John note~ヨハネのひとりごと

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ヨハネの雑記~一年を振り返って

2020-12-30 20:23:26 | のほほん雑記

2020年もあとわずか。

この一年を振り返っていきたい。

2019年の暮れからコロナがこのような状況になるなどとは露知らず、コロナが蔓延し始める。

風邪程度の病気だろうと皆、なめてかかった結果、これが深刻な疫病であることを皆が気付きはじめる。

しかし、これが神からの天罰の始まりだという事を多くの人が気づいていない。変異株が出ることはわかっていた事実であり、もはや人間が対処できるレベルを超えているレベルなのだ。

私達がこれを終息させるには、いったん罪深い生活を止めて神に祈ること以外にはない。

もはやヨハネの黙示録の時代に入っており、反キリストが動きだし、キリストは再臨の準備に入っているからです。

フクシマ50の映画で福島原発の所長は、部下に対する手紙のなかで、俺たちは自然をなめていた、まさか10Mの津波がくるとは思わなかった、と言っていました。

この自然とは神に置き換えることができます。

自然を支配しているのは、神だからです。

神に目を向けない、考えない、関心がないことは神を舐めていることにほかなりません。

3.11からの地震、津波からはじまり、多くの天災があり、そしてコロナが来ました。

それでも人は神に目を向けず、同じことを繰り返します。

人間はコロナは人間の手で克服できると思っているようですが、人間では手に追えないこともある、と神は人間にわからせようとしています。

今は、世界の終わりではありませんが、明らかに時の終わりです。

多くの教会が閉じられ、ミサが出来なくなったり、参加人数が半減されたり、これは人類の救いにとって由々しき事なのです。

私達に出来ることは、神を愛することが出来ないのなら、少しでも罪を減らす生活をしなければなりません。

コロナで神の方に心を向けなかった人類にもう時間的な猶予はないのです。

2021年がとても心配です。

コロナワクチンの接種がはじまるからです。

私達は神様が介入してくださるよう祈り、犠牲を捧げなくてはなりません。

次は私の霊的妹の死です。

この事は前にも書きましたからあまり書きません。

妹のカトリック者生活は短いものでしたが、これほど短期間に聖性を高めた人はまれです。

本当に心から敬愛しています。永遠に。

最後はTwitterにおける辛い出来事でした。

これも、あまり詳しくは書きたくないので、興味のある方は前の記事を見てくださいませ。

私は以前、ブログにおいてカトリック者に裏切りとも思える事をされました。その時も相当酷いことをされたと感じましたが、今回はその比じゃありませんでした。カトリック者がそんなことするか?それも大の大人が⁉️ 

それでも、良いこともありました。話を分かち合えるTwitter仲間と出会えることができました。

明日で2020年は終わってしまいます。

2021年はうし年です。

干支は動物ですが時を表します。

うしといえば旧約のアモンを思い出します。

黄金のアモンはモーセが山に登っている間、人々が神にかわって崇拝していた神です。

反キリストの登場を連想させないまでも、そういう年に今以上になるのかなと危惧しています。神離れがよりいっそう加速するのかな?と。

カトリック信者の神離れや司祭、修道者の世俗化が進んでいます。

結論からいうと起こることは起こります。

でも、未来は変えることが出来ますし、決定事項でもありません。

私達は、生きていかなければならないし、働かなければならないし、伝えていかなければなりません。

私達が神の憐れみを信じ、平和に暮らせますように神に祈りましょう。


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