「Leaders Of Men」にみられるナチズムは、道徳とか知識といった観念で捉えたものではなく、意識下の、皮膚感覚で捉えられたものだと述べました。描かれている指導者は、過去に起こった悲劇、そして現在、未来のいずれにもに起こり得る悲劇の象徴に見えます。ナチズムが批判すべきものであり、ヒトラーが「偽予言者」であることは明白です。それは歴史が証明していて、改めて声高に批判するまでもないでしょう。しかし、自分がこの先、こういった「よく分からないけれども圧倒的に人を惹き付けるカリスマ」や、それに熱狂する人々に出会った時、正しく判断できるかどうか保証はありません。いつ自分が加害者になるか、被害者になるか分からない、くり返し読んでいると、そういった不安をしだいにを感じてきます。
村上春樹は『アンダーグラウンド』で、オウム真理教の大量の信者が1990年の2月に衆議院議員選挙に立候補したときの印象について、こう述べています(終章に相当する「目じるしのない悪夢」の章)。
麻原は私が当時住んでいた地域(東京都渋谷区)を含む選挙区から立候補し、あの異様な選挙戦があちこちで派手に展開されていた。不思議な音楽が毎日毎日宣伝車のスピーカーから流され、象の面や麻原の面をかぶった若い男女が、白い服を着て千駄ヶ谷駅前に並んで、手を振ったり、わけのわからない踊りを踊ったりしていた。
オウム真理教という教団の存在を知ったのは、それが最初だったが、そのような選挙キャンペーンを見たとき、思わず目をそらせてしまった。それは私がもっとも見たくないもののひとつだったからだ。まわりの人々も私と同じような表情を顔に浮かべ、信者たちの姿をまったく見ないふりをして歩いているようだった。私がそこでまず感じたのは、名状しがたい嫌悪感であり、理解を超えた不気味さであった。でもその嫌悪感がどこから来ているのか、なぜそれが自分にとって「もっとも見たくないもののひとつなのか」ということについて、そのときは深くは考えなかった。深く考えるほどの必要性を、私はそのときには感じなかったのだ。「自分とは関係のないもの」として、その光景をさっさと記憶の外に追いやってしまった。
同じときに同じ光景に直面したら、おそらく世間の人々の八割か九割までは私と同じように感じ、同じように行動したのではないかと想像する。つまり見ないふりをして通り過ぎて、それ以上深くは考えずに、さっさと忘れてしまうのだ(あるいはワイマール時代のドイツ知識人も、ヒトラーを最初に見たときには同じ反応を見せたのかもしれない)。
And the sound's not so sweet, 騒ぎが不快で
And you wish you could hide, 君は隠れたいと思う
そう思ったとしても、そこから逃げられない時、どう対処するのか。何が自分の身に起こるのか。そういった不気味さを私はこの詩から感じます。過去の事件を描いているだけではなく、未来への警鐘でもあると思えるのです。
そして、この詩を読む上で注目したいもう一つの点は、「Warsaw」同様、イアン・カーティス自身の野心を描いているようにも読める、ということです。その点において(彼自身が意識していなかったとしても)、この詩が自身の存在に対する強烈な「皮肉」であるように感じるのです。例えば、次に挙げる第2連は、ロックスターとしての成功を手に入れようとしている彼自身の人生と重なるように見えます。
When your time's on the door, 君の時代がすぐそこまで来ている
And it drips to the floor, すんでのところで届かない
And you feel you can touch, 手が届きそうなのに
All the noise is too much, 雑音が多すぎる
And the seeds that are sown, 蒔かれた種は
Are no longer your own. もはや君自身じゃない
「And the seeds that are sown, Are no longer your own.」というフレーズは、まるで、のちにイアンが有名になった時に抱えることになる、自分が自分でなくなってしまったという苦悩を予知しているかのようです。
そして、ロックの偶像として、ファンがイアン・カーティスを崇めることも、第6連に歌われるように、「Born out of your frustration. (君たちの欲求不満から生まれた)」「Just a strange infatuation.(ただの奇妙な心酔)」かもしれないと思えてきます。
「Leaders Of Men」が描く指導者は、明るく肯定的な英雄ではなく、暗くシニカルなものです。こうしたリーダーを生み出す社会の構造、そしてその結果もたらされる悲劇を、自身の身につまされるものとして考えてみると、簡単には是非を決められない、複雑な感情が生じてくると思います。
パンクは体制を徹底的に否定し、ロックを体制側に成り下がったものとして捉え、ロックからの脱構築を目指しました。パンクから発したジョイ・ディヴィジョンはやがてポスト・パンクと呼ばれる流れを作っていくことになりますが、イアン・カーティスの詩は、デビュー作から既に、パンクの怒りとは違った傾向の怒りを表していると思います。人々が忌み嫌う対象について歌うという点では共通していますが、それを自己の内面に沈潜させ、そこから生じた感情を表すところから発している詩には、自分自身の存在を含めた、全ての存在に対するニヒリズムが表れているように思うのです。
村上春樹は『アンダーグラウンド』で、オウム真理教の大量の信者が1990年の2月に衆議院議員選挙に立候補したときの印象について、こう述べています(終章に相当する「目じるしのない悪夢」の章)。
麻原は私が当時住んでいた地域(東京都渋谷区)を含む選挙区から立候補し、あの異様な選挙戦があちこちで派手に展開されていた。不思議な音楽が毎日毎日宣伝車のスピーカーから流され、象の面や麻原の面をかぶった若い男女が、白い服を着て千駄ヶ谷駅前に並んで、手を振ったり、わけのわからない踊りを踊ったりしていた。
オウム真理教という教団の存在を知ったのは、それが最初だったが、そのような選挙キャンペーンを見たとき、思わず目をそらせてしまった。それは私がもっとも見たくないもののひとつだったからだ。まわりの人々も私と同じような表情を顔に浮かべ、信者たちの姿をまったく見ないふりをして歩いているようだった。私がそこでまず感じたのは、名状しがたい嫌悪感であり、理解を超えた不気味さであった。でもその嫌悪感がどこから来ているのか、なぜそれが自分にとって「もっとも見たくないもののひとつなのか」ということについて、そのときは深くは考えなかった。深く考えるほどの必要性を、私はそのときには感じなかったのだ。「自分とは関係のないもの」として、その光景をさっさと記憶の外に追いやってしまった。
同じときに同じ光景に直面したら、おそらく世間の人々の八割か九割までは私と同じように感じ、同じように行動したのではないかと想像する。つまり見ないふりをして通り過ぎて、それ以上深くは考えずに、さっさと忘れてしまうのだ(あるいはワイマール時代のドイツ知識人も、ヒトラーを最初に見たときには同じ反応を見せたのかもしれない)。
And the sound's not so sweet, 騒ぎが不快で
And you wish you could hide, 君は隠れたいと思う
そう思ったとしても、そこから逃げられない時、どう対処するのか。何が自分の身に起こるのか。そういった不気味さを私はこの詩から感じます。過去の事件を描いているだけではなく、未来への警鐘でもあると思えるのです。
そして、この詩を読む上で注目したいもう一つの点は、「Warsaw」同様、イアン・カーティス自身の野心を描いているようにも読める、ということです。その点において(彼自身が意識していなかったとしても)、この詩が自身の存在に対する強烈な「皮肉」であるように感じるのです。例えば、次に挙げる第2連は、ロックスターとしての成功を手に入れようとしている彼自身の人生と重なるように見えます。
When your time's on the door, 君の時代がすぐそこまで来ている
And it drips to the floor, すんでのところで届かない
And you feel you can touch, 手が届きそうなのに
All the noise is too much, 雑音が多すぎる
And the seeds that are sown, 蒔かれた種は
Are no longer your own. もはや君自身じゃない
「And the seeds that are sown, Are no longer your own.」というフレーズは、まるで、のちにイアンが有名になった時に抱えることになる、自分が自分でなくなってしまったという苦悩を予知しているかのようです。
そして、ロックの偶像として、ファンがイアン・カーティスを崇めることも、第6連に歌われるように、「Born out of your frustration. (君たちの欲求不満から生まれた)」「Just a strange infatuation.(ただの奇妙な心酔)」かもしれないと思えてきます。
「Leaders Of Men」が描く指導者は、明るく肯定的な英雄ではなく、暗くシニカルなものです。こうしたリーダーを生み出す社会の構造、そしてその結果もたらされる悲劇を、自身の身につまされるものとして考えてみると、簡単には是非を決められない、複雑な感情が生じてくると思います。
パンクは体制を徹底的に否定し、ロックを体制側に成り下がったものとして捉え、ロックからの脱構築を目指しました。パンクから発したジョイ・ディヴィジョンはやがてポスト・パンクと呼ばれる流れを作っていくことになりますが、イアン・カーティスの詩は、デビュー作から既に、パンクの怒りとは違った傾向の怒りを表していると思います。人々が忌み嫌う対象について歌うという点では共通していますが、それを自己の内面に沈潜させ、そこから生じた感情を表すところから発している詩には、自分自身の存在を含めた、全ての存在に対するニヒリズムが表れているように思うのです。