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愛語

閑を見つけて調べたことについて、気付いたことや考えたことの覚え書きです。

邦訳本『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』の脱落について――(2)

2010-07-07 20:53:01 | 日記
 第8章には、1979年の5月から8月にかけての出来事を中心に、デボラとイアンの間の距離が徐々に広がっていく様子が記されています。
 第7章の終わり、1979年の4月に一人娘のナタリーが誕生します。第8章のはじめには、デボラの生活の中心はナタリーの世話になり、イアンにも父親として生活の中心に娘を置いてくれるよう期待したけれども、そうはならなかったことが記されています。1979年の5月、ジョイ・ディヴィジョンは定期的に月4回のギグを行いますが、イアンはまだフルタイムで働いており、ハードスケジュールがたたって激しい発作を起こし、数日間入院します。6月、ファーストアルバムの『アンノウン・プレジャーズ』が発売されます。初回限定5000枚、広告費も抑えられていましたが、音楽誌からこぞって絶賛され、限定5000枚はあっという間に売り切れ、バンドは急速に世間から注目を集めます。
 脱落部分直前の記述は、8月にイアンが「NME」誌の表紙を飾ったことです。表紙に載るのは二度目で、前回(1979年1月)は一人でしたが、このときはバーナード・サムナーも一緒でした。「8月、イアンはもう一度「NME」誌の表紙を飾った。今回はバーナード・サムナーも一緒だった。イアンはレインコートと煙草は身につけず、」とあり、以下が脱落しています。原本では「驚くほどくつろいでいるように見えるが、バーナードはカメラから顔をそらし、ぴっちりした服装に小さめのネクタイを締め、いつにも増して男子学生のようだった。」と続いています。
 以下、脱落部分の要約を載せます。


 8月11日に、リバプールでギグが行われた。リバプールは私の生まれた街で、ギグに行くのを楽しみにしていた。しかし、ギグが終わった後、イアンから、今後誰かと一緒じゃない限りはギグに来ないように言われた。どうやら、彼女や奥さんをギグに呼びたくないし、バンドにあまり関わらせたくないというバンド側の方針が背景にあるようだった。妊娠していた時、ギグを見に行ったらトニー・ウィルソンが挨拶もなしに目をそらしたことを思い出した。かつてはギグの手伝いもして、公私にわたってイアンをサポートしてきたが、今は邪魔者扱いされているのだと分かった。
 スティーブン・モリスだけはこのルールを無視して自分のガールフレンドを連れてきていた。彼の場合、反論したりするわけではなく、ただ黙ってこの方針に従わなかった。
 私はイアンが高校時代、薬物の過剰摂取を起こしていたこと、若くして死にたいと言っていたこと、そして憂鬱な気分に陥りやすい傾向があることを知っていたので、彼が癲癇の治療薬に加えてドラッグを摂取することを恐れていた。以前私が楽屋に行った時、誰かが、マリファナをあわててトニー・ウィルソンに返し、イアンは決して触っていないという素振りをされたことがあったが、取り巻きの連中のことが嫌いな私は、そういったことについて彼らに話そうという気が起こらなかった。
 8月27日、ファクトリーと、リバプールのズー(ファクトリーと同じく当時のイギリスを代表するインディー・レーベル)が共同開催し、二つの都市とレーベルを代表するバンドが出演したロック・フェスティバル「リー・フェスティバル」が行われた(注:このライブはCDになっているようです)。一人で来るなと言われていたので、私はバーナードの妻、スー・サムナーを誘って車で出掛けた。このギグは、ほとんど宣伝されなかったせいもあって、私が記憶する限り最も観客が少なかった。警備の警官の方が観客より多いくらいだった。帰途、私の車は検問で止められ、車の中を警官に調べられた。腹を立てている私に、イアンは、「実はファクトリーの誰かが麻薬を持っていたけど、その車は止められなかった。僕とバーナードは難なく切り抜けた」と話した。
 「ジョイ・ディヴィジョン」という名前は、常にプレスの話題に上った。メンバーたちは確かな理由を話さずに、沈黙していた。彼らのうちの誰一人として、とりわけイアンがちゃんと答えないことに、私は驚いていた。そのうち4人はインタビューを受けなくなった。記者たちがイアンにばかり注目し、イアンがそれを嫌がったことも理由の一つだった。ジョイ・ディヴィジョンは4人の強い結合で成り立っていたのに、記者たちはジョイ・ディヴィジョンをイアンのバックバンドのように扱ったのだ。

この後、「今に至るまでに、イアンは私との間に、より精神的な隔たりを置いていた。」という一文があり、前に訳したイアンの読書傾向とバーナード・サムナーの発言の引用が入ります。その後に続く部分を要約します。

 バーナードはまた、イアンがニーチェの「永劫回帰」の思想に関心を持っていて、ナチズムはその一環だったのではないかと回想している。私は、イアンのナチへの関心は制服がきっかけだったと思う。イアンは子どもの頃にいろんな軍隊の制服を描くことが好きだった。まずナチの制服に関心を持ったのだろう。
 バーナードと同様、私(注:イアンとバーナードと同年齢)の子ども時代もまた、防空壕やプレハブの家、鉄の柵など、戦争を思い出させる物があちこちにあった。第二次大戦は家族の間で習慣的に話題になっていたし、私にとっても、戦争はごく身近なものだった。私の祖父はユダヤ人で、戦争で闘った6人の伯父についての新聞記事の切り抜きを見るのが子ども時代の私の楽しみだった。
 過去にたった一度だけ、戦争についてイアンと話し合ったことがあったが、それは北アイルランド紛争についてだった。イアンは政治的なことについては話さず、自分の祖先がBlack and Tans(1920年6月アイルランドの反乱鎮圧に英国政府が派遣した警備隊)に突き刺されるという空想の物語を話した。私は悲惨な出来事についてあまり考えたりしたくなかったけれど、イアンは違っていた。私より高いレベルの考えを持っていたようだ。ナチズムへの突然の興味を私が理解できなくても、イアンは説明しようとはしなかった。
 バンドの方針は私とイアンの関係を邪魔しているように見えた。イアンは私のことを見下すような態度をとった。もしかしたら、彼の人格の両面を知っている私を無視したかったのかもしれない。さらに悪いことに、イアンは自分の家族たちに対しても蔑視するような態度を取り始めたように見えた。
 ギグとそのための移動によって、イアンの発作は7月から8月を通じて頻発するようになった。私がイアンとコミュニケーションを取ることは、どんなサンドウィッチが食べたいかもわからないほど、困難になっていた。医者は薬の処方を変え、生活態度を改めるようしきりに説明していたようなのに、私はこうした問題からシャットアウトされていた。イアンは、自分がこんな状態なのは私のせいだと思っていたようだ。私はイアンが良くなることを望んでいただけで、イアンの治療は医師によって監視されていたのだから、どんなに不備があっても最終的には解決されるだろうと考えていた。

 ここまでが脱落部分です。この後、邦訳本では「イアンのネルおばさんとレイおじさんが一ヶ月の休みを取ってテネリフェ島からやってきた。」とあります。今のデボラとイアンの状態について相談し、助力してくれる人物として、イアンが幼い頃からなついていたネルおばさんに、デボラは最後の望みを託していました。しかし、ネル一人に話しかける機会は訪れず、イアンは実家では、まるで何の問題もないように完璧に振る舞ったため、その希望は叶いませんでした。ここで、第8章は終わっています。

邦訳本『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』の脱落について――(1)

2010-06-30 21:19:58 | 日記
 前回一部紹介した、原本(ペーパーバック)にあって、邦訳本『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』に無い部分について、詳しく記したいと思います。
 私は映画「コントロール」を見てイアン・カーティスに興味を持ち、邦訳本を読みましたが、そのときには特に何も気になりませんでした。私が邦訳本の問題点に気付くきっかけになったのは、その二ヶ月後に公開されたドキュメンタリー映画「ジョイ・ディヴィジョン」を見て、デボラの著作の引用として、「(イアンの)愛読書はドストエフスキー、ニーチェ、サルトル、ヘッセ、バラード、J・ハートフィールドの反ナチスの合成写真本(フォト・モンタージュ)。彼は人間の苦悩ばかり読んだり考えたりしていた」という記述が出てきたことです。イアンの詩がいろいろな文学から影響を受けているらしいこと、それは私が最も関心を持っていたことでしたから、イアンの読書傾向に関するデボラの記述は興味深く、印象に残りました。しかし、邦訳本は既に読んでいるのに、このような記述の存在には全く注意していませんでした。それで、読み落としたのかと思い、改めて確認しましたが、やはり見つけられませんでした。邦訳本には訳者の解説や覚え書(まえがきやあとがき)など一切ないので、全訳なのだろうとは思うのですが、アマゾンのレビューを見ると「完訳ではない。抄訳だ」と書かれていました。そこで全文を確認したいとの思いからペーパーバックを購入し、邦訳本と比較してみた結果、この読書傾向に関する記述が邦訳本にないのは、何らかの手違いによる脱落であったことが判明しました。
 まず、第1章と第2章について邦訳本と原本を比べてみると、落ちている段落はなく、全て一致していました。次にこの第1章と第2章について、頁数を比較してみると、第1章は邦訳本が18頁、原本が19頁、第2章は邦訳本が9頁、原本が9頁で、ほぼ同じ頁数となっています。
 全文を逐一検証すれば良いのですが、取り敢えず、以下の章については、内容を逐一合わせずに頁数だけ単純に比較してみました。すると、次のような結果になりました。

 章    原本  邦訳
第 1章   19頁  18頁
第 2章    9頁   9頁
第 3章    7頁   7頁
第 4章   14頁  13頁
第 5章   10頁  10頁
第 6章    5頁   5頁
第 7章   16頁  16頁
第 8章   12頁   8頁
第 9章    9頁   9頁
第10章   11頁  11頁
第11章   10頁  10頁
第12章    7頁   7頁
第13章    6頁   6頁
第14章    4頁   4頁

 殆どの章は、第1章、第2章と同様に、邦訳も原本とほぼ同じ分量です。その中で、第8章だけが、極端に頁数が異なるのです。
 そこで、邦訳本の第8章を検討してみると、102頁から103頁が、不自然なつながりになっていました。102頁の最後の段落に

 8月、イアンはもう一度「NME」誌の表紙を飾った。今回はバーナード・サムナーも一緒だった。イアンはレインコートと煙草は身につけず、

とあり、103頁の冒頭は唐突に

イアンのネルおばさんとレイおじさんが一ヶ月の休みを取ってテネリフェ島からやってきた。……

となっています。原本を見ると、この間に、前回載せた部分を含め、原本のペーパーバックで4頁と5行分の記述が入るのです。
 結論としては、邦訳本は原本の一部を訳さなかった「抄訳」ではなく、何らかの手違いにより訳文の一部が「脱落」してしまったものと見られるのです。これが、102頁の次が107頁に飛んでしまっているのであれば「落丁」ですが、頁付は102頁から103頁と連続しているので、所謂「落丁」ではありません。頁付は繋がっていて、102頁から103頁の文章も「……身につけず、イアンのネルおばさんと……」と、単語が途中で切れたりしていないので、ぱっと見では気付きにくかったのだと分かりました(よく読むと文脈がつかめないのですが……)。
 脱落の理由は想像するよりありません。ただ、訳はもともと全訳で、そして制作途中に何らかの理由で4頁脱落し、それに気付かないまま頁付を入れてしまった、ということなのだろうと思います。
 
 邦訳本の初版は2006年9月に出版されています。私が購入した2008年の3月の時点でまだ初版でした。今後再版があれば、脱落部分の補足なども望めますが、恐らくそれほど需要があるとも思えないので(というよりも、映画化されたからとはいえ、よくぞ邦訳を出版してくれた! という思いに尽きます)、残念ながら難しいかと思います。
 ただ、訳文は存在していたはずですので、できれば何らかのフォローによりこの部分が補えるようにして、「全訳」にして欲しいと思います。そのことを期待しつつ、それまでの繋ぎとして、脱落箇所に何が書かれていたのか、その概要を紹介しておきたいと思います。

『An Ideal For Living』とドイツ第三帝国――(7)

2010-06-23 22:42:43 | 日記
 デボラ・カーティスは、『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』の中で、イアンの読書傾向について次のように記しています。この部分(第8章、ペーパーバックのp.90)は邦訳本では脱落しているので、拙訳を載せます(邦訳本の脱落については、別に記事を立てたいと考えています)。

 彼はナチスドイツについて書かれた一組の本を買って帰ってきたが、主に読んでいたのはドストエフスキー、ニーチェ、ジャン・ポール・サルトル、ヘルマン・ヘッセ、J・G・バラード、J・ハートフィールドによる反ナチスの合成写真本“Photomontages of the Nazi period”、この本はヒトラーの理想の蔓延を生々しく証明したものだ。J・G・バラードの“Crash”は、交通事故の犠牲者の苦しみと性衝動を結びつけたものだ。イアンは空いた時間の全てを人間の苦難について読んだり考えたりすることに費やしているように感じられた。歌詞を書くためのインスピレーションを求めていたことは分かっていたが、それらは皆、精神的肉体的苦痛を伴う不健康な妄想の極みだった。私は話をしようと試みたが、記者たちと同じように扱われた――無表情で、沈黙するだけ。イアンが唯一それについて話した人物は、バーナードだった。

 デボラは、こう書いた上で、バーナードの次の発言を引いています(出典は不明。『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』には、関係者たちの発言が多数引用されていますが、それが、デボラのインタビューによるものなのか、雑誌などからの引用なのか、特に記されていません)。

 僕が住んでいた所にはいくつも防空壕があった。僕の家の裏庭には防空壕が一つあって、僕たちが遊んでいた通りの外れには地下壕があった。子どもの頃テレビで見た映画は皆、戦争についてだった。だから成長して過去に何があったのか理解するようになると、みんな自然に戦争について強い興味を持つようになったんだ。戦争の話なんて時代遅れだ……避けるべき話題だ……そうかもしれないけど、僕は風化させるべきじゃないと思った、僕たちの関心はそこにあった……それは僕たちが生まれるたった10年前のことで、そんなに昔のことじゃないんだ。  バーナード・サムナー

 イアンが関心を持っていたのは「人間の苦難」や「現代人の失敗」(「Failures」)で、ドイツ第三帝国はその最たるものだったといえます。ここに挙げられた作家や作品は、歴史の暗部や悲劇、そこに顕れる人の心の闇を見つめているという点において共通しています。
 『An Ideal For Living』とドイツ第三帝国――�の記事に、ジョイ・ディヴィジョンがナチズムを取り上げたのは、パンクの影響で、いかに人を不快にさせられるかだったというバーナードの発言を記しました。その一方で、ここに引かれるバーナードの発言からは、そうした一面のほかに、戦争の記憶を風化させるべきではないという考えもあったことが分かります。イアンが唯一、自身のこうした思考の傾向について話していたというバーナードの発言ですから、これは、「僕たちの関心」と言っていることからしても、イアンとの共通認識だというつもりで、デボラは引用しているのでしょう。
 なぜ風化させるべきではないのか――それは、こうした悲劇が繰り返されているからであり、バーナードが言うように「たった10年前のこと」で、決して他人事ではなく、自分や自分の祖先とも繋がっていることだからではないでしょうか。自分が今生きていることと無関係ではないのです。人間が本質的に持っている性質だからこそ、繰り返されるのでしょう。
 イアンが主に読んでいたというこれらの哲学や文学は、人間が起こす悲劇を、他人事ではなく身につまされるものとして考えさせる力を持っています。「人間とは何か」というテーマがあり、人間存在の本質への問いかけを持っているという点で共通していると思います。哲学はどこまでも論理的にそれを突き詰めようとしますが、理性よりも感性に、感覚に訴えていこうとするのが文学だと思うのです。
 私はイアンの詩について、こういった意味での文学性を感じます。インスパイアされたとみられる歴史・哲学・文学が詩に直接表れるということはありません。『An Ideal For Living』におけるナチズムに限らず、イアンの詩全般について言えることですが、あくまで暗示的で、サブリミナルな影響を及ぼすような存在として詩の中に配されています。分かりやすい主張はありませんし、体系立った思想にもなっていません。しかし、そこには、一貫して自分自身を含めた人間存在への切実な問いかけが含まれていると思うのです。
 『An Ideal For Living』において、イアンがナチズムを取り上げたのは、単なる好奇心ではなく、もちろん礼賛でもなく、批判でもなかったことが、詩を読んでいて分かります。彼が表現したのは、インタビューで自身が語っているように、ドイツ第三帝国から触発された潜在意識です。それにより、彼はニヒリズムを象徴的に表現しました。詩を書くことに含まれる一連の行為によって、彼は自分自身の心の底を覗いていたのだと思います。そこで見えたものが、人間の本質に通じるものであれば、分かりやすさを拒否したような詩であっても、聴衆に強いインパクトを与えるはずなのです。

『An Ideal For Living』とドイツ第三帝国――(6)

2010-06-16 21:45:17 | 日記
・「Failures 」
 これまで、歌詞の訳は基本的に唯一の全詩集『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』の邦訳をもとに、若干手を加えて掲載してきましたが、「Failures」は非常に難解で、邦訳を参考に読んでもわけが分からないところがいくつもありました。そこで、試行錯誤しつつかなり思い切って意訳し直してみました。英語が得意というわけではないので誤りが多々あると思います。ご教示いただければ幸いです。
 
 冒頭に、この詩の主題が示されています。

Don't speak of safe Messiahs,        安全な救済者について話すのではない
A failure of the Modern Man,        現代人が犯した失敗についてだ

 他の三つの詩から見て、この「failure(失敗)」の最たるものとして、ナチズムが当然意識されるでしょう。
 続いて、こうあります。

To the centre of all life's desires,     生きとし生けるもの全ての願いは
As a whole not an also-ran.         落伍者ではなく完全であること

 これは、「失敗」の源である人間の欲望を指摘していると思います。このことについては、第2連で再考してみます。
 次に続くフレーズは抽象的な表現です。

Love in a hollow field,             空虚な場所で営まれた愛
Break the image of your father's son,   父親の息子だというイメージがない

「君が君の父親の息子であるというイメージを破壊する」つまり「実の父親の息子だと思えない」とは、「Warsaw」に「I grew up like a changeling,(僕は取り替え子のように成長した)」とあるように、また、「Leaders Of Men」に「Born from some mother's womb, Just like any other room.(まるでどこかの部屋のような、母親の子宮から生まれ)」とあるように、異常な誕生と、ゆがんだ成長を表していると思います。そして、第1連の最後に、

Drawn to an inner feel,            内なる感覚に引き込んだ
He was thought of as the only one,      彼は唯一の存在と思われていた
He was thought of as the only one.    彼は唯一の存在と思われていた

とあります。「Drawn to an inner feel,」は、彼が人々を心の奥底まで引き込んだ、と解釈しました。そして、皆に「He was thought of as the only one.」と思わせたのです。
 以上第1連の内容をまとめると、唯一絶対だと思われていた人物は「メシア(救世主)」ではなく、人類の失敗を引き起こす独裁者だということになります。

 第2連の始まりには、この独裁者についてこうあります。

He no longer denies,             彼はもはや否定しない
All the failures of the Modern Man.    現代人の犯した失敗のすべて
No, no, no, he can't pick sides,       いや、違う、彼は味方を選べない
Sees the failures of the Modern Man.   現代人の失敗が見えている

「No, no, no, he can't pick sides,」とありますが、これは、独裁者はその味方になる人々、取り巻きの人々によってこそ、過ちへと導かれることを意味していると思います。
 続くフレーズは難解です。

Wise words and sympathy,           賢明な言葉と同情が、 
Tell the story of our history.         僕たちの歴史を語る
New strength gives a real touch,       新しい力がリアルな感触を与える
Sense and reason make it all too much.  感性と理性はもう堪えられない

 「Wise words and sympathy, /Tell the story of our history. 」とありますが、「sympathy」は、虐げられた人間への同情という意味でしょう。「慈悲」と言ってもいいかもしれません。そうした視点から語られた歴史は、どんなものなのでしょうか。それが、以下記されていきます。独裁者は民衆にこれまでにない新しい生活の感触を与えます。しかしそれには、「Sense and reason make it all too much.」なのです。「all too much」は、「もうたくさん」「うんざり」という意味なので、「理性と感性はその感触にうんざりさせられる」と解釈し、上記のように訳してみました。

With a strange fatality,            奇妙な運命とともに
Broke the spirits of a lesser man,      劣った人間の魂が壊される
Some other race can see,           他の人種には見える
In his way he was the only one,       彼のやり方で彼は唯一の存在になった
In his way he was the only one.       彼のやり方で彼は唯一の存在になった

 この部分は、かなり明白にナチのホロコーストを示唆していると思います。劣った人種とみなされた人々が殺され、それ以外の人種は、その虐殺の目撃者だ、ということでしょう。「劣った人間」は第1連にある「落伍者」に重なってくるでしょう。落伍者は社会から抹殺され、落伍者にならないために、抹殺されている人々を傍観する大衆の姿がイメージされるように思います。

 第3連には、第2連の始まりと同じく「He no longer denies,/All the failures of the Modern Man. /No, no, no, he can't pick sides, /Sees the failures of the Modern Man. 」が繰り返され、続けて、こうあります。

Now that it's time to decide,         今こそ決断すべき時
In his time he was a total man,         彼の時代彼は絶対の人間だった
Taken from Caesar's side,           シーザーの側になり
Kept in silence just to prove who's wrong. 沈黙を守ってただ過ちを示した

 「彼」は時を得て絶対的な存在になり、シーザーから連綿と続く独裁者の系列に入ったのです。そして、沈黙していてもその行為の過ちは証明されています。
 最後は再び既出のフレーズ「He no longer denies,/All the failures of the Modern Man. /No, no, no, he can't pick sides, /Sees the failures of the Modern Man. 」が繰り返され、最後「All the failures of the Modern Man.」という言葉で終わります。

 何度も繰り返される「the failures of the Modern Man」は、この詩だけではなく、『An Ideal For Living』全体を貫くテーマだと思います。ただ、「Failures」は観念的な詩で、頭で作ったものという印象を受けます。具体的なイメージを喚起する力が他の詩と比べてやや弱いのではないかと感じました。曲は「Leaders of men」「No love lost」などに比べると、速いテンポでまくしたてる典型的なパンクの曲なのですが、こうした複雑な内容の詩とかみ合っているのか疑問に思います。
 イアンは曲ができあがると、その曲にあわせて言葉を嵌めていたようですが、ジョイ・ディヴィジョンのいくつかの歌では、詩と曲が絶好の機会を得て共鳴しあうように感じることがあります。『An Ideal For Living』の中でも、すでにジョイ・ディヴィジョンとしてのアイデンティティーが顕れているように思われる「Leaders of men」「No love lost」の曲は、イアンの内面をより深くゆさぶったのではないか、と考えたりします。一方、「Failures」のように、詩と曲が離れているように感じられるものもあります。詩と曲のこうした微妙な関係も、今後考えてみたいことの一つです。
 ともかく、イアンは「failures」の一つであるドイツ第三帝国に強い関心を持っていたようです。デボラは、ナチズムに限らず、こうした歴史の暗部、人類の受難について、イアンは非常に強い関心を寄せていたと記しています。この部分は、『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』の邦訳では、なぜか省略されている部分なのですが、イアンの文学や歴史についての関心の傾向を知る上で重要だと思うので、次に紹介してみたいと思います。

『An Ideal For Living』とドイツ第三帝国――(5)

2010-06-09 21:02:57 | 日記
・「No love lost」(つづき)

So long sitting here,            随分長い間ここに座っていたけど
Didn't hear the warning.          警報は聞こえなかった
Waiting for the tape to run.         テープが回るのを待って
We've been moving around in different situations,  僕たちは異なる場所で動き回っていた
Knowing that the time would come.   その時がくるのを知っていた
Just to see you torn apart,        君が引き裂かれるのをまさに見るために
Witness to your empty heart.       君の空虚な心を見届けるために
I need it.                    僕はそれが必要
I need it.                    僕はそれが必要
I need it.                    僕はそれが必要

Through the wire screen, the eyes of those standing outside looked in  
at her as into the cage of some rare creature in a zoo.
  金網越しに、外にいる人々の目が
  動物園で珍しい生き物を見るように彼女を見ていた
In the hand of one of the assistants she saw the same instrument 
which they had that morning inserted deep into her body. She shuddered
instinctively.
  助手の手に、その朝彼女の体の奥に挿入されたものと同じ器具があるのを彼女は見た。
  本能的に彼女は身震いした
No life at all in the house of dolls.    人形の家にもはや生命はない
No love lost. No love lost.         憎しみしかない、憎しみしかない

You've been seeing things,        君はいろいろなことを見てきた
In darkness, not in learning,         闇の中で、何も学ぶことなく
Hoping that the truth will pass.      この事実が消え去ることを望みながら
No life underground, wasting never changing,  地下に隠れることはできない、消耗するだけで決して変わらない 
Wishing that this day won't last.     こんな日が続かないことを願いながら
To never see you show your age,    君が年老いていく姿を見ることはない
To watch until the beauty fades,     君の美しさが褪せるまでを見る
I need it.                    僕はそれが必要
I need it.                    僕はそれが必要
I need it.                    僕はそれが必要

「No love lost」は、「Warsaw」「Leaders Of Men」と比べると、より抽象的でわかりにくい印象を受けます。その中で、イメージが掴みやすいいくつかのフレーズを頼りに読んでみたいと思います。

 第1連で印象深いのは、「Just to see you torn apart」です。この詩の主体となる人物は、「だれかが引き裂かれる」のを見届ける人物だとわかります。彼は、残虐行為の傍観者で、例えば収容所の看守でしょうか。そうすると、「We've been moving around in different situations, 」は、彼が収容所内を巡回している様子ではないか、と思われます。

 第2連で描かれているのは、ぞっとするような残虐行為と、それを好奇の目で見つめる人々の光景です。「No life at all in the house of dolls.」のフレーズは、これらが『ダニエラの日記』に描かれている、収容所でのナチの虐待行為の暗喩であることを示唆しています。そして、「人形の家には憎しみしかない」ことが実感されます。

 これらをふまえて第3連を読んでみましょう。
「You've been seeing things」とあります。以下、これらの出来事の犠牲となってきた女性(第2連の「she」で明示されています)の心情が描かれます。「In darkness, not in learning, /Hoping that the truth will pass./No life underground, wasting never changing, /Wishing that this day won't last.」これらは、地獄のような恐ろしい日々がただひたすら過ぎるのを待つだけの、精神的な圧迫の日々を表現したものだと思われます。「To never see you show your age」は、年老いるまで彼女は生きてはいない、ということでしょう。そして、続く「To watch until the beauty fades,」は、「僕」の行為についてのことで、「僕」は彼女の美しさが褪せてしまう瞬間までずっと見ている、ということだと思います。
 第1連と第3連は、「僕」すなわち「傍観者」の心情を描き、そこに挿入された第2連は、作者の視点で状況を客観的に説明しているものだと思います。繰り返される「I need it.」ですが、「僕」に必要とされているのは、「see」「Witness」「watch」、というように、彼女のことを「見る」ことのようです。
 この詩が描いた「彼女」の圧迫は、それを見続ける「僕」の圧迫でもあり、また、読む者にもストレスを与えます。特に第2連が持っているどぎついイメージは不快感を与えます。『ダニエラの日記』にまつわる背景を知ると、より強い嫌悪感がこみあげてきます。バーナードの言う「圧迫について歌った歌」が、この「No love lost」ではないかと思ったのは、この詩が犠牲者をテーマにしているという点と、何より読んでいて自分が最も不快だったという点にあります。見たくないものを見せられた感じがしたのです。しかし、そこに、目をそむけるのではなく「見る」ことが必要なのだというメッセージが秘められているのではないか、とも思います。イアンが『ダニエラの日記』を深層心理に沈潜させ、その上で表現した詩は、道徳観念ではなく感覚に訴えてきます。この詩は『An Ideal For Living』の4つの歌詞のうちで、最も暴力的かつ憂鬱な詩なのではないでしょうか。人間の持っている醜さを挑発的に示しているように思うのです。