月号)で、「ジョイ・ディヴィジョン」という名を思い付いたことや、ヒトラー青年隊(ユーゲント)を彷彿させるレコードジャケットをデザインしたことに対して、次のように語っています。

 あらためて念を押すけど、僕は何もネオナチだったわけじゃないんだよ。歌のなかには、イアンが圧迫について歌ったものがあって、そこから浮かんだだけなんだ。当時はまだ若くてナイーヴだったから、そういう危険なイメージと戯れたかったんだと思う。……そうだな――何かショッキングなことでみんなの気を惹きたいという思いはあったろうね。「何がもっともみんなを不快にさせるか」っていう。それはセックス・ピストルズの影響だね。でもちょっと後悔しているよ。僕はまだ20歳そこそこだったから、それがどんなにひどく人の気分を害することになるかなんて想像がつかなかったんだ。そういう人に対しては申し訳なかったと思う。

 イアン・カーティスがドイツの歴史に関心を持っていたことは、既に述べた「Warsaw」「Leaders Of Men」の歌詞から分かることですが、こうしたイアンのドイツへの関心については、デボラ・カーティスが次のように記しています。
「得意科目の歴史と神学では優等賞さえもらえた。皮肉なことに、華やかで力強いドイツのことをあれだけ誉め称えていたのに、ドイツ語はOレベル(普通級)に合格しなかった。」(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』)
 また、伝記『Torn Apart The life of Ian Curtis』には、当時彼らの周辺にいた関係者の一人、マーク・リーダー(ヴァージン・レコードのマンチェスター第1号店に勤めていた)が、「ジョイ・ディヴィジョン」の名を思いついたのはイアン・カーティスだと思っていた、という記述があります。彼がそう思っていたのは、イアンが『ダニエラの日記』を読んでいるのを見たことと、イアンのドイツに対する興味を知っていたからでした。ドイツに旅行したことを話すと、イアンはドイツについて熱心に聞いてきた、そして、特にドイツ第三帝国に対して関心があるようだったとマークは語っています。そうしたイアンの様子を見てマークが感じたのは、イアンがファシストであるということではなく、学校では教えない歴史のタブー、虐げられた不幸な人々について、異常な関心を持っている、ということだったとあります。
 引用したバーナードのインタビューの中に、「歌のなかには、イアンが圧迫について歌ったものがあって、そこから浮かんだだけなんだ」という発言があります。この、「圧迫について歌った歌」とは、「No love lost」のことではないかと思います。「No love lost」はまさしく、4曲のうち最も「圧迫」をテーマにしていると思うからです。

『An Ideal For Living』とドイツ第三帝国――(3)

2010-05-26 20:41:35 | 日記
 「Leaders Of Men」にみられるナチズムは、道徳とか知識といった観念で捉えたものではなく、意識下の、皮膚感覚で捉えられたものだと述べました。描かれている指導者は、過去に起こった悲劇、そして現在、未来のいずれにもに起こり得る悲劇の象徴に見えます。ナチズムが批判すべきものであり、ヒトラーが「偽予言者」であることは明白です。それは歴史が証明していて、改めて声高に批判するまでもないでしょう。しかし、自分がこの先、こういった「よく分からないけれども圧倒的に人を惹き付けるカリスマ」や、それに熱狂する人々に出会った時、正しく判断できるかどうか保証はありません。いつ自分が加害者になるか、被害者になるか分からない、くり返し読んでいると、そういった不安をしだいにを感じてきます。
 村上春樹は『アンダーグラウンド』で、オウム真理教の大量の信者が1990年の2月に衆議院議員選挙に立候補したときの印象について、こう述べています(終章に相当する「目じるしのない悪夢」の章)。

 麻原は私が当時住んでいた地域(東京都渋谷区)を含む選挙区から立候補し、あの異様な選挙戦があちこちで派手に展開されていた。不思議な音楽が毎日毎日宣伝車のスピーカーから流され、象の面や麻原の面をかぶった若い男女が、白い服を着て千駄ヶ谷駅前に並んで、手を振ったり、わけのわからない踊りを踊ったりしていた。
 オウム真理教という教団の存在を知ったのは、それが最初だったが、そのような選挙キャンペーンを見たとき、思わず目をそらせてしまった。それは私がもっとも見たくないもののひとつだったからだ。まわりの人々も私と同じような表情を顔に浮かべ、信者たちの姿をまったく見ないふりをして歩いているようだった。私がそこでまず感じたのは、名状しがたい嫌悪感であり、理解を超えた不気味さであった。でもその嫌悪感がどこから来ているのか、なぜそれが自分にとって「もっとも見たくないもののひとつなのか」ということについて、そのときは深くは考えなかった。深く考えるほどの必要性を、私はそのときには感じなかったのだ。「自分とは関係のないもの」として、その光景をさっさと記憶の外に追いやってしまった。
 同じときに同じ光景に直面したら、おそらく世間の人々の八割か九割までは私と同じように感じ、同じように行動したのではないかと想像する。つまり見ないふりをして通り過ぎて、それ以上深くは考えずに、さっさと忘れてしまうのだ(あるいはワイマール時代のドイツ知識人も、ヒトラーを最初に見たときには同じ反応を見せたのかもしれない)。

 And the sound's not so sweet,     騒ぎが不快で
 And you wish you could hide,       君は隠れたいと思う 
そう思ったとしても、そこから逃げられない時、どう対処するのか。何が自分の身に起こるのか。そういった不気味さを私はこの詩から感じます。過去の事件を描いているだけではなく、未来への警鐘でもあると思えるのです。
 そして、この詩を読む上で注目したいもう一つの点は、「Warsaw」同様、イアン・カーティス自身の野心を描いているようにも読める、ということです。その点において(彼自身が意識していなかったとしても)、この詩が自身の存在に対する強烈な「皮肉」であるように感じるのです。例えば、次に挙げる第2連は、ロックスターとしての成功を手に入れようとしている彼自身の人生と重なるように見えます。

When your time's on the door,      君の時代がすぐそこまで来ている
And it drips to the floor,          すんでのところで届かない
And you feel you can touch,        手が届きそうなのに
All the noise is too much,         雑音が多すぎる
And the seeds that are sown,       蒔かれた種は
Are no longer your own.          もはや君自身じゃない

 「And the seeds that are sown, Are no longer your own.」というフレーズは、まるで、のちにイアンが有名になった時に抱えることになる、自分が自分でなくなってしまったという苦悩を予知しているかのようです。
 そして、ロックの偶像として、ファンがイアン・カーティスを崇めることも、第6連に歌われるように、「Born out of your frustration. (君たちの欲求不満から生まれた)」「Just a strange infatuation.(ただの奇妙な心酔)」かもしれないと思えてきます。

 「Leaders Of Men」が描く指導者は、明るく肯定的な英雄ではなく、暗くシニカルなものです。こうしたリーダーを生み出す社会の構造、そしてその結果もたらされる悲劇を、自身の身につまされるものとして考えてみると、簡単には是非を決められない、複雑な感情が生じてくると思います。
 パンクは体制を徹底的に否定し、ロックを体制側に成り下がったものとして捉え、ロックからの脱構築を目指しました。パンクから発したジョイ・ディヴィジョンはやがてポスト・パンクと呼ばれる流れを作っていくことになりますが、イアン・カーティスの詩は、デビュー作から既に、パンクの怒りとは違った傾向の怒りを表していると思います。人々が忌み嫌う対象について歌うという点では共通していますが、それを自己の内面に沈潜させ、そこから生じた感情を表すところから発している詩には、自分自身の存在を含めた、全ての存在に対するニヒリズムが表れているように思うのです。

『An Ideal For Living』とドイツ第三帝国――(2)

2010-05-19 21:33:09 | 日記
・「Leaders Of Men」

 評論家ミック・ミドルス(リンジー・リードと共著でイアン・カーティスの伝記“Torn Apart -The Life of Ian Curtis”を書いています)が1978年に行った、『An Ideal For Living』についてのインタビュー(ライブアルバム『Preston 28 February 1980』所収)で、イアンカーティスは「Leaders Of Men」について次のように話しています。

(バーナードの「イアンはいつもノートにたくさんの歌詞をあらかじめ書きためていて、できあがった曲に嵌めて歌う」という発言をうけて)
イアン:「例えば「Leaders Of Men」は、2~3年前に書いた詩に、少し付け加えてる。歌詞になるように少しだけ(言葉を)探しながら。」
ミック:「(歌詞は)何についてのもの?」
イアン:「いろんなことだよ、本当に。僕は特定の何かについて書くつもりはない。もし、何かに心を打たれたとしても。僕はしばしば、とても潜在的な意識に従って書く傾向があるから、それが何についてのことなのか、分からない。」
ミック:「例えば、このEP(『An Ideal For Living』)の歌だと、「Leaders Of Men」は何について?」
イアン:「かなりわかりやすい歌だ、かなり明白だよ、本当に。僕は(詩を)解釈のためにオープンする、ってことはしたくないんだ。特定のことについて書くのは無意味なことだ。そうしたら、それは時代遅れなものになっていくだろう」

 『An Ideal For Living』にナチズムがほのめかされていることは明らかですが、これによると、特定の何か、例えばナチズムについての詩ということではなく、「ナチズムによって触発された潜在意識」を書いている、ということのようです。このインタビューでイアンは、「Leaders Of Men」は、他と比べると分かりやすい、明白な内容だと言っています。確かに、他の詩と比べてタイトルと詩の内容がつながっていて、「人々の指導者」という一貫したテーマが読み取れるのです。「解釈を必要としない、オープンにしたくない」というイアンの主張とは反しますが、この詩が表す「リーダー」像を読み解いてみたいと思います。

Born from some mother's womb,     まるでどこかの部屋のような
Just like any other room.          母親の子宮から生まれ
Made a promise for a new life.       新しい人生を約束した
Made a victim out of your life.        君の人生を犠牲にして

When your time's on the door,      君の時代がすぐそこまで来ている
And it drips to the floor,          すんでのところで届かない
And you feel you can touch,        手が届きそうなのに
All the noise is too much,         雑音が多すぎる
And the seeds that are sown,       蒔かれた種は
Are no longer your own.          もはや君自身じゃない

という前半部分(この詩は6連ありますが、その第1、第2連になります)で、「指導者」の誕生が語られています。その特異さを「まるでどこかの部屋のような母親の子宮から生まれた」と喩えています。
 続く第3連には、こうあります(一部抄出)。

Thousand words are spoken loud,     無数の言葉が声高に語られ
Reach the dumb to fool the crowd.    無言の大衆を馬鹿にするために届けられる

指導者が、「無数の言葉」により、愚かな大衆の中で肥大化される過程が描かれます。第4連を見てみましょう。

When you walk down the street,      道を歩いていくと
And the sound's not so sweet,       騒ぎが不快で
And you wish you could hide,        君は隠れたいと思う
Maybe go for a ride,             いっそ逃げよう
To some peep show arcade,        覗き見ショウのあるアーケード
Where the future's not made.       そこに未来は無い

 これは、指導者をたたえる歓声に違和感を覚え、疎外感を感じたとしても、どこにも隠れる場所がないという状況を示していると思います。
 続く第5連の出だしに、「A nightmare situation/Infiltrate imagination(悪夢のような状況が、想像に浸透する)」とあるような状況です。そして、最後の第6連では、ここまで比喩を用いて描いてきた指導者の正体を、もう少し明白に述べています。

The leaders of men,              人々の指導者
Born out of your frustration.         君たちの欲求不満から生まれた
The leaders of men,              人々の指導者
Just a strange infatuation.          ただの奇妙な心酔
The leaders of men,              人々の指導者
Made a promise for a new life.        新しい人生を約束した
No saviour for our sakes,           僕たちの救済者じゃない
To twist the internees of hate,        憎しみの捕虜をひねるために
Self induced manipulation,          自ら誘導した巧みな操作
To crush all thoughts of mass salvation.  大衆の救済という考えを全て破壊する

 この歌詞をきちんと読むと、ナチズムを礼賛した内容だとは思えません。ネオナチだという批判を受けたのは、詩の内容よりも、ナチを彷彿させる第一印象が、人々に与えた嫌悪感だったのではないかと感じます。
 詩についてあれこれ言われることを、イアン本人が望まなかったのは、彼が、詩を頭で考えて書くのではなく、潜在意識によって書いていた、という点にあるのでしょう。理屈ではなく、意識以前のところで受けたインパクトが描かれた詩は、一定の解釈を退け、さまざまな想像力を掻き立てます。イアン本人も確固たる思想として表明している訳ではないのですから、一面的な解釈によって批評されることを避けるために、詩のテキストを公表しなかったのではないでしょうか。
 ただ、私はこの詩を読んで、ナチズムに象徴される、人々の欲求不満から得体の知れない指導者が生まれ、他ならぬその指導者によって人々が粉砕されるという悲劇的な人間社会の仕組みが歌われているのではないか、という印象を強く持ちました。まさに「時代遅れ」にならない内容、ナチズムだけに関連づけるなら古びてしまいますが、この詩は時代に影響されることのない、普遍的な構造を書いているのではないでしょうか。
 これについてもう少し考えてみたいと思います。

※ 歌詞の訳は『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』をもとに、若干手を加えました。

『An Ideal For Living』とドイツ第三帝国――(1)

2010-05-12 21:03:53 | 日記
 1977年12月に、ジョイ・ディヴィジョン(当時は「ワルシャワ」と名乗っていました)は初めて自主制作のレコードを録音します。イアンはこのレコードのために400ポンドの大金を投入し、デボラとの共同口座からローンを組みました。翌1978年の1月にデビュー盤『An Ideal For Living』が完成します。しかし、このレコードは音質が悪く、馴染みの店に持っていってかけてもらったら、フロアから客が引いてしまったと映画『ジョイ・ディヴィジョン』でバーナードが語っています。この発言のバックに流れる音は、たしかにこもっていてよく聞こえません。発売されたのは6月で(その時点でバンド名は「ジョイ・ディヴィジョン」となっていました)、その後、ジョイ・ディヴィジョンのマネージャーに就任したロブ・グレットンは、7インチ盤のシングルを12インチ盤で出し直すことを提案し、9月にリリースされました。「言う通りにしたら、音が格段によくなった」と言うバーナードの発言にあわせて12インチ盤の音が流れますが、音の違いが明らかに分かります。7インチと12インチシングルでは、12インチの方が音質が良いのですが、12インチシングルが流行し始めるのは1980年代になってからで、当時はまだ珍しかったようです。
 また、ロブ・グレットンは、「ジャケットのせいでネオナチだと思われている」と言って、ジャケットも変えさせました。バーナードがデザインした7インチ盤のジャケットには、ヒトラー青年隊員(ユーゲント)が太鼓を叩いている姿が描かれていました。バーナードは、このジャケットを「イアンが書いた歌詞に圧迫について歌ったものがあってそこから浮かんだもの」(『ロッキング・オン』1980年4月号インタビュー)だと語っていますが、このデビュー盤の詞に表れたナチズムのイメージは人々から反感を買いました。メディアからも批判され、バンドの知名度を上げるどころか、どこのギグから締め出されるという結果をもたらしました。このデビュー盤のマイナスイメージをまず変えようと、ロブ・グレットンは考えたようです。
 『An Ideal For Living』には、「Warsaw」「Leaders Of Men」「No Love Lost」「Failures」の4曲が収録されています。

・「Warsaw」
 バンド名と同じタイトルとなっていますが、ポーランドのワルシャワは、歌詞の内容と直接関係はないようです。
 歌詞は3番までありますが、それぞれの冒頭と、一番最後の4箇所に「3,5,0,1,2,5-Go」というフレーズがあります。この「350125」は、ナチス副総統ルドルフ・ヘス(1894-1987)が第二次大戦後に収容されていた、ベルリンのスパンダウ刑務所での囚人番号だと、David Nolan著『Bernard Sumner: Confusion』に記されています。
 ウィキペディアの英語版には、「Warsaw (song)」の項目があります。ここでは、この歌詞全体がヘスの生涯を歌っていると指摘されています(Warsaw (song) (February. 21 2010, 11:20 UTC). In Wikipedia: The Free Encyclopedia. Retrieved from http://en.wikipedia.org/wiki/Warsaw_(song))。つまり、1番は1923年11月9日に起こったミュンヘン一揆(ヒトラー一揆)について、2番はヘスのヒトラー(1889-1945)に対する失望と乖離を、3番は収容所でのヘスを歌っているというのです。
 少し実際の歌詞を引きながら比べてみましょう。まず、1番の冒頭を見てみましょう。

I was there in the back stage, When the first light came around.
  最初の照明がついた時、僕は舞台裏にいた
I grew up like a changeling, To win the first time around.
  僕は取り替え子のように成長した、この最初の瞬間を勝ち取るために

 ルドルフ・ヘスはヒトラーとともにこのミュンヘン一揆で捕らえられ、ベルリンにあるランツベルク陸軍刑務所に収監されます。そして、ここでヒトラーの『わが闘争』の口述筆記をすることになります。ヒトラーとヘスは裁判で5年の禁固刑を言い渡されますが、ヘスは7ヶ月半後、ヒトラーは9ヶ月後に恩赦を受け釈放されます。その後ナチス党が躍進し、ドイツを支配するようになると、ミュンヘン一揆はナチズム創世の記念日として捉えられるようになりました。ヘスはヒトラーの私設秘書となり、厚い信頼を得、ナンバー2の副総統にまで昇りつめますが、次第に影響力が低下し、他の側近たちと比べて存在感が薄くなっていきます。
 2番の歌詞のうち、次の部分などは、『わが闘争』の口述筆記以来、間近にヒトラーの言動に接してきたヘスの告白であるようにとれます。

I hung around in your soundtrack,   僕は君の音声を聴いて時間を過ごした
To mirror all that you've done,     君のやってきたことすべてを映すために
To find the right side of reason,    正しい理由を見つけるために
To kill the three lies for one,      一つのために三つの嘘を葬る
I can see all the cold facts.       僕は冷酷な出来事をすべて見ることができる
I can see through your eyes.      君の目を通して見ることができる

 そして、3番の次の一節は、収容されている監獄のイメージでしょう。

I can still hear the footsteps. I can see only walls.
  足音が聞こえるけれど、ぼくには壁しか見えない

 こうしてみると、「I just see contradiction(ただ矛盾だけが見える)」、「To make believe you were right.(君が正しかったと信じさせるんだ)」という言葉で締めくくられる「Warsaw」に、囚人番号350125ルドルフ・ヘスの生涯を読み取ることは容易であるように思えます。しかし、単純にそれだけであるとも思えません。それは、あくまでも仄めかされるイメージとしてであり、先入観なしに読むと、《舞台裏にいて最初の瞬間をものにする》ことを願う、イアン・カーティス自身を描いているようにも思えるのです。そして、ニヒリスティックな言葉の数々は、自分自身の野心を揶揄しているようにも見えます。
 2曲目の「Leaders Of Men」は、タイトル通り《人々の指導者》がテーマとなっています。そして、そこには、「……ヒトラーが1923年11月9日の事件を民族再生の事件として神話的に位置づける時、彼は驚くほど偽予言者の相貌をおびていた。オーストリアの思想家ヘルマン・ブロッホも『群衆の心理』の中で言うように、偽予言者は目が鋭いことにかけては、決して真の予言者に劣らぬ力を持ち、事実正しく予言するすべをも心得ているのである。」(小岸昭『世俗宗教としてのナチズム』)というような「偽予言者」の姿が描かれているように見えます。

※歌詞の訳は『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』をもとに、若干手を加えました。

イアン・カーティスの詩の特徴について(概説)

2010-04-28 21:06:32 | 日記
 「Atmosphere」(1979)「Love will tear us apart」(1980)「She's Lost Control」(1979)はジョイ・ディヴィジョンを代表する曲です。それぞれ異なるタイプの詩ですが、イアン・カーティスの詩の特徴を代表するものだと考えたので、まず取り上げてみました。この3つの詩の特徴をまとめながら、概説を書いてみたいと思います。

 3つの詩は、どれも自身の内面をテーマにしているという点で共通しています。
 総じて実体験に即していると感じさせるイアンの詩ですが、その表現の仕方は様々です。
「Atmosphere」のように、心の底を覗き込んで自分自身について、神経質なくらい執拗に問いかけるもの、「Love will tear us apart」のように日常生活の描写を通じて感情の機微を表すもの、そして「She's Lost Control」のように、強い感情を生じさせた出来事を象徴的に描くもの、だいたいこの3パターンに分けられるように思います。
 どちらかと言えば、背景を知ってはじめてそうだったのかと思うような暗示的なものが多いかもしれませんが、その中にとてもシンプルな感情表現が混じってきます。象徴詩の中に私小説が混じっているようで、そこに意外性があって面白く、好奇心を掻き立てられるのです。

 こうした表現の特徴は、「普段は穏やかで礼儀正しいけれども突然感情を爆発させる」(バーナード・サムナーの、ドキュメンタリー映画「ジョイ・ディヴィジョン」での発言)というイアンの人格と通じているようにも思います。「なぜイアンが突然怒り出すのか、自分で理解できていたのかは分からない。彼は常に自分の内面を向いていたが、その内面に大きな憎しみを抱えているようだった」(デボラ・カーティス『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』)という内面と詩の内容は、その全体を通して読んでみると、時間の推移とともにより密接になっていくように見えます。

「『アンノウン・プレジャーズ』でイアンがやっていたことは、キャラクターを演じることだったと思うよ。そして彼は、他者の視点を通して詞を書いていたんだ。……当時は『クローサー』でも同じことをやっていると感じていた――今になって分かったんだけど、必ずしもそうじゃない。彼はもうキャラクターを描き出してはいなかった。それは全て、彼自身とその人生についてだったんだ。」(スティーブン・モリス『クローサー』コレクターズエディション所収の鼎談)

 デビュー作の「Warsaw」から一貫して、イアンの詩にはニヒリズムが通底していますが、詩がより内面を掘り下げていくにつれ、生命や存在への不安、緊迫感、焦燥感が増してきます。デボラと知り合った高校時代、イアンは「20代初めを過ぎたら生きていくつもりはない」(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』)などと言っていたようです。こう語っていた時、彼はある意味人生というものを軽く考えていた、もっと言えばナメていたのかもしれません。しかし、後期の詩に表れる死生観には、初期のものとは比べものにならないくらいの深刻さを感じます。恐らく発病を境に(もちろん、その他にもさまざまな問題を抱えることになる訳ですが……)彼の中で厳しく「死」が意識されたからではないかと考えます。漠然とした存在の不安が、切実な危機感へと変わっていったことを詩が示しているように思います。
 彼の詩には「異なる人格の対立」(「Dead souls」)というような内面の葛藤がよく表れている、と「Atmosphere」の記事で述べましたが、窮極の葛藤は「生と死」で、最終的に彼の詩はそのテーマに集約されていくように思います。そしてそれは、全ての人にとって、人生を生きる上で避けて通れないテーマでもあると、思います。
 自分自身や社会について、矛盾を感じても、正しい方へ踏み出せずに不正を見逃し、時には加担する。見て見ぬふりをして、何とかやり過ごす。それが“大人の生き方”です。自分の利益を考えて長いものに巻かれる。しかし、こうした矛盾に直面せざるを得なくなったとき、人間はそこに葛藤を感じないではいられません。生きていれば誰もがそのような矛盾や葛藤を抱えることでしょう。“如何に生きるべきか”は、宗教や哲学の問題となり、多くの優れた芸術のテーマとなりました。真に問題を解決するためには、矛盾そのものに目を向け、葛藤の中から生へ進む道を見出さなければならないと思います。「死」を見つめながら「生きる」ことの中で、イアンの詩を書くという行為は、自分の生きるべき道を模索することであったように思うのです。
 イアンの詩は文学として書かれた訳ではありません。あくまでも歌詞として、「言葉はいらない、サウンドだけ」(「Transmission」)というように、メロディに乗せる曲の一部でしかないのです。これまで、イアンの詩の文学性を問うような論評はあまりなかったようです。しかし、作家や詩人が書いたものが全て文学になっているのかというと、そうだとは言えないでしょう。では、文学って何なのだろう、そんなことを考えさせられました。私はイアン・カーティスの詩には、優れた文学性があると思います。そのことは、これまでに取り上げた3つの作品にも指摘されることと思うのです。
 その点を軸に、改めて初期の作品から時間を追って詩を解釈していきたいと思います。